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ヘッドフォンを外して  作者: an-coromochi
序章 音なんて、クソくらえだ。
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音なんて、クソくらえだ。 2

職業上、聴覚過敏の方と関わることがあります。


本人にとっては、大変なことだとは分かるんですが…、


小さな物音でもビックリしている姿を見ると、

何だか可愛らしいなぁ、と思ってしまいます…。


すいません、人間失格ですね。


では、お楽しみを。

 これ以上は、時間の無駄である。


 遅刻することなどどうでもいいが、こんな寒いところにいつまでもいたくない。


 春泉は、立ち尽くしたままの女性を置いて先へと進んだ。当然ながら、ヘッドフォンは外さないままである。


 メトロノームが時を刻むように、一定のリズムで足を進める。そんな春泉の後を慌てて追いかけてきた鹿目川が、目にかかった前髪を片手で払いのけながら尋ねた。


「どうしても外したくないの?」

「ええ」淡白に返す。「そもそも、そういうお話だったはずです」


「でも、春泉さんのほうでも可能な限りの歩み寄りと、理解してもらえる努力は行う、っていう話だったとも思うけれど」


 鹿目川の印象に対して、意外なほど冷静な返答が返って来て、春泉は多少驚いた。


 彼女は無言のままの春泉を見据えると、もう一度念を押すように聞いた。


「それを外すのは、可能な歩み寄りではないのね?」


 痛いところを入念に突いてくるな。間抜けな大人だと思ったが、さすがに大事なところはしっかりしているものだ。


 自分と彼女の差は10歳ほどもない。きっと25、6歳ぐらいだろう。


 十年ほどの月日が、自分と彼女を隔てているのであれば、同じだけの時が過ぎれば、自分もこんなふうに間抜けな顔ができるようになるのだろうか。


「…分かりました」


 女性の柔らかな微笑みが、次第に自分を弱く見せる擬装に思えてきて、春泉はうんざりしたような表情でそっぽを向いた。


 心の中で、やればいいんだろ、やれば、と投げやりに呟きつつも、丁寧な手つきでヘッドフォンを外す。


 音の奔流が、四方から流れ込んでくる。それを意識しないように、違うことを考えようと努力するが、それも徒労に終わる。


 まあ、そもそも意識するだけで変わるなら、誰も苦労していない。


 がやがやとした、蠢くような集団の声。

 椅子や机が床に擦れる音。

 笑い声、奇声、澄んだ歌、荷物を置く音。


 …歌?


