第一部最強 ジル
ようやく初の実戦をする主人公がいるらしい…
「……醜いな」
その様子を、俺は飛行魔術を用いてそれの頭上から睥睨していた。
「……」
大体前世における一戸建ての住宅くらいの大きさ。形状は顔が鳥のようなもので、首が麒麟のように長くて、身体は……ライオン? まあ、ようはキメラのようなものか。
周囲に人影はない。
既に魔獣に食われた後なのか。そもそも誰もこの魔獣を発見していないのか。各国はまだ討伐隊を編成している最中なのか。単純に身を潜めているだけなのか。
「……」
ただひとつ言えるのはこの異様で禍々しい空気──明らかに、この場に放置していて良い存在ではない。
この魔獣が何時からこの世界にいるのかは知らない。しかし突然こんな異常な魔獣が湧いてくるなんてあり得るのか? なんの前触れもなく突然現れる超生物なんて、俺の知る限りでは原作でジルを殺した邪神くら、い……。
「……………………」
待て待て待て待て待て。
落ち着け。落ち着いて、素数を数えよう。いやそれだと落ち着けないし、リーマン予想でも解こうか。違うそうじゃない。
「……」
冷静に見て、そして分析しろ。
眼下のアレは俺より弱い。それこそ、配下の『レーグル』でも全然討伐可能な魔獣だ。この程度の存在を相手に、変な憶測で取り乱してどうする。
(……冷静になったところで)
現段階において推測可能な範囲で異質な点は、ふざけた速度で馬鹿げた量の魔獣を産み堕としている点と、産み堕とされた魔獣も、一般的な兵士では倒せない程度には強力という二点。
これらの特異性によって、この魔獣の脅威度は単純な戦闘力より高めに見積もられることになるだろうが、逆に言えばその程度でしかない。
邪神などとは、比較する価値もないほど弱い。
「……くだらん、な」
さて、ではどうやって倒すべきか。
本気を出して神代の魔術、あるいは特級魔術を用いればこの程度の魔獣であれば簡単に消滅させられる。懸念事項は特級魔術なんて派手なもの発動してしまえば各国には一目瞭然だし、神代の魔術にしたって各国にいる強者なら勘付くであろう点か。
(神代の魔術は見た目には目立たないものもあるが、この世界では異質な力だからな。少なくとも『氷の魔女』は気づく)
何度も言うが、ジルの肉体が出せる本気というのは、現段階のこの世界にとって異常すぎる。そんな異常性を、早々の段階で表に出す訳にはいかないのだ。
大国は各国にそれぞれ一人ずつ絶対的な存在がいるが故に、冷戦状態が続きその均衡状態を保っている。そんな中で彼らを超える絶対者なんて存在が湧いて出て来た場合、各国がどういう反応をするか。
しかもその絶対者は、どの大国や巨大組織にも属していないとすると──。
(どの国も喉から手が出るほど欲しがるか、あるいは存在を危険視した大国が一時的に同盟を結んで俺を潰しにかかるか……。前者ならともかく、後者になった場合は未来がどうなるか読めないな。原作のジルもそこを懸念していたし。まあ勝てはするだろうが……)
忘れるな。俺の最終目標は、大陸で最強になることではない。俺の最終目標は神々を斃し、自らの死の運命を打ち破ることだ。
その為に必要なものは、第一に前提として世界に散らばる全ての『神の力』の回収。
第二に原作のジルを超える戦闘能力を身につける。
第三に邪神や神々に対抗可能な勢力を手元に置く。
その他にもやるべき事は多くあり、である以上突発的な行動で自分の存在を世界に轟かせてしまうのはどうなのか。
(ふむ……)
これはあくまで危険な魔獣の討伐なので、現場を目撃されていた場合は危険視されるよりは英雄視される可能性の方が高く、その方向なら俺としてもあまり問題はないと思う。
だが逆に現場を目撃されていなかった場合、つまり特級魔術を放った理由が魔獣討伐の為であると誰も知らない事態になってしまった場合、俺が特級魔術を辺境の国の近くで放つヤベエヤツになってしまう。
