狼の真似をする犬。それにもなれない羊なんです。 1
二面性のある人って、ギャップがあって、私は好きです。
4限目の授業が終わり、昼休みになる。エネルギー補充の時間というわけだ。補充したからといって、昼以降の授業を、意欲ある態度で受けられるとは限らないのだが。
お手製の昼飯が入った弁当箱を手に立ち上がる。それから、教室の出入り口で自分を待つように佇んでいる冬原と、柊の元へと近寄る。
「どうした?行こうぜ」
ここ最近では大した用事がなければ、基本的にはこの三人か、予定のない執行が一緒に昼食を取るのが恒例になっている。
しかし、今日はどうしてか、二人とも妙な表情で直立不動になったまま、資料室へと向かう気配もなかった。
春泉の提案に、曖昧な回答をして逡巡している様子の冬原。その視線の先を辿ると、ぼうっと虚空を見つめている執行の姿があった。
普段は嵐のように騒々しく、あるいは、はしゃぎまわる犬のように落ち着きのない彼女なのに、今は見る影もない。明らかに何かあった様子だ。
チッ、と舌を打つ。
らしくない、ああそうだ、どうにも私らしくない。
ズカズカと、魂の抜けたような執行の前へと移動すると、ゴトン、と彼女の机の上に弁当箱を置いた。
正確には落とした、と言ったほうが適切だったかもしれない。きっと、中に入れていた煮物の汁が蓋面にこびり付いたことだろう。
「おい、飯だ、飯」執行は脚が長いのか座高が低く、立ったままの自分なら十分見下ろせた。「行かねぇのか」
「え、あぁうん。珍しいね、春ちゃんから誘ってくれるの」
今まで白昼夢でも見ていたのかと思えるほど、ぼうっとこちらに焦点を合わせた執行を見下ろし、呆れたふうを装い、ため息交じりに告げる。
「暇そうだから声かけてやったんだよ、食べないのか」
「ん」煮え切らない様子で俯く執行。
どこか、見ていて苛々する縮こまった、そして困惑したような執行の姿。
それに対し、文句を吐き捨ててやろうと息を吸い込んだ瞬間だった。
いつの間にか隣に立っていた冬原が、春泉の肩を軽く2回叩いた。柊にするそれとは全く違う、割れ物を扱うような触り方だ。
少し、壁を感じてしまう。
覗いた冬原の瞳が、ここは任せて、と言っている気がした。
「冬ちゃん…」
執行のガラス玉の内側が、ほんの少し、安堵の陽炎を立ち昇らせたのが分かって、酷く惨めな気持ちになる。
私だって、同じように手を差し伸べた。
なのに、何でこの手を握らない。
普通の人間じゃないからか。
私みたいな人間の手は、握れねぇってか。
「別に来たくなきゃ、お前なんか来なくていい。うるせぇし」
「…春泉さん」
冬原が、春泉の攻撃的な発言を咎めるように、小さく名前を呼んでくる。だが今は、そんな大人の対応すらも、春泉の神経を逆撫でした。
冬原が何か諭そうとする気配を感じたが、それを執行が首を振って制したのを見て、ますます苛立ちは高まる。
今が昼休みで良かった。
もしも授業の合間の、10分程度の休み時間だったなら、クラスメイトの好奇の視線が自分たちに注がれていただろう。
もう一度、静電気みたいな舌打ちをする。パチッと弾けた黒い感情を制御しきれず、わざと机にぶつかるようにして廊下のほうへと向かっていく。
「ちょっと、どうしたのかしら?」
明らかに機嫌を悪くした春泉は、柊の声掛けを無視して廊下を真っ直ぐ、資料室の方角へと大股で歩いて行った。
胸中に、黒ずんだ感情が渦巻いている。
自分でも制御できなければ、名前を付けてカテゴライズすることもできない、石炭みたいな感情。
こんなもの、さっさと飯と一緒に流し込んでしまおう。
そう思い資料室の扉の前に来てから、鍵がなければ扉が開かないことを思い出した。資料室の鍵は、いつも生徒会長である柊か、その相棒である冬原が持っている。
深い溜息を吐き出しながら、頭と両手の拳だけで扉にもたれかかる。ズルズルと下に下がっていく小柄な肉体は、どうしようもなく脆弱だ。
