ピーナッツの日
会社の昼休み。
ビジネススーツに身を包んだ岸川彩菜は、ビルの一階にある本屋で恋人の滝本航平を待っていた。彩菜は雑誌コーナーを一回りすると、ファッション雑誌の平棚から1冊の雑誌を手にとり、ぺらぺらとページをめくり始めた。
しばらく雑誌を読んでいると、突然後ろから声をかけられる。
「ああ、いいね。この服、彩菜に似合うと思うよ」
航平は彩菜の横に立って、彩菜が見ているページを指さした。
彩菜もすぐに航平に気が付き、言った。
「急に呼び出すから驚いたよ。携帯のメッセージに気付かなかったら、今日は会えなかったかもしれないのに」
「会えなくても良かったんだ。突然思いついたから、メールしただけなんだ」と航平。
「じゃあ、ハイ、プレゼント」
航平は持っていた平たい小箱を彩菜に渡した。
きれいな包装紙に包まれ、リボンのかかった箱を彩菜は受け取る。とまどう彩菜。
「え? 何?」
「だからプレゼントだよ」航平は言った。
「プレゼント?」
彩菜は首をかしげる。
今日は11月11日の火曜日。誕生日でもなければ、つきあい始めた記念日でもない。
「ええっと……今日って誰かの誕生日だったっけ?」
そして彩菜はああっと声をあげた。
「ゴメン。もしかして航平の誕生日?」
航平は笑って答える。
「ちがうよ。誕生日は関係ない」
「何かの記念日?」と彩菜は聞く。
「うん、特別な日だ」と航平。
「特別なの? 私なにか忘れてる?」
すると航平はポン、と手を叩き言った。
「それはそうとして、昼飯を食いに行こう。この近くに新しくハンバーガーショップが出来たんだ。ちょっと高いけどね、オーダーしてから焼いてくれる本格的な店なんだよ」
彩菜もすぐにうなずいた。
「いいね、そこ行ってみよう」
航平と彩菜は本屋の自動ドアを抜け、駅とは反対方向の、住宅街の方に向かって歩きはじめた。
狭い店内の窓際の2人席に座った航平と彩菜は、ハンバーガーが出来上がるのを待っていた。肉の焼ける香ばしい匂いが店内を包み込み、食欲中枢を刺激する。隣の席ではすでに食べている最中の客がいて、ファーストフードのものよりひとまわり大きな、バンズから肉がはみ出しているチーズバーガーをおいしそうにほおばっていた。
航平はそれを横目で見て、彩菜に囁いた。
「期待出来そうだろ? この店、絶対うまいって」
だが、彩菜は「うん……」と生返事で答える。
「そんなことよりも、今日はいったい何の日なの? そっちの方が……」
「気になる?」と航平。
「うん」と彩菜。
航平は言った。
「僕はね、何もない日を記念日にする魔法を持ってきたんだよ」
そして航平はカバンの中からポッキーをとりだした。箱を開けると4本のポッキーを手に取り、机の上に並べた。
「何に見える?」
「1が4つ」
「そう。ポッキーを4本並べると11が2つに見える。だからグリコは1999年に、11月11日を『ポッキーとプリッツの日』と制定したんだ」
彩菜は腑に落ちないといった顔で聞いた。
「だからプレゼントなの?」
「気に入らない?」
「気に入らないも何も……」
彩菜は言った。
「プレゼントの理由にはなってないわ」
すると航平はさらに言葉を続けた。
「じゃあ『下駄の日』だ」
彩菜はすぐにピンと来た。
「分かった。下駄の足が並ぶと11、11ね」
「あたり。これは伊豆長岡観光協会というところが制定したんだそうだよ。その他にも、『もやしの日』『煙突の日』『きりたんぽの日』なんてのもある」
「なんで? なんで11月11日が『もやしの日』なの?」
航平は答えた。
「もやしは4本並べて1111。煙突も4本並べて見立ててる。きりたんぽも同じで……」
彩菜が言葉を遮った。
「そんなこと言ったら、真っ直ぐなものなら何でも記念日になっちゃうわ。エンピツでも箸でもつまようじでも」
「ところが、みんなちゃんと制定されているところが面白いんだ。他にもね、『電池の日』とか『鮭の日』なんてのもある。『電池の日』は±で11だから。鮭の日は魚ヘンの右が圭の字でこれまた11が2つだから。モヤシ4本よりはヒネリがあるだろ?」
彩菜は顔をしかめた。まぁ、言われてみればそうだけど……そんなことをつぶやきながら、彩菜は航平に向き直って言った。
