火防女20 エル10
いよいよ商人がやってくる日がきた。
私とアレンとセンは卓を囲んで作戦会議を行なっている。
『商人はどのぐらいでここにくるのだ?』
「いつも通りなら今朝の早くに麓の村を出立しているはずなので、昼ごろには到着するかと」
『よし、その間に準備を整えよう。
エル、この部屋に遠隔起動魔法陣を設置しろ、もちろん攻撃用のだ。』
「は!?え!?なぜです!?」
このブサイクちゃんは突然なにを言い出すのか
盗賊が押しかけてくるのなら理解できるが、これからやってくるのはただの商人だ。
しかもリークイド家との橋渡しをお願いする相手でもある。
そんな相手になぜ攻撃魔法陣が必要になるのかまったくわからない。
『我はここしばらく考えていたことがある。
それはリークイド家の結界管理の杜撰さについてだ。
先に話した通り、ここの防人の役割は火喰鳥の隠蔽護衛と魔力供給にある。
いくら途中で貴族から平民に代替わりしたとしても、王族が関わる案件にそんな適当なことをするものだろうか。
しかもやつらは氷の聖女ネーヴェの系譜だ、この役割の重要さについては誰よりも深く理解しているはずだ。』
確かに強大な魔獣である火喰鳥の危険性は、実際に戦ったネーヴェ様の一族が誰よりも知っているはずだ。
しかもこの結界の管理はリークイド家と王族の共同管理になっているはず。
下手な対応をすれば王族を敵に回すことになる。
それは貴族としての死だ、絶対に手を抜くことはできないはず。
しかし実際に結界についての情報は大部分が失伝し、結界ももはや決壊寸前だ。
「センティメント様、それはつまりどういうことでしょうか」
緊張したようにアレンが問いかける。
真剣な眼差しでセンがアレンを見つめる、数秒見つめた後重々しく口を開く。
『恐らくだが・・・・・リークイド家は火喰鳥の結界を意図的に解こうとしている節がある。』
ガタンとアレンが椅子を蹴飛ばし立ち上がる。
心酔していたセンに対し、怒りの表情を向けている。
「いかにセンティメント様と言えど、その発言は見過ごせません。」
『ただの推測だ、リークイド家が400年で腐敗し事の重大さを理解できないほどのボンクラになった可能性もある。』
「・・・・・。」
『だからこそ、今日はそれを見定めるチャンスでもある。
こちらが結界の異常に気づき、対処のための救援を求めた場合
相手の対応次第で敵か味方かがわかる。』
もしセンの言う通りリークイド家が意図的に結界を解こうとしているのなら、その事実に気づいた私たちを放置するとは思えない。
商人がどれだけ知っているかはわからないが、もしリークイド家の思惑に通じているのなら、その場で戦闘になる可能性が高い。
そのために魔法陣を設置しろとセンは言っていた。
「そんな・・・・ありえない・・・・。」
アレンは額に手を当て苦悶の表情を受けべる。
今まで味方だと思い、唯一頼れるリークイド家の裏切りの可能性に打ちのめされているようだ。
『まだ推測の段階だ、そんなに気を落ち込ませるな。
エル、とりあえず入り口正面の壁と卓を囲むように壁にありったけの魔法陣を設置しろ。
小僧も火喰鳥相手でなければ戦えるだろう、準備はしておけ。』
「うん、わかった。センはどうするの?」
『我はとりあえず最初は姿を消しておく。
何かあった時不意打ちができるように近くに潜んでおこう。』
お互いがやることを確認し合い、さぁ始めるぞと立ち上がった。
その時アレンから突然ストップの声が上がる。
「待ってください、でしたら共有しておかなければいけないことがあります。」
私とセンに手のひらをつきつけ制止をかける。
『なんだ、昼までにあまり時間がないから手短にしろ』
センが苛立ったように不機嫌な声を漏らす。
アレンが意を決したように顔をあげ私たちを見つめる。
「これからくる商人は・・・・・穢浄人なんです。」
アレンの言葉に私とセンは思わず息を飲む。
穢浄人とは、人と魔物の混血児のことを指す。
悪しき闇龍から生まれた魔物はその存在自体が世界に対する穢れである。
故に龍神教では魔物は絶対悪とされ、殺すことでその魂を救済できるという教義をとっている。
しかしこの中でも例外が存在する。
それは人と魔物の混血児である。
魔物の中には人と交わることができる種族が存在する、そして傷ましいことがだが魔物に犯され望まぬ子供を宿してしまう女性も存在する。
