5−3 HOが本田技術研究所を辞めてからのHOの事 (仮)
昭和61(1987)年2月
HOは、実家の県営集宅に住んでいた、、、、
「わしの運がもう少しでも良ければホンダジェットを実現して家族にも良い生活を味合わせること出来たのにな、、、。
しょうが無いよな、、、、
運が無い、、、わし如きやからな、、、
ああ仕方ない」
と思いながら、、日々過ごしていた。
辞める時に工業高校の同級生との約束の仕事を準備をしていた、当時、HOは、工業高校の同級生と「車の高級ワックス」の商売をする約束をしていた、、、
というかその約束の為に和歌山市内で倉庫を探していた、、。
HOには、東大教授の羽の上のジェットエンジンへのスーパーアイデアの評価。
について当然何も知らなかった。
(本人の評価では、スーパーアイデアである事は前章で{まだ書いてないよ}、、、書いてあるよね、、。)
HOはあのスーパーアイデアを評価出来無いたかだか東大出のT取締の能力について腹を立てていたが、、
「わしの運が無いからしょうがないよね、、、。
運が有ればな。」
という風に自分の運の無さに諦めていた
HOの実家にいきなり本田技術研究所の総務の女の子から電話が掛かってきた。
HOがたまたま居たのでおふくろから電話を受け取った。
総務「退職金を振り込みさせて頂きました、
18万円です。」
HO「はい、ありがとうございます、、、。
、、、、
、、、
ちょっと聞いて良いですか、、、、
たかだか18万如きの為にわざわざ電話くれたのですか、、、。
なんでですか?
、、、、、、、
、、、、、、
、、、、、
、、、
あの、私如きが言って良いのか判りませんが、、、
HOさんのスーパーアイデアに対して東大教授が
東大教授「その人は間違いなく天才だ、、、
俺も、天才に会いたい、、、
ぜひ合わして下さい。」
と言ったので、、この和光研究所凄いことに成ってるんです、、、。
」
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