ラブストーリーは呆気なく終わった。 3
クラスの連中にも、一言くらい詫びを言っておくか、とふらつく足取りで立ち上がりかけた春泉だったが、彼女が口を開くよりも先に、痺れるような鋭利さで、今まで黙っていた冬原が声を発した。
「おかしい」
何がおかしいのかを尋ねようとした春泉に、間髪入れずに冬原が続ける。
「春泉、私たちの声、聞こえてる?」
「聞こえてるよ、サンキューな、ほんと…」
何だ、そんなことか、とまた力の入りかけていた体から、今度こそ力を抜く。
自分らしくない、素直極まりない感謝の言葉が口からこぼれたが、たまにはこういうのも良いだろう。
だが、その気持ちを向けられていた冬原は納得していないふうな顔つきで、まだ問いかけをやめなかった。
「何で」
「何でって…お前らみたいな素敵な友達の声が聞こえるように、調整してんだよ」
調子がだいぶ戻って来たようだ。
「それって誰かに言った?」
妙なことを聞いてくるなと思いながら、首を振ってそれを否定する。
冬原はじっと黙り込んだかと思うと、チラリと時計のほうを一瞥してから、柊のほうを向き直って早口で聞いた。
「蝶華、今携帯持ってる?」
「え」一瞬、逡巡するような顔をしてから「持ってるけど」と返事をする。
本来学校にいる間は電源を切っておく約束だから、素直に答えるか迷ったのだろう。生徒会長がルールを破っていると知られるのは、さすがに気が引けたようだ。
冬原は、そんな彼女の様子を気にすることもなく早口で続けた。
「ねえ、今って何時?」
「何時って…」
「いいから、早く」
さすがにムッとした顔つきになった柊だったが、文句一つ口にしないまま大人しくポケットに手を突っ込んで、携帯を取り出した。
それから大儀そうな顔で画面の電源を入れた彼女は、すぐにその面持ちを不審そうな色に変えた。
「変ね、時計がズレてるわ」そう言って二人に向けられたディスプレイには、未だ授業が終わる1分前の時刻が表示されている。
「おいおい…やっぱりギリギリじゃねえか」
「春泉」冬原が歯切れの良いアクセントで自分の名を呼ぶ。「念のために、しっかり聞こえないようにしておいて」
何で、と聞き返すのはやめた。
それほどまで、冬原の表情が真剣そのものだったからだ。
まるで別人だと、内心考えていたそのとき、それは起こった。
体全体を通して感じる揺れ、空気の振動。
相棒の庇護の元でも確かに聞こえてくる、鐘の音。
普段はこんな聞こえ方をしない。
ヘッドフォンさえ着けておけば、いつもは耳の奥で鳴っているような聞こえ方しかしないのに、明らかに何かがおかしかった。
周囲のクラスメイトたちも、両耳を塞いでいる。何かに耐えるように目をつむっている者もいた。
空気が揺れるなんて、どんな音量で鳴ってやがる。
絶対にヘッドフォンが外れないよう、両手で抑える。
音が鳴り出すと同時にしゃがみ込んだ柊は、子どものように一生懸命目をつむっていた。
その隣で両耳を抑えていた冬原は、目だけはしっかりと開いていて、その黒い瞳の奥に形容しがたい感情の波を揺らめかせていた。
ヘッドフォン越しでも、キツイものはキツイな、と体を丸くしていると、自分の前に誰かが座り込んだ。
てっきり音に耐えられなくなって、防衛本能から誰かが蹲ったのかと思ったが、そこにいたのは、まだジャージ姿の執行だった。
そっと自分の手の上から、彼女の掌が重なる。彼女はジャージの袖を伸ばしていたので、ガサガサとした感触が手の甲に当てられていた。
そのおかげか、少し音の聞こえ方が弱くなり、不快感は軽減された。ただ、代わりに目の前の執行が心配になる。
「おい、執行、私はいいから自分の耳を塞げ!」
体を通して伝わったであろう春泉の言葉に、執行は首を横に振る。それどころか執行は、「春ちゃん、大丈夫だからね」などとこちらの身を案じるばかりだ。
「怖くないよ、大丈夫」
彼女の声は、やはり良く聞こえてきた。
それこそ、狂おしいまでに。
執行は額に汗をかいていた。この肌寒い時期に、よっぽどのことだ。
永遠に鳴り続けるかと思えたチャイムだったが、30秒ほどで止まった。それに伴い、空気の振動も止まる。
誰もかれもが動揺した様子で、何か口を動かしているのが分かったが、それも今はまるで聞こえない。
怒ったような形相で、柊が冬原へと何事かをまくし立てているのが見えるが、対する冬原は顔色一つ変えずに、ただ淡々と何か答えるばかりであった。
「春ちゃん、怖くなかった?大丈夫?」
ヘッドフォンからやっと手を移動させた執行が、今度は自分の頬に手を当てて来る。とても冷たい。
「馬鹿、何で自分の耳を塞がなかった」
「だって…」
泳いだ視線に、彼女が何を言いたいのか何となく分かってしまった気がして、慌てて言葉を付け足す。
「やっぱいい、答えなくていい。ありがとよ」
さて、と今度こそしっかりと立ち上がる。
どうやらヘッドフォンのおかげで、周りのみんなよりも被害は少ないようだった。
物言いたげな視線を送ってくる冬原を見つめ返す。もしかすると、彼女は何のヒントもなしに、春泉が口にしようとしている事態を察知したのかもしれない。
カチカチ、と耳元でボタンを押したときの乾いた音が鳴って、周囲の声が聞こえるようになる。
慌てた様子で鹿目川が室内に飛び込んでくるのを確認しながら、口を開きかけた冬原を制して先に声を発する。
「悪いなお前ら、この一件…とんだ巻き込み事故みたいだ」
そう言って突き出された春泉の手には、くしゃくしゃになった白い紙が握られていた。
刻まれた不気味な文字が、異様なほど辺りを静寂に包み込むのだった。
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