ハッピーエンドも、たまには悪くない。
春泉と執行の後日談となっております。
表題通り、ハッピーエンドですのでご安心を。
少々、長くなっておりますが、最後だからと大目に見てもらえると助かります。
少し早いお礼にはなりますが、
ここまでブックマークや評価、感想にて私を支えてくださった方々、
本当にありがとうございました!
それでは、お楽しみください。
特段何か面白いものがあるわけでもないと自覚している春泉の部屋を、隅々物珍しげに眺める執行の姿があった。
その手には、近くのレンタルDVDショップで借りてきた映画が数本、袋に詰められていた。
鼻をひくつかせて、部屋の感想、というよりかは匂いの感想を言ってみせた馬鹿な相棒に、迷惑そうな顔をして言う。
「おい、気持ちの悪いこと言うなよ」心外そうな執行の顔。
「えぇ?初めて来る彼女の部屋の匂いだよ?嗅ぐでしょ、普通」
彼女、という単語にむず痒さを感じる。ついでに言うと、ヘッドフォンで蓋をしてもいないので、鳥肌もすごい。
「お前の普通は、大概の場合、常軌を逸してるっつうの」
「酷い」とわざとらしく高い声を出す執行の声にも、無意識のうちに体が反応する。
一ヶ月、あの日からそれだけの時間が過ぎた。たったそれだけと言えるかもしれないし、まだそれだけとも言えるだろう。
『と、とりあえずお試し期間で…』と資料室で執行に告げた私に、他の三人はどうしようもない人間を見る目を私に向けて、ため息を吐いていた。
…仕方がないだろう、人間そう簡単に変わらない。
あのときは、感情がドーピング剤でも盛られたかのように昂ぶっていたから、ああいう突発的な行動に出てしまったにすぎない。
自分でも、とんでもない真似をしたと思っている。
弁論大会にぶっつけ本番で参加したこと。
執行にキスしたこと。
キスを受け入れたこと。
全部、自分に似た誰かの物語を聞いていると考えるほうがしっくりきた。
あのときの無謀、あるいは蛮勇とも言える勇気は枯れ果ててしまったような発言に、執行は呆れながらも嬉しそうに頷いてくれた。
これで良かったのかもしれない、などと都合の良いことを考えていた春泉だったが、一月もすれば、自然と彼女と過ごす時間は加速度的に増えていった。
それに伴って、ヘッドフォンを着けている時間が減った。
代償みたいに削られていく時間が、虚しくもあったが、どこか優しい郷愁をいつの日か与えるのだろう、という予想もできていた。
今日で、トライアル恋人期間に入って一ヶ月だ。
普段は無声映画を観に行ったり、図書館だったり、ウィンドウショッピングだったりという休日の過ごし方だったが、珍しく執行が、家で普通の映画が観たいと提案したので、自分のアパートに連れてきた。
何か妙なことをされそうで迷ったが、彼女の家族がいる家に行くことのほうが不安だったので、渋々といった決断だ。
そう、彼女の家に行けば、鹿目川だっている。
どういう事情かは知らないが、彼女と鹿目川は血の繋がった姉妹らしい。
父と母は離婚しているものの、同居しているとのことで、家庭というのはそれぞれの形をしているものだと何故か感心した。
結局、鹿目川はしっかりと春泉に謝罪してくれた。
当然と言えば当然だが、本心からの謝罪に見えたし、彼女が忠告したことについては嘘ではないと断言していたので、まあ許すことにした。
というか、頭に包帯を巻いた鹿目川を冷たくあしらうことなどできるわけもなかった。
正直、鹿目川のほうが、顔がタイプであったことも、原因の一つなのかもしれない。それを執行に言ったら数日無視されたので、さすがに二度と口にしないことに決めた。
だが、そういう喧嘩も、くだらない時間も、悪くはなかった。
やはり、無駄は無価値とは違う。
バッグを部屋の隅に置いて、背伸びをする。外はうららかな陽気で、本当に春が来たのだなと、実感していたところである。