その結果、獣の耳や鋭い角、または異色の肌を持った混血児が生まれ落ちる。
混血児はその生まれから、半分穢れ半分清浄であると判断される。
なので本人に光龍と闇龍どちらの庇護下に入るかを選択させるのだが、闇龍を選んだ場合はその場で殺されるので、ほぼ全ての混血児が光龍を選択する。
しかしそれで終わるほど話は単純ではない。
光龍の庇護下に入っても、その身に流れる魔物の血がなくなるわけではない。
その血の穢れを注ぐ為、混血児たちは龍神教の小間使いとしてその生涯を費やす。
言ってしまえば、教会の奴隷になる。
彼らに自由意志はなく、ただ教会の言うことを聞く為に存在する。
そんな環境が嫌になり逃げ出す混血児も多いが、教会から逃げ出したとしてもその異形の姿から魔物と判断され討伐されてしまう。
生まれた瞬間から自由のない魔物との混血児、それが穢浄人である。
『そいつの親はなんだ。』
緊迫した雰囲気の中センが問いかける。
「熊の獣耳族です、獣の割合が多かったようで見た目は二足歩行する熊です。
身長は2メートルくらいでしょうか・・・。」
『そうか、妖術族か魔人族だった場合魔法陣が見えるから作戦を練り直す必要があったが。ただの獣耳族であれば特に問題ないだろう。』
「身長2メートルの熊が問題ない?本気で言ってるのセン」
『エルの魔法なら問題なく対処できる。
第一これから我らが相手にするのは全長5メートルの伝説の魔獣だ。
2メートルの熊に怯えていては話にならんぞ。
話はこれで終わりだ、魔法陣の設置だけちゃんとするんだぞ』
そう言うとセンはスッと壁の中へ消えていった。
残された私とアレンは顔を見合わせる。
「2メートルの熊って普通に怖いですよね・・・。」
「熊って言っても言葉が通じますし、彼は無口ですが・・・・温厚なので荒事にはなりませんよ・・・・・・きっと。」
曖昧に微笑むアレンに思わず苦笑が漏れる……。
数時間後、一人の男が教会に訪れた。
私はその男に釘付けになっていた。
見上げるほど大きな体躯に真っ白な体毛はまるでこの氷山ネーヴェのように白く美しい
黒曜石のように美しい黒い瞳はクリクリとしてとても愛嬌がある。
なによりも全身の真っ白な毛皮がモコモコでとても柔らかそうだ。
昔持っていたぬいぐるみのような可愛らしい彼に思わず飛びつきそうになる。
恍惚とした顔で瞳を煌めかせながら男に熱視線を向けていると、穢浄人の彼はアレンに困惑した表情を向ける
「この子は・・・?」
「大事なお客様です、今日は特別なお話があるのでこちらでお茶でもどうぞ」
アレンが食堂へと穢浄人を先導する。
食堂には彼専用の背もたれのない椅子が置いてある、その背後の壁には魔法使いにしか見えない攻撃用の魔法陣が設置してある。
何かあった場合すぐに攻撃できる位置だ。
そんなものがあるとはつゆ知らず、彼は専用の椅子に腰かけた。
アレンが彼の対面に座り、私は人数分のお茶を用意した後アレンの隣に座った。
「特別な話とは?」
「その前に自己紹介です。
彼女はエル、遠方から訪ねてきた同胞です。」
「エルです、初めまして」
ぺこりと頭を下げると彼もこちらに頭を下げた。
「俺の名前はビアンコ、見ての通りの穢浄人だ。
この身は教会に属しているが、今はリークイド家専門の商人だ。」
そう言うとビアンコがこちらに向けて手を差し出してきた。
その手は熊のものではなく、人の手のひらになっていた。
ただ人とは違い手は白い毛で覆われ、手のひらと指先に真っ黒な肉球がついていた。
「ほ、ほわぁぁぁ……」
差し出された手を握り返すと、ぷにぷにの肉球とふわふわ毛が実に心地よく思わず声が漏れ出る。
「………そろそろいいか」
肉球の柔らかさを堪能していると、困ったようにビアンコが静止をかけてくる。
ハッと肉球に囚われていた思考が戻ってき、慌てて手を離す。
「同胞と言っていたな、彼女は何者だ。」
「いいですかビアンコ、これから話す内容を落ち着いて聞いてください。」
そう前置きをしアレンは今までのことをビアンコに説明し始めた。
私の素性、火喰鳥の封印のこと、なぜ私がここに来たのか、そして結界があと一年もせず崩壊することを。
ビアンコの表情は分厚い毛皮に覆われよく見えないが、明らかに瞬きの回数が増えている。
内心とても動揺しているようだった。
「………最悪だ。」
話を全て聞き終え項垂れていたビアンコがポツリと呟いた。
