【悲報】寝落ちしたらかませ犬
「ジル様! 万歳!」
湧き上がる歓声と、時間を経るごとに高まっていく信仰心。
狂信者達の大合唱は信仰対象である俺に一点集約され、とどまるところを知らない。
「ジル様! ジル様! ジル様!」
「素晴らしい。素晴らし過ぎます、ジル様……!」
「我らが王にして神……ジル様は、全てを見通されていらっしゃる……」
涙を流し、頬を紅潮させ、数万人規模の人々がコーラスを奏でていた。その姿はさながら、生涯信仰を捧げる対象を見つけた信者が如く……。
「……」
そんな非現実的な光景を前にして、俺は内心で思う。
──どうしてこうなってしまったのだろうか、と。
◆◆◆
俺は今、大変座り心地の良い椅子に座っている。それはどう考えても人を駄目にするソファではない。
俺は今、着心地の良すぎる服に身を包んでいる。それはどう考えても慣れ親しんだパジャマではない。
俺のすぐ隣には、紅茶の入ったカップが宙に浮いている。それはどう考えても俺が好きな某炭酸飲料水ではない。
Q.この状況において、異常な点を述べよ。
A.全部異常である。
「……どこだここは」
普通に考えて、俺は自分の部屋にいるはずだ。追っているシリーズ物のアニメがいよいよ第三期の終盤に入り始めたので、復習を兼ねて第一期から見返そうと意気込んでいた記憶がある。
ならば何故、俺は高級ホテルのような部屋にいるんだ?
(俺は寝落ちしたんだから、目が覚めたら自分の部屋にいないとおかしいはずなんだが……)
もしや誘拐でもされたのか? ……いやだとしても、俺なんかを高級ホテルに監禁するか? どんな誘拐犯だよ。
「……落ち着け俺。一度、喉を潤おそう」
そう言って俺は、宙に浮いているカップに手を伸ば──いや待て。宙に浮いてるカップってなんだ?
「???」
俺は手を止め、カップをガン見した。恐ろしいことに、種も仕掛けも存在しない。そこはワイヤーで吊るされていて欲しかった。
(待て待て待て待て待て)
ぐるりと周囲を見渡せば、大量の本棚の中に所狭しと本が並べられていた。漫画やライトノベルの類は存在しない、荘厳な書斎といった光景。
(文字も知らん。なんだこの本は?)
日本語でも、英語でもない。ギリシャ文字といった類のものでもなさそうで、完全に初見の言語で書かれた書物。……だというのに。
「読める、だと?」
読める。読めてしまう。見たこともない文字の意味が、スッと頭に入ってくる。
(──っ、どうなっている?)
ここまで、あり得ないことだらけだ。言い知れぬ不安を抱いた俺は頭をかいて、そこでようやく気が付いた。
(なんだ。この前髪の色は)
俺は日本人らしい黒髪の持ち主である。しかし、視界に映る前髪は完全に銀色なのだ。一体全体どうなっている。
(what's happend?)
くそ、意味が分からん。とりあえず鏡はどこ──瞬間、何故か俺の体は指を鳴らしていた。
「…………」
直後、虚空に鏡が現れる。指パッチンで鏡が現れるという意味不明な現象だがしかし、もはやそんなことはどうでも良かった。「カップが宙に浮いていんだし、指パッチンをすれば鏡くらい出てくるだろう」と投げやりな気分になっていたのである。
そして、
(!?)
