交差する世界
前章エピローグにして今章プロローグ
かつて、真に人類の頂へと手を掛けたとある青年が、標的を殺すべく放った一撃があった。
その名は『創世神話』。不完全とはいえ、紛れもなく人の世界における極致の片鱗である。
本来、人と神はそれぞれ異なる世界に君臨するというのに、それを超越してしまう無法の絶技。神が人の世に降り立つことはあれど、その逆は許されない。その領域を、侵してしまう例外。
だがしかし、その例外はとある半端者が敷いた二つの『天の術式』によって軌道を逸らされ、月を貫く以上の結果を残せなかった。地上の人々から一切観測されることなく、月が損傷する。たったそれだけの、くだらない結末で終わってしまったのだ。
そう、くだらない結末だ。神の領域を侵すほどの秘奥を打ち出して、たかだか月を貫いた程度の実績で終わるなど、お粗末にもほどがある。されどそれには、月を司る神がある確信を得てしまうきっかけを与える程度の影響が、発生していた。
バタフライエフェクト。
歴史の分岐は、ほんの些細な変化で訪れる。訪れてしまう。本来なら台頭したはずの組織がなりを潜めた影響で、本来なら台頭しなかったはずの勢力が台頭するなどよくある話。いやそれこそ、世界の滅亡さえも、たったひとつのIFで延長してしまうのかもしれない。
ある歴史において、その神は全てが終わった後に登場していた。
ある歴史において、その神は何も成すことなく退場していた。
ある歴史において、その神は道半ばで世界と共に滅んでいた。
ある歴史において、その神は自らの城ごと喰われて終わった。
そしてこの歴史において、その神は──
「ようやく、と言ったところか」
青年にしか見えない風貌の男が、玉座に腰掛けながらスッと右手をあげた。すると、黄金の光が彼を中心に放たれ、やがて世界が震撼し始める。
「地上から月を貫く力。及第点ではあるけれど、千余年でこれなら悪くない。それに後輩だし……まあ、合格という評価を下してあげようかな」
それは、男が月を修復する中で生まれた余波だった。男は玉座から動かずして、月を自由自在に操ることを可能としている。それこそ月が完全に破壊されようとも、彼は微笑みを浮かべたままに修復していただろう。月の再誕という、人類では不可能な神の所業を以て。故に、月が貫かれた程度で、彼が動じることはなかった。
「仮に表向きの月が木っ端微塵になろうとも、この世界が崩壊することはない。けれど月を一部とはいえ損傷したまま放置してしまうことは、信仰に関わるからね。人々が抱く月への絶対性が不鮮明になってしまう。そうすると、僕の存在が揺らいでしまう可能性は否めない」
まあ僕は神の中でも特殊だから、そうなっても消滅だとかはあり得ないんだけど──と男は内心で言葉を続けて。
「さてさて後輩くん。キミは僕の目に叶うかな。そして、僕はキミの目に叶うかな」
楽しげだった。
穏やかだった。
喜んでいたし、心を弾ませていた。心の底から、男は後輩の成長を祝福していたのだ。
「『月の神』になってから幾千年」
蒼い瞳を覗かせて、男──マーニは窓の外を眺める。自らが作り上げ、統治している世界。目的の為だけに積み上げた世界と、そこに棲まう人々を眺めながら、彼は言った。
「足掛かりは得た。地上の人間を殲滅して、移住を完遂させる。そして新たな世界を創ろうじゃないか、後輩くん?」
月の世界。
それは、月を司る神が地上を殲滅し、その上で目的を成し遂げるという計画の為に創られた世界。彼の配下がそれを承知し、その上で成立している唯一神の世界でもある。
人類最強が月を貫いていなければ、月の神は何故か機を逃していただろう。だが、この歴史においてはそうならなかった。月は貫かれ、彼は察知した。察知することができた。それが全てだ。
故に、一柱の神は動く。例えどれだけの犠牲が生まれるとしても、神の行動は変わらない。
月の神の力を内包させた隕石を落とし、獲物を釣る。それなりに時間はかかるだろうが、もう、千年以上も待った。ならば数日数週間数ヶ月待つくらいは、誤差に過ぎない。
腹心たる三人の内、最も彼の試金石として適している者を、地上に仕掛けていた遺跡へ送り込む。そうすれば、後はなるようになるだろう。主神に創造された肉体以外には本命の道が拓かれない仕組みになっている遺跡だが、保険として、人類最高峰の頭脳を持っていなければ時間内に解くことが不可能に近い細工も施している。準備は万全だ。
必ず目的の人物は来る。彼が遺跡攻略臨に必要だと判断した、自らの部下も連れて。
「僕は寛容だ。だから、キミの部下くらいは受け入れてあげよう。……尤も、彼女の眼は厳しいだろうけどね。キミのことはどうあっても受け入れるだろうが、付属品に関しては壊してしまうかもしれない」