「僕も最初は信じられない気持ちでした、しかしこれは事実です。
すぐにでもご当主様に報告を、そして火喰鳥討伐のために軍の投入を進言してください。」
「了解した、可及的速やかに報告しよう。」
一息ついたあとビアンコは椅子から立ち上がり帰り支度を始めた。
この様子だとリークイド家の思惑は知らないと見える
ホッと安堵のため息をつくと、その様子をビアンコがジッと見つめていた。
「最後に・・・話にあった龍神様とお会いすることはできるか」
「多分呼べば来てくれると思います。セーン!もういいよ出ておいで!!」
大声で呼びかけると天井をすり抜けセンが現れた。
『我に何用だ、穢浄人の少年よ。』
「お、おぉぉぉ…………」
天井から現れたセンの姿を目にした途端、ビアンコはその場に跪き手を組んで涙を流し始めた。
教会関係の人間はこれがデフォなのだろうか、アレンのときとまったく同じ反応で少し引いてしまう。
「偉大なる龍神様よ・・・・俺・・・いや私はずっとあなたにお伺いしたいことがございました。」
懺悔するようにセンに祈るビアンコの姿はどこか必死な様子だった。
『なんだ、申してみよ。』
偉そうに踏ん反り返ったセンが偉そうに許可を出した。
それを聞いたビアンコは組んだ手を額にあて歓喜の涙を流し始めた。
「感謝します、感謝します龍神様・・・・・ではお答えください。
穢浄人・・・・・魔物との混血児とはこれほどまでに罪深い存在なんでしょうか」
握り組んだ拳をさらに強め、嗚咽を漏らしながらビアンコはそう問いかけた。
「私は・・・5歳のころ母と死別しました。
理由は私を生み育てていたからです。
教会の教義では混血児は10歳になるまで人として育てられ、そこから自分で立場を選択するとなっていますが、実際は違います。
私の生まれ育った村では私のこの異形の姿に皆怯え、差別し暴力を振るいました。
母は村人たちに私を殺すよう諭してもいました、しかし母はそんな環境にも負けず私を慈しみ愛して育ててくれました。
そんなある日、村の近くで魔獣が現れました。
とても凶暴な魔獣で何人もの村人が犠牲になりました。
閉塞された村の中で恐怖だけが伝染していき、最初に迫害されたのはもちろん私達でした。
私が・・・魔物が魔獣を引き寄せているのだと凶弾され毎日石を投げつけられました。
そんな生活に嫌気がさし、私は5歳で魔獣退治を決意しました。
5歳でしたが、私の身体はすでに成人男性よりも大きく強くなっていました。魔獣退治はうまくいき、私も手酷い傷を負いましたが生還することができました。
しかし、村に帰った私を待っていたのは胸を刺され冷たくなっていた母でした。
犯人はわかりませんでした、しかし村の誰かがやったのだとすぐにわかりました。
母が死んでいた部屋の壁には[魔物の母は死んだ]と母の血で書かれていました。
それほど・・・・それほど私達は罪深いのでしょうか、母は村のために尽くし毎日働いていました。
私も村のために魔獣と戦いました、しかし村人たちが返してくれたものは母の死でした。
なぜ・・・・混血児というだけでなぜこのような仕打ちを受けなくてはならないのですか!!!」
涙まじりで話し始めた話は最後には絶叫と言っていい人悲痛な叫びとなっていた。
私はただただビアンコの境遇に驚き同情し涙を流すことしかできなかった。
私は穢浄人と会うのはビアンコが初めてだった、だから彼らの境遇についてはあまり知らなかった。
しかし今初めて聞いたビアンコの過去はあまりに悲惨だった。
ただ魔物と交わり生まれただけでここまでの仕打ちを受けなくてはならないのかと疑問に思う。
ジッと目を閉じ黙って聞いていたセンが目を開けビアンコを見つめる。
『知らん。』
その場の空気が凍る
センから飛び出したあまりにも無慈悲で無責任な拒絶の言葉に、その場の全員が呆気にとられる。
『そも、それは人の法の話であろう。
人の理から外れた我ら龍はあずかり知らぬことだ。
それを訴えるのであれば貴様ら人に対して訴えることであろう。』
呆れたように吐き捨てられた言葉はあまりにも無慈悲だった。
その時、バギンッと大きな破砕音が聞こえた。
音の方に目を向けると、ビアンコが机を叩き割っていた。
「知らない・・・?龍神が定めたのだろう、魔種族は悪であると
魔物との混血は生まれながらにして罪人なのだと・・・。」