鏡の中に、見慣れた己の顔はない。その代わりと言ってはなんだが、好きなアニメの第一期ラスボス──ジルという男の顔があった。
「は?」
鏡に映るのは、神々しさすら感じさせる銀色の髪と、鮮やかな青色の瞳を持った非常に整った顔立ち。鉄壁の無表情が氷のように冷たい雰囲気を放っているが、それがまた神聖さを感じさせる、そんな青年だ。
まあ、つまるところ。
(……イケメンだな)
イケメン。そう、イケメンである。顔が良いとも言う。
これはもう間違いなく、モテる。
(いや違う。そうじゃない)
完全に思考の方向がおかしい、と俺は頭を振った。
今俺が考えるべきは「この姿ならどれくらいモテるのだろうか」だとか「本当にイケメンなら何をしても許されるのか検証でもするか」だとか「リアルギャルゲーやれるのではないか」だとか、そんな現実逃避ではないはずだ。
(確かにイケメンだが、それ以上に不憫だからな。第二期のラスボスにムシャムシャ喰われるってお前……)
この姿の持ち主。ジルという人物を簡単に説明してしまうと、アニメのかませ犬的キャラクターである。
俺が好きなアニメ『神々の黄昏』にて、第一期ラスボスを務めていた男──ジル。その強さは圧倒的というほかなく、第一期においては間違いなく最強の存在だった。
しかしそんな彼の最期はひどく呆気ない。ズバリ、第二期のラスボスの強さを見せつけるため瞬殺されるという非常に悲しいものだ。そしてそれ以降はオタク達から「かませ犬」と呼ばれるようになってしまう不憫なキャラクターである。
(インフレの犠牲。長編のアニメのお約束ではあるが、あれは本当に残酷だった)
性格は俺様系に近く、傲岸不遜。立場も犯罪者組織のトップという彼は、色んな意味で“かませ犬っぽい“人物だった。あらゆる分野で人類最高峰の才能とスペックを有しているというチート設定すらも、インフレの踏み台としての性能を遺憾無く発揮する助けになっている。
それこそネット掲示板では「人類最高峰のかませ犬」なんて呼称もあったほどだ。
(序盤のラスボスを務める男の末路としては、あまりに悲惨すぎたな、アレは)
そして現在、俺はそのかませ犬になってしまっているらしい。自分で言っておいてなんだが、まるで意味が分からない。せめてトラックにでも轢かれていたら、「そうか、俺は異世界転生したんだな」と納得でき……たのだろうか?
(……気が付いたら前世のアニメの第一部のボスでしたってか)
それこそまるでアニメのタイトルみたいだな、と思った。
思って、なんだかおかしくなって一人で笑ってしまって──
(笑えねえ)
──横にある本棚を殴った。
瞬間、腹の底から響くような轟音が響く。衝撃が周囲へと拡散し、勢いよく本と粉塵、そして瓦礫が宙を舞った。
(……は?)
呆然としながらも、恐る恐る殴った場所に視線を向ければ、トラックでも突っ込んできたのかと思ってしまうほどの巨大な穴が壁に開いていた。本棚に関しては、もはや跡形もない悲惨な状態である。
「……」
……違うんです。そんなつもりはなかったんです。器物破損罪で訴えたりしないでください。
などと思っても後の祭り。現実問題として、この部屋は既に半壊状態だ。おそらく、本棚を殴った時の衝撃が本棚を破壊するだけでは収まらず、その奥にまで伝って壁も綺麗に粉砕したのだろう。
なんなら、通路を挟んだ向こう側の壁にも穴が空いている。レーザービームでも放ったのだろうか、俺は。
「…………」
どこまでいっても一般人メンタルでしかない俺は、自分でやったという事実を棚に上げてその光景にドン引きしていた。
「………………」
この身体能力。間違いなく、俺のものではない。本気で殴ったわけでもないのにこの威力……ちょっと意味が分からない。
間違いなく、ボクシングか何かで世界を狙える拳だ。狙ってどうする。
(──ああ成る程、これは夢か。夢なんだな)
あまりに非現実的すぎる光景。それを見た俺は、一周回って冷静になり始めた。
(そうだ、これは夢だ。夢に違いない)
普通に考えて、アニメのキャラクターになるなんてあり得ない。軽く殴っただけで、コンクリート製っぽい壁を破壊するなんてのもあり得ない。
(バカバカしい。何を悩んでいたんだか、俺は)
