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ヘッドフォンを外して  作者: an-coromochi
一章 ここから先は、立ち入るなよ。
6/66

冬も蝶も、そんなに嫌いじゃないけどな。 2

「へぇ…」と興味なさげな態度を取る。


その内心、春泉はほんの少し胸を撫で下ろしていた。


聞き慣れた嘘吐きの声だ、と心の中だけでほくそ笑む。


過敏な聴覚のおかげで、声の主の感情の機微を読み取るのには苦労はしなかった。もちろん、分かりやすい相手だけだが。


柊は、あからさまに何か気に入らないようだ。


残念ながら、気に入らない、ということは分かっても、その理由は、『対人関係』という言葉が冬眠したままの自分には想像のしようもない。


 少し遠い春を嘲笑うかのような冷たい空気が、三人の間を駆け抜けた。


もちろん実際には、外との隔壁とも言える廊下の窓は全て閉ざされていたので、そう感じただけである。


その剣呑な雰囲気を察したのか、いや察せないほうがよっぽどおかしいのだが、とにかく、冬原が困ったような顔で頬をかいて提案した。


「じゃあ、行こうか春泉さん」その言葉に柊が直ぐさま反応する。「ちょ、ちょっと夕陽」


「何?どうせ生徒会の仕事、放ったらかしで来たんでしょ?」


予想外に冷たい発言に、柊が「うっ」と言葉を詰まらせながらそっぽを向いた。


それからややあって、視線を彷徨わせていた柊が声を発する。


「また、放課後」


本当に言いたいことは、きっと別にあったのだろう。


どこか不満が残るため息みたいな言葉を呟いた柊を見て、冬原は、「しょうがないなぁ」と呟き、すっ、と相手のそばまで歩み寄った。


冬原は、ぎゅっと自分の左手で、柊の左手を握った。


どうして右手を握らなかったのかが、少しだけ不思議だった。


その左手の甲に、うっすらと傷跡が刻まれているのが見える。白い肌に残った傷は、雪原の轍のようだ。


一瞬で柊の頬が真っ赤に染まり、慌てた様子で何度もこちらと冬原を交互に見比べて、小声で何か囁いている。


聞こうと思えば聞こえそうなものだったが、どこか他人の秘密を覗き見るような、薄汚い真似をするみたいで嫌だったので、さっとヘッドフォンを装着した。


静寂が訪れ、しばしの間、目の前の光景に意識を傾注した。


まるで無声映画のワンシーンだ。


 ふわりと笑う冬原に、紅葉を散らしたまま激しく瞬きをする柊。


対象的に見える彼女たちなのに、元々は一つのものであったのではないか、と錯覚させられるのは、一体何故なのだろうか。


繋がれていた手が離れる。


離れる、というのはやはり、元は一つであったことの証明なのではないのか。

そんな下らないことが頭をよぎった。


カメラのフレームの中に収まりきっていることが不思議なくらい、幸せそうな光が見える。


暗鬱とした影も感じたが、それは二人の背後の陽光が雲に遮られたせいだろう、と勝手に結論を出した。


 どうやら話はついたらしい。


柊は黙ったまま自分たちを見つめていた春泉の視線に気が付くと、申し訳無さそうに何度か頭を下げて、それじゃあ、と唇の形を変えた。


手を振って彼女を見送った冬原は、ゆっくりとした動作でこちらを振り向くと、ヘッドフォンを外すように手振り身振りだけでやんわりと伝えた。


しょうがないので、左耳側を少しずらす。


「ごめんなさい、春泉さん」と大して思っていなさそうな顔で言う。


「別に」まともに返さず、「いいから、静かな場所に案内してくれ」と当初の目的へと立ち戻った。


それを快諾した冬原は、柊が去っていった方向とは反対のほうへと廊下を進んでいった。


鬱陶しい生徒たちの視線を浴びながら、階段の前を通り過ぎ、突き当りにある明かりの消えた部屋の前で立ち止まる。


中からは人の気配は感じない。ルームプレートには『資料室』と消えそうな文字で書き込まれている。


 冬原がおもむろに、懐から鍵の束を取り出した。


ジャラリと音を立てたそれを見つめながら、一体どうしてこんなものを持っているのかと不思議に思った。だが、直ぐに学校案内のために借りていたのだろうと思い直す。


 シリンダーが回転する音が寂しげな廊下に木霊してから、冬原がドアを開けた。慣れた手つきで鍵を開錠した彼女は、片手を伸ばして春泉に中に入るよう促した。


彼女の大人びた雰囲気にマッチした上品な仕草に、何となく感心したような心地になる。


 中へ足を踏み入れる。一段と空気が寒くなり、心なしか湿度も低くなっている気がした。


見るからに、日常的には使われていない様子だったが、中央の机周りなど、所々は綺麗にされており、時折利用されているのが予想できる。


中央の大テーブルを挟み込むように、両側の壁沿いに事務機が置いてある。上段はガラス張りになっていて中が見え、下段はスライド式になっているタイプのものだ。


決して広い部屋ではないが、冬原が戸を閉めて以降訪れた静けさを加味して考えれば、中々どうして居心地の良い場所だ。


自分より先に椅子に腰を下ろした冬原を見て、結構マイペースな人間なのかもしれないと考えつつ、その反対の席に座った。


トントン、と冬原が自分の耳を人差し指で叩いた。ヘッドフォンを外せ、ということだろう。一瞬の逡巡の後、大人しく従う。


おそらく、この部屋の環境と冬原の声量を考えれば、外しても大したストレスにはならない。


解き放たれた聴覚は、普段通りあちらこちらに手を伸ばし、音を拾いはしたものの、予想していたように無害な音のほうが圧倒的に多かった。


首にずらした黒のヘッドフォンを、丁寧な手つきで撫でながら、ぽつりと春泉が声を漏らした。


「落ち着くな、ここ」


こちらから声を発したことに、自分でも驚く。


これじゃあ、彼女とのコミュニケーションを望んでいるみたいではないか。


案の定、そう感じたらしい冬原が、小さく口元を綻ばせながら話しかけてくる。


「最近は使ってなかったんだけど…、とっておきの場所なの、ここ」


まるでガラスケースの中の宝物を眺めるように、うっとりと目を細めた冬原は、顔とリンクした声音で続ける。


「春泉さんも、私に声をかけてくれれば鍵を貸すから勝手に使っていいよ」


お前の許可が要るのかよ、という言葉が脳裏をよぎったものの、やはり彼女相手だとストレートな物言いは何故か憚られ、結局もっとマイルドな形になって口から飛び出した。


「冬原…さんが、ここの管理者なのか?」


 後半は冗談で言ったことだったのだが、彼女は目を丸くして慌てて手を振った。


「まさか、違うよ。私は生徒会長に無理言って借りてるだけ」


生徒会長という単語から、先ほどの柊蝶華の顔が連想された。


無理を言ってとは語っているが、二人の間にそんな強硬的な関係があるようには思えない。それほどまでに親密な様子だったのだ。


 鈍いエンジン音を立てて頭を回転させていた春泉に向けて、冬原が思い出したように言う。


「あ、それと、私のことは冬原でいいからね。一応、フルネームは冬原夕陽(ふゆはらゆうひ)

「え、ああ…」


何だか青春の一場面を切り抜いた言葉みたいで、気が引ける。自分にはあまりにも不釣り合いな輝きを帯びたワンシーンに、ゾッとした。

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