仲良しごっこなら、よそでやれ。 1
初対面でも、臆せず人と喋れる方は尊敬します。
私は人当たりの良いフリをするタイプですが、
根暗なので、話し合いが終わるとドッと疲れます。
それでは、御覧ください。
朝のホームルームが終わり次第、即ヘッドフォンを装着する。
それによって、自分に喋りかけようとしていた何名かが、尻込みしたように少し離れた場所で足を止めた。
説明するべきことは説明した。これ以上、何かを喋る必要はない。
仲良しごっこなら、よそでやれ。
ヘッドフォンのノイズキャンセリング機能を強め、周囲の喧騒をかき消す。それで思いのほか静かになり、ほっと春泉は安堵した。
しかし、その平和は束の間のものだった。
「やあやあ、春泉さん」
文明の英知の力を潜り抜けて、女の声が響いてくる。顔を見なくても、声だけで誰だか分かった。
ちらりと声のした方向を一瞥する。案の定、執行だった。
「何か」と素っ気なく返す。
「そんなに邪険にしないでよぉ」
「別に、これが普通なので」気にしないでとまで伝えるつもりはない。
「ねぇ、聴覚過敏って、大変?」
急に、自分にとって非常にセンシティブな話題を口に出されて、春泉は、不愉快さを隠すことなく舌打ちをした。
明確な敵意をもって、執行の顔を睨みつける。こちらの意図がまるで伝わっていないかのように涼しげな面持ちが、かえって鼻についた。
どういう神経をしていたら、今のような軽率な発言ができるのか不思議でならない。
あまりに不躾な質問だったため、そのままあえて何も答えずにいると、「ごめん、ごめん。聞き方が悪かったね」とへらへらした顔のまま執行が答えた。
「何か困ることってある?」
周囲のクラスメイトが、自分たち二人の会話に聞き耳を立てているのが分かった。
会話が不自然に止まり、急にたどたどしくなっているからだ。分かりやすく、こちらを凝視している連中もいる。
これは良い機会かもしれない、と春泉は思った。
面白半分で首を突っ込んでくる人間は、少なからず存在する。
あるいは、自分が善人であることを周りに証明するための材料として、私たちを利用する者がいる。
簡潔に言おう、私たちを、無力な存在と決めつけて助けたがる人間のことだ。
生まれ持って困難を背負っているというのが、彼らにとっては非常に甘い匂いを放っているらしく、ここぞとばかりに寄って来るのだ。
春泉はニヒルに笑うと、ヘッドフォンを着けたままで声を発した。
「ああ、あるよ」
その言葉に、嬉しそうに執行は目をきらめかせた。
「うんうん、どんな?」
一度小さく頷いて、彼女を見据え、ゆっくりとした滑舌で告げる。
「お前みたいなのが、面白半分で寄ってくることかな」
瞬間的に周囲の気温が冷却されていくのを感じ、春泉は気分が良くなった。
出鼻を挫いてやったとか、驚いた顔が面白かったとかもあるのだが、何よりもまず、教室の中が静かになったことが喜ばしかった。
これなら問題ない、とヘッドフォンをずらして肩に掛ける。
音の洪水は未だうねりを続けているが、今の自分にそう大きな影響はない。
「別に私は、誰かにお情けをかけてもらおうなんて考えていない。とにかく、私に喋りかけたり、ヘッドフォンについて、あーだこーだ言ったりされなければそれでいい」
春泉がそう吐き捨てたことで、次第に冷え切っていた空気が熱を帯びていく。あちこちから自分を非難する小さな声が聞こえてきて、彼女は鼻を鳴らす。
言いたいことがあるならはっきり言えばいい。それが言えないのは情けの無い話だ、などと自分のことは棚に上げて心の中でぼやく。
まあこれで、自分に必要以上に関わって来る人間はいなくなるだろう。
そう判断した春泉が、ヘッドフォンを着けようとした瞬間だった。
ヘッドフォンを握っていた両の掌が、唐突に熱い何かに包まれる。
一瞬それが何だか分からなかったが、自分の直ぐ眼前に執行の顔が迫っていたことで、ようやく理解した。
彼女の手が、自分の手に触れている。
熱い。冬の冷気をものともしないような熱量だ。
「このヘッドフォン、格好良いねぇ!どこで買ったの?」
「ちょ、何だ、お前」
「いいじゃん、教えてよ、春泉さん」
「おい!人の話を聞いてたのか?喋りかけるな、私に触るな!」
自分の体に、何の抵抗もなく浸透する声が直ぐ隣で響き、その焦りで自分の声が裏返る。
「えー、別に女の子同士だし、いいじゃんか。あ、もしかして春泉さん、スキンシップNGだった?」
「いいから、その手を離せ!」
駄目だ、まるで話を聞いていない。
大体なんだ、スキンシップNGというのは、意味が分からない。
誰だって、初対面の人間にべたべた触られるのは嫌なものだろう。
慌ててその両手を振り解こうとするが、この細腕からは想像もつかない力で握られていて、びくともしない。
「あ、私、執行愛。宜しくね」
「知るか、いいから離せ!」
「ねぇねぇ、春泉ってちっちゃいね。身長いくつ?ちゃんと睡眠取って、ご飯も食べてる?」
「余計なお世話だ!」
…確かに自分は小さいけれど。
どれだけ罵詈雑言をぶつけても、執行は決して手を放してくれず、自分の体は無理やり彼女の正面にくくりつけられたままだった。
そうして、自分でも馬鹿みたいなやり取りを繰り返しているうちに、周囲の春泉を見つめる視線が、哀れみに満ちたものに変わりつつあった。
それは春泉を責めるようなものではなく、むしろ、幼子を見守るような、嫌な生暖かさが内包されたものだった。彼女としては、非常に不服である。
そうして見守っていた一人のクラスメイトが、優しい口調で執行を咎めた。
「愛、春泉さん、本当に嫌がってるじゃん。もう勘弁してあげたら?」
その声を皮切りにして、乾いた笑いが教室中に滲んだ。
執行は相変わらず悪いとも思っていない様子で返事をすると、にこにことこちらを見つめた。
「今日からよろしくね?春泉さん」
「は?お前な、こんなことしておいて、宜しくするわけ――」
ないだろ、と口にしかけた刹那、ぽんぽんと頭を撫でられて、思わず、こちらを見下ろす彼女の顔を唖然として見上げた。
何度触るなと言っても聞かないだけでなく、馴れ馴れしく私の頭まで撫でやがった。
もう、我慢ならない。
今直ぐ立ち上がって、胸ぐら掴んでやろうか、と両足に力を込めた瞬間、それが鳴った。
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