まあその程度なら誤差だろう、と月の神は瞼を閉じた。来るべき来訪者の存在を、待ち望みながら。
◆◆◆
「随分と暗い遺跡。まるで冥府のよう。こんな場所を歩いていると、気持ちまで沈んでしまいますわ」
「……? そうか? この薄暗く、それでいて仄かに寒気がする空間。私にとっては、とても心地が良い場所なのだが」
「……貴女。死人よりも死人らしい価値観をしているんじゃないかしら」
「す、すまない。死人の価値観を、私は知らない。とりあえず、帰ったら仮死状態にでもなってみようと思う」
「……はあ。本気にしないでちょうだい。ちょっとした冗談なのだから」
「そ、そうか」
「それで、何か目ぼしい点はあるかしら?」
「ああ。ちょっと待っていてくれ。もうすぐで、結果が出るから」
隕石の落下に伴ってあらわになった、謎の遺跡。その情報に反応したのはジルやシリル、そして冒険者組合に留まらなかった。集落からの調査依頼を知らぬままに、謎の遺跡という単語に惹かれて調査に入る物好きが一定数存在していても、不思議ではないだろう。
「これは……凄いな」
「何かお分かりになりまして?」
「この遺跡は、完全に未知の鉱物で作られている。文明発展の過程で消えた、なんて次元の話ではない。根本からして、何かが違う」
故に、のんびりと雑談を交えながら遺跡を歩く二人の少女は、集落の人々から「物好きな旅人の方々」として認識されていた。薄暗い遺跡に美少女というのは不釣り合いな気もするかもしれないが、二人の服装が、本来なら生まれるはずの違和感を完璧に拭っていた。
「凄い。凄いぞ、ここは。まるで神秘の宝庫だ……!」
一人は、くすんだ金髪のおかっぱが特徴の少女だった。ヨレヨレの白衣の上からバックパックを背負った格好の少女は、眠たげに見える半目の中で、瞳をキラキラと輝かせながら壁を観察している。
「それはそれは……。つまりカレンのような専門家から見ても、この場所は異質と。いえあるいは、これが正常なのかしらね?」
もう一人は、金色の髪をサイドテールに纏めた美少女だった。紫色の袴に身を包んだ華奢な少女は、その手に持った扇子で顔を仰ぎながら、どことなく妖艶な笑みを深めている。
「ああ、その通りだレイスターさん。これまで見てきた遺跡と違って……ここは、完全に当たりだと思う」
「旧時代と新時代の変遷。あるいは、異なる世界の存在の片鱗。……そのどちらかの特定までは不可能だけれど、どちらかが該当する可能性自体は高くなったということね」
「その認識で間違いない。何せ、我々の文明には存在しないものが、ここにはあるのだから」
カレンと呼ばれた少女は、所謂考古学者と呼ばれる人種である。自らの研究のため、彼女は旅をしながら遺跡調査やその類の地に足を運んでいるのだ。その観察眼は鋭く、研究者であるから頭も回る。一時は賞金首やら犯罪者を討伐しまくる旅をしていると噂の二人組を訪ねようとしていた時期もあったのだが──色々あって、今の相方との旅に落ち着いている感じだ。
「レイスターさんの目的は確か……異界の把握、だったか?」
「仔細は伏せるけど、おおむねはその通りと言ったところですわ」
一方で、レイスターと呼ばれた和装の少女。彼女は、謂わばカレンの護衛役である。学者だけでは万が一の場合に身の安全を守ることが難しいため、こうして彼女のような護衛が付いているのだ。当然ながら決して慈善事業などではなく、少女が言うように、レイスター側にも目的が存在する。つまるところ、二人はギブアンドテイクの関係なのだ。
「──さて。ここまでカレンに任せっきりだし……当たりの可能性が高いのであれば、私も動こうかしら」
故に、目的を達成できそうだと判断したならば、レイスターが動くのは必定であった。彼女が扇子を閉じると同時に、カレンがやや後ろに下がる。
「……それで、異世界に繋がるのか? レイスターさんが不思議な力を使えることは知っているが、流石に異世界は……」
「まあ、見ていなさいな。あの男が生み出した技術は、私としても偉人の領域を超えたと認めざるを得ないのですから」
「……?」
カレンには、レイスターの意味深な発言を理解できない。しかし、深く聞くことはしなかった。彼女の研究領域ではないという理由もあるあるにはが──自分に不利益は起きないだろうという、謎の信頼の表れでもある。その信頼は、レイスターにとって少しばかりむず痒いのだが、カレンが知るところではない。
(異なる世界と繋がっているという前提で、力を行使して、抜け穴を探す。『伝道師』が全くのゼロから────を成し遂げたんだもの。ここまでお膳立てされている状況で、この私が失敗するだなんてあり得ないわよね?)