「ちょっと、プレーヤーの用意するから、待ってろ」
「うん」執行は聞いているのか分からない、ぼうっとした返事をした。
それからテレビ台の隣に屈んで作業を始めた春泉に、執行が何となくといった口調で尋ねた。
「そういえば、昨日から冬ちゃんたちお泊りデートなんだって」
「へぇ、っていうかよぉ、毎週してんじゃねえか、アイツら。全く、仲睦まじいこって」
「ほんと、羨ましい」どこか責められているような気持ちになって、あえて返事をせず作業に集中した。「何してるんだろうねぇ、仲睦まじい二人は」
「何ってお前、そりゃ…」
趣味が悪いことを詮索する執行を振り返ると、いつの間にか彼女は自分のすぐ後ろにまで来ていた。この距離の縮め方は、明らかに忍び寄ったのが丸分かりである。
さっと彼女に向き直り、防衛体勢に入る。バツの悪そうな顔の執行は頭を掻いて言った。
「やだなぁ、何もしないよ」
絶対、嘘だ。泳いだ目がそれを自明のものとしている。
「じゃあ離れろ、1m圏内に近づくなよ」
「…この部屋じゃ無理だよ、それ」
「じゃあ、背後に回るな。何されるか分かったもんじゃねえ」
次第に執行の顔が、ムスッとした表情へと変化していった。本性が現れた、と言ったほうが的確なのかもしれない。
「何さー!いいじゃん!抱きつくくらい!」
今にも飛びかかってきそうな執行に、キッパリと言い放つ。
「駄目だ。おかしいと思ったんだよ、わざわざ家で映画観たいなんて」
下心を指摘された執行は、「べ、別にそういう目的じゃないよぉ?」と言い訳をしながらも、顔を紅潮させていた。おそらく図星であろう。
しばらくはそうして小言を漏らしていた執行だったが、やがて悄然とした様子を覗かせると、そのままの調子でぼそぼそと呟いた。
「あの日から、キスもしてない」膝を付いて、座り込む。「私、彼女なのに」
その見るからに落ち込んだ姿に、さすがに罪悪感が駆り立てられて、こちらも誤魔化すように視線を逸した。
「…手は、繋いでるだろ」
「小学生だって繋ぐよ、そんなの」
とうとう瞳を潤ませ始めた執行に春泉はぎょっとして、距離を詰める。
まさか、これくらいで泣くとは思わなかったのだ。
しかし、弁論大会で自分が言ったように、自分にとっての普通や常識が、誰かを想像もしないうちに傷つけ、苦しめているときもある。
最初はわたわたとしているだけだった春泉だったが、ついに耐えかねて、譲歩することを決意し言った。
「分かった、分かったよ…キ、キスなら…そこまでならいい」
「ほんと?」小首を傾げて確認する執行。
一瞬、思い切り過ぎたかと不安になったが、その期待と救いに満ちた表情に、もう引っ込みがつかなくなる。
「ああ、好きにしてくれ。それでお前の気が済むならな」浅く何度も頷き、肯定する。
執行は嬉しそうに眩しく微笑んだ。春に相応しい暖かな笑みだと思った。それが照れ臭くて、思わず目を背ける。
きっと、それが悪かったのだ。
ドン、と衝撃を受けて、一瞬してから、自分の頭がフローリングについていることに気が付いた。
見上げた先には、目をギラギラとさせた執行の顔がある。
「えへへ、じゃあ、します」
何のムードもへったくれもない台詞に、反論する。
「おい、ちょっと待て、この!嘘泣きかよ、卑怯だぞ!」
春泉の腕を押さえつけた執行の力に、先程までの涙や微笑みが芝居だったことを直感し、それを強く罵ったが、執行は悪党のように楽しげに含み笑いするだけで、どいてくれそうにもなかった。
「いやぁ、チョロい、チョロすぎて、私としては心配になるよ、春ちゃん」
「じゃあ、どけ!」
「無理、言質取ったから、キスまではオッケイ」
「下衆め…」古臭い文句に執行がふふんと鼻を鳴らした。
「キスまではオッケイだからね、うん、キスなら何しても良し」
