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見ていた

作者: 湯湯菜吏

 

 ()()()()。じっと、見ている。


 俺の一挙一動を、逃すことなく。


 視線を上げる。

 部長席の奥の、ホワイトボードの裏から。何の感情も写さない、うつろな瞳が、こちらに向けられていた。


『ヒッヒヒヒヒヒッ!!!』


 不自然につり上げられた口から紡がれる笑い声。

 耳にこびりつく。

 気持ちが悪い。



 ある日、目を覚ますと、部屋の中に男がいた。


 どんな? 

 普通のおじさんだよ。何の変哲もない、スーツ姿のおじさん。


 顔? 

 ……あんまり見ないようにしてるからなあ。

 目はぎょろっと大きいよ。肌は青白くて……あとは想像に任せるけど、そこら辺はあんまり気にしない方が良いと思う。本物はマジで気持ち悪いから。


 そいつは、部屋の隅っこに三角座りをしていた。体をぎゅっと縮めて、顔だけを上げていた。俺の方を、じっと、見ていた。


 最初は驚いたよ、もちろん。

 しかもその日は二日酔いで、頭痛も相まって、わけわかんなくて泣きそうだったよね。


 ひとり暮らしのアパート。普通だったら不審者だと思うだろうけど、俺はすぐに理解した。

 これは、幽霊の類いだと。


 そういう飲み込みだけは早いんだ。



 それから、毎日、男は俺を見ている。

 どこに行っても、誰といても。



 男は、必ずどこかにいる。



 今でこそ、こうやって平然を装えるけど、最初は動揺したよ。

 もう怖くて怖くて。


 でも、何をしても男はいなくならなかった。


 お祓いもしたし、盛り塩もしたし、悪霊退散のお札も買ってみた。


 全く効果はなかった。


 霊能者曰く、それは悪霊じゃないからなんじゃないかってさ。実際、ずっと見られてるってだけで、実害はないわけだし。


 でも、俺はそうは思わないんだよね。


 皆は、四六時中誰かに見られ続けるっていう経験したことある? 

 視界の端に、虚ろな顔をしたおじさんがずっと写り続けるんだよ。


 まさに、悪夢だよ。


 この男は、俺が壊れる日を待ってるんじゃないかって思うんだ。



 1番嫌な瞬間は、朝、目覚める時。


 全部夢だったんじゃないかって期待するんだけど、やっぱりあいつはいるんだ。


 見たくないのに、常に探してしまう。「いなくなってればいいのに」って。



 男が現れて1ヶ月経ったころ、ついに限界に達した。


 目が覚めて、男がぎょろりと俺を見ていて、猛烈に腹が立ったんだ。

 いつまで俺に付きまとうつもりだって。


 台所から包丁を取り出した。

 意味がないことはわかっていたけど、怒りのままに、男に振り下ろした。


 フローリングに傷がついて、男は消えた。


 嬉しかったよ、あの時は。

 久々に自由になった気持ちだった。まさか幽霊に物理攻撃がきくなんてね。


 俺は久しぶりに、誰の視線も気にしなくて良い1日を過ごした。楽しかった。


 だって、どんなに見渡しても、探しても、あの男はいないんだ。



 でも、その時間は長くは続かなかった。


 翌朝、目が覚めたとき、再びあの男がいた。


 しかも、至近距離から俺をのぞき込んでいた。


 驚いたよ、本当に。

 前までは、少し離れたところから見つめるだけだったのに。その日から、男は俺のすぐ側にも現れるようになった。



 俺は、どこにでもいるようなサラリーマン。

 4年制の大学を卒業して、地元とは離れた土地で就職した。狭いワンルームでひとり暮らし。

 毎日毎日、パソコンに向かって変わり映えのない作業ばっかり。俺の替えなんていくらでもいる。給料は安いし、打ち込める趣味もない。大学時代から付き合っていた彼女にもフラれた。それでも、生きるためには働かないといけない。


