5−1 主人公HOが、本田技術研究所を退社してからの主に本田宗一郎さんの事
この章まで、、ノンフィクションですよ。
どんな奴らが、
本田宗一郎さんを早死させたのか、、、、。
昭和61(1986)年3月
本田宗一郎さんは悲しかった、、、。
あの大嫌いなHOのやろうがこの本田技術研究所を辞めたのだ、、、。
その上、辞めた後に嫌な噂を聞いてしまった。
あのゴマも擦れないアホウなHOが、吹きまくっていたのだ、、、
辞める直前に、、、
HO「本田宗一郎さんが生きているうちにホンダジェットを量産してお金に変えれるのはわしだけしか居らんぞ。」と
とんでもない暴言を吐いていたと聞いたのだ、、、
ふざけんな、、HO如きにそんな事出来る理由が有る訳がない、、
と思っていた、、、
しかし、
聞いてしまったのだ。
HOのアイデア、翼の上のジェットエンジンが、、、
業界のタブーを破るどころか、、、
空力効率をアップ、ひいては燃費が良くなるスーパーアイデアだと、、、
東大随一の空力の権威のS教授が何日かシミュレーターを駆使して、結果を確認して、アイデアに太鼓判を押すだけでは、、、無く
S教授「何の前準備もなくてたった2〜3分でこのスーパーアイデアを出したのですよね、、、、
それと、この本体ボディとの関連でエンジンからの排気が連携して、、、
の説明もまちがいなくあっている、、、、。
、、、、。
その人は間違いなく天才だ、、、
俺も、天才に会いたい、、、
ぜひ合わして下さい。」
と言ったというのだ、、、・
その噂を聞いた本田宗一郎さんは、関係者に確認して回った。
栃木研究所のK主技が言っていた。
K主技「わたしが、T取締に引き合わしました、、、。
HOがこのままホンダを辞めてしまうのは、大損失だと思ってしまったので、、、。
頭脳流出は、絶対に避けたいと、、、。
しかし、
HOがあれほどのアホウだと思っていなかったので、、、。
HOはT取締を怒らせ捲くっていました、、、。
私では、、理解出来ない程に、、
怒らせ捲くっておりました、、、。」
和研のM課長が言っていた。
M課長「わたしが、HOの退社のとどめを刺しました。
あの野郎の偉そうな言動に、我慢成らなかったのです。
その為に本田技術研究所中に回覧をまわしました。
あのアホウがやった、白子寮のマスターキーを無くしたりとかの行状を有る事無い事流してしまいました。」
T取締が言っていた。
T取締「東大出の私が保証しますよ。
あんな学歴も無い、工業高校出のアホウにそんな事実現できるはずは無いですよ。
あのアイデアだって、、、たまたまの単なるまぐれ、、、ですよ。」
くそったれ、、、。
本人の東大出のプライドを優先して、、、HOを絶対に呼び戻さ無いと、、、
勝手に決めよった、、、、。
なんでだ、、このホンダでわしはスーパーマンだ、、、
そのわしスーパーマンに胡麻を擂るやつだらけだ、、、
なのに、、、
わしが本当に願う事を実現してくれるやつが居ないのはどういう理由だ、、、
わしは、飛行機を作りたかった、、、
それはK副社長にも、言っていた、、、わしの望みは実現してくれないのか、、、
HOがK副社長の雑誌でのインタビュー等の言動に文句を垂れていたのは、わしも聞いていた、、、
あの時は、わしも馬鹿なので、、、
HOの寝言だと思ってしまっていた、、、
わしは、今の本田技研工業の経営には口だし出来ない、、、
HOを呼び戻してくれ、、、
HOを呼び戻して下さい。
HOに、わしの望みの「ひこうき」、ホンダジェットを実物として見せて欲しい、、、。
わしがこんなに見たいと思っているのに、、、
わしに「クソ胡麻すり」してくるくせにこの話をしてくるやつは居ない、、、
おまえら、、、は何なのだ、、、
ご機嫌取りは、、、
いらん、、、
実際にホンダジェットを見たいのだ、、、
ホンダがひこうきを製造し販売出来る会社に育った姿を、、、見たいのだ。
ゴマを擦りに来るより前に、、、
わしの本当の望みを実現させてくれ、、、。
、、、。
超一流の功成り名を遂げた、、、本田宗一郎さんは失意の内に、、、
平成3(1991)年 8月5日に永眠した。
この時期、本田宗一郎さんを和光研究所で見ていた人は「本田宗一郎さんはあの時期、急速に老いていったよ、、、。
まさに老いさらばえるって、こんな状況なんだと思ったよ。
また、本田宗一郎さんの日課みたいな、和光研究所の現場巡りは急速に減って行ったよ。」と語っている。
次章は、
完全なフィクションです、、、。
HOのが本田宗一郎さんに呼びもどされてからの大活躍を記述していきます。
フィクションですよ。