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セレクション バケモノ少女と無能魔術師  作者: 白銀悠一
第四章 ヴァイオレットカース
28/33

おばあちゃん家にただいま

 目を覚ますと、同じ光景がやってくる。

 シミの目立つ天井。ひび割れがたくさんある壁の四隅。

 身を起こすと、ボロボロの家具が目に付く。色褪せた小さなテーブルの上には、コンビニのレジ袋。

 添えてある置き紙には一言、あさごはん。

 幼い少女は立ち上がって、その朝食を食べる。

 そして歯を磨いて顔を洗って、学校へと登校する。

 それがいつもの光景だった。

 あの日を境に状況が一変するまでは。


「あなたなんか産まなきゃよかった!」


 母親はヒステリックに叫んだ。毎日毎日過酷な労働に従事し、帰宅は深夜。

 とうとう限界を迎えていた。疲れがピークに達していた。

 しかし、シングルマザーである母親の心境を理解するためには、少女は幼過ぎた。

 その言葉にショックを受けて、それでも自分なりに考えて。

 少女は疲れて眠ってしまった母親を置いて、ボロボロのマンションから飛び出した。

 公園のベンチで行く当てもなく、途方に暮れる。

 そこへやってきたのは一人の外国人だった。金髪碧眼の男。


「素質がある。これで僕もおばあさまに認められるだろう」


 そう一言呟くと、男は少女を眠らせて連れ出した。

 次に少女が目にしたのは、金ぴかの天井だった。



 ※※※



 目を開くと、いつもと同じ天井が声高に自己主張してくる。


「くそっ!」


 冷や汗を掻いて跳び起きたクルミは、忌々しい記憶に毒づいた。

 ここで眠るといつもこれだ。思い出したくもないものを思い出す。

 だから仕事が忙しいと予防線を張って、ここに来るのを極力避けてきた。

 しかし、ヴァイオレット家の機嫌を保つことが仕事である以上、避けては通れない道だ。


「素晴らしくて涙が出そう」


 任務のありがたさに感銘を受けつつ、クルミはかき乱される精神を落ち着ける。

 パンドラの箱に詰まっていた悪意が充満していると錯覚してしまうほどの物量がここには存在するが、箱の底に残っていたとされる希望も確かにヴァイオレット家には残されていた。


「スミレ義姉さん……」


 もういなくなってしまった希望の名前を呟いて、クルミは自分の顔を叩く。


「今日も頑張りましょうか」


 やりたくもない仕事を、やらないといけないから、やる。

 そう難しいことではない。


「そうだよね……お義姉ちゃん」


 クルミはパジャマから黒衣へ一瞬で着替えると、杖を片手に部屋を出て行った。



 ※※※



 母親が育った家、とは言うものの普通の人がいわゆるおじいちゃんおばあちゃんの家に感じるような懐かしくも差異がある感覚を鉄斗は味わえなかった。

 徹頭徹尾、他人の家である。今の自分の心境を表すのなら、両親から突然自分たちは本当の両親ではないと告白されて、生来の家族の元へ連れて来られた、とでも言うべきか。


「母さんは本当にこんなところで暮らしていたのか?」


 母親は物心ついて間もなく戦死した。父親と共に。

 髪も瞳も茶色だったが、後でクルミに聞かされたところによれば魔術によって染めていたらしい。

 つまり母親もヴァイオレット家の色を好んではいなかった、というわけだ。

 母親の母国である日本に半ば逃げ込むように留学したのも、そういった経緯があったからかもしれない。そのおかげで鉄斗は生まれた。

 息子である自分に無能という呪いをかけた父親と駆け落ちしたおかげで。


「わかってるよ、母さん」


 元は母親の部屋だった場所で、ひとりごちる。

 認めたくはないが、父親の意見は正しい。見立て通り、予想通り、鉄斗は無能だった。

 そしてその事実は、良くはないが悪くもない。そう最近は思えてきている。


(ここで自信喪失しなけりゃ、だけどな。まぁいいさ。どのみち、諦めてる)


