ここから先は、立ち入るなよ。 4
こちらで一章は終わりとなります。
まだまだ序盤ですが、
今後もお付き合い頂けると光栄です!
さてどうしようか、と目を半分ほど閉じて思考していると、執行と柊に返答を催促されてしまい、仕方なくありのままを語ることにした。
「この二日間でご承知の通り、私の耳は普通の人間より繊細なんだよ。それこそ、砂でできたお城並みにな」
我ながらスカした言い回しだと思ったが、彼女らはそれに関して、誰一人として反応することはなかった。
資料室に入ってから、初めのうちはひんやりとした空気だったこの部屋も、今ではもう、ゆっくりするには十分な温度にまで上がっていた。
この広くはない空間に四人もいて、話をしていれば、多少は部屋も温もって然るべきだろう。
「でも、私みたいに聴覚過敏を持った人間の全てが、同じ音に反応して、苦しむわけじゃない」
思いのほか、真剣に話を聞いている三人に向けて、人差し指を立てる。
「人によって苦痛になる音は様々。もちろん、共通して嫌う音ってのも、あるにはあるけどな」
「え、じゃあ、執行さんの声は苦痛極まりないってこと?」
「嘘ぉ、私、声綺麗だと自負してるよ?」
「…それを自分で言うのは、どうかしらね…」
柊の言葉に、察しがいいじゃないかと返しそうになったが、その表現では少し齟齬があると判断し、こめかみの辺りを掻きながら訂正する。
「苦痛…ってのは違うな。コイツの声は澄みすぎて、そのまま頭に響いてくるっていうか、尻でも撫でられているというか、背筋がゾクッとするというか…。うぅん、思わず体が反応するというか…」
言葉を整理しながら、少しでも自分の感覚を正確に伝えられる言葉を探すが、あまりしっくりこない。
尻、という単語に苦笑いを浮かべた柊に気付かないまま、とことん自分の中にある正解を探し続けていると、目の前の冬原がぼそっと呟く。
「それって、何だか…」
そこで言葉を区切ると、何でもないといったふうに首を左右に振る。
「どうしたんだよ?」
「あぁー!冬ちゃんが言いたいこと、私、分かる気がするよ」
冬原の代わりに手を上げて返事をした執行の声に、びくっと腰が浮く。
「急に喋んな!」
「ごめん、ごめん」
大した謝意も誠意も感じられない明るい声を上げた執行は、どこか揶揄するようなねっとりとした笑みを浮かべると、わざとらしく緩慢な速度で言った。
「それって何か、ヤラシイ感じ」
「あ?」意味が分からなかったが、舐められていることだけは直感できた。「どういう意味だよ」
執行は両手で頬杖をつきながら、その掌の上に頭を乗せ、ニヤニヤ笑いながら続けた。
「感じてるみたい。やぁん、みたいな?」
「ばっ――」珍しく執行の声が気にならないくらい感情が昂り、激しく言葉を詰まらせながら、何とか返答する。「ば、ば、馬鹿!そんなわけねぇだろ!殺すぞ!」
あまりにも品のない言葉遣いだったからか、大声を上げた春泉を、冬原が落ち着いた声音で咎める。
「春泉さん、冗談だから、落ち着いて?」
これが落ち着いていられるだろうか。
まるで自分が変態みたいな扱いを、この阿呆みたいな女に受けているのだ。
それに、ここで引き下がってしまっては、こちらの沽券に酷く関わってくる。
こういう話が苦手そうに見えた冬原が、意外にも平気な顔をしている一方、勝ち気な態度が散見された柊のほうは、顔を真っ赤にして、視線を右往左往させていた。
斜め前に座っていた柊は、自分は関係ないと言わんばかりに携帯を取り出し、目を落としていたのが、どう見ても裏表が逆だ。
携帯に付けてある、雪の結晶を象ったキーホルダーがディスプレイに当たって、コツコツと音を立てていた。
気が付けば、執行以外は昼食を終えていた。
「さてはお前、私が小さいからって舐めてやがんな!」
「舐めてないよぉ、可愛いじゃん、小さくて。私、小さいの好きだよぉ?」
胸の前で半円形を作る仕草をする執行に、ますます怒りが募る。
「私の何が小さいって言うんだよ、ええ?」
「まあまあ、いいじゃん。ほら、ミニマリストだから、私」
「言葉の意味が違うし、後、煙に巻こうとすんな、大体お前――」
溢れ出る怒りを叩きつけようと立ち上がりかけたところで、執行が短く春泉の名前を呼んだ。
一度や二度では春泉の勢いは止まらなかったが、三度目には、顔をしかめて返事をした。
「何だよ、言い訳は聞かねえからな」
「違う、違う」
執行は、トントンと自分の右手首を人差し指で二度ほど叩いた。
一瞬、その意味が分からなかった春泉だったが、数秒後にはその意図を悟り、パッと壁にかかった時計を見上げた。
時刻は12時54分。
つまり、昼休みが終わる5分前のチャイムが鳴る寸前だというわけだ。
その事実に慌てて目の前のヘッドフォンを引っ掴み、自己最速ではないかと思える速度で両耳に当てた。
それを不思議そうな顔つきで見つめていた目の前の二人に、理由を説明する間もなく、耳の遠くのほうでチャイムの音が鳴った。
数秒間、その地獄のラッパが鳴り終わるのをじっと待つ。悔しいが、執行のおかげで難を逃れることができたようだ。
チャイムが鳴り終わったところで、春泉は複雑な顔のまま、隣に座っている執行のほうを振り向いた。
礼を言うつもりはないが、何か言わなければ、という日本人的な強迫観念を感じて、口を開きかけた。だが、そんな春泉の先手を打つように執行が言った。
「どう春ちゃん?私もちょっとは役に立つでしょ?」
いかにも褒めろ、と言いたげな表情に、チッと舌を打つ。
「小指の先くらいには、な」
「素直じゃないんだからぁ」
「うるせえ」
実際、よく気づいたなと感心したのも事実だ。
時間なんて気にしていないという雰囲気のくせに、どうやら執行は、間抜けでガサツな振る舞いに反して、神経質なようだ。
何はともあれ、時間が迫っている。
一先ず、食べ終わった弁当を片付けて、教室に戻る支度を整えなければ。
そう考えて片付けを始めた矢先、執行がハッとした口調で言った。
「どうしよう、春ちゃん」
「あ?何だよ。っていうか春ちゃんって呼ぶな」
返事のついでに、執行が勝手に付けたあだ名に抗議を入れる。
「私まだ、ご飯食べ終わってない」
衝撃の事実を口にするかのような様子で、どうでもいいことを告げた執行へ向けて、口元を歪めながら返す。
「ご愁傷さま、授業中に腹でも鳴らしてろ」
春泉と執行の、不仲なのか、仲が良いのか分からないやり取りを観察していた冬原は、未だに顔を赤くしている柊を見つめて、苦笑いを浮かべるのだった。
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