ステージ
「わぁ、珍しいお客さんがきてるぅ」
ピンクのフレアスカートをたなびかせながら、
降辺絵里が、書斎に入ってきた。
彼女は両手でお盆を抱え、
その上には、3つのお茶と大量のお菓子が並んでいる。
「こら、絵里。ノックもせずに入ってくる奴があるか」
絵里は降辺の年の離れた妹。
確か、今年で26歳。
フリーの報道カメラマンと名乗ってはいるが、
もっぱら料理店での料理撮影がメインらしい。
とはいえ、カメラマン。
今日のスカート姿は珍しい。
「お盆に人数分のお茶とお菓子。これでノックをして万が一、
兄貴の大事なご本さまにお茶をこぼしちゃったら大変でしょ。
それにこのお茶は兄貴がお客様のおもてなしをまったく
してないことを危惧して持ってきたんだから」
この兄にして、この妹。
「それはどうも。危惧してるんなら、2人前で十分。
なんで3人分のお茶があるんだ?」
「だって、コスちゃんがくるなんて、久しぶりなんだもん」
絵里は琢己を見ながら、舌をペロっと出してほほ笑んだ。
「絵里ちゃん、久しぶり。元気そうだね。今日は仕事?」
「ううん。今日は出版パーティだったの。だから、
久しぶりにスカートをはいたんだぁ。もう窮屈でイヤダ」
そして、
最近、仕事が暇だから退屈なんだよねぇ、と天井を見つめた。
「あっ、コスちゃん、今度また浮気現場の張り込みの仕事ちょうだい!」
「無理だなぁ。探偵業界も不況なんだよ。
絵里ちゃんのギャラが払えない」
う~ん、と腕を組んで小首をかしげる仕草がかわいい。
この朴訥で無愛想な兄と兄妹とは思えない。
「じゃあ、さっきの寄生虫の話を詳しく聞かせてよ。それで1日分無料」
無言でお茶を飲んでいた降辺がむせた。
「こら。また盗み聞きをしやがって。用がすんだら出て行きなさい」
「人聞き悪いなぁ。盗み聞きじゃないよ。たまたまお茶を持ってきたら、
最後のところが聞こえちゃっただけ」
「盗み聞きに意図する、しないは関係ない」
このやりとりもここでは日常だ。
いつもなら、このあと妹を追い払ってしまうのだが、
今日は助け船を出した。
「フルさん、ちょっと情報の整理と女性の視点からの意見も聞きたいと
思っていたんだ。絵里ちゃんの同席を許してやってくれないか。
もし事件が起こっているなら、山口さんの力も必要になってくるし」
山口とは、絵里の恋人で警視庁捜査一課に勤める自称敏腕刑事。
ふたりの出会いは、この書斎で山口の一目ぼれで、
絵里には頭が上がらないらしい。
「ほら、コスちゃんもそういってるじゃん。決まり!
じゃあ、コスちゃんよろしくね!」
降辺はそっぽを向きながら、
ちょっとトイレに行ってくる、といい、部屋を出て行った。
「まずは事実関係から整理しよう」
明菜と大吾は社会人バスケットボールチームのチームメイトであり、
不倫関係にあること。
チームメイトはその事実を知らないこと。
そして、1か月前から大吾が行方不明。
「その大吾さんのことは調べたんでしょ?」
「鹿児島大吾。29歳。現在、無職。仕事を辞めてから半年。
依頼主の申告通り、1ヶ月前から音信不通。
孤児として施設で育てられたため、家族、身寄りはいない」
「どうして1ヶ月前だとわかるの?」
「郵便受けに積まれた新聞の日付」
ふ~ん、単純な結論だね、と絵里がつぶやく。
そこに降辺が帰ってきた。
「いなくなった時期なんて関係ないよ」
降辺は、ウッドチェアに座ると、
絵里が持ってきた大量のポテトチップスを食べ始めた。
「まず探偵。他人にベラベラと話していいのかい。
しゅひなんとか違反になっちゃうぞ」
痛いところをつかれた。
ただ、探偵の最大の成果は、依頼を成功させること。
少しの守秘義務違反は目をつぶるのだ、と
自分に言い聞かせている。
「フルさん、それは俺の……」
言い伝える前に、降辺が話し始めた。
「じゃあいくぞ。最初の疑問だ。
なんでこの浮気調査専門の探偵に依頼したのか。
本当に心配なら、まずは警察だろ。
心配したチームメイトが捜索願いを出したってことなら、不自然はない。
不倫を隠したいならなおさらだろ。
こんな探偵に依頼するから、我々のような他人にまで
不倫がばれてるじゃないか」
スカートの裾を気にしながら、絵里が応える。
