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月郷

細々と再開しようかなと思います。細々と、です。


 ──マーニ様の恵みに感謝を。


 どこからともなく、至るところでそんな声があがる。この世界において、一日の始まりを告げる儀礼であり、日常的光景。誰も彼もがマーニを敬い、崇め、奉る。マーニが統治してくれているからこそ、自分達は生を謳歌できているのだとこの世界──月郷の住人は心の底から信じている。だから彼らはマーニに全てを捧げることができるし、マーニの考えに殉ずることを是とするのだ。


 ◆◆◆


「マスター。紅茶と……あと、ケーキセットちょうだい」

「はいよ。少し待っていてくれ」

「うん」


 とある街中に、ひっそりと構えられた知る人ぞ知る喫茶店。そこで、一人の少女がカウンター席に腰掛け注文を頼んでいた。注文を受けたマスター──ダンディな中年の男性──は物腰柔らかげに微笑むと、店の奥へと消えていく。


「お、嬢ちゃん今日は早起きだねえ」

「そういう気分だったのよ、今日は」


 他の常連客の言葉を軽く流し、少女は頬杖をついた。店内備え付けの()()()から流れる映像を見遣りつつ、サービスの菓子をひと(かじ)り。


「……そういえば、もうすぐ世界樹がピカピカ光る頃ね」


 忘れていたわ、と少女は小さく呟いた。常連客で賑わう喫茶店に少女の独り言を聞き届けたものはいなかったようで、その後も何事もなく時間は過ぎていく。


「隣の家の息子さん。将来は治癒士に決まっただそうだよ」

「あら、そうなのね」

「まあ確かに、彼なら……」


 店内を満たすのは、ありきたりな世間話だ。ご近所さんの近況を語り合う程度には、この店は客同士の仲が良い。ここにいるだけで、この近辺の常識は集まるのではないか、と思える程度には。かといって、この店が一見さんや一人を好む人間お断りの雰囲気であるかと言われると、そういうこともない。そんな絶妙なバランスで成り立っている喫茶店だ。


「お待たせ、ケーキセットだ」

「ありがとう」


 どちらかと言うと一人でいることを好む側にいる少女は、軽く礼を言ってフォークを手にした。感情に乏しい表情ではあるものの、少女の瞳はどことなく輝いており、それを知ってのことかマスターも穏やかに応対していた。


「そこに付けているアイスクリームはサービスだ。遠慮なく食べなさい」

「うん、ありがとう」


 常に抱いているモノを忘れさせてくれる時間。そんな時間を、この少女は気に入っていた。


 ◆◆◆


 ケーキを食べ終え、紅茶も飲み干した少女は、軽く体を伸ばして店内を見渡す。客がいなくなった店内は静かで、少し寂しくあるが、しかしそれはそれとして趣はある。

 もう暫くのんびりしよう。

 そんなことをぼんやりと考え、少女は追加の注文をしようと──


『東地区4A区域前線にて、中位災厄が発生しました。繰り返します。東地区4A区域前線にて、中位災厄が発生しました。近隣住民の皆様は、各自避難用──』


 ──しようとしたところで、世界を放送(ノイズ)が走った。


「……」


 上げようとしていた手をゆっくりと下ろし、少女は椅子から立ち上がる。代金をカウンター席に置いて、無言で扉へと向かった。


「……行くのかい?」

「ええ」

「そうか。……無茶はしないように。気をつけて行きなさい。また、元気な姿で来店してくれることを待っているよ」


 途中から言葉を聞き届けることなく──少女は、店を出て飛び立った。


 ◆◆◆


 マーニ様の言葉は絶対だ。

 マーニ様の存在は不可侵だ。


 それが、この世界のルールである。マーニを是とし、マーニの言葉に従い、そこに疑問を持つことさえない。


 月郷を襲う災厄と呼ばれる自然現象は、住民の大半を滅ぼせる。そんな恐ろしい現象が度々発生する地なんて、普通に考えれば最悪という他ない。その地に住む者にとって、生活圏が安全であるか否かは文字通り死活問題なのだから。故に、災厄を止めることができない王は無能と罵られ、民衆による暴動や革命が起きてもおかしくないはずなのだ。ある種理不尽ではあるが、人々は王に対してそういうものを求めているのだから。