執行はそう言うと、わざとらしく舌を出し、その先を自分の指で突いて見せた。
何をするつもりなのかが、知識のない自分でも何となく察せられて、慌てて身をよじる。
当然ながら、逃がすつもりはないらしく、執行は少しずつ春泉に馬乗りになっていった。
お腹が押され、息がしづらい。
完全に身動きが取れない状態で、執行の顔が迫ってくる。
「ま、待って!ちょ、無理!」
目と鼻の先で、一定に保たれた互いの距離。ほとんどそれがゼロに近い状態で顔を背けるが、艶めかしいリップ音と共に頬に口付けを落とされて、パニックになりかける。
「無理だってばぁ!」彼女の肩に両腕を押し付ける。
些細ながらも抵抗を受けた執行は、愉快そうに喉を鳴らすと、突然改まったように春泉の名前を呼んだ。
「春ちゃん」ビクっと背筋が跳ねる。「こっち、向いてほしいな」
今執行の言うことを聞けば、自分が何をされるのかは分かっていた。だが、もう一度だけ切なげな声で名前を囁かれたら、脳と体が痺れて動けなくなってしまう。
すっと、頬に手を添えられ、彼女のほうを向かされる。もしかしたら、自分の意思で向いたのかもしれないとさえ思えた。
間を置かず、唇を重ねられる。
どうしたらいいのか分からないくらい、顔が熱い。
執行の良い匂いがする。梅の花の香りに似ていることに最近気が付いた。
彼女の苦しそうな、今にも泣きそうな声が自分の頭の中に響いてくる。
いつも以上に美しく、透明で、それが幻じゃないことのほうが信じられない声。
背筋をなぞるような、抱きしめられるような、
噛みつかれるような、飲み込まれるような、
死にそうなほど、気持ちが良い。
鳥肌が止まらない、そのせいで、痺れているような錯覚さえ感じる。
まだ、軽く触れるぐらいしか知らないのに、仮に、今後もっと大胆なことをするようになったら、自分はどうなってしまうのだろうか。
それを考えていたら、どうしてだか涙が出てきた。
自分の唇から自らの唇を離した執行が、その真珠の粒を啜り取る。
「大好き、春ちゃん」
もう、その言葉はいらなかった。
蛇足とも思えた。
再び彼女に酸素を奪われる。今度は、口の中にざらりとした感覚も伴った。
よく分からないまま、頭の中が彼女でいっぱいになる。
幸せって、こういうものなのだろうか。
頭の中に、自分以外の人間が住むこと。
自分が自分じゃなくなってしまうこと。
あぁ、結局よく分からない。
自分の口から変な声が漏れる。
それに呼応するように、執行の息遣いも荒くなった。
そっと、彼女の右耳に手を伸ばす。
無理やりキスをやめて、聞こえないはずの耳に顔を寄せる。
「わ、私も、大好きだ」
ぴたりと彼女の動きが止まり、耳が真っ赤に染まっていく。
さすがに反対の耳に聞こえたのかもしれない。
首にかけたヘッドフォンだけが、どこまでも優しい静寂を保っていた。
これにて、『ヘッドフォンを外して』は閉幕となります。
いかがだったでしょうか?
謎解きも、キャラも、ストーリー構成も未熟の極みである自信はありますが、
そんな作品でも、誰か一人ぐらいは楽しんで頂けたとしたら、光栄です。
また、冬原と柊のほうを扱った前作がありますので、ご興味のある方はそちらもいかがでしょうか?
長編なので、途中で飽きてしまうかもしれませんが、暇つぶし程度にはなるかと思います。
今後も、基本的に百合を主題として、未熟な物語を編んでいく予定ですので、
またどこかでお会いできると嬉しいです。
こんな風変わりな作品を読了頂けた紳士淑女のみなさまには、
ご迷惑ついでに、評価や感想のほうを頂けると幸いです!
それでは、また。
前作『やがて、冬の雪がとけたら』→ https://ncode.syosetu.com/n6723he/
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