 自分の意思に反して、勝手に何でも拾い食いする音の中に、あまりにも他と違うものが混じっていて、思わず、その声のしたほうを振り向く。


 自分たちが来た方角から、呑気に歌を口ずさみながら少女が歩いてくる。


 本当に自分と同じ日本人なのか、と疑いたくなるぐらい色素の薄い長髪。それを片側だけ耳にかけ、弾むような動きでやって来る少女。


 この距離からでも、明らかに自分とは違う人種なのだということが一目瞭然である。それほどまでに、少女のまとっている雰囲気は爛々として眩しいものだった。


 彼女はこちらに気が付くと、嬉しそうな笑顔で、掌を手首だけで動かしたのだが、その仕草があまりにも珍妙すぎて、何だか腹立たしかった。


 小走りになって近寄って来た彼女は、ちらりとこちらを向くと「おはよう」と馴れ馴れしく声をかけてきた。


 そのときだった。

 背筋を、痺れるような感覚が襲った。


 ――この、声音、ぞくぞくする…。


「もう、おはようじゃないでしょ執行(しぎょう)さん。遅刻よ?」眉間に皺を寄せて、一応怒った顔を鹿目川が浮かべるも、執行と呼ばれた少女は、朗らかに笑うばかりだ。


「ごめん、ごめん。かなちゃん、そんなに怒らないでよ」


 どう考えても反省の色はない。いや、そもそもこの人が言えたことではないとも思うが。


 …それにしても、と春泉は目を細め、執行を横目で睨んだ。


 酷く、澄んだ声だ。澄み渡りすぎていて、逆に不愉快な感じがする。


 おかしな話に聞こえるかもしれないが、純度が高すぎるのも、人間にとってはかえって毒というものだ。


 澄み切った水では、生きられない魚がいるように。

 無菌状態では、人がまともに生きられないように。


 嫌な透明感のある声だ。


 自分のような泥水側の人間からすれば、出来れば近くにいたくないタイプなのは間違いない。


 …というより、この声を聞いていると、鳥肌が止まらないのだ。

 不快、ではないが、落ち着かない。


 こちらが見ていたことに気が付いたのか、執行が真正面から自分を見返してくる。

 視線が合ってしまい、慌てて目を逸らす。


 鹿目川がまだ何か小言を言っているにも関わらず、それらをことごとく無視して、執行が呟く。


「うわぁ、可愛い子だ」少し前かがみになって、こちらを覗き込んでくる。「目、大きいね。猫みたい」


 ぞわりとする感覚に、変な声が出そうになる。


 その言葉に反射的に眉間に力が入り、じろりと相手を見返す。


 そういう彼女だって目の大きさは負けていない。ついでに言うと態度もでかい。身長も160cm後半はありそうだ。150cmギリギリしかない自分に比べたら、雲泥の差である。


 誉め言葉のつもりなのか知らないが、鬱陶しい声で喋りかけられると全部が全部、馬鹿にされているような感じがしてくる。


 こちらの不機嫌さが伝わったのか、執行は悪びれる様子もなく笑いながら謝罪を口にすると、「じゃあ、また」と二人を追い越して、直ぐそこの部屋に入っていった。


 隣でまだ小言を言っている鹿目川だったが、その表情からは微塵も苛立ちや怒りは感じられない。むしろ、子どもを可愛がるような優しい微笑みが浮かんでいる。


 どう見ても、子どもがいるような年齢には見えないが。


 気を取り直した女性に促されて、執行の後を追うように自分も目の前の扉に近づいてく。


 先に鹿目川が扉を開けて中へと進む。扉が開く音に続いて、音痴の合唱みたいな喧騒が両耳に響き、心臓が強く跳ねた。


 今すぐ、この場から逃げ出したい衝動に駆られる。


 当然、そんなことをしても何も解決しないことは分かっているし、かえって面倒事が増えるのも分かっている。


 繰り返し深呼吸をして、少しでも精神が落ち着くように努めるが、まるで効果はなく、ますます鼓動は激しくなる。


 情けない、ビビっているのか。


 何を恐れるんだ。


 恐れているのは、何かを期待しているからだ。恐怖の根本に、こうありたい、こうしてもらいたいという望みがあるからだ。


 期待なんかするな、自分にも、他人にも。


 その一心で春泉はぐっと歯を食いしばり、震えそうになる手先を制御しようと試みた。


 すると、ほんの少しだけ震えが止まり、心なしか鼓動もさっきよりかはスローテンポになった気がする。


 自分の体なのに、自分の思い通りに操れないことが酷く腹立たしい。


 扉の向こうから、自分を呼ぶ声が聞こえる。


 …いよいよだ。


「ビビるなよ、…どうせチンケな舞台だ」


 また独り言が漏れてしまうが、それで不思議と落ち着いた。


 大丈夫だ、客寄せパンダは慣れている。

 最初が肝心、だったなと苦笑いがこぼれた。


「はい」小さく返事をして、部屋に足を踏み入れる。


 突き刺さる好奇の視線も、決して愉快なものではないが、先ほどの喧騒よりかは遥かにマシだ。


 ゆっくりと中央に移動し、正面を向くと、さっき見たものと全く同じ動作で手を振る執行が視界に入って、眉間の皺が濃くなる。


 自分の動きが止まったのを見て、鹿目川が一通りの説明を行った。


「春泉さんがヘッドフォンを学校に持ってきているのは、少し特別な事情があるからです」


 特別な事情、という言葉に引っかかるものがあったが、そこを訂正させることは恐らくナンセンスだ。


 彼女が、春泉のほうへと視線を投げて頷いた。


 ここから先は自分の番だということだ。


 静まり返った空気が心地いい、とまでは言わないが、何とか冷静さを保てるレベルではあった。


 小さく息を吸う。


「今日からこちらに転校してきました、春泉理音です」


 クールに、ゆっくり。いつも通りでいい。


「私は少し、普通の人よりも耳が過敏であるという病気を持っています」


 普通、病気。


 自分の口にした言葉に、脳味噌が拒否反応を起こすのを感じつつも、どうせこう言ったほうが伝わりやすい、というのも理解していたのでぐっとこらえる。


 周囲の自分を見る目が、一瞬で変わるのが肌に感じられた。


 好奇、憐憫、同情、蔑み。


 ああ、くそったれ。


 この瞬間が、一番嫌いだ。

読みづらかったり、もっとこうしたほうが良い、という意見がありましたら、是非お寄せください!


ご意見・ご感想、ブックマーク、評価が私の力になりますので、


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