暗い笑みを浮かべて、レイスターは感覚を研ぎ澄ませる。『闇』を薄く、広く展開して──やがて、彼女は"答え"を導き出した。
(わざわざ丁寧に問題を解いて答えに至る必要はない。解答集を盗んで、解答を見て、そこから逆算してしまえばいいだけ)
それから暫くして、二人は異世界へと舞い降りた。謎の考古学者と──『魔王の眷属』の二人組。人の世界たる大陸においても異端な存在は、当人達以外に存在を認知されることなく、異世界へと辿り着いたのだ。
そして。
「これは、凄──」
「カレン。少し静かに。言葉を話す際は、小声にしなさい」
「──……?」
そして、『魔王の眷属』は扇子で口元を隠しつつ、考古学者を自らの背後に回した。よく分からない、みたいな空気を漂わせている考古学者の方を見ることなく、彼女は言葉を続ける。
「……異世界。正直、侮っていたかもしれないわね。いえ、侮ってはいなかったけれど、少しだけ慢心があった。世界の法則からして異なるようね」
「?」
「とはいえ今のところ、私達の存在は感知されていないし……。けど時間の問題……というより、状況の問題かしら? 脳筋か肉壁でも連れて来れたら良かったのに」
「同僚の方か?」
「同僚……まあ、一応は同僚ね。私は微妙に彼女達と異なる位置にいたけれど、立場のこともあってそれなりに交流自体はあったのよねえ……。それぞれがそれぞれなりに、方向性は違えど良い才能を持っていたわ。頭は……なんというか、突き抜けていたけれど」
はあ、とレイスターは扇子の裏でため息を吐く。狂人の叩き売りでも見てきたかのようなため息だな、とカレンはなんとなく思った。
「状況が変化するのは間違いない。おそらく、『伝道師』がご執心と噂の御方も数日以内にお越しになるでしょうから。けれど、私達は反則を使っている。だから──」
「ううむ、レイスターさんの言葉はよく分からないが……頼りにさせてもらう」
「……貴女。信頼する人間は、選んだ方がいいわよ。私と貴女は、あくまでも契約関係に過ぎないことを、お忘れなきよう」
「うん、頼りにしている」
「ですから……いえ、もう良いですわ」
呆れたように肩を落とすレイスター。そんな彼女のことを、カレンは不思議そうに見つめていた。
「私としては、調査を開始したいのだが」
「調査自体を禁止するつもりはないから安心なさい。それは我々の目的にも重要なことだしね。けど……いえ、置いておくわ。とりあえずここから移動するわよ。裏道を使ったとはいえ、遺跡から繋がってここに出たということは、ここはあの遺跡を用意した何者かの目に留まる可能性が高い場所ということなのだから」
「……異世界人か、気になるな」
「そこは同意するわ。……そうね。少し細工をしてから、一般人らしき人と接触してみましょう」
「危険性はないのか?」
「一般人と言えど、異世界の住人。私達とは異なる価値観を有し、異なる環境を生きた方々。故に危険性がないとは言いませんが、それでもやりようはありますわ」
だって、とレイスターは笑って──その眼を愉快げに細めた。
「異なる世界に生きているのは、彼らだけではありませんから」
◆◆◆
そうして、複数の思惑が飛び交う中で■■■■■は──異なる世界への来訪を果たした。




