ここから先は、立ち入るなよ。 2
週末は、突然に寒くなるそうですね。
秋、冬はファッションを楽しめる季節なので、
待ち遠しい気持ちでいっぱいです。
白と黒のモノクロームの膝掛けをはためかせて、さっと室内に入ってくる。
どれだけ警戒しても入ってくる、隙間風みたいなものだろう。
自分が張り巡らせている、精神的なバリアを貫通するかのような声。
何とも摩擦することなく真っ直ぐと耳の奥に入り込み、そこから脳髄を揺さぶる響きを恐れ、素早くヘッドフォンをかぶった。
それを見た執行はムッとした顔つきになると、ズンズンと春泉のそばまで来て、その隣に腰を下ろす。
「春ちゃんさぁ、ご飯を食べてるときくらいは外さないと」
分かったような常識を振りかざしてくる執行に、今度はこちらがムッとする。
「うるせぇ、お前に何が分かる」苛立ちから、つい箸を持つ手に力が入る。「ちょっと、二人とも」
冬原が制止する声も聞こえない春泉は、玉子焼きをつまんだままの箸の先を執行に向け、あらん限りの敵意を剥き出しにして吐き捨てる。
「私はな、お前みたいに人の内側に土足でズカズカと上がり込んで来て、踏み荒らすような人間は大嫌いなんだよ!」
ビシッと言い切った春泉は、してやったり、とニヒルな笑みを浮かべていたのだが、当の執行は、目をパチパチさせて小首を傾げたかと思うと、ぼそりと、「え、誰みたいって?」と言った。
「お・ま・え・だ・よ!」
春泉に指をさされた執行は、分かったような、分かっていないような反応を見せた。それから、じっと春泉の持つ箸の先を凝視したかと思うと、唐突に玉子焼きに食いついた。
目の前から玉子焼きが一瞬で消えたことと、そんな訳の分からない真似をされたことに頭が沸騰して、机を叩きながら立ち上がる。
「お前ぇ!」
春泉の怒りの発露を目の前にしても、執行は自分の咀嚼ペースを乱すことはなく、じっくり、ゆっくりと顎を動かしてからそれを飲み込むと、何も悪びれる様子がなくこう言った。
「まあまあかな」
ぷつん、と堪忍袋の緒が切れる。
「人の飯を取っておいてそれはないだろ!」
あまりにふざけた態度に胸ぐらを掴みかかりそうになるが、冬原が堪えきれなくなったように笑い声を上げたせいで、気勢が削がれ、舌打ちだけにとどめて席に戻る。
相手にしたって無駄だ。こんなにもナンセンスな時間の使い方があるだろうか。
この地が安住の地でなくなった以上、さっさと昼食を済ませて、教室に戻ったほうが良さそうだ。
仕方がなく次の玉子焼きを放り込んで、それから白米を頬張る。保温の術もなく、ずっと鞄の中に眠っていた弁当はすでに冷めきっていて、あまり食欲を刺激しない。
自分が無言で咀嚼する姿をじっと、無遠慮に観察していた執行が気になって、春泉は彼女へと視線を向ける。
何か言いたそうだが、ここで気にしたら負けだと思い、再び食事に集中する。しかし、どれだけ頬張っても、ずっと執行がこちらを見ていたため、とうとう耐えきれなくなって、腹立たしげな声を上げた。
「何だよ、ジロジロ見んな」許されるなら、唾を吐きかけたであろう口調だ。
執行はやっと反応してもらえたことが嬉しかったのか、にんまりと微笑んでから、囁くように告げた。
「間接キス」チュッ、と投げキッスの仕草をしてみせる。「あぁ?」
春泉は、じっと今まで自分の口の中に入っていた箸の先を、目を凝らして見つめた。
反応しては負けだと分かっているのに、その言葉がもたらす羞恥で、顔に熱が集まっていくのを感じる。
「下らねえこと言ってないで、さっさとお前も飯食えよ!」
精一杯の抵抗のつもりで、いっそう荒々しい語調でそう指示する。だが、執行は歯牙にもかけない様子で、隙間風のような笑い声をこぼすと、「真っ赤っか」と言ってこちらを揶揄した。
何か執行を撃退する、あるいは懲らしめることのできる言葉はないか。
そんなことを考えていると、執行がふと冬原のほうを向いて、両手を重ねて謝罪した。
チラリと一瞥した冬原の様子から鑑みるに、どうやら調子に乗りすぎている執行を咎めたようだった。
それを見て、春泉は少しだけスッキリした心持ちになって、無言のまま考えた。
それにしても、本当に良く執行の声は聞こえる。良い意味ではない。
ノイズキャンセリング機能付きの、まあまあ値段の張るヘッドフォンをもってしても、彼女の声を押し止めることは出来ないということなのだ。
まるで、自分の中から発せられているのではないかと、錯覚してしまうほどに。
それを証明するように、冬原の声は、ヘッドフォン越しではほとんど聞こえない。
少なくとも、ノイズキャンセリングの効果を最大に設定していると、まるで私には届かなかった。
冬原に指摘されてようやく執行が静かになったものの、直ぐにその平穏は壊されることになった。
ガラリ、と再び資料室の出入り口のドアが開く。
これ以上の来客を全く予想していなかった春泉は、反射的に音のしたほうを振り返る。
そこに立っていた人物は、自分に注がれている視線に驚いたように目を見開くと、キッと眼尻を吊り上げて、冬原のほうを睨みつけた。
その視線をものともせず、冬原が告げる。
「遅かったね、蝶華」
「…少し、生徒会の用事があったのよ」
露骨な不満をその顔に宿していた柊は、一分の迷いもなく冬原の隣の席に座ると、視線を落としたまま、弁当箱を机上に出した。それから、物言いたげな視線をこちらへと上目遣いで投げかけた。
視線がバッティングしたことで、柊は直ぐに取り繕うように、上品で美しい笑顔を浮かべ首を傾げた。ただ、誤魔化すにはあまりに遅い。
柊が何かを言おうとしているのを察して、仕方がなくノイズキャンセリングの設定を下げる。
途端に、色んな音が頭の中に入り込んでくる。
不快感で酔いそうだと、胸の中だけで皮肉った。
「あの、どうして二人がいるのかしら?」
きっと言葉の裏側には、もっと下品に罵る言葉が呟かれているのだろう、と勝手に予測する。
その問いが自分と執行に向けられていることを察して、一先ず、隣の執行のほうを見た。
しかし、執行は、自分には関係ないと言わんばかりにひたすら昼食を進めている。
執行の弁当の中に玉子焼きが入っているのを見て、じゃあ人のを盗るなよ、と苛立ちが募った。
「コイツから逃げたくて、冬原に案内してもらったんだよ」親指を執行に向ける。「ま、結局、しつこくついて来やがったんだけどな」
「そう…」柊が呟き、視線の先を春泉から執行へと変える。「執行さん、何でそんなことを?」
良いことを聞いてくれた、と春泉は思わず深く頷いた。
そもそもコイツが、執拗に自分とコミュニケーションを取ろうとする理由が分からないままだった。
それが分かれば、もしかすると、執行を効率よく撃退する方法が思いつくかもしれない。
そう考えて、しっかりと耳を澄まし執行の反応を待っていた春泉だったが、彼女が声を発すると同時に、耳を澄ます必要などなかったことを思い出した。
「え、だって可愛いじゃん」
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