ここから先は、立ち入るなよ。 1
あまり知られていない、自分たちだけの場所。
私にとっては、視聴覚室の奥にある放送部室が、
そういう場所でした。
学校が改築されて、なくなってしまったことを聞いて、
時間の無常さを思い知らされます。
思いのほかスムーズに終えた初日に対して、二日目は最悪だった。
クラスの中に冬原夕陽という、比較的まともな人間がいると分かって安心してしまっていたのか、昼休み、春泉は自分に接近してくる嵐に気づけなかった。
春泉は、ゴトン、と自分の机の上に置かれたお弁当箱を見てから、眉をひそめて、自分のそばに立っている執行の顔を見上げた。その顔には全開の迷惑さが宿っている。
またお前かと、心の中で呟く。口に出さなかった自分のことを褒めてやりたかった。
視線だけで、何の用だ、と伝える。すると、それをきちんと理解したらしい執行が、勝手に正面の席に座りながら言った。
「春ちゃんお弁当でしょ?私も今日はお弁当だから、一緒に食べよう、そうしよう!」
ヘッドフォンを着けていて良かった、と心底思う。
こんな能天気でふざけた言葉を直に聞いていたら、きっと怒りで脳が沸騰するか、その前に手が出ていたに違いない。
二日目にして、舐めた名前の呼び方をする執行を無視する。
さっと立ち上がり、弁当を手に冬原の席へと向かう。後ろから聞こえてくる間抜けな声は、徹底的に聞こえないふりをする。
執行を引き連れながら自分の元にやって来た春泉を見て、冬原は怯えたように肩に力を入れていた。
「どうしたの?」
「早速で悪いが、鍵を貸してくれ」後方で何事かを言っている執行を親指で示す。「コイツのいないところに行きたい」
はは、と乾いた笑いを漏らした冬原は、少しだけ考えるような素振りを取った。
彼女の様子を見るに、これからどこかで食べるつもりだったのだろう。もしかすると、彼女も資料室で昼食を取るつもりだったのかもしれない。
頼む、とこちらが念押しするように低く呟くと、穏やかな微笑みをたたえた冬原が、「まあ、大丈夫だよね」と独り言を呟いた。
どうやら許可が出そうだ。
冬原は鍵を片手につまんで、自分の目の前で揺らし音を鳴らすと、自分も一緒だが構わないかと尋ねた。
当然文句のつけようもないし、執行から離れられるのであれば、それ以上の環境は望まない。二つ返事で承諾し、冬原の後を追う。
「ちょっと待って、外出るなら膝掛け持ってくるから!」
そう言って、素早い動きで席に戻った執行を横目にしながら、冬原の背中を押して教室の外に出る。
別に呼んでないし、そもそもお前が来たら意味がないだろう、と内心呆れながら、足早に移動して、執行の視界から消える。
そのままの勢いで、冬原と春泉は、無言のまま資料室の扉の前に立った。
冬原が鍵を開けるのを、そわそわしながら待つ。
のんびりしていたら、執行に追いつかれる。
鍵が回り、引き抜かれた瞬間に戸をスライドさせて中へと身を滑り込ませる。
複雑そうな顔で後方を振り返った冬原を引っ張り込んで、有無を言わせずに扉を閉めた。
これで、至福の時間は守られた。
肩の力を抜いて、未だひんやりとした2月の冷気に体を震わせ、昨日と同じ場所に腰を下ろす。
想像以上に椅子の座面が冷たくて、小さな悲鳴が漏れる。それに少し驚いた様子の冬原に向けて咳払いをすると、弁当を広げた。
赤い二段弁当の上段には玉子焼きと、ピックに貫かれたロースハムが複数枚入っており、下段には白米が敷き詰められている。
我ながら今日もシンプルで良い。食事も、生活も、思考も、本来はありとあらゆるものが単純な構造しているべきなのだと、常々思う。
そうであれば、人間だってもっと分かりやすく、画一的な生き物だったはずだ。
少なくとも、自分が疎外感を覚えることもなければ、ヘッドフォンと蜜月になることもなかっただろう。
詮無い空想を浮かべていた春泉は、コトンと耳からヘッドフォンを外した。
相棒が離れていく心細さを感じながら、ふぅっと息を吐き出す。
「良かったの?」不意に冬原が尋ねた。「あの小うるさい女のことか?」
執行を表現するに的確な言葉だと思うのだが、冬原はそれを聞くと、駄々をこねる子どもに向けてするような笑顔を浮かべた。
「執行さんに気に入られちゃってるね、春泉さん」
自分のことは呼び捨てにしてくれと言った割に、冬原自身はその呼称をやめるつもりはないらしい。
ゾッとしない感想に、春泉はくぐもった低い声を出した。
「よせよ、こっちは迷惑してるんだ」
「まあ、人間逃げれば追いかけたくなるものだから」
どこか懐かしむようなかすれ声で告げる冬原。その口から紡がれた真理に、思わず顔をしかめる。
「何だよ、逃げるなって言いたいのか?」
「そうじゃないけど…」
荒くなった語気に気圧されたように見えたが、自分に向けて真っ直ぐ伸びた眼差しは、決して怖気づいた人間のそれではなかった。
「んー、結局ね、ああいうバイタリティに満ちあふれた人間からは、どう足掻いても逃げられないんだと思うよ」
バイタリティ、と胸中でぽつりと呟く。
同時に思い起こされた執行の姿に、確かに、嫌な意味でしっくりと来る何かがあるなと得心する。
あの生命力、というか相手の気持ちを度外視した積極性は、止められそうにもない。
そうして落ち着いた雰囲気に浸っていられたのも束の間で、一つ目の玉子焼きに箸を伸ばしたときには、もう表のドアがガタンと鳴っていた。
まさかと思い視線を移すと、その戸の隙間から今一番見たくない顔が現れ、反射的に「げぇ」と声を上げてしまっていた。
「ちょっとぉ!待ってって言ったじゃんか」
執行だ。
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