1︰迷子のレベルじゃない
誰か、助けて下さい。
確かに未成年ではあるけれど、10代も後半となれば、そこそこ大人だ。
この年でまだ迷子になる私。我ながら少し恥ずかしい。
元々方向音痴で迷子になりやすい人間だけど、流石に学校近くのCDショップにもたどり着けないとは思わなかった。
いや、言い訳をするとすれば、確かに近くにはあったけど行くのは初めてだったのだ。
今日に限って朝スマホを充電し忘れたので、既に電源は落ちている。
まぁ、調べたところで地図が読めないから意味は無いのだけど。
「はぁ〜〜…
今が何時かもわかんないよ…」
すっかり日も沈んでいて、街灯の明かりを辿るようにウロウロとしている。
もしかしたら既に店は閉まっているのかもしれないが、どっちみちここが何処か分からない時点で詰んでいるのだ。
「人っ子一人見かけないし…
誰か一人くらい歩いてても良くない?」
長い間一人でうろついていたせいで、酷く寂しさが込み上げてくる。
ちょうど自販機があったので、休憩がてらにココアを買って一服する事にした。
「………………」
静かだ。
街灯から漏れる、独特の『ジー…』という音だけが暗闇を満たしていた。
なんとなく怖くなってきて、とりあえず明かりのついているお店でも探そうと立ち上がった。
なにか視線を感じて私が歩いてきた方向を見ると、小さな男の子と女の子がこちらを覗いていた。
久方ぶりに出会えた自分以外の人間に、気分が急上昇する。
慌てて鞄の中からチョコを何個か取り出しつつ、その2人に話しかけた。
「ねぇ、ちょっと道を聞きたいんだけどいいかな?
お礼にこのチョコあげるから」
「………」
「えっと…あ、怖がらなくていいよ!
本当にお姉さん今迷子なだけだから…」
「…………………」
なにを話しかけても私の顔を無感動に見つめるだけで、その二人は全く口を開いてくれなかった。
じわじわとした恐怖が胸の内に広がり始めて、とうとう私は2人から逃げるように別れを告げる。
「ごめんね、困らせちゃって!
お姉さんもう行かなくちゃな…」
「落ちてきた?」
「え……」
ぐい、と子供なのかと疑うほど強い力でスカートの裾を握られた。
唐突に発せられた言葉の意味が理解できなくて固まっていると、今度は女の子がもう一度、
「落ちてきた」
と言った。
今度は疑問形なんかじゃない。
背筋を悪寒が走って、ギョッとして女の子を見たのがいけなかったのだろうか。
その子は、まるで心底愉快なものを見たとでも言うように、ニタリと笑ったのだ。
私の中の何かが、このままでは危険だとしきりに訴える。
そしてとうとう耐えきれずに子供たちを振り切って私は逃げ出した。
「何あれ、何なの、意味わかんないよ…!!」
怖くて後ろを振り向く事すら出来なかった。
ひたすらにあの子達から離れたくて離れたくて走り続けていると、勢いよく何かにぶつかった。
「っ、」
「おっ、と」
ぶつかった拍子に体制を崩すが、誰かに支えられる。
急いで見上げると、そこにはモデルでもやっているのかと言いたいくらいイケメンなお兄さんがいた。
金色の髪の毛が、街灯に照らされてキラキラと光っている。
「大丈夫かい?随分急いでいるみたいだけど」
「っ、いえ、あの、子供が、」
説明しようとして言葉に詰まってしまう。
なにが怖かったか、なんて明確に言葉にできる自信がなかった。
それでも、ようやく自分以外の、普通の人に会えたことで緊張が緩んだらしい。
視界が徐々にぼんやりと霞み始めた。
「おやおや、泣いているのかい?
