王子あなたのために殺します
…大事なものはいつだって、大切にしていないと壊れてしまう。
それは、あまりにもあっさりと。
私はラーミラ。天使をしています。
遠い昔、人々の争いが絶えなかった時代。神は天使を造り、人の王になるべき王子を探させました。そして、その王に世の中を治めさせ、平和が訪れることを願ったのです。
ですから私の任務もまた、王子を探すこと。
何しろ、王子は神によって既に決められていますが、その中で王に相応しいと認められた人物は、未だに見つかっていないのですから。
今日も私は王子を探し続けます。隣には丸い妖精を連れて。同じ使命を持って生まれた、兄弟たちと共に。
しかし、争いの世は過酷です。
世の平和を妨げるのは、何も人だけではないのです。
「おーい悪魔野郎、さらった兄弟を返せ!」
墓場の真ん中で妖精が叫びます。
すると辺り一帯に声が響き渡り言うのです。
「命は平等ではなく、そして軽い。
力を持つ我々が選ばれた存在なのに、何故力無き人間に力を与えようとする。
人間に平和な世など治めさせるな」
そして悪魔が現れて、
「王子は探させない。天使よ、滅びろ」
そう、叫んでいるのです。
そんなとき私はいつだって、問答無用で彼らを切り捨てます。
何故なら、彼らは悪魔なのですから。世の平和を妨げる、悪なのですから。
「悪魔にとって命は軽くても、人にとっては時に重いものなのです。とても大切なものなのです」
そんな風に言うこともあります。
けれど、時に思うのです。人だって互いに争っている。互いの命を、時にたった一太刀で奪い合っている。
悪魔だけが悪なのでしょうか。
「人を殺してはならない」それが神様との契約です。破れば天使は悪魔になって、神様に殺されてしまうのです。
けれど、どうして人だけ、殺してはならないのでしょう。
私は争いが嫌いです。そして、争っているのは人間も悪魔も同じ。
…このくらいにしておきましょう。私は天使。人間の平和な世界のために、存在しているのですから。
悪魔を殺すと、手が闇に染まります。だから私は聖なる泉に行って、闇を元に戻すのです。
今日も、泉でぼんやりしていると。
「ヴェンヌ、ヴェンヌ!」
声がして、男の人が向かって来ました。彼は体が濡れるのも構わず、こちらに走ってきます。
そして、
「ずっとずっと探してた、会いたかった」
私を、抱きしめたのです。
これまで見つけられなくてごめんな、もう離さない、そんなことを呟く彼の身体に埋められたまま、私はやっとのことで口を開きました。
「すみません、人違いです」
「…へぇ、私はそんなに、あなたの妹さんに似てるんですか?」
あの後、驚いて瞬時に私を抱きしめていた腕を解いた彼に事情を聞いて、そう問いました。
「似てる」
彼は興奮気味に笑った後、胸に手を当て言ったのです。
「俺はヴァンっていうんだ、宜しくな」
君は?そう聞いてきた彼に、私は王子と天使の話、そして自分の素性を明かしました。
するとヴァンは、事もなげに言いました。目には純粋そうな好奇心と興味を浮かべて。
「へえ…王子かぁ…俺、なりたい」
妖精は驚きと呆れで、口を開けたままの状態で固まっていました。私は冷静に言葉を返します。
「王子は人の王になります。数年前にいなくなった妹さんと私を見間違うヴァンさんを王子にするのは、妥当ではありません」
「そうだな」彼は苦笑いしました。それきり、暫しの沈黙が訪れました。
不思議なことに、初対面なのにこの人といると心地が良い。そう私は感じました。
王子に相応しくないとは言ったけれど、彼の身に纏う空気には平和を感じます。…まぁ、平和な世界というものを私は、生まれてこのかた経験したことがないのですけれど。
ただ、平和とはこういうものかもしれないと、そんな風に思えるような雰囲気を醸し出す人でした。
「…俺、やっぱり王子になりたい。優しい世の中になってほしいんだ。争いのない、人が人を傷付けたりすることのない世の中に」
徐に彼が語り始めました。
先程の好奇心を覗かせた瞳とは裏腹に、照れたように頭をかき微笑みながら。
「…神様に、推薦してみます」
私は今度は、そう答えました。
「ラブラブだな〜、子どもだな」
帰り道、妖精が私をからかいました。何がだというのでしょう。まったく、子供なのはどちらでしょうか。
