ヘッドフォンを外して。
誰かを支えるのって、とても難しいなと、最近考えさせられます。
倒れないように支え続けるのではなく、倒れたとき、倒れかけたときに、
次はどうすればいいのか、共に考えることなのでしょうか。
正解はないと分かっていながら、それを探してしまうのは、愚かなことなのかもしれませんね。
何はともあれ、よろしければ、物語の最後の一滴までお楽しみください。
コツン、コツンと体育館に反響する足音が、普段よりも大きく、そして重く聞こえた。
それによって、決して軽い緊張ではないな、と遅ればせながら自覚する。
空谷の跫音、という言葉がある。
誰も訪れない、人里離れた静かな谷に、足音が響いてくる、というものだ。
本来、来訪者の少ない暮らしの中で、誰かからの便りがあってそれを喜ぶ、という意味の言葉なのだが、今の自分にとって、この空っぽの壇上に響く足音は、孤独な戦いの幕開けを意味していた。
離れたところから、いくつもざわめきが聞こえる。
気が付いたら、マイクの真正面に辿り着いていた。まるで自分がテレポートしたかのような、そんな感じだった。
そのままマイクのあるほうに、つまりみんなが座っているほうに体の向きを変える。
静止しているのに、群衆が迫って来ているような圧迫感を覚えて、思わず息を飲む。
頭上より降り注ぐスポットライトの光が、自分にはとても不相応なものに感じて、身震いする。マイクが乗せられた台のおかげで、震える足がみんなに見えないのが、とてつもない救いのように思えた。
まだ、何も始まっていないのに、情けのない奴だ。
自虐的とも思える言葉を心のなかで呟いたが、実際は、自分を鼓舞するために吐き出されたものだった。
昔からそうだ。捻くれ者で天邪鬼な私は、そういうふうにしか覚悟を決められない。
大丈夫、ある意味で普段通りの自分だ。
以前した打ち合わせでは、会長が表題を読み上げることで、開始の合図であるベルが鳴ると聞いていたのだが、一向にそれが鳴らなかった。
不審に思って彼女のいるほうへと顔を向けると、呆けた表情でこちらを見ていた。
隣の役員に肩を叩かれて我に返った柊は、慌てた様子で手元にあった紙へ視線を落としたまま固まってしまった。
あぁそうか、私の表題は決まってないから焦っているのか。
申し訳ないことをしたとも思うが、そこは頭の良い彼女だ、何とかするだろう。
人任せの結論を出した自分のほうを、再び柊が見上げた。どうやら適当に題名を考え付いたらしい。
そのままの流れで、柊が表題を告げる。
「失礼しました。表題、『ヘッドフォンを外して』です。どうぞ始めてください」
その題名に、押し殺した笑いが漏れる。
あまりにも見たまま過ぎたので、何も思いつかなかったのだと分かった。
こぼれ出た吐息がマイクにかかり、風が泣くような音がスピーカーから流れる。
一つベルが鳴り、思わず顔をしかめる。何の意図があってこのような順序にしたのかは分からないが、本当に余計なことだと思う。
頭蓋骨に空洞があって、そこにひとしきり反響した音が、数秒経ってようやく鳴り止む。
怖いと思う、逃げ出したいとも思う。だが、何で自分がこんな目に、とは思わなかった。
初めて、自分の意思で戦おうと思えた。
この意地だけは、捨てられない。
今もきっと舞台袖から、不安げな目で自分を見つめているだろう執行のことを思うと、自然と前を向けた。
――やるしかないぜ、なぁ、相棒。
舞台袖に置いてきた、相棒のことを思い出す。
眼前には、数百人の生徒、それから教師。不測の事態に、教師の数人は慌てた様子で顔を見交わしていたが、校長や玄上はじっと石像のように微動だにせず、こちらを見つめていた。
黙認してくれている、都合が良いかもしれないが、そう思えた。
原稿の冒頭を舌の上に乗せる。
ゆっくりと、恐る恐るではあるが、決して声は震えていなかった。この第一声は、とても神聖なもののようにすら感じていたからだろうか。
言葉は、神が創造したものの中で最も複雑な存在だと思う。
これによって私たちは互いに共鳴を図り、ときに戦い、己が魂を磨く。
その一方で人を傷つけ、苦しめ、排除し、自分すらも貶める諸刃の剣となる。
冬原は、単純なものほど強いと言ったが、私はやはりそう思えなかった。
きっと頑丈ではあるだろう。しかし、そのシンプルさ故に柔軟さに欠け、場所や相手を選ぶ。
執行のやり方が正にそうだ。
自身の感情と判断だけで最善を想定し、行動に起こした。
彼女の私を思う気持ち。
それはきっと単純で、純粋で、もしかすると、普通は望んでも手に入らない気持ちなのかもしれない。
…だが、私のためなら周りを巻き込んで騒動にしても構わない、という彼女一人の単純な考えが、私や鹿目川を傷つけた。
単純なものが強い、なんて、ただの思い上がりだ。
執行が無理だと思ったことを成し遂げて、間違っていたことを知らしめる必要がある。
出だしはゆっくりだった口調が、中盤に差し掛かるにつれて不可思議な熱量を帯びていく。
体育館という容器に乱反射する自分の声が、苦しいほど脳髄に響き渡っているのに、その一方で、奇妙な昂揚感が全身を覆っていた。
それが理由かは分からないが、春泉はずっと穏やかに、誰もが聞きやすいテンポと声量で話すことができた。
当たり前なんてないこと。
普通なんてないこと。
みんなが信じているものが、誰かに苦しみを強いているかもしれないこと。
私たちは、別に哀れんでほしいというわけではないということ。
ただ、そばで証人になってほしいのだということ。
倒れても手は差し伸べず、立ち上がれるよう応援してほしいこと。
それこそ、普通の友人にするように。
だからといって、無理に友達になってほしいとも、理解者になってほしいとも思っていないこと。
距離を置いても良い、ただ、弾き出して、哀れみのレッテルを貼り付けないでほしいということ。
とにかく、ありとあらゆる望みを、この数分間に託した。
気づけば、自分の視線は白紙の余白の上を滑っていた。
口にしていた言葉のほとんどが、自分の中から発せられたものだということを痛感して、何故だか目頭が熱くなった。
もしかしたら、私は今初めて、自分の本音に触れたのかもしれない。そう考えると、指先が震える。
まだ、何か伝え損なった言葉はないか、と頭を回転させる。
視線をあちこちに巡らせているうちに、ぴたりと、自分のクラスの列に並んでいる冬原と目が合った。
彼女は我が子でも見るかのように、穏やかに微笑んでいた。
遠く離れた冬原の目を見据えながら、言葉を続ける。
「最後に、臆病者の自分を、この場に立たせてくれた全ての人に感謝を伝えたいと思います」
きっと、今日このときがなければ、自分はずっと現実から目を背けて、日陰で愚痴を言い続ける日々を送り続けていただろう。
もちろん、別に自分が日向で咲けるとは思っていない。だが、日陰でだって、綺麗に咲く花はある。
今は、その一枚でも誰かに見せつけられたのなら、それでいい。
「あ、ありがとう、ございました。これからもよろしくお願いします」
小さく、マイクにぶつからない程度に頭を下げる。
「これで私の発表を終わります。ご清聴、ありがとうございました」
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