中身も外も、自分の思い通りに動いてはくれない。
「鍵、開けられないわ。ずれてもらえる?」すぐ後ろで誰かが言う。大人しく従い、横に避ける。「子どもみたい、全く」
オブラートを忘れた言葉は不愉快だったものの、その後、自分へ中に入るよう促した柊の表情が慈愛に満ちていて、牙を抜かれたような心地になった。
机の上に即座に弁当を広げて、流し込むように口内へ突っ込む。自信作だったはずの煮物も、砂を噛んでいるみたいに味気ない。
肌寒いこの一室は、四人で閉じこもるには狭いが、二人だとかえって広すぎる。両側の壁に沿って並べられた寡黙すぎる事務機が、じっと彼女らを見つめていた。
春泉に比べ、一歩遅れて昼食の準備をした柊は、始めの数分間は無言のまま咀嚼を繰り返していたのだが、弁当の四割程度を胃に運んだ辺りで口を開いた。
「何をそんなに怒っているのかしら?」
ちらりと、柊を上目遣いで覗く。
「怒ってる人間に、どうして怒っているのか尋ねるのは逆効果だと思うがな」
「いいから、言ってみなさい」
まるで、保育士が幼児をなだめるように告げる。
言ってどうなるとも思っていなかったが、事情を口にするまで、柊は退かないだろうことを、その上品な仮面の奥で煌めく黒い瞳を見て直感した。
しばし、どうするべきか考えを巡らせる。結局、説明してもしなくても、どうせ自分には関係ないと判断して、事情を伝えることに決めた。
「執行の奴、私が気を利かせてやったときは微妙な反応してたくせに…」
執行の困ったような、迷っているような表情が、振り子のようにして、再び自分の記憶のど真ん中に姿を現した。
むしゃくしゃしながら、足を組み替える。
その勢いが強すぎて、半ば大テーブルを蹴り上げるような形になってしまったが、元々非力な自分程度の蹴りでは、何の問題にもならなかったようだった。
「冬原が来た途端、アレだよ。そんなに私なんかの手は借りたくないかねぇ」
冬原への嫉妬のような発言になってしまったので、些か自重すべきだという冷静な思考が首をもたげた。少なくとも、柊は良い気持ちにはならないだろう。
柊が嫌な顔の一つでもするかと思っていたが、意外なことに彼女は真剣そのものといった顔つきであった。
そして、顎に人差し指を当てて唸ると、何かしら結論が出たらしく顔を上げて口を開いた。
「そういうことじゃなくて、単純に夕陽のほうが相談しやすかったんじゃないかしら?」
随分、ハッキリと言ってくれる。
つまりそれは、自分よりも冬原のほうが頼りがいあると判断された、ということを意味するのではないか。
「は、どうせ私みたいな出来損ないの助けなんて、借りたくないんだろうよ」
コンコン、と自分のヘッドフォンを片手で二度ほど叩いてみせる。
くぐもった音が、ヘッドフォンと自分の耳との空間に木霊する。
出来損ない、という投げやりな発言に顔をしかめた柊は、一瞬だけ明らかな嫌悪感を示したものの、瞬時に元の上品な大人ぶった女性に戻った。
「そんなことないわ」
「どうしてそう言い切れる?どうせ執行だって、私を使って、『可愛そうな人間を助けている優しい自分』を手にしたかっただけだろ」
昨日の執行の顔が、様々なシーンを背景にして浮かぶ。
遅刻してもまるで反省する様子のない顔。
自販機コーナーで、無駄に理屈をこねくり回してきた彼女。
人とぶつかりそうな私を、抱きとめたときの執行。
何度言っても聞かない私に、怒った顔。
映画館で見せた、少し自信のない顔。
馬鹿馬鹿しい、何を同列で考えていたんだ。
私は、執行とも、目の前のコイツとも、冬原とも違う。
普通の日常生活を、普通に過ごすことすら覚束ない、ただの…。
春泉の中に、揺らめく黒い感情が、烈火のごとく燃え上がった。
「アンタも、出来損ないを助けてやるのは、楽しいかよ」
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