偽りの「はんせいき」? 【なろうの皆様へ 短編】
まずは、なろう様に感謝と反省の弁を。
「まずは運営様、私の様な者でも気軽に意見を発表できる場を設けていただき、ありがとうございます。
また、とても未熟な作品を目にされた読者様、そして、作家様には作品を読んで欲しくて、煽られたと取られてもおかしくない様なマネをしてみたりと、本当にすみませんでした」
未熟なのは相変わらずですが、少しは良い物?が書けてきた様な気がします(ᐢ ᵕ ᐢ)。
思えば、なろう様に投稿をしようと決意したきっかけは、ひふみ神示の次の一文です。
「自分が生んだもの、自分から湧き出るものは、いくら他に与へてもなくならんぞ。与へよ、与へよ、与へてなくなるものは自分のものでないと申してあろう。無くなると思ふのは形のみ見てゐるからぢゃ。カラのみ見るからぢゃぞ。本質は無限に拡がるぞ」
上記のなくならないものの一つがおそらく「言葉」なのですが、これは受け売りではなく自身の体験・経験から紡ぎ出された「言葉」ならば、人に伝えてもその本質、真意は失われず寧ろ拡がる。
これを基に思いついたのが「伝言ゲーム」ならぬ「逆伝言ゲーム」です。
私は故あって、最愚最弱者(さいそこびと)を自称しています。
そんな私が発信した言葉(作品自体も含む)はとても愚かでか弱きもの(言葉の重みが無いに等しい)なのかも知れません。
ですが、そんな愚かな言葉でも人から人へ伝わる内にその本質は拡がり、良くする事は可能なはずです。
伝言ゲームが”始めの人が口にした言葉をいかにそのまま伝えるか”ならば、「逆伝言ゲーム」は”「最も愚かな始めの言葉」をいかにより良く伝えるか”なのです。
つまり、私が発信した言葉・作品が読まれた皆様の『気づき』に繋がり、その感想や気づきにより創作された作品(言葉)がまた別の人へと…… 無限に拡がる(良くなる)。
そして、その結果、世の中が良くなり、(皆様をはじめ)私もその恩恵にあやかれる。
まるで、夢の中のお話のようですが、そうなれば良いなと私は今でもそう思っているのです。