前哨戦
1万文字超えそうなのでとりあえずこれで投稿します。
「マスター。うちにも、なんかちょうだいや」
言葉とは裏腹に、その女は店長へ視線すら向けず、俺から顔を逸らさない。纏う空気は一般人──どころか、熟練の戦士の類とも一線を画し、その身に内包されている力はゾーイ以上。そして間違いなく、【権能】を突破可能な【加護】に類する力の持ち主。
(これまで集めた情報から、事前に分かっていたことではある。だが、改めて直接見ると……)
強い。それも、目測だけでこれだ。実戦ではどんな初見殺しが飛んでくるか分からんことも踏まえると、いきなりこの場で殺し合いを始めるなんて展開は絶対に御免蒙りたいところである。勿論、絶対に戦闘が避けられないのであれば話は変わってくるが。……それにしてもこれで文官とは、正直全く笑えんな。元々は災厄退治をしていたのだから、純粋な文官とは言い難いのかもしれんが。
(加えて、関西弁が概念として存在するのかもよく分からん世界で、関西弁を用いる得体の知れない人物。間違いなく、強い)
などというふざけた思考を挟んで小休止したいくらいには、俺はこの女を真剣に観察していた。何せ、月の神が一都市の統治を任せる程の逸材である。間違いなく、実力以上の"何か"も有しているだろう。
(管理人は各都市をまとめる存在な訳だが、特にこの都市の場合、自由奔放な実力者という不確定要素……ゾーイがいる。これが意味するところは、この女はゾーイも含めて都市を制御可能と判断される"特別"を有している可能性が高いということ)
武力主義の世界ではないかもしれないが、それでも【絶月】に名を連ねるゾーイを抑えるだけの"何か"が統治者には要求されるだろうからな。単純に管理人の実力が上回っているのだとしても、ゾーイを完封可能な程に差があるとは思えん。
(災厄退治一回で、こちらに接触か。さて、これが意味するところは……)
管理人が接触してくるにはまだ注目度が足りないかもしれんと思っていたが、迅速なことだ。まあ俺の存在はイレギュラーもイレギュラーだろうから迅速な対応が正しくはあるが、いきなり本命が来る可能性は低く見積もっていたので少々驚いている。
──と。
「にしても……かなり繁盛しとるやん。そこの兄ちゃんと、なんか関係あるん?」
管理人が口を開くと同時、更に店内の空気が張り詰めていく。管理人が登場するまでの賑やかな様子はどこへやら。皆が背筋を伸ばし、その表情を強張らせていた。俺の足元でクネクネしていた少女も……いや、特に変わらずクネクネしてるな。さては大物か?
(いや、管理人から離れるようにクネクネ移動をしている辺り、多少なりとも臆してはいるか)
管理人の影響から、完全に脱している訳ではない。この変態も、管理人を前には無力ということ。
(だがそれも、無理のないことだ)
この女の纏う雰囲気は、はっきりいって異様だ。単純な実力から来る威圧感や殺意、重圧とも異なる空気。それを、管理人は全身から滲ませていた。常人では耐えきれまい。故に誰もが、管理人に存在を認識されぬようその身を竦ませる。管理人に認識されることを、恐れているが故に。
「……あんた、暇なの? 何しに来たのよ」
──ただ一人。ゾーイを除いて。
「うちはこの都市の管理人やで? 休憩がてら自分が統治してる都市の喫茶店くらい行くがな」
「近所の喫茶店に行きなさいよ。ここ、中央から遠いと思うんだけど?」
唯一、管理人に物をいえる立場と実力を有した傑物。管理人と同じ【絶月】に選抜されているという事実は伊達ではなく、彼女は真正面から管理人に話しかけていた。
「確かに距離的には遠いな。けど同族がおるんやから、贔屓にしたってええやろ。なあ、ゾーイ」
「うっさいわねえ。私達は別に同僚でもなんでもないんだから、『親睦を深めるためにー』みたいな面倒な社交辞令はいらないでしょ。そもそも私、他の都市の【絶月】をほとんど把握していないし。なんならあんたは【絶月】である前に管理人でしょうが」
「時系列的には逆やけどな。まあけど、【絶月】に同僚感がないのは同意や。基準満たせばそういう括りに入れられるってだけやし。管理人と違って、定例会議もないしな」
