手の込んだ嫌がらせは、お断りだ。 1
昇降口の靴箱の蓋を開く。あまり良い匂いとは言えない、カビたような臭気が漂ってくる。
一足先にスニーカーを放り投げて、屈んで履き替えていた春泉の頭上で、ただでさえいつも間の抜けた声を発している執行が、一際ぼんやりとした調子で声を上げた。
「あれぇ?何だろ、これ」
そう言った彼女の指の間には、ハートのシールで丁寧に封がされた白い便箋があった。ほんの少しだけ中が透けて、うっすらと四角い影が出来ている。
「手紙か?」春泉が、しゃがんだままの姿勢で執行を見上げながら尋ねた。
下から見上げる形になっていたせいで、少し際どい角度まで、執行の太腿が視界に映っていた。
執行が、春泉の視線を察知したように、さっ、と手紙を握っていないほうの手でスカートを抑えられたのが、どこか咎められているようで納得いかなかった。
「えっち」執行がこちらを全く見ずに呟く。「うるせぇ」
「差出人は誰なの?」と柊が執行の肩から顔を出して手紙を覗いた。
生徒会長様でも、こういうことには興味があるらしい。
「さあ?」と手紙をくるくる回転させていた執行が、その場で封を切ってみせた。
「おいおい、ここで開けるのか?」
「え、うん」
「いや…だってよぉ、このシチュエーションは、そのぉ」
もじもじとハッキリとしない態度の春泉の言葉を継ぐように、柊が冷静に唱える。
「ラブレター、ね」
よくそんな恥ずかしい単語を平然と口にできるな、とかえって感心していると、執行が何の躊躇もなく中の手紙を取り出して言った。
「ま、女子校でもあり得ない話じゃないしね」
ちらりと横目で見られた柊が、「何よ」とそっぽを向いて呟いた。
こうして恥じらう姿を見ていると、美人はどんな姿でも絵になって得だな、と世の中の不公平が実感できる。
結局、そのまま手紙を取り出した執行の手元から、思わず目を背けた。
誰かが誰かに綴った愛の手紙なんて、おぞましくて見る気すら出ない、ということもなく、そんな他人のセンシティブな秘密を覗き見るような真似は、春泉にはできなかったというだけである。
そういう繊細な心遣いは柊にはできないらしく、彼女はそのままの姿勢で手紙の中身を覗き見ていた。
すると、悪趣味な、と心の中で吐き捨てるように呟いた春泉の背中に、まるで想像もしなかった緊迫した声音が届いた。
「何これ」柊の声だ。
とても真に迫っていて、それだけで手紙の中身がただの恋文ではなかったことが窺えた。
くるりと振り返って、二人のほうを確認する。
彼女らの青ざめた表情と、放課後のしんと静まり返った生暖かい空気は、非現実的な様相を呈している。
執行と柊、片手で手紙の両端を支え合うようにつまんでいるのを、ひったくるように取り上げる。少し背伸びしなければならないのが、解せない。
「よこせ」奪い取った手紙に目を落とす。
そこに記されていた一文に、否が応でも背筋がぞわりと粟立った。
『貴方は、一人目の犠牲者』
新聞の切り抜きを利用して書かれた嘘みたいな一文が、じっとこちらを覗き込んでいるような錯覚を春泉に与え、吐き出される息が震えた。
随分と手の込んだ怪文書を作ったものだ。
何かの冗談に決まっている、そんなふうにリアリストな自分が顔を出している一方、どこか説明しようのない確信に満ちた危機を感じてもいた。
チッ、と自分を鼓舞するように舌打ちしてみせるのだが、期待していた効果は得られなかった。
「あはは…私、やばいのに好かれたのかな?」
この期に及んでふざける余裕があるのか、と執行の顔を覗いたのだが、さすがの彼女も、今のは強がりで口にしたらしく、顔は真っ青のままだった。
「胸糞悪い」紙面から目が逸らせない。
「というより、気味が悪いわね…。すぐに先生に報告しましょう」
そう言った柊は、校門のほうへと視線を動かした。いつも最終下校時刻になると、そこに生徒指導の教師である玄上が、みんなが帰るまで立っているからだったと、後になって知った。
「ちょっと行ってくるわ」
外履きに履き替えた柊が、打ち出された弾丸のような勢いで、真っすぐに校門のほうへと駆け出して行った。
その勢いがあまりにも速すぎて、思わず彼女は陸上部なのかと執行に尋ねてしまったが、反応はなかった。
これも後で知ったことだが、柊は部活には所属していない、ただの生徒会長らしかった。
容姿端麗、頭脳明晰、その上に運動神経まで抜群とは、世界は不平等極まりない。ついでにスタイルが良いのも許せなかった。
柊が教師と話をしている間、そわそわした様子の執行を意識の外に追いやり、もう一度文面に視線を落とす。
貴方は一人目の犠牲者。
あまりにも不気味で、意味深な短文だ。
どっかの推理ミステリーの殺害予告みたいである。
新聞の切り抜きを貼り付けているところも、手が込みすぎていて、かなり気味が悪い。相手の本気が伝わってくるようだ。
「…ん?」
はっ、と何か違和感のようなものを感じて、思考を巻き戻す。
「ねえ、春ちゃん」
執行の言葉に自分が返事をしたかもあやふやなまま、どこに違和感を覚えたのか、暗闇を手触りだけで探るようにして考える。
本気、新聞の切り抜き、殺害予告、犠牲者。
私の勘はどこに引っかかった?
「私たちも、玄上先生のとこ行こうよ」
ちょっと怖いよ、と付け加えた彼女がローファーをアスファルトの上にそっと置いた。ほんの少し指先が震えているような気がする。無理もないことだ。
執行がゆっくりとローファーへと足を伸ばした瞬間、電流が走ったように、春泉がその靴を蹴飛ばした。
「執行!」くるくると靴が右回りに回転する。「ちょ、春ちゃぁん。ビックリするじゃんかぁ」
彼女の批判を無視して、少し離れた場所に滑っていった靴のそばへと近づき、しゃがみ込んでから片方だけ持ち上げる。
後ろからは、汚いだの、臭いだの叫んでいる、執行の細い声が聞こえてきていたが、ごくりと飲み込んだ唾の音でほとんど聞こえなかった。
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