静かなほうが良かったです。例えそれが、嵐の前の静けさでも。 1
家と学校の行き来を繰り返すことを、退屈だと感じることは、誰にでも人生一度はあると思う。
それは、この退屈な日常に変化が起こることを望んでいる表れなのだろうが、きっとそのような都合の良い大激震が発生することは、まずない。
ある日急に、この壊れたロボットみたいな耳がまともになることもなく。
私の捻くれた性根が、突然鉄板みたいに真っ直ぐなるわけでもない。
それでも、些細な変化や、かえって代わり映えのない小さな幸せのおかげで、何とか死なずに生きてはいけるものだ。
嫌なこと、面倒なこと、苦しいこと。
数えだしたらキリがないが、意外と人間丈夫にできているのだと、人生の八分の一ほどでも生きていれば、何となく見えてくるものだ。
遠回しにくどくどと言葉を並べたが、何が言いたいかと言うと、結局のところあの嫌がらせがあって以降、大して何も特筆すべきことは起こらなかったということだ。
個人的には、一人目の犠牲者、という文言が示すとおり、第二、第三の事件が勃発して、学校が恐怖の舞台になることを、心の隅のほうで期待していたのだが、そんなことには当然ならなかった。
もっとも、そんな恐ろしい事態になっていたら、自分は学校には来ず家に閉じこもっているだろうが。
ああいうのは、自分は確実に安全だと思える場所から鑑賞していられるから良いのだ。
スプラッター、ホラー、バイオレンス、あるいは格闘技の中継なんかもそうだろう。
自分は絶対に痛い目には遭わない保証付きだからこそ、その痛みや恐怖に興奮できるのだ。
そういえば最近、そうしたジャンルの本や映画を読んでいないことを思い出す。
映画は家でなら見られるのだし、久しぶりにホラーもいいかもしれない。昨夜はガラにもなく、ラブストーリーなんかを観てしまった。
どんな苦難が迫ろうと、結局のところ二人には、ハッピーエンドが待っていると予測がつくから観ていられる。これも、ある種の保証なのかもしれない。
そんなことを考えながら、ヘッドフォンを外し、ジャージに着替える。
ほぼ初めて袖を通した単色のジャージに、さすがの自分もセンスの無さを感じる。
確か学年ごとに赤、青、緑で分類されていたと思うが、よりにもよってこの学年は緑だった。バッタに似ている、とクラスで誰かが文句を付けていたが、気持ちは十分に分かった。
今日は身体測定だ。
一部の人間は盛り上がっているようだが、自分のように、成長期が新幹線並のスピードで過ぎ去った人種からすると、恥の上塗りのようなイベントだ。
着替え終わり、ため息とともに体育館へと向かう。
その道すがら、現実逃避のために何か観たい映画はないだろうか、と考えていると、一ヶ月前に観た無声映画を思い出した。
とても味があって新鮮だったのを覚えているが、今度はトーキーを観たい気分だった。
だいぶ遅くなったが、前回の礼に、何か執行の好みそうな映画を一緒に観てもいいかもしれない。
そんな普段じゃあり得ないことを考えてしまうほど鈍くなった思考に気が付き、ぶんぶんと首を左右に振る。
執行を家に誘いでもしたら、絶対に面倒くさいことになる。
それだけは、天と地がひっくり返っても避けたほうが身のためだろう。
頭の中で、彼女が家に来たときのことをシュミレーションしてみる。
単なる暇潰しではあるものの、想像以上にリアルな執行が自分の部屋のソファに座っていた。
二人でホラー映画を観ているところを思い描こうとするが、それは上手くいかない。しょうがなく、ラブストーリーにジャンルを変えると、凄まじいほどしっくりきた。
二人がけのソファに、二人で座る。
拳二つぶんくらいのじれったい距離が空いている。
突然始まる濡れ場に、目を背ける自分。
『照れてるの?』と執行が問う。
『ばっ、照れてねぇし』
不意に近づいてくる、執行の整った顔。
覗いた片耳と、熱い吐息が、現実感を失わせるほどに色っぽい。
『理音、私たちも…する?』
これは酷い、と自分の膨らませた妄想に一人脳内で突っ込みを入れる。
昨晩観た映画の影響で、したくもない妄想を全力全開でやってしまった。加速する想像力に、我ながら呆れる。
「春ちゃーん!」
突然、背中がぞわりと粟立つ。
慌ててヘッドフォンを装着しようとするが、身体測定では外せと、あまりにも担当の教員がうるさかったので、諦めてロッカーに直したのだった。
後ろから駆け寄ってくる本物の執行の姿を見て、こんなときに、と思わないでもなかったが、最初から予想できていたことなので、意外とすんなりと受け止められた。
「ノーヘッドフォン春ちゃんだ」耳の横で拳を握って執行が言う。「レア春ちゃんだね」
不本意ながら、すっかりと定着してしまっていたあだ名に眉をひそめるも、今更何を言っても無駄だと息をこぼし、適当な相槌を打つ。
執行には前もってヘッドフォンを外すことは伝えていたので、可能な限り話しかけるな、と頼んでおいたのだが、まるで忘れているのか、それとも初めから聞く気がなかったのか、当然のように話を続けてきた。
「身長、伸びてるといいねぇ」
意地の悪く目を細めて、執行が呟く。
それだけで鳥肌が立つのが抑えきれなかった。
それを気取られないよう、極めて冷静な、なおかつ、いつもどおりを装ってその言葉に答えてみせる。
「ほっとけ、私はこれで満足してるんだよ」もちろん、強がりである。
「えぇ、ほんとぉ?」
執行が自分と話をするときは、結構体の角度を急にしていることが多かった。20cm近い身長差があるのだから、無理もない。自分はそれが腹立たしい。
スタイルの良さなら柊にも引けを取らないばかりか、それを上回っていそうな執行。それはジャージでもハッキリと分かるほどだった。
足は長いし、出るところは出ている。それに比べて自分は小さいし、断崖絶壁。
月とスッポンのスッポン側をやらされる身としては、月には出来る限り距離を置いてついてきてほしいものだが、そうもいかなかった。
むしろ、こういうときに限って普段よりもやたらと距離が近く、執拗に自分へと話しかけてくる。
相棒の恩恵にあずかれないのだから、喋りかけるなとあれほど言っておいたのに、わざとのように下らない質問や、意味のない発言を繰り返してくる執行へ、目くじらを立てながら早足で体育館へ向かう。
校舎の二階から直通で体育館の二階へと出られるので、本当は下に下りる必要はなかったのだが、執行がどうしてか、自分を連れ立って階段を下って行ったことで、遠回りをしながら目的地に向かうことになってしまった。
置いていっても良かったのだが、こちらとしても狭い渡り廊下で人混みに揉まれるのは避けたかったので、まあちょうど良かった。
もしかすると執行はそれを考えてくれたのかも、とも思っていた。
どうにも執行に対して、過剰に良い評価をしてしまっている気もするが、そもそも比べることのできる友人らしき人間がまともにいない自分では、正当な評価のしようもないのが、悲しき事実であった。
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