 だが、月郷においては、それでもマーニが絶対であるという認識が変わることはない。災厄の原因を根本から取り除けなくとも、災厄に関する詳細な説明が為されたことがなくとも、月郷の住民はマーニに、世界に不満なんて零さない。焦ることなく適応し、順応し、生まれ()づる頃より重ねてきたルーティーンを繰り返すだけ。そうすればなんとかなるのだと、絶対的かつ盲目的な信頼を抱いている。その信頼を人々が抱くだけの、実績が積み重なっている。


 数分あるいは数時間。定められた位置にいれば良い。

 数分あるいは数時間。定められた仕事をこなせば良い。


 そうすれば、ありふれた日常は帰ってくる。そうすれば、ありふれた日常は繰り返される。不変が、そこにはある。そんな確証を、彼らは抱いていた。

 マーニを信じているからそうなのか。そうだからマーニを信じているのか。どちらなのか、それはもう誰にも分からないけれど、そうであることだけは確かだった。


 だから彼らは自分達の本分をこなす。自分達の生きている意味をこなし続ける。神から賜った『賜物(ギフト)』を基に、彼らは世界の歯車と化す。誰も文句を言わず、誰も不満を抱かず、誰も疑問視せず、世界は今日も神の意のままに廻り続けるのだ。

 




 

 ──一部例外を、除いて。


「……めんどくさ」


 億劫そうな表情を隠そうともせず、少女は宙を飛んでいた。


「マーニ様とやらが全知全能なら、怠惰の極みが許される世界の創造でもしてくれないかしら。災厄をどうにかする方の身にもなって欲しいわ」


 それは、この世界においてあり得ない発言だった。マーニを絶対視する世界において、少女は果てしなく異端だった。マーニに対する愚痴を溢し、世界に対する不満を抱く。自らの理想を叶えてほしいという不遜を隠そうともせず、少女は振る舞う。


「中位災厄ってことは、シフト的に私が不在じゃ前線崩壊だろうし。……はあ」


 仕事の開始時刻は、実はもう過ぎていたりする。しかし少女の顔に焦りはないし、罪悪感の類も微塵も抱いていない。のんびりと浮遊し、加速。一瞬にして災厄が発生したと伝えられた現場に直行し、勢いを殺してふわりと降り立つ。


「天気は暗黒。太陽の光は遮られているけど、真っ暗にはなっていない。これまでと特に変化なし、か」


 天を見上げながら「つまらないわね」なんて嘯き、視線を戻す。現場では、十数人の男女混合の部隊が災厄を押し留めていた。特殊な装備を支給されているため、その姿はどこか物々しい。


「で、状況は?」


 視線の先にある巨大な竜巻を見やりつつ、少女は問いかける。今回の災厄は可視されているもののようで、中位の中でも比較的対処が楽な部類に入るな、と軽く欠伸をしながら。


「あまりよろしくないです。我々では耐久戦以上のことは不可能なので、よろしくお願いいたします」

「『賜物(ギフト)』があるんだから、アンタ達も少しは頑張りなさいよ」

「ご冗談を。中位となると、我々の領分を超えますので」

「……」


 呆れた表情を隠そうともせず、少女は肩を落とす。良くも悪くも、彼らは頭が硬いし価値観も固定化されている。


「はあ」


 だが、そういうものだ。そういうものなのだ。だからそれを理解している少女は、それ以上は特に何も言うことなく、災厄へと目を向けた。


「……単純な出力とかだけを見たらその辺の連中でも割とどうにかできそうだけど。ていうか本当に、なんなのかしらね? 災厄って。私達を殺すことだけに特化でもしているのかしら?」

「さあ、自分には分かりかねます」

「あんた達からの答えなんて期待はしていないわよ。ほら、さっさと退去しなさい。邪魔だし」

「はっ」

「はいはい」


 同志……と呼ぶのか微妙な線の面々を下がらせ、少女は災厄と呼ばれる"それ"と対峙する。創世記から続くとされる、人々に対する絶対的な殺戮能力を有する災害。発生原因は不明で、発生の予測さえも発生直前まで不可能。マーニが治世する月郷における唯一の脅威であり、異端であり──己が異端であると自覚する少女にとっては、強い関心を抱かざるを得ない代物。


