第19話 お兄ちゃんなのです
「そうそう、お兄ちゃんだよー!」
凍子は終始驚いた表情をしている。この人が、凍子のお兄さんなのか?
凍子に似てはいるが、凍子よりもしっかりとした雰囲気を感じる。さらにいえば、笑顔なのに謎の威圧感も感じる。
「どうしてもうここにいるのですか!」
「それは、この地域の夏が凄まじく暑いってことを知ったからだよ」
「うむ、妾が教えたのじゃ。元があまりに心配しておるのでな」
九尾が俺のことを見ながら俺の名前を呼ぶ。すると、凍子のお兄さんらしき人もこちらを見つめる。
「君が、元くん、なのか?」
「へ、あ、はい?」
なぜかキョンシーのポーズを取りながらじりじりと近づいてくる。
「そうかあ! 君が! 元君か!」
気がつけばしっかりと抱きしめられていた。
見た目は男か女かわからないくらい美しいが、やっぱり男だ。力もあるし、体格というか感触が男だ。
「な、なんですか! 凍子、雪女のお兄さんなんですか!」
「ああ、そりゃ、もう覚えてないよね。改めまして、僕は雪女の兄である雪男です! 雪女が凍子なら、僕は……雪男って気軽に呼んでね、元君」
「単純なのです! 元以上に単純なのです!」
「いいじゃない、単純な方が分かりやすいよ。それに、雪女の凍子って名前、単純だけどとても特徴を捉えてると思うよ? もう凍らす癖は治ったかな?」
「もう完璧なのです!」
やはり、雪男は凍子のお兄ちゃんらしい。性格はまるで違うが。
「それで、用件とは何なのですか?」
「僕と一緒に実家に帰ろう。この地域の夏は僕たちが生きていける環境じゃない」
「まだ修行は完璧ではないのです! まだ、ここで学ぶことがたくさん……」
「元君、雪女の修行はどんな様子かな? ちゃんとやれてた?」
「正直、修行が何のことかはわかりませんが、たぶんやってたと思います」
俺がそう言った後、雪男は不思議そうな顔をした。
そして凍子を見つめ、また俺の方を見る。
凍子はなぜか兄から目をそらしている。ちゃんとやってなかったってことか?
「もしかして、元君、修行の内容を知らない?」
「はい」
「じゃあ、九尾さんは?」
「妾は知らぬ。雪女にそのことを聞いても答えぬし、特に興味もない」
「さとりちゃんは?」
「さとりで結構です。私は見えるので知ってはいましたが、本人の口から直接聞いたわけではないので、申し訳ありません」
凍子の方を見ると、凍子は少し震えながら後ろを向いていた。
「ねえ、なんで言ってないの?」
「修行はしていると、伝えましたのです……」
「それじゃあ中身が分からないだろ? 一人じゃできないから、みんなに協力してもらえと言っただろう?」
「さとりに教えてもらっているのです!」
「でもそれは言ったからじゃない。言うつもりがなかったんだろう?」
「そ、それは……」
俺と九尾は全く話についていけない。さとりは何となくわかっているような顔はしているが、それでも俺たちと凍子たちの間には確実に隔たりができている。
これはこの中で唯一人間の俺が切り込んでやろう。
「それで、修行の内容って何ですか?」
凍子は顔を真っ赤にしている。
雪男はというと、そんな凍子の様子を見てため息をつき、こちらを向いて話し始めた。
「修行の内容は家事ができるようになることだ。この子は昔から家事ができなくてね、妖怪とはいえ女の子だし、せめてお料理はできるようになるようにと」
「ほーう、それで最近は料理を積極的にやっていたわけか」
「最近? それは本当かい? 数か月あってやっと最近か?」
俺は意図せず凍子のことを追い詰めてしまう。
「で、でも、急成長なんだ! さとりがいろいろ要領よく教えてくれているみたいでな」
「さとりちゃんが?」
「え、ええ。私が基本雪女に頼まれて料理を教えていたけれど」
「さとりは優秀じゃからな! 昨日の夕食もさとりが作ったものじゃ。おぬしも美味しいと言っていたではないか」
「すごくおいしかった。でも、さとりちゃんがうまいからといって雪女がうまくできるとは限らないだろう?」
「彼女なりに、頑張っていましたよ。私は基本を教えて、それを自ら応用しようとしていましたし」
雪男はうーんと考えるようなポーズをとる。
「じゃあ、修行はもう完璧だと?」
そういわれると快く「はい!」とは言えない。今朝卵焼きを失敗したばかりだし、おにぎりも苦手そうだ。
しかし、自分から料理をするようになっているし、さとりの言う通り応用しようとしている。
「完璧じゃないですが、凍子は成長しています。来た当初に比べれば!」
「それじゃあ、一度、雪女は連れて帰る。いいね?」
「え?」
「元君だって考えていたんだろう? 雪女が元の場所に帰ることを」
その通りだ。この地域の夏はすごく暑い。人間だって死にそうだ。さっきも雪男が言っていた、生きていけないと。
でも、こうも急にその別れがやってくるとついていけない自分がいる。
「急な話であろう? 妾も昨日こやつが突然雪女を引き取りに来たといったときは驚いた。元にも相談すべきことだと、さとりとはなしになってな」
「はい。だから今日呼ぶことにしたんです。お兄様もそれが良いといってましたので」
九尾にもさとりにも感謝しないとな。いきなりいなくなるんじゃなくて、こうやって段階を踏ませてくれたんだ。
きっと、突然朝いなくなっていたら俺は大混乱だっただろう。
「雪男、お兄さんの言いたいことはわかる。それは俺と同じ気持ちだ。凍子のためを思うならここじゃなくてもっと涼しいところに帰るべきだ。こうやって、お別れを言わせてもらえるだけでもありがたいよ」
「元君」
「ま、待つのです! 待ってほしいのです!」
今まで静かにしていた凍子が両手をバタバタし、いつになく激しくジャンプしながら俺と雪男の間に割って入る。
「まだ私は帰るとは言ってないのです!」
あ、確かに。もう帰るとばかり思っていたが、連れて帰るといったのはお兄さんだけで帰ることを凍子は了承していない。
むしろ、さっきもまださとりから学ぶことがあるとか何とか言っていた。
「お兄ちゃん、もう帰らないとだめですか? 私はまだおにぎりも握れません!」
「なっ! なんだと! あんな簡単な、料理と言えるか微妙なラインのおにぎりも?」
「凍ってしまうのです! 癖もまだ治ってないのです! この前だって元の家に氷柱を作ったのです!」
「お前はまた元君を凍らすつもりなのか?」
凍子の必死の言い訳が始まる。言い訳、なのかこれ?
むしろ自分の悪いところを洗いざらい話し始めている。雪男は頭を抱えて壁に手をついている。
可愛い妹の自立を切実に願うお兄さんとしては相当ショックなのだろう。
「あの、すみません」
さとりが手を挙げている。
「お話の最中で申し訳ないのですが、お兄様は元さんとお知り合いなのですか?」
「は? 今初めて会ったに決まってんだろ! 初めて見たよ、こんな美青年」
「僕は初めてじゃないよ。もちろん、雪女も」
え?
お兄様、今なんて言いました?
「ずいぶん昔に何回か会ったんだけど、やっぱり覚えているのは僕だけみたいだね」
「ど、どういうことなのですか?」
「お前もきっと思い出すよ。もちろん、元君もね」
「面白そうじゃ、聞かせてもらおう」
「私も興味があります」
さとりが新しいお茶を持ってきてくれた。
俺たちは椅子に座り、一度落ち着いてから話を聞くことにした。