「そ。結局、私達はその程度の関係よ。だからとっとと帰りなさい」
「……正味自分、うちを帰したいだけやろ」
「そうとも言う」
別にそこまで邪険にする必要はないのではと思わなくもないが、ゾーイとしては、管理人に接触されているこの状況は不都合という他ないだろう。彼女は、管理人やマーニに隠れて災厄の真相を追っていたのだから。
(しかし、俺は俺を拉致したマーニ側が俺を補足していない訳がないという理由で捕捉されていることを前提に動いていたが。……思えば、ゾーイは俺を隠し通せるという算段があって俺を匿っていたはずだ。つまり、ゾーイは月の監視網をある程度把握している──より正確には、ゾーイ本人は月の監視網を把握していると認識していたということか? だとすると、ゾーイも認識していない……即ち、【絶月】にも知らされていない裏の監視網が敷かれている可能性もある訳だが──)
マーニと【絶月】の関係性は、やはり相当に稀薄なのか。あるいは──単純に、信頼関係が構築されていないのか。
(実は恐ろしいまでの過保護で、密かに見守っているみたいな展開だったら笑えてくるがな。前世の様々な神話を考えれば、そういう神の形もあり得ないとは言い切れん訳だし。……とはいえ、だ)
今はこの状況について目を向けるとしよう。
「けどまあ、うちがここに来た本当の理由は自分も分かっとるやろ?」
「……」
管理人の言葉に、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるゾーイ。自分の思う通りの展開に持ち込めず、されどこの状況を覆す一手を打てる訳ではない。そういう表情だ。俺にとって管理人からの接触は好都合ではあるが、ゾーイにとっては不都合でしかないのだからさもありなん。
管理人がゾーイから顔を背け、俺に向けてくる。予測だが、この後の流れは、管理人が俺に対して「実はな。そこのイケメンのことを、うちは知らんのよなあ。ちょっと付いて来てくれへんか?」と口にし、そのままあれよあれよと状況が進んでいくことになるだろう。
俺としては、それは構わない。管理人と直接対話ができる状況に持ち込めるだけでも、昨日までとは大きく変化が訪れるからだ。
まあ尤も──
「実はな。そこの──」
「──営業妨害だ。疾く立ち去るが良い。貴様のその空気は、この店の輝きを翳らせる」
──まあ尤も。俺はこの場で、管理人とやりとりを行うつもりは毛頭ないんだがな。
「……あんまこういうこと言いたかないんやけどな。自分、己の立場っちゅうもんを分かっとるか?」
管理人とのやりとりをこの場で行うということは、即ち、俺のこの世界での異端性に触れられることを意味する。そしてそれが明るみになれば、俺はこの都市で行動がしづらくなるだろう。その展開は、今後のことを考えると、あまりに不都合だ。
管理人との接触が望むものであることに間違いはない。俺から接触するよりも、向こうから接触される方が望ましいことも間違いない。
だがそれによって、俺の安全や快適な空間が欠如するのはよろしくない。管理人との会話も、その後も、全て俺にとって悪くない方向に進むよう、この場を誘導させてもらおうか。
「ほう、面白い。立場と言ったか」
管理人からの重圧は、確かに凄まじい。俺自身が相対するのであれば成る程、醜態を晒していてもおかしくないレベルだ。
だが、この場に君臨しているのはジルである。例え俺自身が「すみませんでした。立場を弁えて土下座します」と白旗を振る寸前の状態であったとしても、そんな真似をする訳にはいかない。
「私は最初に忠告したはずだがな。貴様の記憶領域は、想像を絶するほどに狭いらしい」
「……なんやて?」
「ふん。加えて度し難いほどに愚鈍、か。まあ良い。この状況において、私が貴様に返す言の葉は、ただ一つのみ」
故に俺は、嗤う。視線に温度を灯さず、それどころか冷たい殺意を練り込めながら、俺は嘲るように嗤った。
「貴様の方こそ、己の立場を理解していないと見えるが?」
