最後の弾丸は、ポケットの中に。
長い物語も、ようやく終幕が近くなってきました。
ここまでお付き合いくださっている方がいたら、
是非、最後まで見てやってください。
――…負けた。寸前まで追い詰めたのに。
きちんと彼女と向き合って、そのうえで自分の気持を伝えられれば、今までの自分を変えられる気がしたのに。
結局、私はこうだ。
どこまで行っても、中途半端で。
戦うことも、逃げることも選べない、惰性で生きているだけの、下流に流されているだけの、人の形をした木偶に宿った脆弱な意思の塊。
「あ、ちょ…無理だってば」
白旗を振った右側の私が顔を出す。それを満足気に眺めた目の前の彼女が、ぺろりと舌なめずりしているのを見て、いよいよ諦めるべきだと悟った。
執行の顔が近づいてくる。
呑気な眼尻、さらさらでアシンメトリーな髪型、桜色の唇、形の整った片方しか外界にさらされていない耳。
そのとき、私の中の記憶が、虹色の光を伴って脳髄を駆け巡った。
何かを訴えるように明滅する、目障りな蛍光灯の光のようなそれが、執行の口づけを受け止めようとしていた私を蹴り飛ばした。
――まだ、終わっていないぜ。
何か、似たような光景に違和感を覚えた気がする。それも、そう遠くない過去に。
落ち着けよ、鼠だって追い詰められたら猫を噛むんだ。
お前にそれができないとは、言わせない。
顔、顔?違う、もっと、具体的な…。
耳、そうだ、耳だ。
あのとき、何で私は鹿目川先生の形の良い耳に気を取られた?
ハッと、数日前に感じていた違和感の正体に気が付いた。
補聴器、鹿目川先生が着けていたはずの補聴器を、彼女が倒れていたとき着けていなかった。
落下の衝撃で落とした?あぁ、馬鹿違う、病院でも着けてなかった。
…それが弾き出す答えは一つ。
くそったれ、あの人…!
病室の彼女の姿が浮かぶ、と同時に鹿目川や執行とした会話と、冬原の言葉がリンクして蘇る。
『そう。私ね、色素が薄いのよ』
『髪のこと、たまたまだろうけど、良い観察眼だと思ったよ』
芋づる式で掘り起こされていく、真実。
『ええ、そうしてくれると嬉しいわ。生徒はまだ貴方たちしか来てくれてないの』
『似てるからかなぁ、私たち』
腹が立つ。その表現が一番自然で、馬鹿みたいに真っすぐで、こんな私に相応しかったのだと思う。
撃ち切ったと思っていた弾丸の、最後の一発がポケットの中に残っていたんだ。
――今度は、外さない。
「執行」出来る限り感情を抑えて彼女の名前を呟く。観念したみたいに、弱々しく。
「ん?なぁに?やめないよ」
「…私から、したい」
「え」目を大きく見開いた執行は、すぐに顔を真っ赤にすると、今までの小憎たらしい顔つきや声音が嘘だったかのように、淑やかに、儚げに「うん」と囁いた。
いつもなら、ぞくっとたまらない感覚が襲ってきて、思わずこぼれそうになる声を抑えるシーンだったが、怒りでかき乱された神経がそれを軽減した。
執行に目をつむるよう命じる。素直に執行は従った。
そのまま白い頬に両手を添えて、顔を自らの口元に引き寄せる。
「…ん」
頬をなぞる私の指の感覚がくすぐったいのか、妙に色っぽい声を、執行が吐息と共に漏らした。
つっと、色素の薄い髪が垂れ下がっている側の耳へと指先を伸ばす。
再び艶やかなかすれ声をこぼした執行だったが、次の瞬間には、もっと違う種類の声がその口から上がっていた。
「やっぱり…てめぇ」
「へ?」呑気な声を出して目を開いた執行の髪を、勢いよく跳ね上げる。
「これはどういうことだ、執行!」
間抜けな声を発した執行に構わず、その右耳に装着されていた補聴器を引っ張る。
多少の抵抗と共に抜けたそれに一度目線を落とし、震える息をこぼしてから、再度執行に視線を向けた。
明らかに動揺した様子で、視線を右往左往させている彼女は、「知らないよ」と呟いている。
「知らないわけがないだろ!」と詰め寄る。滅茶苦茶な言い訳だ。
「だからか、だからお前いつも私の隣に座るとき、右側に座ってたのか!」
「何のことやら…」
しばらくは、知らぬ存ぜぬで突き通そうとしていた執行だったが、あまりにも私がしつこく食い下がったためか、とうとう不貞腐れた様子で事態を認めた。
「はいはい、こっちだけ難聴でーす。で、何か問題あるの?」
「てめぇ、開き直ってんじゃねえ!」
ツンとした顔つきと声で、そっぽを向いた執行だったが、腕だけは依然として力強く私を捕らえたままだった。だが、今はこのほうが都合は良い。
こっちだって、もう逃がすつもりはない。
「合点がいったぜ、畜生。お前、鹿目川先生の親戚か何かだな」
「は?違うし」
「先生が私に難聴の話をしたとき、これと同じ補聴器を着けてたんだよ」
「へえ、すごい偶然」
未だにこっちを見ようとしない執行の顔を、両手でぐっと向き直らせる。どうでもいいことだが、とても柔らかい。
「偶然なわけがないだろ!先生は怪我をしたときも、入院していたときも補聴器を着けてなかったし、立ち位置だって気にしてなかった」
「私に関係ある?それ。だいたい、それだけで親戚ってわけ分からなすぎるし。春ちゃん、馬鹿なんじゃない」
「髪!」激しい勢いで執行の髪を掴む。その拍子に、執行が踏み潰された蛙のような声を上げるが、もうそんなものを気にしている余裕はなかった。
「先生が黒染めしてない箇所と同じ色だ、妹か何かだな、おい!」
「ち、違うし、もぉ!春ちゃんしつこい」
「身内だから、突き落とされても名前を出さなかったんだ。あぁ、くそ!どいつもこいつも人を騙しやがって!」
至近距離で胸倉を掴み上げて、執行の顔を引き寄せる。
今回の事件が何だとか、もうどうでもいい。
今は、執行と鹿目川先生が自分を欺いていたことのほうが問題だ。それが腸煮えくりかえるほど許せない。
「私を弁論大会に出させるために、鹿目川先生は一芝居打ったんだ。で、お前は――」
そこまで一息に言い切ってから気づく。
「お前は…何のため、だ?」
徐々に失速していく言葉尻に、執行が困ったように眉毛を歪めていた。
執行の行動は、むしろその逆だ。彼女が今回の事件の犯人なら、執行の行動のせいで弁論大会が無くなってしまっているのだから。
そこまで考えて、ハッとする。
そうだ、犯人の目的は、『私を助けること』だ。
我ながら、頭の回転が遅すぎる。
「弁論大会を中止にすることが、目的だったのか?」
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