顔を上げてご覧、ゆっくりでいいから話すといい」
「…っ、あの、」
「うん。聞いてるから1度落ち着こう」
「っ、、……。」
1度だけ深く深呼吸をすると、だいぶ落ち着いてきた。
もう一度お兄さんを見上げると、言葉を選びながら私は説明し始める。
「…実は私、道に迷って…。
最初はよかったんですけど、段々辺りが暗くなってきて焦ってたら、」
「あぁ、成程。君は道に迷った拍子に“落ちて”しまったんだね」
「………え…」
先程の子供も同じことを言っていた。
落ちる。堕ちる。墜ちる。
もしかしてこの人も普通の人間じゃないのかもしれないと、無意識に後ずさってしまった。
「…あぁ、そんなに怖がらないで。
ここには別に怖いことなんて無いよ。
君みたいに落ちてくる人は他にもよく居るんだ」
ゆっくりと私に近づくと、まるで幼子をあやすかの様に、その人は私の背中をポンポンと優しく叩く。
その手があまりにも優しくて、動揺もすっかりなりを潜めてしまう。
「うん、泣き止んだね。君みたいな子に泣き顔は似合わないよ」
「…ふふ」
「うん?どうかしたかい?」
「いえ…」
なんだか漫画に出てきそうなセリフだなと思うと、笑わずにはいられなかった。
こんな歯の浮くような台詞だって、やっぱりイケメンが口にすると様になるものだ。
「それにしても君も災難だったね。恐らく君が言っていた子供達というのは、狸か狐の子達だね」
「え、狸に狐、ですか?」
胡散臭いと思っているのがバレたのだろうか、彼は困ったように笑うと急に真面目な顔つきになった。
釣られて自然と私の背筋も伸びる。
「まず、ここは君の元いた世界じゃないんだ。
その事を理解できないと話が進まないんだけど…」
「……え、私は死んだって事ですか?」
「違う違う、そうじゃないよ。
なんて言えばいいのかな、ここの世界の人達は君みたいな人達の事を、『落ちてきた』って言うんだけど」
「あぁ…!
確かに、あの子供たちにも言われました」
だろう?と、男の人はその赤い瞳を細めて笑った。
それから話は続いて、ここには沢山の動物達がいて、でもそれらはもれなく全て進化の過程で人間の姿になっていて、ついでに人間には無い能力も備わっているという事を知った。
「さて、それで君のこれからなんだけど…僕のうちに来ないかい?」
「え?あの、私早く帰らないと、お母さんが」
「え?」
「え?」
おかしな事でも言ったかな?と首を傾げていると、男の人は悲しそうに眉を下げて告げた。
「君には言いづらいんだけど…。
落ちてきた人は沢山いても、帰れた人は居ないんだ。殆どが狸のイタズラで死んだり、肉食のやつらに食べられたりしてる。
残った人達も皆この世界で暮らしてるよ」
信じられない、と言うよりは信じたくなかった。
これが全部夢なのだと思いたくて頬をつねろうとすると、その手を優しく彼が包み込んだ。
「大丈夫。君が帰れなくても、僕が側に居る。
それに、いつか帰れる時が来るかもしれないからね。
その時までは安全な僕の所で過ごしていればいいよ」
どうして出会ったばかりなのに優しくしてくれるのだろうか。
どう考えても迷子のレベルじゃなかった今日の私だけど、この人と出会えたことが不幸中の幸いだった。
「あの、私は相月 結です!結でも相月でも好きなように呼んでもらって大丈夫です…。
それであの、あなたの名前を…」
「暁だよ。残念ながら君と違って名前しかないけどね」
暁さんはニコリと笑うと、私の鞄を持っていない方の手を握った。
「さ、行こうか。案内するよ」
「あの、手を…」
「うん?何かあったら危ないだろう?
それに、こうしていた方が君と近づける気がするんだけど、ダメかい?」
「い、いえ…!」
あまりにも顔がいいから、眉を下げられるとNOとは言えなくなってしまう。
心臓がありえないスピードで脈打っている気がするが、そこは今は放置だ。
「あれ、髪に葉っぱがついているよ。じっとしてて」
「あ、はい」
立ち止まって暁さんを見上げると、彼は少し困ったように私を見てから、微笑んで頭に手を伸ばして来て――
「?!」
「ヴッッッ、」
思い切り引き寄せられたかと思ったら、何故か尻もちを着いた暁さんが私の前にいた。
-------❁ ❁ ❁-------
「おい暁、またつまみ食いしようとしてたんじゃないだろうな?」
「…あはは、やっぱりバレるかい?」
「え、あの、え…?」
私が困惑していると、突然現れた黒髪の男の人がギロりと睨んで来る。
「おい女。お前もどうして暁のような得体の知れない奴にノコノコとついて行く?」
「え、」
「いや、聞いた俺が馬鹿だったな。忘れてくれ。
暁の事だ、どうせ思考誘導系の催眠でもかけていたんだろう」
「えっ?!」
サラッと言ってたけど、聞き捨てならない言葉が混ざっていた気がするのは勘違いではないですよね?!
