第6話 大学なのです
忌々しい朝だ。
今日から大学生活がまたスタートしてしまう。
凍子は昨日眠れなかった分、今日は朝までぐっすり寝ているようだ。
いつも通り朝ご飯を作る。
大学が始まると朝の睡魔にやられて朝ご飯を食べることができない、作る時間がないことがある。
今日は初日ということもあって何とかエネルギーチャージのために朝ご飯を食べることにした。
今日は、白米に卵焼きとソーセージ。実に簡単だ。
「おはようございますです、元。いいにおいの朝なのです」
においにつられて起きたのだろうか。凍子がゆっくりと歩いてきた。
寝起きも可愛い。
「おはよう、凍子。お前の分の朝ご飯もできてるぞ」
「ありがたいのです。いつの日か、私が朝ご飯を作るのですー」
まだ眠そうにしながらご飯を食べる。
いつの日かというか、近日中にはお料理をお願いしたいところだ。
「今日から大学に行くから、凍子はその間家で留守番をしていて欲しい」
「大学ですか? 一緒に行くのではだめなのですか?」
「だめに決まってんだろ。本来、部外者立ち入り禁止だからな」
うちの学校は本来部外者立ち入り禁止となってはいるが、割と部外者も入ってくる。
この前なんて、たぶん部外者の人が敷地内に入ってしまい警備員とお話をしていた。
それに、大学の友達もいるし、雪女である凍子と一緒に住んでいることがばれてしまったら何かと面倒だからな。
「お留守番ですか、してほしいことはありますか?」
「そうだなー、皿洗いくらいだな。あとは家の中で自由にしてくれ」
「わかったのです!」
凍子一人を家において出るのはなんだか不安が残るが、凍子だって子供じゃないしな。
「いってらっしゃいなのですー!」
手をぶんぶん振り回す凍子に見送られて学校に行くことになった。
家の鍵をしっかり閉めて、あとは凍子に任せよう。
大学生の春休みはすごく長い。
そのせいもあって、春休み明けの新学期は妙に緊張してしまう。これは春だけじゃない、夏休み明けも同じような感覚に襲われる。
大学に行くと、新学期だがいつも通り講義が再開し、みんな眠そうにその講義を受ける。
教授によっては、休み明けの講義はいつもの講義よりも短く終わることもある。そういう面では新学期が好きだ。
俺は友達の稲葉智則に呼び出され、昼はこいつと一緒に食べることになった。
「久しぶりだなー、元、元気にしてたか?」
「まあまあだよ。お前こそ、元気そうだな」
「もうめちゃくちゃ元気! 今なら今学期遅刻しないんじゃないかってくらい元気だよ!」
「お前、それ毎回いうよな。今回は何日持つんだよ、それ」
智則は俺の大学内で一番の友達だ。
明るい性格ではじめは合わないやつかとも思ったが、話してみると結構趣味も合ういい奴だった。
それに智則は俺と同じで群れるタイプではないところもいい。
俺と違うのは、サークルに入っていてそれなりに知り合いが多いってところだ。
「元、履修どんな感じになった?」
「結構自由な感じ、一年の時に頑張ったからな」
「俺もだよ、大学生って感じになってきたよな! 次の講義一緒に受けようぜ」
昼を食べ終わったら、次の講義場所へ移動する。
「大教室ってだけあって広いけど、人結構いるなー!」
こういう人が密集しているような講義はあまり好きではないが、こういう講義は楽に単位がもらえたりするため仕方がなく受ける。
ここにいる大勢も同じような意図だろう。
「すみません、隣に座ってもいいですか?」
振り返るとそこには黒髪でおとなしそうな女の子が困った顔で立っていた。
きっと、席が埋まっていてなかなかいい席が見つからなかったのだろう。
「どうぞ、ここでよければ」
「ありがとうございます」
凛としていて、顔が整っていて、思わず見とれてしまう。
「おい、元、隣の女の子、すげえ可愛くないか?」
智則も興味津々のようだ。
こんなにきれいな子が近くにいれば誰だってそう思う。俺の隣の席が空いていて本当に良かった。
「すいませーん、俺、稲葉智則って言います。もしかして、一年生?」
持ち前の明るさとコミュニケーションスキルを使って果敢に攻める智則。
俺にはまねできないな……
「はい、一年生です」
ずいぶんクールな子だなあ。媚びない感じがすごく好印象だ。
「元さん、ありがとうございます」
「え、いや、いいんだよ、席くらい?」
俺、この子に名乗ったっけ?