冷静に考えてみよう。
仮に前世で「偶然核ミサイルを手に入れたから試しにその辺で撃ってみました」なんて奴がいたらどうなるか。
そいつは確実に危険視される。いや危険視で済む話ではない。各国は問答無用でそいつにありとあらゆる最新兵器を叩き込み、世界からご退場願おうとするだろう。
(よし、特級魔術なんてものを使うのはやめておこう)
俺が確実に本気を出せるのは王手の段階。あらゆるものを完遂させる段取りが付いた時か──文字通り、本気を出さないと俺が死ぬ時である。
あとは、見られた方が都合の良い場面なんてのも該当するかもしれない。
世界に災厄を齎す存在なんかを相手にする際に特級魔術を使えば、たちまち英雄視されて味方が増えるだろう。なのでそういう時であれば、特級魔術を使っても良い気はする。
(なのでこの魔獣を放置してある程度人が集まってきたところで、特級魔術を使って討伐。救世主誕生! みたいになるのが一番良いと言えば良いんだが……)
この魔獣、俺の国に進軍してるからなあ、とため息を吐く。
これが他所の国に進軍しているのであれば俺にとって良い具合のタイミングまで待ってから、颯爽と魔獣を討伐して「ぼくのかんがえたさいきょうのきゅうせいしゅ」ムーブをしても良かったんだが。
(いくら神々を討伐するためと思っても──流石に、この程度の存在のために自分の国の民を犠牲にするのは気分が悪い)
なので──この魔獣には、とっとと消えていただこう。
「……往くぞ、魔獣」
「────」
俺がそう呟くのと、魔獣が俺の方へと顔を向けるのは、ほぼ同時のことだった。
「燃えろ」
先手必勝とばかりに、俺は無詠唱で炎属性の上級魔術を放つ。
普段ならアホみたいな魔力を込めるが、今回は別だ。ジルのスペック全開で魔術を放つのは、あまりに被害が大きい。人気のない渓谷だが、わざわざ地図を書き換えるような真似をする必要はないだろう。
放たれた炎の渦が、魔獣近くの大地に触れる。
途端、大地を炎の海が埋め尽くし、魔獣が産み出していた軍勢を次々と焼却していった。
「……ほう?」
が、魔獣には通用していない。
精々表面を焦がした程度。普通の人間が放つ規模の上級魔術程度では決定打にならない皮膚。ゲームにいたら非常に面倒なタイプの魔獣である。
「────、λ────!」
魔獣が人間には理解不能な叫び声をあげる。叫びによって空気が振動し、空間が揺れた。快晴だった空を広範囲に渡って徐々に暗雲が立ち込めていき、やがて暗雲の中で電気を纏った力場が発生していく。
「……む」
瞬間、天から俺に向かって豪雷が降り注ぐ。
(権能を使えば回避する必要なんて全くないが──戦闘経験は大事だ。ここは回避しておこう)
そうして回避すると、直ぐ様次の雷撃が襲いかかる。
回避。回避。回避。回避。回避。
一撃一撃が上級魔術に匹敵する雷撃を、暗雲が立ち込めている範囲で無限のように放ってくるその攻撃は……成る程、普通に考えたら驚異的だ。
だが生憎と、この肉体は普通じゃない。
「飽きたぞ」
ただ単純に、俺は全身から魔力を放出した。
本来であれば身体の促進力を上げるくらいの効果しか齎さないとされている魔力の放出だが、そこに込められる魔力量が超級魔術を発動するのに必要な量に匹敵するとなると話は変わる。
放たれた魔力は俺に襲いくる雷撃を押しのけ、暗雲を吹き飛ばし、ついでとばかりに魔獣の身体を押し潰さんとドーム状に拡散していく。
「──────ッッッ!!」
堪らず、といった様子で魔獣が口から何かを吐きだそうとする動作に入るも、それすらも俺の放った魔力は押しのけた。
戦術もクソもない、完全なるゴリ押し。
しかしそれが通用してしまうのが、ジルという男のスペックなのだ。持ち味を活かして何が悪い? と言わんばかりに、俺は冷笑を浮かべた。
