同胞の声を、聞き漏らすわけにはいかないだろう? 2
仕事柄、自分の課題と向き合う人と良く出会います。
辛抱強く向き合い、逆境を力に変える人、
上手な付き合い方を学ぶ人…、様々です。
もちろん、そうではない人もいます。
向き合えず、目を逸らし続けてしまう人、
受容と諦めを間違えてしまう人…。
春泉は、どちらになってしまうのでしょうか。
自分の体の中に、これほどの激情がまだ眠っていたことに驚愕を感じる一方、コントロールを失わないように努めている、かすかな自制心の手を離さずにいた春泉は、重ねられた鹿目川の右手を握り返した。
強く、これでもかというほど、強く。
「春泉さん」彼女の顔がわずかに歪む。
「知ったような口を利きますね。普通に生まれついた貴方に、何が分かるんですか」
「分かるわ、少しだけだけど」
「また適当なことを――」
鼻を鳴らした春泉が、相手を射抜くほど鋭く睨みつけた直後、彼女の猫のような目がみるみる大きく見開かれた。
さらりと、鹿目川が髪で隠れている左側の耳を見せつけるように髪をかきあげた。
そこにさらけ出された、美しい形をした耳には、全くもって不似合いな鈍色の器具に視線が吸い寄せられる。
近代的でメカニカルなデザインをしたその器具を見て、無意識のうちに自分の相棒に手を伸ばしてしまった。
「それ…補聴器、ですか?」
ぼそり、とこぼれた言葉が震えていることが、春泉の驚きを如実に表していた。
春泉の呟きを耳にした鹿目川は、軽く返事をしながら頷いた。口元に浮かんだ微笑が、嘘みたいに誠実に映った。
問いかけの後、すっかりと力の抜けてしまった春泉の手を、柔らかく両手で包んだ鹿目川は、そのジェントルな微笑みを絶やさぬまま言った。
「私、片耳だけ先天性難聴なの。左耳だけほとんど聞こえなくて。補聴器なんて付けてるけど、これはほとんど飾り」
笑い事のように言ってのける彼女。全く理解が及ばない。
「どうせ左側は付けても聞こえないの、まぁ付けていたら、救急車のサイレンぐらいは聞こえるけれど」
そんな音、聞こえても仕方ないわよね、とゆったりとした口調で告げる鹿目川を見ていると、本当にどうでもいい話をしているような気分になってしまう。
私の対極に位置するとも言える、聞こえない側の住人の顔をまじまじと観察してしまう。
何か言わなければ、と焦れば焦るほど、鹿目川の黒く澄んだ瞳から目が逸らせなくなる。
情けないし、ぼんやりとしているし、喋るのだってトロトロとしていて頼りのない。そんな、子どもみたいな大人だと思っていた。
だが、今目の前で、自分のハンディキャップを笑って語る鹿目川は、間違いなく大人の女性だった。
余裕ある表情で笑っていた鹿目川は、ゆっくりとその顔つきを真剣なものに変えていくと、一言一句を、一度頭の中で確認してから声を発しているかのように緩慢な、言い換えれば、丁寧な口調で言った。
「私も、春泉さんほどではないけれど、大変な目に遭ってきたわ。苛められたことだってあるし、就職活動だって嫌気が差すくらい難聴について聞かれたことがあるの」
「そう、ですか」気の利いた台詞が言えない自分が、馬鹿みたいだ。
「良い機会だと思え、なんて偉そうなことは言わないわ。でも私は、就職活動のときに本当に困ったから、早いうちから自分と向き合ってもらえたらなって思うの」
現金なものだ。相手が自分と同類だと知った途端に、その言葉が酷く暖かく、善意に満ちたものに思えてくるのだから。
さながら聖書に載っている、神聖な文言みたいに。
だが…。
「でも、ですね、私、自信ないし…正直、その」
「怖い?」格好つけるために口にできなかった単語を、鹿目川が何の遠慮もなく言ったことで、どこか恥ずかしくなり、隠れたい気持ちになった。
「はい」
「正直で宜しい」と突然教師風を吹かしてきた彼女は、雲で隠れた月みたいな、朧気な美しさでまた微笑んだ。「しっかりと、サポートします」
サポート、支援。手伝う。助ける。
その言葉を、今までどれだけ聞いてきただろう。
そして、どれだけ裏切られてきただろう。
期待も、信頼も、一瞬で、砂の城みたいに崩れることを私は知っている。
それなのに、また信じるのか?
馬鹿馬鹿しい、そんなのナンセンスだ。
そう、分かっているのに…。
また誰かを頼りたくなってしまうのは、私の弱さだろうか。
「まあ、聞こえすぎる春泉さんからしたら、聞こえない私じゃ物足りないかもしれないけどね」
おどけたように首を傾げる鹿目川に、反射的に言葉が飛び出る。
「いいです、別に」
変わりたい、そんなご立派なものじゃない。
ただ、彼女に、誰かに縋るための術がこれしかないなら…。
同じ苦しみを背負うことのできる彼女の手を、繋ぎ止める術がこれしかないなら。
「やってみます、鹿目川先生」
これで、三章は終わりとなります。
今後もお付き合いくださると、光栄です。
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