「『どうにかできる力を賜ったのだから、どうにかしなさい。それが生きる理由にして意味なのだから』……ね」


 少女には、マーニから賜った力がある。それは災厄を退けられる代物であり、それがあるからマーニは絶対であると信仰されているのだ。マーニ本人が対処する訳ではない理由は、自主性が育まないだのどうのこうの──と少女はぼんやりとではあるが記憶していた。


「与えられた力に、決められた人生」


 目を細め、少女は右手をかざす。掌が向けられているのは、超巨大な竜巻が移動している方向。


 そして。


「くそくらえだわ、本当に」


 そしてそれから暫くして、災厄は終幕を告げた。








「……」


 ──いやあっさりすぎるでしょ、と少女は思わず口を半開きにしてしまった。


「いやいやいや。こんなに簡単に祓える……?」


 如何に少女とはいえ、流石に中位災厄を一発で祓うことは不可能である。だからこその拍子抜けと、それ以上の違和感。こんなに一瞬で、災厄認定された竜巻を消滅させるなんてことは──


「あれ? でも、災厄の証と言っても過言じゃない暗黒は晴れていないわね。時間差で晴れる……な訳ないわよね。ええ、そうよ。こんなに簡単に終わるなんてあり得ないもんね」


 そして。


「……ッッ!?」


 少女が目を見開くと同時に、暗黒に包まれていた天から一条の光が降り注ぎ、大地に衝突する。そこを中心に地盤がひび割れ、少女の足元が陥没し、砂塵が舞った。


「……まあ流石に、中位の割には弱すぎると思ったのよね」


 これからが本命か。そう内心で呟きながら、視界を遮る砂塵を引き裂くかのように少女が右手を振るうと、一瞬にして視界がクリアになる。そして。


「……?」


 そして、少女の視線の先に倒れていたのは、よく分からない異形だった。黒い靄のようなものに包まれた、謎の異形。いやよく見れば、自分達と大きさや形は近いような──


「!」


 瞬間、少女はその身を屈めた。数瞬遅れて、自らの首があった位置を、異形の蹴りが通り抜ける。


「あぶ、」


 少女が回避することを読んでいたかのように、異形が肘らしき部分を落としてくる。寸前に手を使って弾いたが、重い。これほどの衝撃は、この仕事をし始めた頃に中位災厄を前にした時でさえ、受けたことがなかった。


「ないわね!」


 反撃とばかりに、少女は異形の顔面を狙って蹴りを放つ。蹴りを受けた異形の体が後方に吹き飛んだが、少女には分かる。どうしようもないはずのあの体制で、異形はこちらの蹴りを受け流していたと。瞬間的な判断力に優れている上に、取れる行動の幅も広い。


(こんなことが起きたのは初めてだけど、厄介ね)


 というより初めての事態だから厄介なのか、と少女は異形を見据えながら首を鳴らす。中位災厄の中でも上澄み──ともすれば、上位災厄に届くかもしれない異形。それすらも推測の域を出ず、まだ上がる可能性はある。


(……もしもそうなら、私より強いかしら? その辺の分析はしたいけど、それをするための安全策がちょっとね。まあ私よりも強かったら、このまま月郷にこいつが行くわけか)


 もし自分が災厄の進軍を許したとしても、月郷が陥落することはないとはいえ、|それはそれ《上の連中に貸しを作るよう》でムカつく。


「あんたが全ての災厄の元凶だったりするのかしら?」

「……」


 返事は、ない。だが、その程度は元より予測済みだ。こんなもの、社交辞令にすらなりはしない。

 

「瞳孔っぽい部分が開きっぱなしでなんか不気味だし、人のことを勝手に襲うし……。とりあえず、しばき倒すから覚悟しなさい」


 瞬間。少女の足元から、マグマの奔流が複数溢れ出す。火柱のように乱立するそれらが生み出すは、この世のものとは思えないほどの極熱地帯。大地が溶け、空間が歪み、世界が真っ赤に染まる。この身は熱に強いが、それでも"暑い"と感じてしまう。この異常現象の規模は──間違いなく、災厄にすら匹敵する。


「ちょ、流石に無茶苦茶がすぎるでしょ」


 匹敵するとは言ったが、あくまでも、規模だけの話だ。空間の温度が一気に数十万度を超えたとはいえ、それだけといえばそれだけ。災厄の真なる脅威要素たる悪質な特性は内包されていない。だが、それでも決して絶対的に安全ではないし、何よりもこんなことはあり得ない。


