展開
「犯人、ぜんぜん捕まんないじゃんよ!」
ピンクのVネックニットにジーンズを合わせた
降辺絵里が、ウッドチェアの主に向かって吠えている。
「コスちゃんだって、兄貴が自信満々に、犯人はすぐ捕まる。警察は無能じゃない、
なんて言うから、仕事を引き受けてきちゃったんでしょ!」
ウッドチェアの主、降辺拳はうるさそうに頭をかく。
「フルさん、申し訳ない。面倒を持ち込んで」
高級そうな絨毯の上にしいてある座布団に座る
琢己コスナーはすまなそうに、頭をかく。
「コスちゃんが謝る必要ないよ。兄貴が悪いんだから」
絵里の怒りが収まらない。
ただ、なんでこんなに怒っているのかは不明だ。
「人の書斎へ勝手に押しかけて、ワァワァ言うんじゃないぞ」
そう、ここはフルさんこと降辺拳が経営している質屋「しちや」の
奥の奥にある彼の書斎である。
琢己が醍条明菜からの再依頼を受けてから、2週間後。
捜索に行き詰った琢己がアポなしで押し掛けたのが、4時間前。
予定がキャンセルとなり、
自宅に帰ってきた絵里がポテチとお茶をもって、
書斎にやってきたのが、10分前。
で、
この有様。
「そもそも、探偵! 金儲けに目がくらみ、他力本願もいいことに、
依頼を引き受けたのが、元凶でないか。鹿児島大吾が見つかった次点で、
仕事は終わり。いつもの浮気調査に戻ればよかったんだ」
主が喋り出してしまった。
もう止められない。
「それに、絵里! 刑事がデートをすっぽかしたことの八つ当たりを兄貴に
するんじゃない! 山口君はこの事件の担当になったんだ。仕事のないお前と
違って、忙しいんだ」
「だ、か、ら! 兄貴はすぐに犯人が捕まるって言ったじゃない!」
まだ事件発生から2週間だぞ、と主は投げる。
山口とは絵里の恋人であり、刑事。
今回の事件の担当でもある。
「だって……、今日、私の誕生日だもん」
兄貴、ひどいよ…、と絵里は言ったきり、うつむいてしまった。
「フルさん、今日でなくてよかったんじゃない? 山口くんにお願いした調査。
それに調べたことを、今日中に報告してほしいって」
間髪入れずに、降辺がこたえる。
「探偵! 君が今日、来るからだろ。君だって絵里が誕生日だってこと
知らなかったんだろ?」
「まぁ、忘れてたけど……フルさんは知ってたんだろ。妹の誕生日」
いやしらん、素気ない返事。
「僕は、そういう呪縛が嫌いなんだ。できることならば、名前もいらないくらいさ。
自分が生まれた日を知らなければ、年齢という呪を受けないんだぜ。
絵里だって、いつも年をとりたくないって言ってるじゃないか」
もういいよ、絵里はつぶやいた後、
「名前も呪縛を受けてるの?」と聞いた。
「その通り。ただ、厳密にいうと、縛られることによって、ステージに立っている。
じゃあ、絵里に聞こう。お前は降辺絵里という名前だ」
「そうだよ」
「そこで、降辺絵里という呪を説いてみる。降辺絵里という単語を使わずに、
自己紹介をしてみなさい」
えっ、と絵里が一瞬、固まった。
「私は…カメラマンで、今日、27歳になった女性で……」
「よし、誕生日の呪も説こう」
間髪をいれずに降辺が刺す。
絵里が本格的に固まってしまった。
そして、私ってなにもの、とつぶやいた。
「でも、フルさん、そんなこと言ったら、この世の中すべてが
説明できなくなっちゃうぜ」
「その通り。人類にとって、最大の悲劇は、なんでもかんでも
説明できるようになっちゃったことなんだよ」
降辺は、その元凶が何かわかるか絵里、と聞いた。
「呪?」
「違う。言葉だ」
こうなるとフルさんの独壇場となる。
「言葉を生みだしたことによって、個が出来てしまった。
個ができたことによって、個体差が明確になった。これが悲劇だよ。
そして人類最大のイベントが起きる」
「それはなに?」
個を取り戻した絵里が聞く。
「文字」
降辺はポテチをひとつまみし、お茶を飲み干す。
そして、続ける。
「文字ができたことにより、歴史という概念が生まれた。
文字で書き残す。この文化により、宗教が拡散され、
国家が構築され、戦争が起こった。すべては言葉と文字が元凶だ」
絵里が反論する。
「元凶かもしれないけど、良いことだってあるじゃん。
歴史を反面教師にすることで、未来があるでしょ」
「絵里、歴史って誰が作ると思う?」
「歴史は事実をもとにして……」
「その時点で認識が間違っている。現代なら、事実を残せる文字以外のツールが
たくさんある。映像とかね。しかも、一般人でも使えるものばかり。だから、
事実を伝えることになれてしまっている」
そうかぁ……、琢己が気付いた。
「フルさんが言いたいのは、歴史を検証するすべが文字しかない場合、
文字を書いた人の個が重要ってこと?」
「そう。では、歴史を残せるのは誰か?
それはひとりしかいない。時の権力者さ」
それがやっかいなんだ、とまたポテチをほおばる。
「なにがやっかいなの?」
「絵里、考えてみろよ。絶対的権力を握ったとき、自分に都合の悪い過去を
素直に書くかい? 僕なら絶対に書かない。だから、歴史からは何も学べないんだ」
面白い説がある、と降辺は書棚から1冊の書を取り出した。
「織田信長は本能寺で死んでない、という歴史ミステリーは知ってるかい?」
「もちろん。足利義昭説や朝廷説ってやつだろ、フルさん」
そうだよ、琢己くんと降辺。
「その諸説の中に、本能寺の変で自害をしたのは羽柴秀吉であり、
その後、 織田信長は羽柴秀吉として天下を取った、という説がある」
「へぇ~、はじめて聞いた」と絵里。
「その理由こそ、先の歴史書の概念さ。
秀吉は全国を統一した人物であるにもかかわらず出生については、
諸説があり不明な点が多い。普通なら出生を美化したり、
「実は○○家の末裔だった」などという脚色をしても不思議ではない」
というより普通は話を盛るよな、と。
「まだ、この説の根拠はあるんだが、客人がきたみたいだ」
と降辺は話を切り上げてしまった。
まぁとにかくこの事件も言葉がキーなんだよ、と吐き捨て
降辺は書斎を出ていった。
客人とは、
フルさんからの調査結果をお土産にした
山口刑事であることは間違いない。
絵里の顔も、
別の意味でこわばっている。
琢己は高級そうな絨毯の上にしかれた座布団を
ゆっくりとひっくり返した。
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