「トドメだ。不遜なことに、貴様には上級魔術では効果が無いようだな。それこそ初手の上級魔術で終わらせるつもりだったんだが……くれてやろう──超級魔術の一撃をな」
魔獣を円形に囲うように、大地に黒い焔の線が奔る。
そして、
「文字通り、地獄へと堕ちるが良い。──死の業火」
その一撃は、魔獣を跡形もなく燃やし尽くした。
◆◆◆
大地に降り立ち、右手を振るって黒炎を消滅させる。
「……」
上級魔術が通用しない魔獣。
インフレ後を知っていると別に普通のことだなと軽視しそうになるが、世の中の常識全てを世界有数の頂点基準で考えるのはよろしくない。
魔術大国を抜きにして考えれば一般的な術師が使う魔術は中級魔術がメインであり、上級魔術を扱うとなると天才の領域なのだ。それが効かないとなると、それはもう恐ろしい脅威だろう。
一般の兵士では相手にならない魔獣を大量に産み出す能力に、上級魔術に匹敵する雷撃の攻撃、更には上級魔術が通用しない体表ときた。
異常の原因を探ろうとするのは、当然のことだろう。
(単純に魔術を弾く概念を有していただけの可能性もあるが……だとしたってその概念自体が特異だ。見た目や雰囲気も禍々しかったが……自然に発生した魔獣とは思えんな)
そんな風に考えている時だった。
「嗚呼やれやれ。折角の儀式が台無しだ」
しわがれた声が、周囲に響く。俺は僅かに眼を細め、声のした方向へと顔を向けた。
「嗚呼それにしても想定外。まさか超級魔術の使い手がやって来るとは。ここから魔術大国は確かにそれなりに近いが、しかしあの国に魔獣は向かわせなかったというのに。である以上魔術大国の上層部が戦力を派遣する事はないじゃろうと踏んでいたのだが……ふむ。アテが外れたか」
そこにいたのは端正な顔立ちをした短髪の女性だが……しかし声が老人の男性。濃い紫色の着物で身を包んだ──違和感しかない"存在"が、そこに立っていた。
「嗚呼二週間前のあの日。この世界がこことは違う領域と繋がったという伝道師からのお言葉。アレは間違いなく魔王様降臨の前兆であり、その為魂を焚べようと魔獣を変性させたのだが……嘆かわしい。実に嘆かわしい。何故だ。何故お主は魔獣を討伐した? 魔王様に贄を捧げる崇高な儀式。それを邪魔するとは何事だ?」
魔王……? なんだそれはと眉を顰め──いや待て、該当する記憶がある。なるほど、アイツらか。
こいつはおそらく、第二部でチラッとだけ出てきた『魔王の眷属』を名乗るよく分からない集団の一員だ。
第二部に出てきた邪神を魔王であると勝手に誤解した彼らは、世界を魔王に捧げるべく表舞台に上がってきた。上がってきて、『熾天』を含む教会勢力によりアッサリ壊滅させられた組織である。教会勢力の踏み台と言ってもいい。
狂信者と狂信者の互いに相手の言い分を一切聞かない会話は視聴者達に「やべえ」という記憶を植え付けたのだが、今の俺は身近にやべえ奴が大量発生しているせいで彼等に関する記憶がすっかり飛んでしまっていた。
ちなみにこの『魔王の眷属』。原作でもかなり謎の勢力で、最高眷属とやらが出てきたと思ったらソフィアによって全滅させられたり。ついぞ伝道師とやらは顔を見せなかったり。更には魔王なんてこいつら以外の口からは一切語られていないし伝承にもないというオマケ付きである。
いや本当になんだったんだ、『魔王の眷属』。
登場初期は「神もいるなら魔王もいるよな確かに」とか「北欧神話が舞台なのにか?」とか「ラグナロクとかいうタイトルやし、ラグナロク後も生き残る連中を魔王として見立ててる可能性」「そもそも北欧神話を元にしているとは明言されてない件」「脚本家の名前見てないのか? 特に何も考えてないぞ」とか色々考察があったんだが、次の回にはソフィアに三分足らずで全滅させられるという。
