虚構の戦い 後編
4月は3回更新できた!
「まあ、ゾーイのこの様は面白い」
冷笑を浮かべつつ、俺はゾーイの脇腹に軽く足の爪先を当てた。
不満げな視線が飛んでくるが、甘んじて受け入れてほしい。ゾーイがジルの人質として有効と思われても困るため、こういう雑な扱いを見せつけておく必要があるのだから。
「だが同時に、不快でもあるな」
そこまで言って、俺は女を軽く睨んだ。
どこまでも不遜に。女のことなんぞ全く恐れていないという雰囲気を全面に押し出しながら、堂々と女に相対する。
「女。私が不在の間、これとの児戯に興じていたようだが……生憎、これは私のものだ。貴様如きが好き勝手して良い代物ではない」
「この俺を相手に不遜な態度でいるのは悪くない。だが、お前の発言は正しくないな」
どこか不機嫌そうな様子で、女は言う。
同時、一瞬だけ殺気が飛んできたが、今すぐ仕掛けてくるつもりはなさそうで何よりだ。その辺りを織り込み済みでやっているのだから当然と言えば当然なのだが、それでも格上と対峙する恐怖を完全には拭えない。暴れ散らかすゴリラと強化ガラス越しにご対面した時くらいの恐怖は湧いてしまう。
「この世界に遍く全てはマーニ様のものだ。故にその小娘は、お前のものではない。お前の発言は、不敬であると理解しろ」
所有権を主張するなど烏滸がましい、と女は言外に語る。
ゾーイが「どちらのものでもないんですけど?」と不満を露わにするが、俺も女も取り合わない。もとい、取り合う気がない。
女の方は、ゾーイを価値のない羽虫同然とみなしているから。
一方で、俺の方は……。
(遍く全てはマーニのもの、か)
ああ、そうだろう。
お前ならばそう答えるだろうよ。
マーニに仕えているからこそ、俺の言葉を否定し、マーニを絶対的な存在と理解させる言葉を選ぶ。
当たり前で、当然の理屈だ。
──その言葉を、お前の口から引き出したかった。
「……くくっ」
「何がおかしい」
嗤う。
酷薄な笑みを浮かべて、嘲るように顎を上げる。
どこまでも上から目線で、格上たる女相手にも余裕を装って、俺は嗤った。
「なに、随分と愉快な発言だと思ってな。貴様のそれは狂人の戯言……いや、あるいは妄言か」
訝しむ女に対し、俺は。
「貴様は真に、貴様の主に仕えているのか? 女」
「……なんだと?」
「管理人共と同じく、“仕えているの“かと、訊いている」
「……」
「どうした?」
挑発混じりに問いかけるも、女は言葉を返さない。
(やはりな)
間違いなく、マーニはこの女の存在を隠している。
おそらく、マーニの保有する戦力の中で表に出せるものが【絶月】や管理人で、表に出せないものが女なのだろう。
つまり民衆から“姿と立場が一致するような形で“認識されてしまうのは、女にとって不都合な展開に違いない。立場を隠した状態で街を歩くのは許されているだろうが、立場を隠さずに街を歩くのは許されない。つまり、姿を晒した状態で立場を語ることは許されないという訳だ。
故に女は、「マーニに仕えているのか?」という問いに肯定を返せない。
「マーニの言葉に従うのか?」だとか「マーニを敬っているのか?」といった質問であれば肯定を返せただろう。だが、「マーニに仕えている」という答えは意味合いが大きく変わってくるのだ。
何せ、マーニに“仕える“ことは選ばれた人間にのみ許される特権にして最上級の栄誉。この都市で言えば、該当するのはシャロンくらいだろう。つまり、レア中のレア。誰でも果たせる役割ではないのだから。
(やはり喫茶店での情報収集は、価値観のすり合わせに有用だったな)
以前、ゾーイはマーニに仕えていることを否定し、その発言に対して住民達も何も言っていなかった。住民全てがマーニに従うことは別に、住民全てがマーニに仕えていることを意味しないのだ。
故に女が「マーニに仕えている」と答えることは、立場を曝け出すに等しい。
(お前はマーニに仕えているが、しかし仕えていると答えればその瞬間に役割を放棄したも同然と化す。そうだろう?)
