ここから先は、立ち入るなよ。 3
もう少しで、一章は終わりです。
だらだらと文を編んでいますが、
お付き合い頂いている方がいましたら、
本当にありがとうございます。
ぞわりと背中を撫でられるような響きと共に、執行が歯の浮くような台詞を吐いた。
「私、春ちゃんを学校の廊下で見かけたときから、仲良くなりたいなぁ、って思ってたんだよね。あれだよ、唾つけてたってやつ」
「死んでも御免だな。お前に唾を付けられるなんて」
それを苦虫でも噛み潰したような顔をして聞いていた春泉は、一言だけ皮肉を言うと、食事を次々にかき込んでいた。
執行の明らかな冗談を真に受けたらしい柊は、あんぐりと口を開けて、数秒間押し黙っていた。やがて、元の上品な作り笑いを貼り付けると、執行の冗談を軽い口調で咎めた。
執行と柊、それから、傍観者のように黙って見つめている冬原を放っておいて、カーテンの隙間から見える外の風景を観察する。
体育館のかまぼこみたいな屋根が半分ほど見え、静まり返った校門が確認できる。2月の冬空は、部屋の隅で固まった埃の塊と似ているように思えた。
どうにも自分らしくない、と春泉は、そのまま視線を正面の冬原に向ける。
童顔のくせに、落ち着き払った態度がとてもアンバランスな印象を受けるが、不思議と違和感はない。
これはあくまで推測だが、おそらくは冬原の精神年齢が、見た目を軽く凌駕しているというだけに過ぎないのだろう。
次に、その隣に座っている柊へと視線を向ける。
彼女のほうが見た目はずっと大人びているのだが、時折覗かせる見え透いた作り笑いは、未熟な少女であることを象徴しているようにも感じた。
ただ、そのルックスは、この場の誰よりも大人のそれに近い。
最後に、自分の隣にいる迷惑極まりない、招かれざる客人を観察しようと首だけ動かして視点を移す。すると、執行はいつの間にかこちらをじっと見つめていたので、一瞬だけ心臓が収縮した。
いつから見てたんだコイツ、と正面に顔を戻すも、目の前の二人も自分を見つめていたので、もしかすると、こちらに話が振られていたのかと思い至った。
音を立てて再起動を開始した脳味噌で、何とか言葉を絞り出す。
「何」
苛立ったような問いに、冬原が何か言っているようだが上手く聞き取れなかった。
どうしたものかと考えていると、隣にいる執行が不審がるように提案した。
「ねぇ、ヘッドフォン外さないの?静かだし、外そうよ」
人の気も知らないで、簡単に言いやがる。
執行の言葉に顔をしかめた春泉だったが、続いて柊も同じように提案したため、いよいよ面倒なことになってしまった。
もうこんな奴ら無視して、さっさと教室に戻ろうかとも思ったが、目の前でじっとこちらを見守っている冬原の存在を意識して、どうしてだか、それができずにいた。
しばらく黙ったまま、自分の脳内議会で採決を取ったところ、結局、折衷案を示すことで結論が出た。
「いいけど、お前、絶対に黙ってろ」執行を顎で指す。
「え、何で私?」とビックリした顔の執行。「自分の胸に手を当てて聞いてみろ」
すっ、と言葉通り胸に手を当てた執行は、何を誤解したのか、「春ちゃん…、小さいもんね」と呟いた。
妙な哀れみに満ちた顔を殴りつけても良かったのだが、プラスマイナスしても、最後はマイナスになる気がしたので、やめておいた。
「いいから黙れ。そうじゃないなら外さない」
「ぶー」
一体どんな意味があるのか不明な呟きを漏らした執行は、指を使い、口の前で✕印を作ると、背もたれに体重を預け黙り込んだ。
どうやら、沈黙を保つことにしたらしい。
執行がそうして口を閉ざしたのを確認した春泉は、渋々とヘッドフォンを外し、机の上にそっと置いた。
フルフェイスのヘルメットを外したときみたいに首を左右に振ってから、目にかかった癖毛を払う。
自然とふぅっと息が漏れて、自分が思った以上に緊張していたことを自覚した。
いつも一人で過ごして、ずっと黙っているのだ。
そう考えたら、この二日間で相当の無理を自分に強いていることは間違いないだろう。
肩の力が抜けたように猫背が酷くなった春泉に、柊が言う。
「疲れたわよね?大丈夫?」
「別に、これぐらい慣れてる」
どこか哀れまれている気がして、つい語調が強くなる。
どの辺りが慣れているのやら、と自分で自分を指摘しながら、ふんっと鼻を鳴らす。
そんな春泉を、目を細めて睨みつけた柊を、冬腹が軽く窘める。彼女も、再確認という意味合いでか、もう一度同じような問いを口にした。
「春泉さん、無理はしてない?」
冬原が、すっと視線を机上のヘッドフォンに落とす。
彼女は、こういったところが大人びているのだ。本当の意味で自分に気を遣っている。
それは、私たちが忌むべき、形だけの善意だけではなく、人が人を想う純粋な感情がもたらす、暖かな光のような優しさだ。
「…ああ、まぁな」視線を窓の外に向ける。
心配要らない、と最後に付け加えようかと思ったのだが、それを途中で遮るように柊が声を少し大きくして言った。
「やっぱり疲れていたのね?無理して強がらなくていいのよ、別に」
「蝶華、声が大きい」トン、と柊の肩を叩く。正確には叩いたというか、撫でたといったほうが的確だった。
「あ、ごめんなさい」
別にいい、と呟く。「今日は調子がいい」
「調子?」
「…いつもがいつも、我慢できないほど辛いわけじゃない」
辛い、という単語を使ったのは失敗だった。
二人の顔が、わずかに悲しみを帯びた気がしたからだ。
本当は哀れまれるのが一番辛いわけだが、今回はこちらの失言が原因だったため、仕方がない。
何か気の利いた台詞でも言おうと考えたが、最近はまともに人と話すこともなかったので、どうにも思いつかない。
さらに付け加えると、自分は残念ながら生まれついての皮肉屋だ。耳と同じで、口の方も上手く制御できないことが多かった。
沈黙が気まずい、という久しぶりの感覚に、無意識でヘッドフォンを指先で弄る。
流線型のヘッドバンドをなぞり、小さく口を開くも、直ぐに閉じる。そしてもう一度開いて、声を発する。
「聴こえ方は、体調面とか、精神面とかに左右される」
「へぇ」興味深そうに冬原が呟く。「そういうものなのね」
似たような反応を見せた二人に、どうして他人に自分の話をしているのかと、不思議な気持ちになった。
言ったって、どうせ意味なんてないのに。
自虐的な微笑みが口元に浮かび、春泉の瞳に澱のようなものが沈殿した。
多少なりとセンチメンタルな気分になった春泉に向けて、一分ほど大人しく沈黙を守っていた執行が、おずおずと口を開いた。
「ねぇ、静かに話すから私も喋っていい?」
ぞっとした感覚が、背筋を走る。
「お、おい、黙ってろって言っただろ。駄目だ」
「えぇ…。意地悪ぅ」
そんな春泉の態度を見て、少し傲慢がすぎると考えたのか、柊が咎めるような口調で言った。
「いいじゃない、どうして執行さんだけ駄目なの?」
どうしてと言われても、正直説明に困る。
この話は、かなり感覚的な要因によって説明されるものだからだ。
きっと、執行の声が聞こえやすい、と簡単に伝えたところで、それならいいではないか、と不思議がられるに決まっている。
読みづらかったり、もっとこうしたほうが良い、という意見がありましたら、是非お寄せください!
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