まあ呪詛と呼ばれるこいつらしか使えない技術を持っていたり、最高眷属とやらは心臓を貫かれても死ななかったりとそれなりに強力な勢力ではあるんだが。
「ふん。先の魔獣は貴様の手によるものか。手間が省けた。貴様もここで、殺しておくとしよう」
「嗚呼超級魔術を扱える程度で、ワシに敵うとでも思っているのか? 確かに直接的な戦闘力ではお主の方が上かもしれんが……我ら『魔王の眷属』に人の理は通用せんぞ」
瞬間、世界が紅く染まった。
それと同時に、大地を這うように闇が俺の足元で蠢きだす。嫌な予感を感じた俺はすぐ様それから抜け出そうとし、
「……なに?」
身体が一切動かない事に気が付いた。そして闇は俺の足から徐々に胸の辺りまで侵食し始め、俺の内部にある"何か"を握り潰そうと──
呪詛 羅刹変容
「嗚呼! 嗚呼! 実に愚か! お主が魔獣と戦っている間、ワシはずっとこれを仕込んでいたのよ! それにここは元々、魔獣を操っていた故にワシの領域! 本来のそれより強力なこれに、抗えると思うな! これよりお主は自身の存在を失い、新たに羅刹として転生し、ワシに忠実な傀儡と化す! 人の道理を失った故にお主は心臓を貫かれようと四肢を喪おうとも関係なく稼働する人形! 嗚呼! 超級魔術の使い手を傀儡に出来るとは──」
「くだらん」
「──は、へ?」
原作知識。
それにより俺が有している情報は多い。それこそ、神々に匹敵するほど。いやなんなら、部分的には凌駕しているくらいには。
「呪詛? 羅刹変容? ふん、大仰な名前ばかりが先行し、中身が一切伴っていないようだな。実にくだらん手品であった」
なるほど、異質な術だった。
なるほど、初見殺しという言葉が相応しい業だった。
なるほど、それなりに残酷な一撃だった。
だが、俺には通じない。
原作知識を通してる俺にとって、原作で目にした力は全て既知のもの。初見じゃない初見殺しの業など、対策方法を知っていればどうにでもなるのだ。
「さて、では終幕といこうか?」
呆れた、という表情を貼り付けることで余裕を演出しながら、俺は内心で呟く。
───■■■■■
俺の存在が切り替わる感覚。
権能が発動して、闇の侵食を振り払う。
世界は元の色を取り戻し、それを確認した俺は一歩ずつ女……なのかよく分からん生物の方へと歩き始めた。
自信のある術を真正面から打ち破られ、しかもくだらんと一蹴される。
するとどうなるか。
「ば、莫迦な……あり得、ん。そ、そんなことが……!? な、何故……」
答えはご覧の通り。
女は目に見えて分かるように狼狽し、無様な姿を晒している。既に奴に余裕はなく、ここから先の行動は単調なものへとなるはずだ。
「……ッッ!! 認め、ん! 認めんぞおおおお!!」
呪詛 羅刹変容
女が再び術を発動させる。空が血のように紅く染まり、闇が大地を侵食していく。その闇はたちまち俺という獲物を捕らえ、俺という存在を破壊せんと揺らめいた。
「また同じ術……芸がないな。道化ならば道化らしく、派手に踊るが良かろうに」
だが、無意味だ。権能を発動させているこの肉体に、呪詛とやらは通用しない。
冷笑を浮かべ、俺は更に歩みを進める。
権能『■■■■■』
それは、ありとあらゆる攻撃を無効化する絶対の力。例外は神々に由来する力を根源としている攻撃のみ。
即ち、神代の魔術だったり神の秘宝だったり加護だったり、それこそ神々本人の攻撃以外は俺に通用しないのである。その通用する力にしたって、相手の神格によっては殆ど減衰させる効果がある。
第一部において猛威を振るった、ラスボスとして君臨するに相応しいジルの固有能力。ただでさえ元々のスペックや才能が人類最高峰だというのに、そんな固有能力を持っていればそれはもう「ジル一人だけでええやん」となるのは当然の理屈だった。
流石に二十四時間持続する能力ではないので持久戦に持ち込まれれば権能はいずれ解けるが、ジル相手に持久戦なんて出来る存在が一体この世界にどれだけ存在するのか。