故に女は俺の質問に対して易々と言葉を返せず、慎重に思考を巡らせる。「奴の言葉を肯定してしまえば、マーニ様が己を伏せている意味が消失してしまう」という結論に帰着するが故に。回答を濁し、言質を取られないようにしなければならないのだ。
(現に一瞬表情が動くと同時、意識がゾーイに向けられていた。俺に対しては真実を語っても良いが、ゾーイがいる場で語るのはという葛藤の発露……。ゾーイにバレるのは良くないが、俺やこの状況を監視しているであろうシャロンにはバレても良いと考えている? 「ゾーイ<シャロン」の図式は予想通りだが、俺もゾーイより上なのか? 殺さないだけの価値は見出されていると踏んでいたが……予想より、マーニは俺を買っているのかもしれんな。となると、これまで接触してこなかったのは……)
他の部分にも思考を回しつつ、女を観察する。
女は問いを返さない。もとい、返せない。
適切な回答を導くため、慎重に答えを吟味する必要があるが故に。
(事実、十分な時間があれば、この状況を切り抜ける一手を生み出すことは不可能じゃないかもしれないな。物事は、案外そういう風にできている)
だが俺は、女に考える時間を与えるつもりなんぞ毛頭ない。
考える時間があれば解決できるかもしれないのであれば、その考える時間をなくしてやるだけのこと。
俺は女から余裕を奪うべく、矢継ぎに言葉を紡いでいく。
「これの所有権の所在が貴様の言葉通りであるとして、貴様の先の行動は許可を得ていたのか? 独断専行は一切ないと、私情を挟んだ余地はないと、主の名に誓って断言できるか? 貴様が貴様の主の命を騙り、好き勝手振る舞っている訳ではないというのであれば、その証拠を見せてみよ」
「……」
ここまで挑発してなお、女は口を開かない。
当たり前だ。何せ、証拠なんて出せる訳がないのだから。証拠を出したが最後、女はマーニの命を違えた不敬者に成り下がる。それは即ち、月の価値基準に照らし合わせれば役割を果たせなかった落第者も同然。
(仮に証拠が出てきた場合のリカバリーも考えてはいたが、やはり出てくる様子はないな)
俺の発言は何もおかしくない。
女が「その小娘はマーニ様のものだぞ。好き勝手するな」と口にした以上、「え? 貴女はマーニ様のものを好き勝手して良い権利をお持ちなんですか? ゾーイめちゃくちゃ傷ついてるんですけど? それとも、マーニ様のご命令なんですか? 証拠は?」と返すのは、至極当然のこと。
そして月の世界の性質上……これは、非常に有効な一手と化す。
「どうした、出せぬのか?」
「…………」
無言。
これが意味するところは、もはや語るまでもないだろう。
何より、タイムリミットはすぐそこにある。
常人には聞き取ることすらできないだろうが、常人ならざるジルの聴覚は、人の話し声を捉えた。埒外の索敵能力を有している女の方も同様だろう。僅かに……超一流の名探偵ですら察知できないほど本当に僅かではあるが、表情筋が動いていたのだから。
(詰みだ、女。そして戦闘ではお前に分があるが、これなら俺の方に分があることも分かった。良い収穫だ)
俺の問いに答えを返すことができない以上、民衆にこの状況を目撃されて不都合になるのは、女の方。
この状況が覆されるとすれば、それはマーニ本人がこの場に直接介入してきた場合だが……その展開はあり得ない。
マーニがジルに対して一切価値を見出していないのであれば介入されたかもしれないが……しかしもしもそうならば、俺はとっくに殺されているのだから。
「どうやら不敬者は貴様の方らしい」
もはや状況は、俺の掌の上。
故に、これで幕を引かせてもらおう。
「ならば話は終わりだ。疾く去れ。此度は見逃してやる」
見逃されるのではなく、見逃す。
これが大事だ。これが大事だった。
ゾーイを救出するにあたって、女に見逃されたという形であれば、実質敗北したに等しかったから。
(舐められず、無様な姿を晒さず、ゾーイを救出し、ジルの格を上げる……。まあ、それなりに悪くない範囲で満たせたんじゃないか?)
これにより、偽りの格付けは為された。
この場面を見ていた者達にとって、ジルの存在は強く印象付けられたことだろう。
それこそ、マーニの興味だって惹けたはずだ。
マーニの保有する戦力の中でもトップクラスであろう女を相手に、この戦果。これで興味を惹けないのであれば、なんのために俺を月に拉致してきたのかまるで分からん。
「……ふん。口の回る」
舌を打つ女と、目を丸くするゾーイ。
それらを同時に視界に入れながら、俺の意識はこの場にいない存在──シャロンへと向けられていた。
(……さて。マーニに次いで正確な情報を有しているであろうシャロンの介入もなかったか。対面した当初から薄々感じてはいたが……どうやら月も、完全な一枚岩ではなさそうだな?)
内心で冷笑を浮かべ、俺は今後について策を巡らせた。