俺と管理人の視線が交錯し、周囲を重圧が包み込んでいく。水を打ったように店内が静まり返り、皆の視線が俺達に注目する。それはあのゾーイとて、例外ではなかった。
「ゾーイとの会話を聞いてへんかったんか? ……いや、この際それはええ。改めて分かったな。やっぱ兄ちゃんは──」
「この後に及んで、貴様の思考はそこに重きを置かれているとはな。呆れて言葉も出ん。議論が噛み合わぬとは、まさにこのこと」
この場において俺にとって不都合な展開は、店の客に対して、俺が身元不明の不審者であるという事実を晒されることだ。人の噂の伝達速度は侮れず、都市の住人全てと不仲になるのは、今後を考えると流石に避けたい。故に、俺はこの場では管理人にお帰り願う必要がある。この場で管理人と対話した結果、どんな情報が飛び出てくるか分かったものじゃないからだ。そしてそれは裏を返せば、この場じゃなければ構わないということでもある。
「管理人。貴様の管理人としての立場など、今この場においては無価値と知れ」
「ほー?」
「やはり愚鈍か。……ふん、まあいい。周りを見ろ」
「周り?」
そして、管理人は周囲に視線を巡らせ──ピタリ、とその動きが硬直した。
「ここは、喫茶店だ。空気、店長の逸品、客の談笑が織りなす空間。これらの絶妙な調和により、完成する場」
「……」
「だが貴様の存在は、この場の調和を乱している」
ゾーイから聞いた管理人に関する断片的な情報。この都市の価値観や在り方、常識。視界から得られる管理人の情報──性格、佇まい、雰囲気、声のトーンの変化、瞬きの回数──という名の膨大なデータ。これらを組み合わせて、管理人のパーソナルデータを推測把握理解し、数秒先の会話の流れをリアルタイムでシミュレーションしていく。俺がこう発言すれば、管理人はどう発言するか。そういったことを思考しながら、状況誘導し……掌握していく。
「貴様の振る舞いは、目に余る。それは無粋というもの。客として相応しいものではない。……さて、最初に私が口にした言葉を思い出したか? 管理人」
俺が発しているのはただの詭弁であり、やっていることも話題を逸らしているだけ。だがこれこそが、今この場における最適解の一つであることに違いはない。
管理人の目的は分かっている。そしてそれを果たすのに、この場所である必要はない。それを理解させ、管理人自ら「場を移そうか」と思わせるように誘導する。俺がやっているのは、ただそれだけだ。
(だがここで、俺自らが『ここではなんだから、場所を移そうか』とするのは悪手だ。管理人に貸しを作ることになるだけでなく──ジルのキャラ像と乖離する。まるで、隠したいことがあるから場所を変えたいみたいではないか)
そんなことは決してあってはならないのである。ジルが下手に出るなど、言語道断。あくまでも、管理人自ら退かせる必要がある。
(しかしここで少々ネックとなるのは、管理人も口にしていた"立場"。傲岸不遜なジルとしてのキャラ像は、管理人を相手に相性最悪だ)
ジルは一国の王であるが、その肩書きは月の世界においてあまりに無力。管理人からしてみれば「だからなんやねん。ここでマーニ様をお呼びしてもええんやぞ」案件になるかもしれない。
だがしかし、だからといって「あ、私ってこの世界じゃ平民なんですね。それなら大人しくします……。私は背景です。路傍の石ころです」なんて振る舞う選択肢は、断じてジルとしてあり得ない。そんな振る舞いをする人間は、キーラン一人で十分である。
(傲岸不遜で堂々と管理人を突っぱねると同時に、管理人と大きく敵対をせず、なおかつこの店の不利益にならず、更に店のお客様方に不安を与えない。これらを満たすものなんて存在しない──そんな訳がないだろう?)
そう。今の俺はこの店のバイトマンである。周囲の客を萎縮させ、店の活気を奪うこの女を排除しようとするのは、そこまでおかしくない。むしろ、至極当然の理屈と言えた。故に管理人に対して俺が不遜な態度を取ろうとも、周囲の人々は「まあ確かに」と納得できるのである。
いや、それだけじゃない。
(ここの世界の連中は、自らの職務──役割を重んじる傾向にあるからな。さて、この店において、俺はどういう職務をまっとうしていた?)