 正直、うんざりしていた。でも、そんな日々も今よりは幸せだった。


 失ってから気づいたけど。


 皆も、感謝した方が良いよ。普通の日常を過ごせるのって、幸せなことだ。



 どうやら、男に物理攻撃をすると一度は消えるが、1日のインターバルを経て、復活するらしい。

 しかも、復活した後は、男の行動がワンパターン増える。


 最初は遠い場所で三角座りをして俺を見るだけだった男は、今や、笑い声をあげるようになった。

 立ち歩き、ふとした瞬間に、すぐ目の前にいる。壁や机から頭だけを出すこともあった。変わらないのは、じっと俺を見続けているということ。


 どんなときも、365日24時間、男は俺を見ている。


 何をしても、男は消えてくれない。


 俺は一生このままなのだろうか。




 男が現れてから1年が経った。


 『ヒッヒヒヒヒヒッ!!』


 今日も男は笑っている。これにも慣れてしまった。

 仕事仲間との飲み会の帰り道。喧噪の中、フラついた足取りで帰路を辿る。


 酒は好きだ。束の間、嫌なことを忘れさせてくれる。



 ふと、視線を感じて立ち止まる。

 男が、俺にぴったりとくっつくように立って、すぐ右側からのぞきこんでいた。


 うつろな目が、視線を合わせようとするように動いている。


「いい加減にしろよっ!!」


 男を払うように、右腕を力強く後ろに振った。その反動で、ふらふらと左側によろけて、膝をついた。


 なんだよ、せっかく良い気分だったのに。


 下はコンクリート。スーツは大丈夫だろうかと立ち上がると、正面の路地裏に花束が置かれているのが見えた。日本酒の瓶もある。

 たまに事故が起こった交差点とかで見るやつだ。


 ああ、そうだ。そんなこともあったな。



 ……興醒めだ。


 帰ってさっさと寝よう。寝ている間は、あいつの顔を見なくて済む。



「待ってください」


 背後から声をかけられて、振り返る。

 そこには、女性が立っていた。

 目が大きくて、スタイルが良い。美しい女性だ。


 ぼんやりと見覚えがある。


「1年前、ここにいましたよね」


「えっと、すみません。どなたですか」


「……そこの」


 女性は、路地裏を指した。


「1年前、私の父は、そこの道で殺されました」


「……父?」


 思い出した。


 確かに俺は、この辺りで彼女を見たことがある。


 ……そうか、親子だったのか。


 高級そうなスーツに身を包んだ男と、若くて綺麗な女性。

 連れ立って、歩いていた。


 1年前の、この道を。


「どうりで、よく似ていますね」


 女性は大きな目をさらに大きく開いた。そうしていると、まるで……。


「あなたですか」


「なにがです?」


「あなたが、父を殺したんですか!?」


「何言ってるんですか。そんなわけないでしょう」


 女性の話には脈絡がない。ただ見かけたというだけで、俺が犯人になるものか。



『さっきから、私達を付けてますよね?』

『……素敵なスーツだなと思って』

 あの日、薄給が振り込まれた。彼女にフラれた。コツコツ貯めて買った指輪は、一度も日の目を浴びることはなかった。

 溺れるように酒を飲んだ。

 酒は好きだ。束の間、嫌なことを忘れさせてくれる。



「答えてください!! 父はあの日、あなたと話すと言って、帰ってこなかった!」

「勘違いじゃないですか?」



『飲み過ぎですよ』

『……一緒にいた方、とても綺麗ですね』

 ふと見かけた男女2人組。男は高級そうなスーツに身を包み、艶々の革靴を履いていた。寄り添っている女性は若くて綺麗だった。


 片や、安物のスーツで、彼女にフラれて、飲んだくれている自分。


 何もかもが違った。そう、何もかも。

 だから、なんとなく、後ろをついていった。



「覚えてません。人違いじゃないですか」

「嘘をつかないでください! さっき、似てるって言いましたよね。あなたは父を知っていますよね!?」



『あなたには関係ないでしょう! 早く帰りなさい』

『関係ない……?』

 俺のことを気味悪がった男は、女性を先に店の中へ入れてから、俺のもとへ来た。

 別に、どうこうするつもりなんてなかった。

 ただ、なんとなく、酔った頭で、この美しい世界を生きる2人に1滴の毒を垂らそうと思い至っただけだ。

 とどのつまり、脅かしてやろうとしただけだった。

 なのに、男は容赦なく、俺を突き落とす。


 2人には、『関係ない』、空虚な世界へ。



 だから、カッとなった。



「……俺、その目嫌いなんですよ」

 彼女の後ろから、俺を凝視する、その目。


 この1年、ずっとずっと。

 気持ち悪かったよ。


「だから、もう、付きまとわないでください」



『ヒッヒヒヒヒヒッ』


 耳に残る不快な響き。


 あの日、その笑い声をあげたのは誰だっけ。





 あれから、どのくらい経っただろう。


 ()()()()。じっと。

 俺は、彼女のことを。

 ただひたすら、じっと、見ていた。


 彼女の一挙一動を、逃すことなく。


 この空虚な世界へ、ひきずり下ろすために。


 わかるよ、今なら。あんたの気持ち。


 こっち側も、案外楽しいよな。


 だから、早く、殺してくれ。もう1度。


 そしたら、もっと近くで見れるから。


あなたも、誰かに見られていませんか?

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