考えるだけならタダだ。消費するのは、カロリーぐらいのもんだろ? 1
すぐに冬原がお盆を持ってやって来る。その上には、珈琲が四人分乗せられていた。
人に合わせて砂糖とミルクを用意しているところから、冬原の気遣いの出来を感じる。
一息ついたところで、いよいよ本題に入る。話の口火を切ったのは、意外なことに冬原だった。
「それで、春泉の話って何?鹿目川先生のこと?」
「そうそう」ストローでコップの中をかき混ぜながら答える。まだミルクも砂糖も入れていないので、ほとんど意味がない。「腑に落ちないことがいくつかあるんだよ」
「そんなこと、私たちだけで考えてどうするのよ」片眉だけ上げて柊が言う。
人を小馬鹿にしたような態度だが、美人がすると、やはりどんな顔も絵になる。物語のヒロインが美しく描かれるのも、これでは仕方のないことだと納得する。
彼女の眉目秀麗な容姿にかすかな嫉妬を覚えつつも、言葉を返す。
「良い案が出たら、対策を打つ。学校内の人間が怪しいと結論付けられたら、探し出して痛めつける」
「物騒ねぇ」
半分冗談で、半分本気だった。
「どんな理由があろうと、やったことが洒落にならない。痛めつけるのは冗談だとしても、相応の罰は受けてもらうべきだ」
「私たちだけで考えて、答えが分かるような情報があるなら、学校側がもう犯人を見つけてるんじゃない?」
「でもよ会長、大人たちはそもそも、まともに考えてすらない可能性だってあるぜ」
あながち悲観的過ぎる想像ではないだろう。
冬原の説明の筋が通っていたからか、自分たちのクラスは弁論大会には出ないことに決まった。それは、自分たちのクラスばかりが標的になったということ、発表担当者の自分が一度狙われたということを鑑みた結果だった。
妙な形で責務から解放された春泉は、ほとんど完成に近かった書きかけの原稿をロッカーに仕舞うことに決めていた。おそらくは、学年が変わるまで出て来ない。
折角頑張ったのにね、なんて柊に慰めの声を頂いたが、正直ちょっとホッとしている。
確かに、もしも自分に恨みがあるのならば、弁論大会は格好の処刑場だ。
あんな嫌がらせを、全校生徒を巻き添えにして行われたならば、福祉委員からの評価は地に落ちる。つまり、それならやらないほうがマシだということだ。
「連中、何の保証もなしにもう終わったと思ってやがる。学校側が本気で対応する姿勢だけ見せてれば、相手がビビって何もしてこないと思ってるんだ」
「んん…でも春ちゃん、実際犯人も、これ以上は何もできないんじゃないの?」
黙って聞いていた執行が、伸びをしながら言う。
「かなちゃん、命に別条はないとは言っても、まだ眠ったままなんでしょ?嫌がらせにしてはやり過ぎたと後悔してるかもよ」
「何だよ執行、悔しくないのか?私もお前も、標的にされたんだぞ」
話の矛先を向けられた彼女は、少し考えるような素振りをした後、頬に人差し指を当ててはにかんだ。あざとい仕草だ。
「私はぁ、そのおかげでぇ、春ちゃんの愛情を確かめられたしぃ?」
口に含んでいた珈琲を吹き出しかける。
むせている春泉をよそに、執行がうっとりとした口調で続ける。
「あれでね、脈アリかなって思ったから告白したんだ」
熱っぽい視線にさらされていると、答えを急かされているようで怖くなり、慌てて話を柊と冬原のほうに戻す。
「とにかく、また犠牲を出すようなことになるのは勘弁だぜ。次はお前らかもしれないし、また私かもしれない」
「まあ…確かにそれもそうね」チラリと冬原を不安そうに一瞥した柊が呟く。彼女にはこの説得の仕方が効果的なようだ。
「考えるのはタダだ。消費するのはカロリーぐらいなもんだろ?それで何にも思いつかなきゃやめればいい」
どうだ、と三人をぐるりと見渡す。
柊はもう賛成しているようだが、冬原は目を伏せたまま考え込んでいるようだった。
執行に至ってはどっちでもいいと言わんばかりに、また冬原の部屋を視線だけで物色していた。
少し間を置いてから、冬原も何かを割り切ったかのように頷き賛同した。
良し、と思わずガッツポーズを作る。
「じゃあ早速1つ目から。この間は夕陽ちゃんが乗り気じゃなかったから途中でやめたが、何で新聞の切り抜きなんか使ったんだと思う?」
「夕陽って呼ばないで」ぶすっとした顔と物言いをする柊に、「分かったよ」と濁す。
独占欲の塊のような女である。
あれだけの愛情を真っすぐ向けられていて、まだ自分の物だという保証が欲しいらしい。不思議な話だ。
春泉が形だけの謝罪を口にしたのを見て、柊が考えを述べた。
「まあ、この間言ったように、筆跡を誤魔化す必要はないし…。執行が言ってた、面白半分というのが一番妥当じゃない?」
自分の意見が採用されたためか、執行がいぇい、とVサインをした。はしゃいでばかりで、まともに話に加わらない執行を睨みつける。
この疑問点に関してはそれが妥当だろうな、と賛同しかけた春泉に、冬原が淡々とした語り口で反論する。
「いや、多分違う」
あまり感情の込もっていない声だったが、それでも、自信があることは伝わってくる。
「何が違うの?」
柊が確認すると、彼女はぼんやりとした目つきで炬燵の上を見つめながら続けた。
「わざわざ手の込んだ嫌がらせをする相手だから、面白半分っていうのは不自然だよ。春泉への一件を考えたら、まず間違いない」
「じゃあ、何であんなことしたんだよ」
「やっぱり、筆跡を誤魔化す以外ないと思う」冬原がコツンと指先で机上を叩いた。
「それは警察が捜査にでも来ない限り、する必要ないだろ。何だ?これからその規模の事件が起きるのか?」
春泉の問いに冬原は首を振って否定した。
「道具が無くても、筆跡鑑定に近いことができる人がいるでしょ」
「そんな魔法使いがいるわけ…」
言い切ろうとしたとき、冬原の瞳が深く煌めいたのを見た気がした。
もしかすると、いや、もしかしなくともきっと勘違いなのだろうが、どことなくそれが気になって、もう少し真剣に考えることにした。
道具も無しに筆跡鑑定が出来る…。
それはつまり、相当文字を見慣れている、ということだ。
よほど親しい相手か、いつも文字を見なければならないような相手なら…。
その瞬間、ピンときた。あながち最初の発想は間違いではなかったのだ。
「なるほど分かった。教師を警戒したのか」
その解答に冬原が深く頷いた。どうやら柊もピンときたらしい。一人目をパチパチさせている執行に、仕方がなく説明する。もちろん顔は冬原に向けておく。
「いつも授業やらテストやらで、文字を見慣れている人間がいる以上、少しでも疑われる可能性は消しておきたかった、ってわけか」
相手は想像以上に頭が切れるようだ。
分かったのか、分かっていないのか、ぼんやりとした返事をした執行とは、真逆の人種なのかもしれない。
しかし、そうなってくると自然と一つの結論に至る。しかも、あまり気持ちの良いものではない。
「あぁ?…ってことは、犯人は生徒かよ」
冬原があくまで可能性に過ぎないことを念押しするも、もう頭の中の犯人像は、自分たちと同じ制服を着た何者かの姿に変わっていた。
黒い、凹凸のない顔に、にったりとした笑みが浮かぶ。
その不気味で挑発的な顔つきに苛立ちと恐怖が募った。
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