『いや、そんなこと決めてはいない。
我らはただ世界の始まりを人に説いただけだ、正義だの悪だのそんな些細なことに関わることは我らはしない。
きっとその話が伝聞されていくうちに歪んだのであろうな。
それもまた人の営み、人の理。
我らはそれに干渉しない、ただあるようにある、それだけだ。』
怒りに身を震わせるビアンコとは対照的に、センは淡々とどうでもいいように答えた。
人と龍、その種族の違いによる認識の違いがここまで大きくかけ離れているとは思いもしなかった。
「では全て人のせいなのか!!母が死んだのも!!俺の仲間たちが売られ、買われ、辱められ、家畜のように殺されたのも!!!今もどこかで同胞たちが苦しんでいるのも全て!!!!!」
『然り、全て人の行いだ。』
淡々と告げられた言葉にビアンコはその場に崩れ落ちる。
アレンはビアンコに駆け寄りその肩を抱き寄せ優しく背中を撫でた。
「センティメント様、それではあまりにも・・・・あまりにも無慈悲ではありませんか。
彼ら穢浄人はいつか龍神様に赦されるよう毎日を必死に生きています。
それが・・・・龍神様は見ていないと、彼らの贖罪をあずかり知らぬと切り捨てるというのですか。」
縋り付くようにアレンもセンに問いかける。
しかしセンは変わらず淡々と返す。
『我らの赦しとはなんだ。
貴様ら人間が勝手にそうほざいていただけであろう。
我ら龍はそのようなことに一切関わりはない、逆に人間が我らの名を勝手に語っている現状こそが不敬ではないか。
そこら辺は我の担当ではないので何も言わぬが、見逃されている現状こそ恩情と知るがいい。』
「セン!!!!」
身勝手な物言いに思わずセンを怒鳴りつけてしまう。
あまりにも穢浄人たちに対する配慮が足りない。
センの言葉はただビアンコを傷つけるだけだ。
そう思いながらセンを睨みつけていると、眉間に皺を寄せたセンがめんどくさそうにこちらを振り向く。
『お前はどこか遠くで勝手に名前を使われて交わされた約束を守るのか?
そんなこと知らないと一蹴するだろう、我らも同じだ。
第一我らの赦しとはなんだ、この場で我がこの穢浄人の少年に「赦す」とでも言えば世界中の人間がこいつを赦すのか?
バカバカしい、そんなことありえるわけがないだろう。
赦す赦さないだとか、贖罪すれば救われるだとかは人間が穢浄人をいいように操るための方便だろう。
よーく考えればわかることだろう、他人に言われ盲信したこやつらが阿呆だっただけだ。』
「貴様あああああああ!!!!」
歯をむき出しにし、怒りに囚われたビアンコが爪をむき出しセンに飛びかかった。
しかしその爪はセンを貫くことはできず、センをすり抜けた。
爪を振り抜く力が空回りし、空中で半回転したまま壁に勢いよく衝突した。
「ガァ!!」
背中から壁に衝突したビアンコはその衝撃で、肺の中に溜まっていた空気を吐き出し、倒れ込んだ。
倒れ込んだときに食器棚や椅子を巻き込み派手に砕け散った。
木材の山の中で咳き込んでいるビアンコをアレンが慌てて引き上げた。
「ビアンコ、大丈夫ですか?」
「黙れ!!触るな!!人間!!!」
助け起こそうとしたアレンを爪で引き裂こうとするが、アレンはそれをギリギリで避けた。
思わぬ荒事にその場で硬直していた私をビアンコが睨みつける。
「大っ嫌いだ!!人間も龍神も!!みんなみんな大嫌いだ!!!
死ね!!みんな死ね!!惨たらしく死ね、悲しみと苦しみの中死ね!!
火喰鳥が復活する?好都合だ!!そのまま復活してみんな焼け死ね!!!」
喉がはりさけんばかりにそう叫ぶビアンコの姿はあまりにも痛々しかった。
砕け散った木片で傷ができたのだろう、真っ白だった毛皮の所々が赤く染まっている。
真っ黒な瞳からは光が失われ、涙で顔が濡れている。
全身の毛を逆立て、牙と爪をむき出しにし威嚇するその姿はまるで手負いの獣だ。
人となるために努力していた穢浄人が獣のように唸り声をあげる姿はとても見ていられなかった。
『つまり貴様は役目を放棄するということだな』
鋭く視線を細めたセンがその右手をみるみるうちに肥大化させていく。
センとビアンコは互いに睨み合い、一触即発の状態だ。
なんとかしないとこのまま殺し合いになる。
思わず体が動いた。
私はセンとビアンコの間に駆け込み両手を広げ、手のひらを二人に向けた。
「待って!!待ってください!!」