「でもね、やっぱりそれってプレゼントの理由にはなってないような気がする」
「じゃあ……」
航平がそう言いかけた時、店員がハンバーガーを運んできた。それを見た航平は一言、
「まずは、できたてを頂いてからにしようか」
と言った。そして2人は藤のカゴに入ったハンバーガーの包みを手に取った。
店内は混み始めていた。入り口には待っている客が列をなしている。彩菜はそれを見て言った。
「ちょうどいい時に来たんだね」
「僕らは、タイミングが良かったんだよ」
と航平。
彩菜は大きなハンバーガーを必死に頬張りながら言った。
「ところでさっきの話だけど、『もやしの日』ってのが良く分からないよね。4つ並べるなんて、こじつけくさい気がする」
それを聞いた航平はハハハと笑う。
「欲しいのは口実さ。普通の日を特別な日にするための。人は理由を欲しがる生き物だろ? 記念日をつくりたい人の気持ちを考えてごらんよ」
「記念日をつくりたい人の気持ち?」と彩菜。
「うん。4つ並べるのはこじつけでも、記念日は記念日なのさ。そしてみんなが祝うんだ。記念日は普通の日だった今日を、特別な日にできる魔法なんだ」
それを聞いた彩菜が言った。
「そうよね。記念日とまではいかないけれど、一見普通の日に見えても今日はもしかしたら誰かの誕生日なのかもしれないんだよね。365日あったら、毎日が誕生日なんて……そう考えると面白いね」
そして彩菜はふと、『不思議の国のアリス』の一節を思い出した。
「不思議の国のアリスでは、『生まれない日バンザーイ』と言って、誕生日でない日を祝うの。364日プラス誕生日で毎日記念日なんて、それだけで楽しいのかも」
航平もうなずいた。
「ああ、いいね。記念日は毎日を楽しくしてくれるコツかもしれない」
彩菜がハンバーガーを食べ終わった頃、航平がポテトをつまみながら言った。
「そうだ、プレゼントの包みを開けてみるといい」
彩菜は航平に言われるまま、プレゼントの包みを開け始めた。
中から一足の靴下が出てきた。
「靴下? なんで?」
「何でだと思う?」航平はチェシャ猫さながらに、ニヤニヤしながら言った。
「11月11日は『くつしたの日』でもあるの?」と彩菜。
「あたり」と航平。
ちょっと考えこんで、彩菜は聞いた。
「もしかして靴下も2足並べて1111?」
すると航平は机に腕をつきながら言った。
「うん、だけどね彩菜。よく考えてみて。靴下をどうして2足並べる必要があると思う?」
「何か理由があるの?」彩菜が聞いた。
航平が答える。
「この『くつしたの日』は日本靴下協会が制定したんだけど、『くつしたの日』は『もやしの日』とは違うんだ。『くつしたの日』には、別名があるんだよ」
「別名?」彩菜が聞く。
「そう。『恋人達の日』っていうんだ」
航平が説明を加える。
「日本靴下協会の人は、恋人同士で靴下を贈り合おうと呼びかけたんだ。だから2足並べて1111なんだよ。今日は僕らの日なんだ」
「それが言いたくて、わざわざ来たのね」
彩菜はやっと理解し、そしてあきれた。
「でもね、ありがとう。寒くなってきたから、これは家で履くことにする」
そう言いかけて、彩菜はあっ、と声をあげた。
「そうだ! 私も思い出したわ」
今度は航平が聞き返す番だった。
「何を?」
すると彩菜が言った。
「今日は『ピーナッツの日』でもあるのよ」
「『ピーナッツの日』?」と航平。
「そう。11月11日あたりから、ピーナッツの出荷がはじまるからなんだって」
彩菜はストローでオレンジジュースを一口飲んでから、言葉を続ける。
「でもね、ピーナッツって同じサヤに2つ入っているでしょ?」
「うん」と航平。
「それを分けて食べるのって恋人同士っぽくない?」と彩菜。
「そうだね」と航平。
「私は『くつしたの日』よりこっちの方が『恋人達の日』って感じがしていいと思うんだ」
それを聞いた航平は笑って言った。
「11月11日は『ピーナッツの日』か。いいね。『僕らの日』って感じでいいと思うよ」
彩菜も付け加えて言った。
「今日はビールで乾杯ね。会社が終わったら、コンビニに寄って柿ピーでも買って帰ろう」