美しい余韻だけは。
時計を確認する。時刻は12時50分。
待ち合わせ時間の10分前だが、自分以外、誰一人として集合場所に到着していない。
しきりに右足をタンタンタン、とリズミカルに公園の石畳へと叩きつけるも、苛立ちは軽減されることはない。
執行はまあしょうがない。しょうがなくはないが、最初遅刻してきたときの様子からして、こうなるとは思っていた。
ただ、まさか残りの二人までギリギリになっても来ないとは、想像もしていなかった。
ため息を吐きながら、ヘッドフォンをつけなおす。中で流れているのはロックだった。
歌詞を頭の中で追いつつ、ある程度の重ね着で十分になった外気を深く肺に取り込む。胸郭が膨らみ、誰にも押さえつけられていないのに、締付けが強くなる。
そんなどうでもいいことに意識を傾けている間に、待ち合わせ時刻5分前になった。
すると、噴水から巻き上がる水流の向こう側に、見知った顔が二つ見えた。まだ相手はこちらに気が付いていないようだ。
少し身を屈めて、彼女らの様子を窺う。何故そうしたのかは自分でも分からなかったが、何となく、二人きりだとどんな感じなのか確認してみたかったのだ。
背の高い方はモデル顔負けのスタイルで、ほとんど黒一色だった。
彼女の足の細長さを強調するようなスキニージーンズに、白のシャツに黒ネクタイ、それから黒のライダースジャケットを着ている。本当にモデルなんじゃないかと思える。
対する背の低い女性のほうは、グレーのロングワンピの下に、黒のロングスカート履いている。
布を被った幽霊みたいだ、と失礼ながら想像した。まあ、長い袖丈からはみ出たような白い手は可愛い。
ビシッとフォーマルな格好をした女性と、ダボダボな格好の女性が、光と闇のように対照的だった。二人とも、色合いは原色の欠けたほぼモノクロであった。
二人は周囲を見回すと、待ち合わせの相手が誰も来ていないのを確認し、噴水の前を通り過ぎた。そして、そのまま公園の中へと消える。
もう時間になるというのに、散歩でもするらしい。
悪趣味とは分かっているが、彼女らの後ろをつけたくなる。どうせ、残りの一人は遅刻するのだ。
そうとなれば、別に二人の背後を尾行しても問題はないだろう。倫理上の問題は大いにあるだろうが。
公園の中の遊歩道を、仲睦まじく歩いていく二人は、人がまばらになったあたりで手を繋いだ。
どちらからともなく、というよりかは、片方が多少無理やり握ったように見えた。
梅の花の香りが辺りに充満している。
甘い、品のある香りだ。白と赤の梅の花が色鮮やかに規則的に並んでいる。
すんすん、と鼻をひくつかせる。落ち着く匂いだ。
人の少ない遊歩道を、うららかな陽光に照らされながら歩いていると、どこか自分も高尚なものになれる気がした。
しかし、自分が今やっていることを思い出して、それとは間逆な人間なのだと思い出す。
数分ほど歩いていると、いよいよ人の姿がなくなった。公園の最奥まで到達したらしい。
まあ元々広くはない敷地なので、奥と言っても、そんなに入り口の噴水からは遠ざかっていない。今急いで引き返せば、十分待ち合わせ時刻に間に合う。
さすがに二人も来た道を戻るだろう、と予想したのだが、それどころかベンチに座り込んでしまった。見つからないように、慌てて梅の木の影に飛び込む。
ぴったりと肩をくっつけて談笑している二人。もう待ち合わせ時刻になる。
…つまり、誰一人として約束を守るつもりがなかったということだ。
そろそろ執行が来ていてもおかしくはない。彼女らは放っておいて、一度噴水まで戻るか。
そう考えて、木の幹から体を離した瞬間だった。
「わぁ、冬ちゃんと柊ラブラブだねぇ」
ギュッと肩を掴まれて、思わず大声が出そうになるも、瞬時に背後から口を塞がれて心臓が縮み上がった。
襲われている、と身をよじったが自分の肩から顔を出したのは見慣れた人物だったので、ほっと胸を撫で下ろす。
それから目だけで、彼女に手を離すよう合図を送る。
すぐに相手も笑みを浮かべながら、口元の手を離す。だが、その両腕は自分の体に巻かれたままだ。
「ったく、驚かすなよ…!変態に襲われたのかと思っただろ」
執行だ。多分、彼女が来たということは待ち合わせ時刻を過ぎている。
今日は紺色のミニスカートに、桜色のカーディガンを羽織っていた。中のシャツもパステルカラーで春っぽい服装だ。
惜しげもなくさらされた長い両足に目が行きそうになるも、何とか自制する。
「私は襲っても良かったけど」と本気なのか冗談なのか分からない、口元だけが綻んではいるが、目は笑っていない表情で執行が呟いた。
