転げ落ちた生贄は、口を閉ざしました。 2
これにて、六章は終了です。
次回が最終章となりますので、どうかお付き合いください。
「春泉さんも、元気?」
「ぼちぼちです」不貞腐れたような声が出る。
本当は事件のことを確認しにきたのが主な目的だったが、鹿目川の目元に刻まれた黒い影を見てしまえば、そんな気持ちは吹き飛んでしまっていた。
何か違う話をしよう、そう思って、一先ず頭の中にあったことを急いで引きずり出す。
「先生、黒染めしてるんですか?」
「え?」
不思議そうな顔をした彼女は、そんなに白髪がある年齢に見えるのか、と唇を尖らせたのだが、つむじあたりの髪が、茶色がかっていることを伝えると、納得したように頷いた。
「そう。私ね、色素が薄いのよ」
何がそんなに愉快なのか、コロコロと女児のように声を上げて笑った彼女が、手招きして自分を呼んだ。
大人しく彼女に従いそばに寄る。すると鹿目川は体をこちらに傾けて、下から覗き込むように顔を近づけて言った。
「ほら、瞳の色も薄いでしょ?」
急に彼女との距離が近くなって、まごついてしまう。
初めは頼りの無い印象を受けた鹿目川の顔立ちだったが、今では優しく、慈愛に満ちたものに思えた。
「髪も伸びるのが早いから、ちょっと入院してただけでコレよ」
おっとりとして、鈍間に思えた喋り方も、こちらの緊張を解そうという意図を、今なら感じられる。それが勝手な思い込みかどうかは、確かめる術がない。
「え、ええ。そうですね」照れ臭くなって顔を背ける。
それから三人で、どうでもいい話を続けた。
昔は意味のない行為だとしか思えなかった言葉のやり取りだったが、今は全くの無駄ではないことが分かっていた。
人間の社会というのは、きっとこの一見すると無駄な行為の塊で出来ているのだろう。そう考えれば、人そのものが無駄とも言える。
ただ、無駄は無価値ではない。
世の中の娯楽のほとんどが、生きていく上では必要ないものであることが、それを証明している。
学校のこと、クラスメイトのこと、冬原の家に遊びに行ったこと、とにかく鹿目川が喜びそうな話題を振った。
そんなことを考えている自分が、どこか自分らしくなくて、でもくすぐったい喜びも感じていて、微笑ましかった。
気が付けば、話をしているのは8割以上、自分と鹿目川だけになっていた。冬原は二人を見守るように口を閉ざし、時折相槌を打つ程度だった。
妙な気を遣われてはいないか、とも心配になったが、だからどうなるというわけでもないので、放っておく。
途中、鹿目川が思い出したように春泉に問いかけた。
「そうだ、春泉さん、弁論大会の原稿は完成した?」
「あぁ、えっと…」
歯切れの悪い返事になった。彼女もそれで察したのか、顔を曇らせながら、「もしかして」と気落ちした様子で呟く。
気乗りはしないが、言わないわけにはいかない。
一連の悪戯のせいで、自分たちのクラスの発表はなくなったことを伝える。
理由については、以前冬原たちと話し合っていたことにも絡んでいたので、スムーズに説明できた。あの会議唯一の成果とも言えるかもしれない。
きっとがっかりするだろうと分かっていたが、案の定、鹿目川は肩を落とした。
それから自分のせいだ、と自責の念に駆られてため息を吐いた。春泉は、それは違うと断固否定する。
「全部、この騒動を起こした人間のせいだろ」
必要以上に自分のせいにする鹿目川に少しだけ苛立ち、声を荒げてしまう。
驚きに目を見開いた鹿目川の顔を見て我に返り、トーンダウンしながら言葉を訂正する。
「…鹿目川先生のせいじゃないです」
「春泉さん、ありがとう」
ごめんね、という言葉が続く気がして、鹿目川から目を背けた。
そんな顔をさせたかったわけじゃない。
言葉がこれ以上、何も浮かばなくなる。
それを悟ったように、冬原が代わりに喋り出した。
「先生を屋上前の踊り場に呼び出したのは誰ですか?」
「え…?」
あまりに急すぎる、と冬原を一瞥するも、彼女の顔には能面みたいな静けさだけが浮かび上がっており、その感情は窺い知れない。
絶句、というのがこれほど相応しい沈黙を、今まで見たことがなかった。
鹿目川は口を小さくぽかんと開けた顔つきで、じっと冬原の顔を見上げていた。必死で何かを思考しているのが容易に分かる。
凍り付いた時間がとけていく。個体だった水分が液体に変わるように、ゆっくりと、しかし着実に鹿目川がまとう雰囲気が変化していく。
「えっと…何のこと?私はたまたまあそこにいて、階段を踏み外しただけで…」
ピリッと、鼓膜が震えた気がした。
嘘を吐いている。直感的に理解してしまい、思わず唇を噛む。
「あんなところに用事ですか?」容赦がない、とヒヤヒヤする。
「そ、そう。屋上の鍵の点検に」
「鍵も持たずに?」
ヒュっと、鹿目川が息を呑んだ。おそらく自分もそうしていたのだろう、数秒して、思い出したかのように呼吸を再開した。
そんなところまで確認済みなのか、それともカマを掛けたのか。
どっちにしても冷徹とも、執拗とも感じる話の詰め方だ。
初めて冬原のことを、性格が悪い、と考えた瞬間であった。
何度も頷いて肯定した鹿目川だったが、動揺が激しく誤魔化しが効いていない。本人もさすがにそれは分かっているのだろう、目が泳ぎっぱなしだった。
その返答に、興味なさそうな相槌を行った冬原は、チラリと、こちらへアイコンタクトを行った。
その瞳が『もういい?』と確認しているようで、思わず目を閉じた。
どれだけ考えても、冬原のように何かの役に立つような質問は浮かばなかった。というよりも、困らせるような問いは思いついても、自分にはできないだろうと分かっていた。
この空気のまま別れるのは忍びなかったので、最後に社交辞令のような質問だけしよう、と口を開く。
「お見舞い、また来てもいいですか?」
彼女はその普通の質問にホッと安堵の表情を見せると、おっとりとした微笑みを浮かべて言った。
「ええ、そうしてくれると嬉しいわ。生徒はまだ貴方たちしか来てくれてないの」
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