冬も蝶も、そんなに嫌いじゃないけどな。 3
それから彼女はA3の用紙を机に広げると、学校の施設紹介を始めた。
まさか、この場所でそれらを済ませようとするとは思ってもおらず、つい考えていたことがそのまま声に出てしまった。
「おいおい、案内しないのか?」
すると冬原は、きょとんとした表情になってこちらを見つめた。男勝りな口調だと自覚しているが、こんなにも驚かれるのは心外だ。
しかし、彼女は春泉が想像していた部分とは、別のところに驚きを感じていたらしく、不思議そうな口調で尋ねてきた。
「あ、ごめん。春泉さんが嫌がるかと思って。その、歩いて見て回るのがね」
その返答に、なるほどと一人納得する。
自分のことに気を遣ったのか。まあ確かに、短時間でも分かる冬原の豊かな良心が、適当な行いを咎めないとは考えにくい。
自分の早とちりだったことを伝えて、素直に謝罪する。
その後になって、こんなにも自然に礼と謝罪の言葉が出てきたのは、いつ以来だろうかと苦笑した。
冬原には、自然と相手の心を開かせる魔力があるように思えてならない。何というか、害がないのだ。
そんな人畜無害を地で行く彼女は、そのまま校内案内を続けた。
売店にある自販機には、変な飲み物が売ってあるだとか。
図書室の蔵書室は、とても静かでオススメだとか。
生徒指導の先生は、強面だがとても生徒思いだとか。
どうでもよさそうな情報から耳寄りな情報まで、とにかく気の向くままに、風が吹くままに話が流れていった。
自分にとっては、一週間分ぐらいとなる会話量をこなした後、ふと疑問に思って口を開いた。
「冬原も生徒会なのか?」
「ん?違うよ?」急に話題を振られたせいか、目を丸くしている。こうしてみると小動物みたいだ。
「じゃあ、学級委員か?」
「いや、それも違うけど…」
「あ?ならどうして学校案内を?」
率直な質問に、ほんの少しだけ困ったような顔をした冬原は、一瞬だけ思考の為の沈黙を作った。非常にレスポンスの良い冬原が言葉に詰まったのがどこか妙だった。
それほどまでに言いづらいことなのだろうかと、勝手に理由を想像する。
内申点とか、ジャンケンに負けたとか、少なくとも前向きな理由は思いつかないでいると、苦笑いを維持したまま冬原が答えた。
「趣味、かな?」
「趣味ぃ?」
まるで予想していなかった返答に、冬原の言葉をそのままオウム返しに返す。
「そう、趣味。あ、勘違いしないでね、別に恩を売ろうとかじゃないよ?ただ、少し興味があっただけ」
春泉は、興味という言葉に引っ掛かりを覚え、じっと相手を見据えた。
自分がこういう人間だから、好奇心が湧いたということなのか。
こっそりと観察されるよりマシだが、あまりに率直に告げられるのも、決して良い気はしない。
今直ぐにでも嫌味を言ってやりたい衝動に駆られたが、さっきの勘違いもあったため、一先ず黙って冬原を見つめた。
俗に言う、睨みつけたというやつなのだが、冬原はそれにも気が付かないままで、言葉を続ける。
「きっと春泉さんは、私には聞こえない世界の音が聞こえてる。自分の想像も及ばない音色が聞こえるのって、どんな感じなのかなって…」
まるで暗唱していたかのようにスラスラと理由を述べた冬原を見て、春泉は表にこそ出さなかったが唖然としていた。
何だそれは、世界の音?そんなものどれもこれも同じで、ろくでもない、消えてしまったほうが良い雑音ばかりだぞ。
しかし、そう考える一方、その言葉にわずかな喜びを感じてしまったのはどうしてだろうか。
それを誤魔化すように、春泉は鼻を鳴らしながら口元を歪めた。
「何だそりゃ、ポエムでも書いてんのかよ?」
その指摘に、かあっと頬を赤らめた冬原は、照れたようにはにかんだ。
どことなく、愛らしさを感じる仕草だ。
「あはは、ごめんね。何か恥ずかしいこと言っちゃった」
そう口にした後、ハッと何かに気づいたような顔をした冬原は、今度は眉を曲げて申し訳なさそうに付け足す。
「っていうか、ごめん。あんな言い方したら良い気分じゃないよね」
百面相する冬原に、自分の周囲に展開されていたバリアが瓦解していくのを感じる。
柊と話していたときの満ち足りた笑顔、自分に喋りかけてきたときの、大人びた表情。
苦笑い、しょぼくれた顔。
それらが集約して、一人の人間を形作っているということは、どこか奇跡的にすら思えた。
「別に」反省した犬みたいな顔の冬原に、意地の悪い笑みを浮かべて告げる。「変な奴だな、お前」
「よく言われる」
そう困った様子で笑う彼女を見て、悪くはないなと胸の中で独り呟く。
それが何に対しての評価なのかは、自分でも理解できなかった。
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