だからこれは、夢に違いない。むしろ何故、真っ先にその可能性を考えなかったのかと自分の頭を疑うレベルである。
「……フッ」
ということで夢から覚めるために、俺は自分の顔面を思いっきり殴ってみた。
◆◆◆
書斎は見るも無残なことになってしまった。
顔面を思いっきり殴った途端に衝撃が周囲に拡散し、書斎が爆発して瓦礫の山と化したのである。いや書斎だけじゃない。それ以外の部屋らしきものも全て、瓦礫の山。
幸いにして建物自体が倒壊とかはしてないし、奥の奥の方まで見れば無事な壁もある。だとしても、瓦礫以外ほとんど何もない悲しすぎる空間が生まれてしまったことに変わりはない訳で。
「……あっ、あの無事な壁見たことある。もしかしなくても、俺がいる場所ってアニメでジルが初登場した城なのか。なるほどな、これが聖地巡礼ってやつか」
はははと乾いた笑みを浮かべながら現実逃避気味に呟いて、すぐに頭を抱えた。
顔面を殴ったときには多少の痛みを感じたので、これは現実なのだろう。これだけの破壊力があるパンチを顔面に受けながら「ちょっと痛い……いや痛いかこれ?」くらいのダメージで済むのが、この肉体の脅威のスペックの高さを物語っていたが。
(なんで俺はジルになっているんだ。憑依か、憑依なのか? よく分からんが魂だけ異世界転移した系か? web小説始まってるのか?)
あるいは転生したらジルになっていて、今になって前世の記憶が戻ったみたいなパターンも考えられるか。
「異世界転生と仮定するならば、俺はいきなり自分の拠点を破壊してしまった訳だが……」
ゴミ屋敷ならぬ瓦礫屋敷と化した周囲を見て、思わず溜息。異世界転生において、拠点の確保は重要だ。それを自ら破壊するなど、なんと愚かな。
そもそもこれどうやって片付ければいいんだと悩み──気が付けば、頭に浮かんだ呪文を唱えていた。
「───」
途端、まるで逆再生するかのように瓦礫の山が動きだす。それらは遅くも速くもない速度で元の位置に戻っていき、ついには何事もなかったかのように元の書斎の状態が再現されていた。
「修復、か? 便利な力だ」
詳しい原理は分からない。時を巻き戻したのか。空間そのものを元の状態に戻したのか。俺の記憶の通りに現実を再現したのか。分からないが……便利な力であることに変わりはない。
とはいえそれなりの力……おそらく魔力をもっていかれたことを感じる。相応の代償はある魔術なのだろう。
「ここまで便利な力があるのに、かませ犬キャラなんて本当に不憫なキャラクターだ、な……?」
そこまで言って、俺はピタリと体を硬直させる。次いで、内心でダラダラと大量の汗を流し始めた。
(このままだと、俺は殺されるのでは?)
ジルの最期は、第二期のラスボスにかませ犬として瞬殺されることである。ならばジルに転生した俺も、第二期のラスボスにかませ犬として瞬殺されるのではないだろうか。
「……」
椅子に座り、天を仰いで一言。
助けてくれ。
「……バカバカしい。愚行にもほどがあるな」
助けてくれなどと内心で呟いてみたが、その無意味さは分かっている。
ヒロインムーブをしたところで、助けなんて来る訳がない。ジルはイケメンであって、美少女ではない。ジルは王様であって、囚われの姫ではない。ジルは悪のカリスマであって、悲劇のヒロインではないのだ。
「……」
ヒロインに転生したのならともかく、ラスボスに転生した以上、信じられるのは己だけ。ラスボスが助けを求めてどうする? 魔王が勇者に土下座をして許されるのか?
(……さて。幸いにして、ジルは人類最高峰の才能を有しているという脚本家のお墨付きがある。ならば、俺はどうするのが正解か)
天井を見上げながら、俺は第二期のラスボスと第三期のラスボスを脳裏に浮かべる。その他にも、第二期以降に出てくる強者たち。そして、彼らを強者たらしめるインフレ要素。そういったものを思い浮かべながら、俺は言った。
「──やってやろう。第二期のラスボスなんぞ知らん。第一期のラスボスを、舐めるなよ」
まずはここまで読み進めて頂いた事に感謝を。ありがとうございます、嬉しいです。
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