(物理的には災厄に近い現象を次々と生み出す。しかも、その種類が多種多様で豊富。やっぱこいつ、災厄の発生原因に近しい感じでしょ。それこそ、こいつが災厄を産んでいた可能性もある。こんなもの、色んな意味であり得ない事態だし……)


 少なくとも、何らかのイレギュラー。最上のケースであれば、目の前のこれは少女が長年追い求めているものに、近い立場にいるのかもしれない。


「絶対に……ッ!」


 もしも災厄が自然現象なんかではなく、何者かによって引き起こされているものならば。そしてそれが、■■■■■■■■であるならば。少女は──


「ッ!」


 襲い来る暴虐の嵐。この世界の頂点に近い少女でさえ、対処が困難となるそれ。今の少女は中位災厄であろうと難なく処理できる力量を有しているが、今回のそれは流石に規模が違った。何せ、出力では中位災厄に匹敵するような現象が途切れることなく、持続的に複数同時に発生しているのだ。それに、単純に対処するだけならともかく、背後にある都市を守りながら対処するとなると話が別である。単発なら良かった。十や二十でもなんとかしよう。だが、目の前これはそれを凌駕してしまっている。こんなもの、常時であれば最悪逃亡の一手を視野に入れるほどのものだ。だが、今回だけはその選択肢を取りたくないと少女は思っていた。


「あんたの正体、掴ませてもらうわ……!」


 異形の頭らしき部分を捉え、力を込める。しかし、異形はみじろぎすらしなかった。人体に近しい構造をしていても中身は全く別物ということか、と少女が内心で舌を打つと同時、異形の拳が少女の顎を跳ね上げる。


「つ、あ……」


 視界がチカチカと点滅する。炎の攻撃より威力高いんじゃないのこのゴリラ、なんて悪態を吐く暇も余裕もない。無防備な体に膝蹴りが打ち込まれ、体が後方に吹き飛んでいく。


「かはっ……!」


 そして、いつの間にか背面に展開されていた巨大な壁へと激突。痛みに悶えながら()()()しつつ、少女はゆっくりとこちらへ飛翔してくる異形を睨んだ。


「……ムカつくけど、強いわね」


 ともすれば都市を封鎖している防壁さえも、崩壊させてしまうのではないか──そう思ってしまうほどに、目の前の異形は強い。


(けど、)


 ようやく、ようやく目の前に現れた手掛かりだ。これを逃せば、自分は真実に辿り着けない。自分は何者なのか。この世界はなんなのか。こんな思考をしてしまう自分がいる時点で、この世界が"完璧"だなんて有り得ない。だから、だから──!


「意地でも無力化して、連れて帰る!」


 瞬間。奥歯に仕込んでいた治療薬により全快した少女が、仕切り直しと言わんばかりに『賜物(ギフト)』を──


「……は?」


 ──する間もなく、異形が地に落ちる。


 光の壁が空間に溶けていき、他の異常現象も次々と消失していく。空を覆っていた暗黒は晴れ、陽の光が差し込んできた。


「……」


 だが、そのことに驚愕する暇など、少女にはなかった。


「…………人?」


 地に落ちたはずの黒い靄に覆われていた異形。その異形を覆っていた黒い靄はいつの間にか消え、少女の視線の先で──銀髪の青年が地に伏せていた。


Q.千度ちょいくらいのマグマで空間はそこまで暑くならないのでは?

A.普通はその通りです。


元々書き貯めしてた続きからだいぶ変えたけど、多分こっちの方が面白いし、後々にそういうことかみたいなのが読み取りやすくなると勝手に思ってます。直接かくより間接的に書きたいタイプですが、間接的すぎて分かんねえよ!ってなるのもアレだなと最近思い始めました。人類最強周りの描写は間接的すぎたなと。

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― 新着の感想 ―
[良い点] すぐ倒れたし、信者の居ない月なんて弱体化してそうだけど、カフェとかに行く少女がジルと戦える強さなんてインフレが加速していて面白い。きっとこれから出る敵も強いんだろうな。題名に恥じない。 で…
[良い点] めっっっっっっっちゃ楽しみにしてました!!! ありがとうございます!
[良い点] ありがとうございます…ありがとうございます…全裸で待ってました。 [一言] 久しぶりのジル様養分が補給出来てホクホクです。 「銀髪の青年が地に伏せていた」 この一文だけで、ぷまい。心が浄化…
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