「警察に言いたくない事情があるんじゃない?」
「それこそあやしいじゃないか。
それに、明菜は琢己くんに『大吾は恋人です』と最初に打明けている。
ちょっと考えただけで矛盾だらけなんだ」
「明菜さんの旦那はどうなの?」
絵里が主旨を変えた。
「ほぼ仮面夫婦だな。旦那もバスケチームの一員なんだけど、
明菜よりバスケに夢中だし、バスケより、漫画に目がない。
正直、ほったらかし状態」
「最低。でも、そんな状態なら、浮気しちゃうかもなぁ」
「それに旦那は、明菜が俺に依頼していることを了承している。
チームメイトは知らないみたいだけど」
「なんかそれも不自然だね」
指についた塩を舐めながら降辺が、
不自然だらけなんだよ、とはき捨てる。
「明菜がこの探偵に依頼したのが失踪から1ヶ月だろ。
アパートには山のような新聞が放置されている。
そろそろ隣の住民が騒ぎ出すころだし、大家や不動産屋は
なんらかの対応をしなくちゃいけなくなる。
明菜が動かなくても、事態は動いていたんだよ」
降辺は、お茶をグイっと飲み干した。
「仮に大吾失踪の犯人がいたとしたら、明菜の行動は予定外だったはずだ」
腕を組みなおした絵里。いつの間にか、シャツを肘までたくし上げている。
「犯人にとってみては、大吾さんは早く見つかってほしいわけ?」
「そう。大吾が見つかることで、ステージが変わる」
「アパート関係者から警察に届出が出ているかも知れない?」
「当然そうなる。アパートにいないのは明らかなんだし、
警察立会いのもと、部屋の捜索はしているはずだ」
絵里は考え込んでいる。そして。
「ちょっとグッチに聞いてみる」
絵里はグッチこと山口尚樹に、スマートフォンから電話をかけている。
2、3言話したあと、すぐに電話をきった。
「今、こっちに向かってるんだって。兄貴に聞きたいことがあるみたい」
30分後、山口尚樹がきた。
やたらと興奮している。
「実は昨日、身元不明の遺体が見つかったんです。
さっきお兄さんが電話で言ってたとおりの背格好ですよ」
さっきお兄さんが電話で…
「発見現場は、使われていない資材置き場です。
その土地の持ち主が売却のために不動産屋を現地案内しているときに
遺体を見つけたそうです。この1ヶ月の寒さのおかげで、大きく腐敗も
進まず、奇跡的に原形をとどめていました」
山口は一気にまくしたてる。
「ほら、琢己くん。情報提供、情報提供」
一瞬、ぼうとしていた琢己は慌てて、大吾の写真を渡す。
写真を一目した山口が青ざめた。
「ビンゴみたいだね」
「ビンゴです」
「こんな偶然、すごい」
絵里の目が点になっている。
「これは偶然じゃないんだよ、絵里。
こうなるべくしてこうなったんだから、必然。
偶然というのが、たまたまという意味であれば、
我々が警察に情報を提供することになったのは、たまたまだな」
「兄貴に言ってることぜんぜんわかんないし、グッチがなんで家に
きて、すぐにこの話題に入ってこれるのかもわかんない」
ため息をつきながら、降辺が応える。
「僕がさっき山口くんに電話して、琢己くんから聞いた
大吾の特徴に似た身元不明の遺体がないか聞いたからだよ」
降辺は、さっきトイレに行っただろ、と付け加えた。
さらに続ける。
「この事件はいずれ遺体は見つかるし、その遺体が鹿児島大吾だと
いうことが判明するようになってるんだよ。
そのキーは状況によって変わる。
今回は、たまたま、我々がキーに選ばれただけ。」
「例えば、そのキーがアパートの隣の住人だったかも知れないし、
不動産屋さんやバスケチームのメンバーだったかもしれないってこと?」
「その通り。犯人にとって、そのキーは重要じゃない」
「重要でしょ? 遺体が見つからなければ、捕まらないんだから」
「ここで話している犯人というには殺人の実行犯のことじゃない。
ここまできたら実行犯はすぐに捕まるぞ。日本の警察は無能ではない」
「実行犯が捕まったら、事件は終わりじゃないの?」
「法律上の事件は終わりだよ」
「もうまわりくどい!」
「だから、これは寄生虫の話なんだよ、絵里」
降辺は、妹を見ながら、寂しそうな、
なんともいいようがない目をした。
お読みいただき、ありがとうございます。