「違いますよ。ただ私、てっきり人間は争いが好きなものだと思っていたけど、そうでない方もいると知ったから、この人になら任せても良いかもしれないと思っただけです。
綺麗な心を持った彼のような人ならきっと、良い世界にしてくれるでしょ」
「でも、それで推薦をあっさり引き受けるとかやっぱりこどもみたいじゃないか。…まぁ、いいや」
「あっさり引き受けたつもりはないですよ。ちゃんと考えました」
「はいはい」
しかし、物事はそう簡単にはいかないようです。
「どうしてです!?」
私と妖精は、二人して神様に食ってかかることになったのです。
「ラーミラ」
神様は少し苦笑いをした後、天使の純粋な心で選んだ人間は、王子としての素質は確実なこと、ただ、地位や名誉、財産のある人が王子でないと、治められる人々の方が納得しないこと、神の力を与えるにはある程度の特別な素地が与えられる方に備わっていなければならないことなどを話しました。
ゆるい神様なのですけど、世間は複雑ですからね。
「それとさ、そもそも何がいいの?その彼。最初から人の上にいる貴族の方が、多くの人間を束ね慣れている。そのアドバンテージと比べても、彼には王子に相応しい何かがあるのかい?」
前言撤回。やっぱり神様は神様なのですからしっかりしてますね。
少なくとも私には上手く答えられない質問です。
「…何となく、です」
まあ確かに、推薦するくらいならば彼を推す理由を考えておけという話かもしれませんが、私だって今日初めて会ったばかりなのです。明確な理由なんか、思い付きません。
すると流石に見兼ねたのか、妖精が助け舟を出してくれました。
「確かに彼は、特別飛び抜けた素質があるわけでもなく普通の青年です。しかし思考が偏っておらず、真っ直ぐで行動力がある感じがしました。」
ありがとう、そう心の中で思いかけると、妖精は尚も神様にぺらぺらと畳み掛けました。
「彼は優しいと、周りの人間たちは評価しています。彼はきっと、沢山の人の意見を取り入れ、慈悲を持って接することのできる王になるでしょう。間違いありません」
また前言撤回しなければなりません。だって、私たちはヴァンの周りからの評判など、一度も聞いたことがないのですから。
「ラーミラはどう思ったの?」
けれども幸か不幸か、神様は妖精の嘘には気付かず、私にもう一度問い掛けました。しかし、やっぱり私が理論的な答えなど述べられないのは同じです。
「きっと良いやつ…そう、ヴァンはきっと良いやつです」
はぁ。神様は一つ溜め息をつきました。
「…分かった。まあ変格の卵が決めることだしね。じゃあ次の時に連れて来て頂戴」
「やったぁ!ありがとうございます」
やっぱりゆるい神様ですね。
おっと、変格の卵について説明していませんでしたね。
変格の卵は、王子候補となる者を入れ、神の力を授ける大きな卵です。そして王子となれた者は、神の力を手に入れて初めて王となるのです。
ただ、詳しいことは私も知りません。何しろ天使は、決められた王子候補を神様の元へ連れて来るだけの存在なのですから。基本的には。
なので王子候補を神様に預けると、天使はすぐにその場を後にし、次の候補を探します。
だから、預けられた王子候補たちがその後どうなるかなんて、考えもしませんでした。この時までは。
私たちが神様と話をしているうちに、何人か目の王子候補が、神様の元へやって来ました。
彼は非常に偉そうで、神様に相対してもその傲岸不遜な態度は変わらず、お付きの妖精に至っては、私の妖精に対して「バーカ」と煽りまで入れてきます。
こんな人が王子になっていいのでしょうか。けれども実際、この人が変格の卵に適合者とみなされ、王子となってしまう可能性もあるのですから。
いや別に、私はただの天使ですし、何を言う資格があるわけではないですからいいんですけれども、何となく嫌です。
それに、ヴァンを連れて来る前に王子が決まってしまったら、彼にどう説明しましょう。何も知らせないでおくのもよいのかもしれません。第一話す義理もありません。
でも、約束してしまったから。
そんなことを考えていたものだから、私はその場を立ち去ることを完全に失念していたのです。気が付けば、目の前で例の王子候補が変格の卵に入り、卵が口を閉じた後でした。
折角だから見ていこうかな、彼がどうなるか。私がそう思いかけた瞬間のことです。
