こんなん、デートなんかじゃねえし。 3
ショッピングモールなんかで、
友人やパートナーが誰かとぶつかりそうになっていると、
必要以上に心配してしまい、鬱陶しがられる私です。
こつん、と春泉の手の甲を執行の人差し指が叩いた。まるでノックするかのようにして呼び止められたことで、春泉は顔を上げた。
「あ、何?」思わず、気の抜けた普通の返しをしてしまう。
「春ちゃん、こっち」
ぐっ、と彼女のほうへ引き寄せられる。
高身長なだけあって、力も自分よりかなり強い。身長と腕力が比例している話など、あまり聞いたこともないのだが。
癖毛を積んだ頭が執行の胸元にダイブしてしまい、一体何が起こっているのか分からなかった。
柔らかいな、というつまらない感想だけが脳味噌に浮かんだ後、ハッと自分の置かれている状況を理解し、執行から体を引き離そうと、必死に両腕に力を込めた。
「ちょ、てめぇ」怒鳴り声を上げそうになった瞬間、執行が今までに聞いたことのない声音で言った。
「すみません」
穏やかで他人行儀な、丁寧さだけにフォーカスして作り出されたような、聞きやすい声だった。それと同時に、軽く彼女が頭を下げる。
鼻先を、執行の色素の薄い、茶色っぽい髪がくすぐる。どんなシャンプーを使っているのだろう、とても良い匂いだ。
香りに気を取られていた春泉の横を、ベビーカーを押した若い夫婦が、頭を下げながら通り過ぎていった。
どうやら、気付かないうちに通路を塞いでいたようだ。
春泉は申し訳なさと気まずさで顔を赤らめながら、上目遣いで執行を見上げた。
ヘッドフォンをしていたことで、全く周囲に意識が行き届いていなかった。自分としたことが、こうして相棒を常用する上で、基礎的なことなのにうっかりしていた。
「し、執行」
一先ず素直に謝罪しようと思った矢先、目を大きく見開いた執行と視線がぶつかる。それに引きずられるようにして、春泉のほうも目を丸くする。
「な、んだよ。その顔」
「あ、いや、ごめん。初めて名前呼ばれたから」
春泉は、「びっくりしちゃった」とはにかむ執行の腕から無理やり逃れ、距離を取った。その拍子に、別の客にぶつかりそうになって慌てて頭を下げる。
爆発的に高鳴る鼓動が、自分の物じゃないみたいに思考の自由を奪い去る。自分の体なのに、まるでコントロールの効かない四肢が忌まわしい。
一体どうしたというんだろうか、何故、私はこんなにも動揺しているのだろう。
きっと、久しぶりにこういう大型施設に来たから、感覚が麻痺しているに違いない。そうでなければ、説明がつかないほど落ち着かず、そわそわしたまま視線が定まらない。
状況と思考を整理しようと、執行から距離を取っていた春泉だったが、当の本人である執行が近寄ってくる。
彼女のほうは、人に当たりそうになる気配はない。
「ああ、ごめん。急に抱きしめたらビックリするよね」
「べ、別に」強がりと自覚しながら口にする。「あれ、じゃあ問題なかった?」
思わず強がりを続けそうになったが、ここで肯定すると、執行は調子に乗って学校でもくっついてきそうだったため、少し驚いただけであると訂正した。
「じゃあ春ちゃん、何から見よっか」本来の目的を覚えていたらしい執行が問う。
「…とりあえず、食料品から」
「へぇ、もしかして春ちゃん、料理とかできるの?」
「もしかしてって、何だよ。できちゃ悪いか。っていうかお前、この間、私の作った玉子焼き勝手に食っただろうが…」
「あぁ、間接チューの…」人差し指を、自身の唇に押し当ててニヤける執行。
「うるせぇ、どうでもいいだろ、こんなこと」
不貞腐れた様子で、地下へ向かうエスカレーターに足を乗せた春泉は、くるりと執行のほうを振り向いた。
ただでさえ20cm近い身長差があるのに、階段一段分の差が加わると、もう、太腿に向かって喋りかけているに等しかった。
執行は、ロングスカートがエスカレーターの隙間に巻き込まれないよう視線を落とし、適当な相槌と共に言った。
「うぅん、いいねぇ、ポイント高いね」
「何のだ、勝手に点数つけんな」
地中に向かって下りていく、機械の振動を手すり越しに感じながら、相変わらず可愛げのない男勝りな口調で告げる。
「何のだろう、やっぱり素敵な女性の?」
童女のようにあどけない顔で、頬に指を添えて首を傾げる執行。
「知るかよ、私に聞くな」
トン、と一段飛ばしで地下一階のフロアに着陸する。
すでに辺りは食料品で囲まれており、パン屋や和菓子店、アイス屋など、イートインのコーナーも充実していた。
当たり前のことではあるが、食料に関してはここで軒並み揃えることができそうだ。
このショッピングモールなら、降りる駅が同じだから学校帰りに寄っていくことも容易い。
そんな考え事をしていると、また人にぶつかりそうになった。
どうも感覚が鈍っているようだ。
人と人との距離感を遠目に測ることなんて、得意中の得意だったはずなのだが。
それを見かねた執行が、「春ちゃん、危ないよぉ?」と呑気な声で言った。
辺りの喧騒は、きっと自分が想像している以上に大きいはずなのに、執行の声はヘッドフォンのノイズキャンセリングを通しても、ちゃんと聞こえてくるから不思議だ。
直接聞けば、ゾッとするような感覚を走らせる執行の声。
こうしてワンクッション置いて耳にするぶんには、まるで、自分を導く篝火のように暖かく輝いているようだった。
ふと、自分の考えたことが、執行の存在自体を激しくポジティブに肯定しているようなものだと気づいて、慌てて首を振る。
それを見ていた執行は、おかしそうに笑った。
「変な春ちゃん。何してるの?」
「…ほっとけ」
執行はさっと周囲を一瞥すると、淡白な口調に変わった。
「日曜日じゃなくて、平日に来たほうがいいかもね。多分、今の春ちゃん見てると、人が多いのはちょっと危ない気がする」
まるで、数字を確認して公式に当てはめたような、無感情な調子だ。ただのデータ理論のような、そんな気がした。
「おいおい、お前は私の保護者か」
「因縁吹っかけてくる連中もいるからね、気をつけなくちゃ」
聞いちゃいない、と春泉は肩を竦める。
「はぁ、心配しすぎだろ」
どうでもよさそうに言い切った春泉に対して、執行が急に感情を露わにして言った。
「そんなことないよ。春ちゃん本当に可愛いんだから、冗談抜きで気をつけなきゃだよ」
鬱陶しい、と切り捨てようかと思ったが、執行の顔が想像以上に真面目腐った様子だったため、大人しく首を縦に振って、それに従う姿勢を見せた。
満足そうに、執行は微笑む。
一通り一階を見てまわる。それから、上階へ戻るエスカレーターに乗ったときに、次は何を見たいのかと執行が尋ねた。
正直、食料品以外の生活必需品は、別にネット通販でもいいかと思っていたので、特に他は考えていなかった。
それを伝えると、執行が、「折角なら、衣料品と生活雑貨も見ようよ」と提案したので了承する。別に断る理由がなかったためである。
これだけのために休日を浪費させたとなっては、さすがに執行相手でも心が痛む。まあ、勝手に案内を買って出たのは執行なのだから、そんなに気を遣う必要もないとは思うが。
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