人の話を聞かない私が悪いんだけど…。 1
それでは、プチデート編、始まります。
学校が始まってから初めての金曜日。この曜日の夕方は心踊るというのが、時間に縛られている人間の特権なのかもしれない。
もちろん、そうではない生活リズムの人間もいるだろうが。
ヘッドフォンを付けて過ごしている奇怪な女、というのも、意外に早くクラスに馴染むもので、もう誰一人としてそれに突っ込んでくる人間はいなかった。
クラスメイトたちはどちらかというと、自分に対して寛容で、生温かかったのだ。
まあまあなレベルの進学校なだけあって、そこまで阿呆な人間も、そんな無駄なことに時間を費やす人間もいなかった、というのは大きな救いではある。
こういうときだけは、ある程度勝手に回ってくれる、平均以上の脳味噌を讃えてあげたくなる。
さて、と荷物を持って立ち上がる。整然と並んだ机の間を縫って、目的の相手のそばまで近寄った。
バタバタと帰り支度を済ませている彼女なのだが、どうしてか、いつも時間がかかっている印象があった。
まるで冬支度を行っているリスみたいだと、彼女より小さい春泉は想像した。
春泉が近づいてきたことに気づいた彼女は、パッと顔を上げて、ほんの少し口元を緩めた。奥ゆかしい笑い方である。
「冬原、今時間あるか」
できる限り落ち着いたトーンで声を発するよう意識する。どうしてか彼女の前では、肩肘を張ってしまいがちだ。
同じ精神レベルで言葉を交わしたい、という思いが強いようだと自己分析する。
「大丈夫だよ、どうしたの?」
予めヘッドフォンをずらしてあるため、彼女の声もよく聞こえた。
何かと力を借りる冬原との会話を考えたら、程良いノイズキャンセリング機能に調整しておくべきかとも、最近思う。
自分らしくはないが、これも学校側と約束した可能な限りの歩み寄りだろう、と自らを納得させて話を続ける。
「執行に聞いたんだが、お前一人暮らしをしてるって本当か?」
「え?」一瞬目を丸くした冬原は、そのままの表情で続けた。「うん、でもそれがどうかしたの?」
「私もこっちに転校してきたときに、一人暮らしになったんだが――」
「え!春ちゃん一人暮らしなの?」
一番知られたくない人間に知られた、と声がした方向を振り向くと、案の上、執行が間抜けに開いた口に右手をかざしてこちらを見ていた。
それからぐんぐんと、呼びもしていないのに二人のほうへ近寄ってくる。
改めて近くで見ると、本当に身長が高い。特に自分と冬原のそばにいては、尚のこと大きく感じられる。
「そうだけど、何だよ…、お前に関係ないだろ」
「あるよぉ、私は春ちゃんの友達一号なんだから、ちゃんと招待してくれないと駄目じゃん」
頬に手を当てて、泣きそうな顔を作った執行が言う。
「するわけないだろ、馬鹿」
さっとヘッドフォンを戻しながら、そう吐き捨てる。
二人のやり取りを輪の外から見ていた冬原に話の先を戻して、本題を進める。
「それで、私まだこっちに越してきたばかりだからさ、どこにどんな店があるか教えてほしいんだよ…」
ぼそりと、「迷惑か?」と付け足す。
「迷惑じゃないんだけど、説明かぁ、難しいね」
できれば、その場に案内して教えて欲しいものだが、さすがにそこまで甘えるのは気が引けるし、そもそも、冬原と二人きりで街に繰り出すのも気まずい。
どうしたものかと次の言葉を考えているうちに、執行が名案だと言わんばかりに手を叩いて言う。
「口で説明するのが難しいなら、実際に連れてってもらえば?」
余計なことを言うな、と執行を横目で睨むも、善意からの発言だからか、きょとんとした顔で冬原の返事を待っていた。
言葉を向けられた冬原が少し困った顔をしているのが見えて、慌てて口を挟む。
「いや、そこまでしてもらわなくてもいい。場所さえ教えてもらえれば、何とかなるから」
なるだろうかと考えながら、肩に掛けた学校指定のバッグの紐を担ぎ直す。
ほとんどの教材を引き出しか、教室のロッカーに入れたままにしているから、かなり軽い。
周囲からはこの週末何をするのかという、高校生らしいお気楽な話題で賑わっていた。
やれどこの喫茶店がお洒落だとか、あそこの店が今流行の服があるだとか、はたまた部活で2日とも潰れちゃいそうだとか。
それを耳にしながら、春泉は少し先で待ちぼうけをくらっている未来を想像する。
きっともう10年もしないうちに、土曜も日曜も、下らない何かに縛られて生きることになるのだろう。
ふと、毎日毎日仕事に出ていた父の姿がよぎった。
稼ぎが良いのは子どもながらに分かっていたが、だから忙しかったのではない。
どうせ、あそこではない、違う家に帰りたがっていたにすぎないのだ。
下らない、結局、どうなろうと人間は勝手だ。
どれだけ年月を重ねようと、それが成長に直結することがないのが人間だ。
つまらない人間に用意された、つまらない道。
父も母も、きっとそれが嫌で好き勝手にするのだ。
きっと、前の学校で突っかかってきた奴らも。掌を返したあの子も同じだ。
そうすることで、つまらない、退屈な世界を変えられるとでも思っていたのだろうか。
そう考えると、愚かすぎてむしろ悲劇的とも思える。
「ごめんね、本当は連れて行ってあげたいんだけど、週末はちょっと…、蝶華と用事があるから」
ヘッドフォンの奥で冬原が何か言っているのが聞こえるが、ノイズみたいに途切れ途切れで、ロクに聞き取れない。ただ、その下がった眉から、やんわりと断られたのは察することができた。
どうしてそんな顔をするのか、春泉には不思議だった。
まだ知り合って一週間もないクラスメイトのために、誰が貴重な休日を割くだろうか。
軽く首を振って、別に構わないと伝える。ちゃんと声に出ていたかは少し自信がなかった。
「デート?」下らない質問を執行がする。「え?」
さっきとは違う表情で驚いた様子の冬原は、彼女が頻繁にしてみせる、困ったような笑顔を浮かべると、「そんなところかな」と軽くあしらってみせた。
「そっかぁ、じゃあ仕方ないね」
冬原の言葉を本気にしたのか、執行がオーバーに両の掌を天井に向けて言った。
お前はアメリカ人か、とも突っ込みたくなったが、過去の腐臭漂う記憶のせいで、口を開くのが億劫だったのでやめた。
ああだこうだと春泉を置いて話を始めた二人を意識から追い出し、思考の海へと身を投げる。
確かに冬原と、隣のクラスの柊は傍目から見ていてもとても仲が良かった。だが、そういうふうに、二人の関係性を穿った視点で見るのは、些か無粋な気がする。
ただの親友というふうにも見えたし、仮に二人の関係がそうした恋情を伴ったものであったとしても、周りの人間には何の影響もないのだから、放っておけばいい。
結論を言うと、つまり。
「どうでもいい」
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