「こんなこと聞いてない!!聞いてな……ぁ……が……ぁ………」
卵の中から、呻き声が聞こえたのです。
え、と、そう思う間も無くそれは、叫び声に変わりました。
「あああああああああああっ!!!苦しい!!!ああああああああっっっ………」
「不適合ですね」
いつもゆるい神様の、無慈悲な声が響きわたりました。
「……どういう………」
私は小さな声で、漸くそれだけを口にしました。今見たものが信じられなくて。
それじゃあこれまでに王子になれなかった候補たちは。そんな。
けれども私の嫌な予想を裏付けるように、妖精が重々しく口を開きました。
「神の力は偉大だ。変格の卵に入れて適合しなければ、入れられた人間は死ぬ。そういうことだ」
私は膝から崩れ落ちそうになりました。多分、顔も真っ青だったと思います。
王子候補は変格の卵に入れられる。そして、適合しなければ死んでしまう。
『王子になりたい』照れたように笑うあの顔が思い浮かびました。
つまり彼だって死ぬ可能性はあるのです。大いに。
そして彼を変格の卵の場所に連れて来るか決めるのは、私なのです。
「どうするんだ?あいつ死んじゃうぜ?絶対死ぬと思うぜ!?」
妖精が焦った様子で聞いてきました。彼もまた知らなかったのでしょう、王子になれなかった者たちの末路を。
でも、どうするって、そんな。
「ヴァンと約束をして、」
「契約と口約束は違う。ただそう言っただけだろ。破っちゃえよ、気にするな」
暗に、彼を殺すよりはましだと、妖精が言っている気がしました。
「確かに言っただけだけど、でも、」
言葉にできない痛みが胸を襲うのです。確かに私はヴァンを死なせたくはないですけれども、でも。
変格の卵に入れなければ、彼に危険は及ばないでしょう。けれども間違いなく、彼の夢は叶わなくなってしまうのです。
それからもう一つ。私は天使。使命の通りに、王子候補に当たる人間を変格の卵の元へ連れて来る。それが天使。
つまり私は、彼らを死地へ送ったも同然なのです。
ヴァンに再び会えば、私は彼を説得しなければならないかもしれません。そうなれば事情を話さなければならないでしょう。
事情って何を話せばいいんですか。
私たち天使が、そして神様が、数多の王子候補たちを殺してきたと。それを含めて伝えなければなりませんか。だって、言わなくてもいずれ分かることですから。
私は悩んで、悩んで、悩み抜きました。
けれども結局ヴァンに会いに行くことにしました。もう会わない、つまり約束を一方的に破るというのは、私の良心が許さなかったですから。
私は妖精と共に、ヴァンが住んでいるらしい街に行きました。
しかし、何故か辺りが騒がしいのです。
ざわざわ、ざわざわ。張り詰めた緊張が、人々の間に走っていました。
そして、人波の中から声が聞こえてきたのです。
「貴族が…」
「ヴァンちゃん、どうして!?」
その瞬間、背筋が震えました。見れば、台の上にいる髪の長い貴族らしき男の人が、男性を足で踏みつけているではありませんか。
背中を踏まれ、後ろ手に縛られて、首筋に剣を突きつけられているのは…ヴァン。
「哀れな民に死の救済を!」
貴族はそう叫んでいました。
近付くと、彼がヴァンに囁く声が聞こえたのです。
「君は間違って、王子候補などに選ばれた。天使が私の元にやって来たら、きっと私を王子に選ぶだろう」
「貴様がヴェンヌを…」
ヴァンには何か勘付くものがあったようでした。必死にジタバタと抵抗を続けていましたが、縛られた状態では、起き上がることはできません。
「さあ、死ね」
貴族の男が叫び、剣を振り下ろすその瞬間。
私は、彼らの元へ飛び出していました。
ドシュ。私の振り下ろした釜は、貴族の背中から腹部にかけてを、一気に貫いたのです。
「止めるんだラーミラ、天使が人を殺したら……!止めろ、今ならまだ間に合う、考え直すんだ!!」
妖精のそんな声が聞こえたような気がします。けれども構うもんですか。
「どういうことだよ」
起き上がったヴァンはぽかんとしていました。
一方、貴族の男の方は慌てふためいて叫びます。
「わ、私は貴族で王子候補だ、た、助けろ!お前は天使だろ!!助けろ!!」
そんな彼には見向きもせずに、私はヴァンを、私の王子を、振り向いて言いました。
「王子、あなたのために殺します」
「な、何を…そんな奴が王子だと…何故だ……私は選ばれた人間なのだぞ!」