まあ第一部では例外だった神々由来の力も、第二部以降は珍しくもなんともない力と化すので、完全にこの権能の価値は霞むのだが。
俺の最大仮想敵である神々には殆ど通用しないと思われるので、これに頼りきるのも問題しかないと言える。
「じ、呪詛! 混沌舞踊───」
まあ、呪詛とかいう力を弾くのに実のところ権能なんて大仰なものは必要ない。『神の力』さえあれば呪詛を無力化出来ることは原作で熾天が既にやっていたのだから、俺は相手を封殺する術を知っている。
「踊れと言った直後に舞踊ときたか。それなりにジョークというものを弁えているようだな?」
鞭のようにしなってこちらに飛んでくる闇を、軽く神威を放出して弾き飛ばした。
弾け飛んだ闇は逆に女へと叩きつけられ、女の体を地に沈める。
「ぁ、嗚呼……莫迦な……人の道理を超えた力……人間では、抗えるはずが……」
ここに、格付けは決定された。
もはや女に打つ手はない。後はこの女を殺して、それでこの事件は終わりだ。
「まあジョークを弁えていようが、貴様が私の国へと手出しした事実は消えん。魔王の眷属などと名乗るならば、喜色を浮かべながら地獄へと還るが良か──」
「…………まっ!」
俺が魔力を体内で練り上げたまさにその瞬間、女は口を開いた。
「まさか! 貴方様が我々が信仰する魔王──」
「──黙れ」
開いたが、俺は神威を放つことで、女の口を強制的に閉ざした。
「この私が、貴様ら風情が信仰対象とする魔王だと? 嬲ることに快楽と愉悦を見出すような……節操のない貴様らが、従順する存在であると? 随分と、面白いことを口にするではないか」
パクパクと、女が口を開いては閉じる。俺から放たれる神威による重圧を受けた女は、その顔を幽鬼のように蒼ざめさせていた。
「元より私の国に弓を引いた貴様に、生かす価値などなかったが……くく、くくくく」
そう言って嗤いながら、俺は右手で顔面を覆う。
──この世界に来てから、俺を信仰する人間は多くいた。キーランはその筆頭で、教会勢力はそれに続く狂信者連中だ。
だからこれ以上増えたところで大して変わらないと思っていたのだが……まさかこれほどまでに、不愉快な感覚を抱くとは。
使える駒は多ければ多いほど良いだろうに。調教してしまえば、それなりに使えるかもしれないというのに。選り好みなど贅沢だろうに。
しかしまあ、構うまい。
俺は、ジルになったのだ。自分が抱いた野望のために、世界を支配しようと目論むような男になったのだ。
ならばむしろ、こう在るのが自然なのかもしれない。まあそれにここまできた以上──どれだけエゴを重ねようと誤差の範囲だろう?
「くくく──実に、不愉快だ。貴様のような汚物が私を見るな。痴れ者が」
──死の業火
今まで溜まっていたストレスの全てを発散するかのように、俺は魔獣を討伐した時以上の殺意を込めて、女を地獄の業火で燃やし尽くした。
◆◆◆
女を燃やし尽くし、しかし未だに残り続ける黒い炎が揺らめく光景を、俺はなんとなしに眺めていた。
「……魔王の眷属が、この時点で現れるか」
先程は怒りが先行して超級魔術を放ったが、あの程度の相手には贅沢すぎたかもしれない。
最高眷属とやらは不明だが、単純な戦闘力ならばレーグルにも及ばない集団。まあ、呪詛とやらが厄介極まりないだろうが。
……しかし呪詛。直接喰らって分かったが、あれは異質だ。
教会勢力が一方的に殲滅出来たのは、文字通り相性が良かったからだろう。中々に面倒臭い連中が、まだ第二部どころか原作も始まっていなさそうな時点で現れやがった。
……それにしても、原作。そう、原作だ。
神々ばかりを気にしていたが、いつどんな場面で覚醒して急激に力を上げるか理解出来ない理不尽的存在、原作主人公にも目を向ける時期を見極めないと──そんな風に思考を巡らせている時だった。