でも、ちょっと笑った顔も可愛い。そんな彼女を見ているとちょっとした疑問も気にならなくなる。
「元、その子と知り合いだったのか? なんで、俺に紹介してくれなかったんだ!」
「俺だって今会ったばっかだよ!」
「はい、私たちは初対面です。講義、始まっちゃいますよ」
「はーい、ここは超次元宇宙論Ⅰの講義場所でーす、履修してない人は帰ってねえ」
教授が時間通りに講義室に入り、教授の声と共に周りのざわつきは徐々に落ち着き、俺たちも講義に集中することにした。
相変わらず、この人の授業はおっとりしているせいで眠い。眠いしわけがわからない。この人の頭の中はいったいどうなっているんだ。
普通の人間はこんなこと考えもしないだろうということを永遠と語り続けている。
隣の智則はすっかり夢の世界へと行ってしまったようだ。
逆隣りを見ると、あの子はまじめに講義を受けているように見えた。
「講義中にごめんね、なんで俺の名前知ってたの?」
小さな声で話しかけてみた。邪魔をしてしまっているとしたら本当に申し訳ないが、なんだか気になる。
「それは、あの人があなたのことを元と呼んでいたから」
そう言って目線を智則に移した。
「観察力すごいね、もしかして俺が忘れてるだけかと思ってさ、そうじゃなくて安心したよ」
「元さん、次は何の講義を受ける予定ですか?」
「次? 次は確か、成人文学1-1だったっけな」
「私もそれを受けたいと思っていたので、よければこのまま一緒に受けませんか?」
遂に、俺にも恋愛の女神がほほ笑んだのか。こんな展開になるだなんて。
答えはもちろんイエスだ。
「もちろん! 俺も一人だから。名前教えてもらってもいいかな?」
「さとり、覚心さとり。よろしくね」
「さとりちゃんか、よろしく」
「さとりって呼んでください、先輩なんですから」
最近話した女の子が凍子だからか、さとりと話していると落ち着いた雰囲気に癒される。
「今日の講義はこれで終了するわよお。配った紙にお名前と感想を書いて出していってね」
講義は予定時刻よりもほんの少し早く終わった。
智則は違う講義を取っているらしく、残念だ、悔しいとわめきながら次の教室の方へ歩いて行った。
俺はさっき約束した通り、さとりと次の講義を受けに行く。
「元さん、初対面なのに無理を言ってしまってすみません」
「いいんだよ、本当に俺、友達少ないからさ。次だって、一人で勝手に入れた講義だったから一緒に受ける相手がいなかったんだよ」
「私も、まだあまり周りに馴染めていなくて……それにあまり大勢でいるのが得意じゃないんです」
この子、なんだか親近感を感じる。
入学したてって結構緊張するし、なぜかグループができていたりして馴染めないなんてことあるんだよな。
「わかるよ、俺も同じ理由でこんな感じだし。でも、なんとかなるものだから安心してよ」
「ありがとうございます、元さんとお話しできてよかった」
突然さとりに手をつかまれた。
「元さん、これからも仲良くしてくださいね」
さとりは俺の目を見ながら話す。なんだか、心の中を見られているようで恥ずかしい。
視線をそらしてもさとりに胸の内を握られているような感覚が残る。
「俺はいくらでも仲良くしたい気持ちだけど、さとりがよければそれで」
「元さんからは不思議なにおいがしますし、私も気になるので、本当に仲良くなりたいと思ってますよ」
本当に不思議な子だな。
今日、隣に座ったこともまるで偶然じゃないみたいだ。
「偶然ではないですよ」
「え?」
俺、心の声がまさか漏れてた?
それとも、俺の聞き間違いで会話が成立したように思ってしまっただけか?
「講義が終わったら私は用事がありますので、お先に失礼しますね」
「わかった、気をつけてな」
「はい、また明日」
このことを伝えたかったのだろうか。やっぱり聞き間違いかな、さすがに心の声は漏れてなかったと思う。
それに、また明日、か。
明日本当に会えるのかどうかわからないが、なんだか会いそうな予感がする。
とりあえず今日は早めに家に帰るか。
凍子も家で待っているし、うちにきて初めてのお留守番だからな。
「無事だといいな、凍子も、家も」
家に帰ると家は無事だったが、凍子が倒れていた。
「凍子!?」
「元、早く、夜ご飯を、下さい……」
なんでも、何を食べていいのかわからず、飲まず食わずで過ごしていたようだ。
凍子なりの気遣いだろうし、かわいそうなので今日の夕飯は多めに作ろう。
皿の上にあった山盛りの野菜炒めはあっという間に空になっていた。