尚も叫んでいるその男に。
私は、最後の一太刀を振り下ろしました。
大切なものは、手をこまねいていたって、目の前であっさり壊れてしまうから。
守るしかないでしょう。たとえ、自分の何を引き換えにしてでも。
「駄目だラーミラ、悪魔になったら神に殺されちゃう」
泉に行こう、まだ間に合うかもしれないから!そう叫んでいる妖精の丸い体を私はそっと、両手で包み込みました。
「羽が闇に呑まれて感覚がないのです。今までありがとうございます」
「どういうことだ」
未だに唖然としているヴァンに、妖精が縋り付いているのが見えました。
「ラーミラを助けてくれ、王子候補!!」
しかし彼の願いも虚しく、空が割れ、見慣れた神様が、視界全てを覆う大きさとなって姿を現しました。
「聖の救済を」
辺り一面に響き渡る声で、神様はそう言ったのです。私は目を閉じました。
ああ、これで死ぬのですね。
その時、全身を包む温かいものがありました。
恐る恐る目を開けると、そこには私を全身で抱きしめるヴァンがいたのです。
ぎゅうううう。苦しいくらいに彼に抱きしめられて、気が付けば。
私の腕を吸い込むような闇が消え、手の感覚が戻ってきたのです。
「戻ったぞ!ラーミラが天使に戻ったぞ!!」
妖精の歓喜の声が聞こえます。ああ、私は助かったのですね。
「どうして…?」
天使が契約を破れば殺される。それが掟だった筈です。
その掟をも超えた彼の力とは一体、何だというのでしょうか。
すると、
「俺が王子だからだよ」
彼は口の周りを血で汚したまま、それでも眩しいばかりの笑顔で、私を見つめたのです。
だからなんだか私も全てが、悩んでいたこと全てがどうでもいいような気がして、
「そうだといいです」
と笑いました。
数日後、私たちは変格の卵の前に立っていました。
私はヴァンに全てを話したのです。卵に適合しなければ、彼が死んでしまうかもしれないことも。
けれども彼は言ったのです。「それでも俺は、王子になりたい」と。
どうしてそこまでして王子になりたいのでしょう。少なくとも、富や名誉のためではないように思えます。
しかし私は彼にその答えを聞くことはできませんでした。神様に呼ばれたのです。
「じゃあ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃい」
彼を送り出した時のその笑顔を見て、もう私に不安はありませんでした。
貴族を手にかけたあの時、私は確かに彼に向けて、「王子」と呼んだのです。その気持ちに、嘘はなかったから。
ぱっくりと口を開けた変格の卵が、彼の身体を迎え入れ閉じていきました。
私の隣で妖精がゴクリ、と唾を飲む音が聞こえます。
「なあ、大丈夫なのか」
「ええ、きっと大丈夫ですよ」
「…そうか」
それきり沈黙が訪れました。
その時のことです。変格の卵の中央で、これまで閉じていた巨大な眼球が目を開きました。
「神の祝福を受け王となるがよい、若き王子よ」
変格の卵が、声を発したのです。
私は驚きのあまり言葉も出ませんでした。妖精も、神様ですらもぽかんとしていました。
私たちの見守る中で、変格の卵はヴァンを静かに受け入れ、再び目を閉じました。
そして、卵の中にいたヴァンは、
「いない……」
彼は、跡形もなく消えてしまったのです。
あれから暫くが経ちました。ヴァンが消失して以降、変格の卵は新たなる王子候補を受け入れていません。
つまりヴァンこそが、王になる人物だったのです。
私たちはその日を、首を長くして待っています。
彼はいなくなってしまったけれど、いつの日か必ず、戻ってくると信じて。
人の王の誕生による平和を信じて。
それに私は、どうしてだか胸の中に、ヴァンとまた会えるという確信を抱いているのです。いつか再び、私たちの世界へ、私の元へ。
だって、彼は神様との契約をも超えて私を救ってくれたのですから。
私は彼のことが、大好きなのですから。
そう、
私たちは大事なものを、大切にすることができたのですから。
お読みになってくださりありがとうございます。
また小説をかいてくださった私物化だいまおう様、ありがとうございました。
原作のお話はこちらになります→https://rookie.shonenjump.com/series/X1vJnKYVVL8