「──良い。とても、とても良い」
鈴を転がすような声と共に大地が黒い炎ごと凍てつき、そしてガラス細工のように砕け散る。
氷の結晶が舞う白銀の世界。それを背景に、俺は頭上へと顔を向けた。
「素晴らしい。素晴らしかった、良いものを見せてもらったよ……。美しく、純粋に澄み切った魔力。無詠唱で放ったとは思えない程に洗練された超級魔術『死の業火』。それも、込められた魔力量がぴったり必要最低限」
その視線の先に、
「これは逆に難しい……そう、難しいんだよ。一般的に必要以上の魔力を込めるのは非推奨とされている。何故なら、調整が効かなくて暴発してしまう恐れがあるから。でもそれは厳密には違うんだ。厳密には魔力を込めすぎるのがいけないんであって、ぴったりと必要魔力のみを込めるのは不可能に近い。無詠唱なら尚更だ。普通はそれ以上の魔力を込めてしまうからね」
水色の髪と碧眼。白いワンピースのような服装を纏った十代半ばに見える少女が、ニコニコとした笑みを浮かべながら宙に立っていた。
「そしてその魔力量……いやはや凄まじい……。異常、異常だよ。師匠より多いんじゃないかい? その魔力量でなんで内側から弾け飛んだりしないのかな? それほどの魔力量、周囲にある程度垂れ流して空気抜きのようなものをしておかないと自らを滅ぼすだろうに。……人智を超えた魔力量と、それに耐えきる肉体を両立した存在……?」
言いながら少女は恍惚とした表情を浮かべ始め──。
「人体の神秘を見た気分だ……! まさに、まさに魔術を極める為に生まれてきたような存在じゃないかっ! もしや魔術の王となるべき器なのでは……素晴らしい……ああ、素晴らしい……ッッ!!」
少女を中心に、轟っ、と魔力の重圧が吹き荒れる。
圧倒的な魔力の奔流。常人なら震え上がり、膝をついてしまいかねないそれを──しかし、俺は涼風のように受け流した。
「……いいね!」
一切動じない俺の姿を見て、少女の笑みが一層深まる。
「特級魔術は使えないのかな? わざわざ超級魔術にする理由がないし……それとも使えるけど使わなかったのかな? 周囲の被害を気にしたのかな? ここは渓谷だし、むしろ特級魔術を放つのには絶好の場所だからそれはないか。ボクの師匠だって、週に一回は大陸の端とかで特級魔術を放っているし、気分で」
ドヤ、とした笑みを浮かべながら「私の師匠は週に一回気分で核ミサイルを放っています」と宣言した少女。
正気か? とドン引きしながら思った俺は間違っているだろうか。
「あれほどの才能なら、間違いなく炎属性の特級魔術には至ることが──ああ、そうか。特級魔術となると、小国じゃあ属性にあった魔導書がない可能性があるのか……。いや、そもそも特級魔術の魔導書がないかな? もし、もしもこの人が特級魔術を使えるようになったら──ああっ! やばいっ! そ、想像しただけで……ッ!!」
顎に手を添え、ブツブツとなにやらを呟く少女。時折顔を蕩けさせている辺りに、変態性を垣間見ることが出来るだろう。そんな風に何やらクネクネしていた少女は暫くして勝手に納得したのか、魔力を抑えてその桜色の唇を開いた。
「よしっ」
その少女のことを、俺は知っている。
「初めまして、ボクは氷の魔女の一番弟子。早速だけど、特級魔術に興味あったりしない? ボクの直感的にキミは間違いなく最高の才能を持っている。是非とも特級魔術身につけちゃおうよ。特級魔術はあると便利なものでね。ストレス発散になるよ」
胡散臭い笑みを浮かべながら、俺に対してそんな提案をしてくる少女。
「その埒外な魔力量で安全に超級魔術を運用出来るんだし、ボクの師匠の元にくれば特級魔術も身につけられると思うよ。歴史に名を刻んじゃおうぜ」
少女こそが世界最強の魔術師、氷の魔女の一番弟子にして───第一部において、『レーグル』の一角を担う少女であった