「あ、暁さん、催眠って一体…。それに、つまみ食いってどういう事ですか」
「いや、全部文字通りだよ。
ほら、僕キツネだから。
騙すのは得意だし、君みたいに落ちてきた人達って騙されやすい上にすごく美味しいんだよ」
「お、おいし…?!」
ゾッとして暁さんから距離を取る。
一応助けてくれた、という事になるのだろう、黒髪の人にお礼を言おうとして――
「羽?!?!?!
生えてますけど大丈夫なんですか?!?!?!」
「おいそれはどういう意味だ」
「あはははは!
結ちゃん、朔夜は烏なんだ。だから羽があるのは当然だよ」
散々笑われたし、なんなら朔夜さん(?)には睨まれているが、納得いかないのは私だけだろうか。
いや、違う。そう信じたい。
「あれ。でも、暁さんとか狸って言ってた子供達は尻尾とかなかったですよ」
「そんなの当然だろ。コイツや狸なんかは化かすのが商売みたいなものだからな。
尻尾の一つや二つ、隠すくらい造作もない」
そういうものなのか。
しかも尻尾の一つや二つって…。2つ持ってる人が居るとでも言うのだろうか。
「そりゃいるだろ」
「僕の祖先にも三又の人が居たらしいよ」
わぁお。言葉の綾だと思ってたよ私。
「それはそうと、どっちみち私家も無いので暁さんにお世話になるしかないような気もするんですが…」
「阿呆が。なんの為に俺がわざわざ来たと思ってるんだ。
お前は俺の屋敷に来るんだよ」
「…は」
「なんだお前、脳みそだけじゃなくて耳まで残念とかいうんじゃないだろうな」
「な?!?!?!いくらなんでも失礼では?!」
賛同を求めようと暁さんを見るも、掌で顔を覆って震えるばかりで彼は味方もしてくれな……おい笑うなよキツネ。
一時でもこの人相手にドキドキしてた自分がいたなんて信じたくなかった…。
いや人じゃなくてキツネだったんだけど。
「いつまで間抜け面晒すつもりなんだ。早く行くぞ。
俺だって暇なわけじゃないんだよ」
「あ、はい」
暁さんはどうするんだろう…。
あ、ニコニコして手を振ってる。心配しなくていいということだろうか。
「しっかり捕まってろよ」
「え?うわぁっ?!?!」
言うやいなや、朔夜さんにお姫様抱っこされて空へと舞い上がった。いや文字通り。
急に視界が上に移動するのと、お姫様抱っこによる距離の近さ、何よりブランコですら怖いという高所恐怖症の私には色々なタイプのドキドキが一斉に襲いかかっていた。
「飛ぶなら先に言ってください!!!!めちゃくちゃ怖いです!あと近いです!!」
「…はぁ、耳元で喚くな。
飛ばなきゃ次の仕事に間に合わないし、屋敷に置いてやるんだからこのくらい我慢しろよ」
「う……」
仕事があるなら仕方ないとは思うし、泊めてもらう身分であるのに我儘だという自覚もある。
それでもやっぱり高いところは怖いので、こういう時気の利く女子なら『わぁ凄い!景色綺麗だね!』くらい言ってみせるんだろうけど、最初のわの字も言える気がしない。
「まぁ、そんなに嫌だって言うなら今すぐこの手を離してやってもいいが?」
「ひっ?!?!
嘘でしょごめんなさいお世話になります!!!!」
落とされまいと死ぬ気で朔夜さんにしがみつく。
すると、頭の上でクツクツと笑い声が響いた。
からかわれたのだと気づいて恥ずかしいやら悔しいやらで顔が熱くなるのが分かる。
「安心しろよ。俺がいる限りはお前を危険な目には合わせないつもりだ。
いい子にしてれば死ぬまで面倒見てやるよ」
「な、な、な…!」
なんて恥ずかしいセリフだろう。
まるでプロポーズのような言葉も、きっとこの人にとっては些細なものなのだろう。
月光に照らされて神秘的にも見える横顔を見ながら、私はこの世界でお世話になる、烏屋敷へと向かったのだった。