その答えは、周囲の人々の様子を見れば一目瞭然。変態は目をキラキラとさせているし、その他の客もどことなく畏敬の念を放ち始めている。
俺はただ、ジルとして相応しい振る舞いをしているだけ。それをこの世界の連中が「店の店員として当然の理屈」として解釈してくれれば納得に留まらず、「こんな状況でもキャラを崩さない職人精神! 素晴らしい……!」と感嘆を得られるのだ。価値観の把握が、活きていることの証左である。
(俺は一切、ジルのキャラクター像を崩さない。……だがそのキャラクター像をどう受け取るか、連中がどう解釈するかは、また別の話。大陸であれば正しく"ジル"という存在を解釈させるところだが……今この場ではこれが最適解)
加えて──
(管理人の俺に対する認識は、複数の可能性が存在する。だが、どの可能性であったとしても、お前はこの場で退くことしかできないだろう。何せ、複数の可能性といえど究極的には二択にまで絞られるからな)
管理人が詳細な情報を有していれば、バイト的立ち位置による発言と認識される。逆に、管理人が詳細な情報を有していなければ、自らも知り得ないトップシークレットな存在なのかもしれないという錯覚する芽を植えることができる。いずれにせよ、この場では管理人が俺に対して攻勢に移りづらい状況を演出することができた訳だ。
(確かに、この女は上位者的な立ち位置だ。月の都市を統治する管理人なのだからな。だが、神本人ではないことに加えて──)
この女に対して、周囲は萎縮していた。それは決して、住人がマーニに向けている畏敬と同質同種のものではない。災厄が起きようとも不安を抱いていなかった、彼らの姿とは全く重ならないのだ。
即ち。
(──この女に喧嘩を売ったところで、都市の住人から反感を買うことはない)
管理人は神の代理人であれど、真の意味でそれを認められている訳ではない。その理由は定かではないし、違和感を覚えるものだが、この場で重要なのは"管理人が住人に認められていない"という事実のみ。理由の考察は後回しだ。今は畳み掛ける時である。
「私との会話を望むのであれば、この場ではない。貴様の居城で改めるが良い。──この店の輝きを汚すなど、言語道断だ。管理人」
そして。
「……一理あるか」
そして管理人は、俺の読み通り、この場を退く選択肢を選んだ。
「しゃーない。ここでは勘弁したるわ。店に迷惑をかけるんはうちとしても本意やない。ほならまあ、場所を移そか。中央に行くで」
「あらやだ管理人様。わざわざご足労いただいたのに……当店の従業員がとんだご無礼を働いてしまい、大変申し訳ございませんわ」
「思ってもないこと言っとんちゃうぞゾーイ」
「はっ。謝罪くらい受け取りなさいシャロン」
「謝意を込めてから出直せえ」
管理人とゾーイの言葉の応酬を横目に、とりあえず第一段階は突破か、と内心で口にする。俺が管理人を言い負かしたのが爽快なのか、ゾーイの表情もどことなく晴れ晴れとしていた。
(それにしても、管理人の名前はシャロンというのか。意外と……というのは少々失礼かもしれんが、可愛らしい名前をしているな)
なんとなく藪蛇な気がするので口にはしないが。
「暫し待て。私はまだ、店長の逸品を食し終えていない。貴様の都合で、私の至福のひとときを侵すなど許されぬことと知れ」
「……あ、うん。大体自分のこと分かった気がするわ。好きにしてくれ」
俺に対して呆れたような表情を浮かべる管理人だが、何を他人事のようにしているのだろうか。
「ふむ、お客様。ご注文の品だが、どうするかな?」
「……あっ」
「自分で注文したもんくらい覚えときなさいよ。バカなの?」
「うるさいわ!」
思わず気が抜けてしまいそうになるやり取りだが──しかし、俺はここからが本番だと改めて己に言い聞かせる。
(所詮、今のは前哨戦のようなもの。管理人としても、たいしたデメリットが発生しない事柄だったからこそ、簡単に俺が思う通りに流せただけだ)
とはいえ、今の前哨戦だけでも管理人のデータは取得できた。さりげなく管理人の拠点──中央とやらに行ける目処も付けられた。
「……ふう。うまかったわ。ごちそうさん」
「ふん。最低限の礼儀作法は弁えていると見える」
「管理人をなんやと思ってるねん……」
「くくっ。さて、それはこれから、真の意味で理解できるだろうよ」
「……それもそやな」
さて。
「ほなら行くか?」
「構わん。元より、そういう約定故に」
では、本当の意味でお話をするとしようか。管理人──
矛盾あれば修正します。よろしくお願いします。
もう少し展開を進めるかどうかで悩みましたが、まあ時期的にも文字数的にもこれで許してくださいませ……。
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