数日前、目の前の彼女に告白じみた真似をされたことを思い出す。それに連想して、そのときの余裕のない赤みがかった顔と、真剣そのものといった口調が蘇る。
無意識のうちに距離を取ろうと体に力を入れたが、それを拒むように逆に両腕に力を込められてしまう。
逃さない、そう言われているみたいで少し怖い。
ただ、だからといって本気で抵抗しようと思えるほどではなかった。
「まぁ、こんなところでノゾキなんてしてる春ちゃんのほうが、変態だと思うけど」
「…うっせぇ。気になるだろ!」
「しっ!静かにしないと気付かれちゃう」
お前も見たいんじゃないか、という言葉は飲み込んで、二人のほうへとまた視線を戻す。
もうすでに、待ち合わせ時刻を5分過ぎている。遅れてきた彼女たちが何と言い訳するのかも楽しみだったが、人目が無いところだと、二人の関係性がどのように変容するのか、というほうに興味があった。
それは執行も同じようで、息を押し殺して物陰から二人を見守っていた。
傍から見ると、仲睦まじい二人の女子を木陰から覗く変質者二人、といったところだろう。
冷静に考えたら負けだと思い直して、目の前の光景に意識を集中する。
談笑していた二人だったが、やがて柊がハッと慌てたように、腕時計へと視線を落とし、立ち上がりかけた。
「お、時間を思い出したらしいな」
「えー、チューぐらいしてほしかったなぁ」
「黙ってろ」とは言ったものの、春泉も内心同じ気持ちだった。
離れないと二人に見つかってしまいそうだ。
仕方がなく、そろりと木陰から体を離した二人だったが、次の瞬間、再びざらついた木の皮に頬を寄せ、前方の様子に釘付けになった。
中腰になった柊の腕を掴んで、ぐっと引っ張った冬原。
当然、彼女のほうが力は弱いので、振り解こうと思えばそうできたのだろうが、柊はキョトンとした顔でまた腰を下ろした。
この場所からでは冬原の姿は背中しか映らないが、目をつむり、顔を柊に向けているのが容易に分かった。柊の動揺ぶりからそれは明らかだった。
「ま、マジかよ…ここ公園だぞ」そう言いつつ前のめりになってしまう。
「分かってたけど、やっぱり冬ちゃんって大胆だよね」
キョロキョロと挙動不審になって辺りを見回す柊。
見つかったかと思ったが、どうやら正確な視覚情報がインプットされていないようだ。
遠目から見ていても分かる不審者ぶりに、近くにいなくて良かった、と心底思った。きっと間近で見ていたら、吹き出したに違いない。
最初は早口で何か言っている様子の柊だったが、しばらくすると、観念したように彼女に身を寄せた。
ぎゅっと自分の左手で相手の左手を握り、体を震わせながら距離を縮める柊に、こちらまで顔が熱くなる。
ここから先は見てはいけない気がする。一度見てしまったら、人としての大事な何かを失う気がしてならない。
そう思って、顔を背けようとした刹那、ぐっと強烈な力でそれを妨げられ、間抜けな声が出る。
「ちょ、おい!痛い、痛いって」すごい力で自分の顔を固定している執行の腕を叩く。
「子どもじゃないんだから、最後まで見ないと」
「どういう言い分だよ、そりゃあ!」
「いいじゃん、こっからこっから」
「良くない。人として良くない」
正論を唱えたというのに、執行はというと、妙に呆れたような顔をしてから、小さく肩を竦めた。
「それ、春ちゃんが言うんだ」
「文句あるかよ」と鼻皺を寄せて呟くも、結局、執行は力を緩めない。
春泉が目をつむろうとしていたことを、どうやってか察したらしく、彼女は両手を使って、強制的に春泉の目蓋をこじ開けてくる始末だった。
視線を戻すと、二人の距離はかなり近くなっていた。
ゆったりとした速度で接近する柊と冬原の姿に、何故か、宇宙空間でのランデブーが想起された。
等速で近づく二つの星。
このまま衝突すれば、二人はどうなるのか。
そんなことに思いを馳せている間に、二人の距離は完全にゼロになっていた。むしろマイナスと言ってもいいのかもしれない。
数秒、息を止めたような数秒。
それから二人の距離が、負の数から急速に正の数に変わっていく。
言葉も出なかった。
それは、とんでもないものを見てしまった、という気持ちのせいもあったが、それ以上に、体を離した二人の顔があまりにも幸せに満ちていたからだった。
こんなにも、誰かのために願ったことは未だかつてなかった。
時間が有限じゃなかったら良かったのに。
そしたらきっと、二人はずっと幸せでいられる。
苦しみや悲しみではないもので、涙が出そうになったのは初めてだった。
ぐっと、気を引き締める。
「行くぞ」
彼女らの美しい余韻まで、穢したくはなかった。
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