 無理なら無理でそれでもいいが、とりあえずできそうなことは全て行う。

 みんなと約束しているので、鉄斗は早々に支度を進めた。恐らく他のみんな、特にクルミなどは魔術で一瞬で終えてしまうだろう。

 だが、だから自分が劣っていると考えるのは甘えだった。魔術を使えなくても魔術を超える人間は存在する。紅葉やシャティアのように。

 それにあの父親でさえ、調停局では優秀なエージェントだったという話も聞く。正直未だ半信半疑だが、それでも何かしらの長所はあったのだろう。

 だから、行動方針は変わらない。


「母さんは怒るかな」


 今の自分を見て、母親はなんと言うのだろうか。

 幸か不幸か、鉄斗には判断付かなかった。脳内で想像するための材料……思い出が、不足していた。


「おにいちゃもが」


 部屋を出た途端に、妙な音声が廊下に響く。勢いよく鉄斗に飛び掛かろうとしたセリカがピュリティに羽交い絞めにされるという優雅な光景を朝一番に目撃し、先が思いやられた。


「グッドモーニング、鉄斗」

「日本語じゃなくていいのか? ピュリティ」

「ここは海外だからセーフ」

「英語圏でもないと思うが……」

「海外では英語が主流。だから問題ナッシング」

「アウローラに怒られないようにしろよ?」

「オーケー」


 他愛ない会話を繰り広げて、鉄斗は食堂へと移動しようとする。

 そこへ抗議の声が放たれた。


「酷い、お兄ちゃん! 私の味方をしてくれないの!?」

「いや、仲睦まじく遊んでいるんだろ?」


 その理論は自分でも無茶苦茶だと思ったが、何事もなく食事を迎えるためには下手に首を突っ込まないことが一番だ。


「この悪魔に拘束されているお姫様な私を助けてよ!」

「ノン、ノン、セリカ。ユーアーデビル」

「嘘つき悪魔が何か言ってるわ! 助けて!」

「何事ですの? セリカ」

「ママ!」


 イリーナが声を聞きつけて、鉄斗の顔に苦味が混ざる。しかしピュリティは臆することなくセリカを捕まえた状態を維持したため、彼女の義理の母であるイリーナはセリカに対する理不尽(のように見える)暴行を目の当たりにし、


「あらあらセリカ! なんてこと!」

「うんうん、ママ、この子を叱って――」

「朝からお友達とお遊びなんて素敵ですわ! ふふ、流石、わたくしの自慢の娘!」

「ママぁ!?」

「見なさい、赤上鉄斗! 油断するとセリカに友達を奪われますわよ、おほほほほ!」


 高笑いしながら食堂へ先行する。鉄斗は愕然とするセリカと得意げになるピュリティを見比べてどうしたものかと思案したが、


「とりあえず朝食を取ろう。まずはそれからだ」

「イエス。それこそがベスト」

「くっ……くうう……本気を出せば吹き飛ばせるのにぃ……」


 悔しがるセリカとピュリティを連れて、食堂の扉を開けた。長方形のテーブルに、クルミとアウローラ、セリカとイリーナが少し離れて座っている。


「おはよう、鉄斗、ピュリティ。小さいのも」


 アウローラは一足先に朝食を終えていた。紅茶を優雅に楽しんでいる。

 ついつい忘れそうになるが、彼女も騎士の家系なのだ。こういう貴族然とした場所が良く似合う。

 対して場違い感が否めない鉄斗は、マナーなどかなぐり捨てて席に着いた。最低限の礼儀だけを所持して、魔術によって運ばれ来たオムレツへ目線を動かす。


「意外に庶民的だ」

「庶民にはお似合いでしょう?」


 というイリーナは嗜虐的な笑みを浮かべているが、個人的には大助かりなので鉄斗は素直に頷いた。意地が悪い面はあるのだろうが、ビシーという恐ろしき毒魔女と共に暮らしている身からしてみれば、彼女は天使のように思えてくる。


(でも、セリカの儀式には反対していないんだよな。それに……)


 もしかするとセリカも、クルミのように誘拐されてきたのかもしれない。いや、イリーナ自身もその可能性を否定しきれない。接する分には少々風変わりなところもあるが……普通だ。世間と感覚がズレているだけの人間だ。

 しかしこの二人は強力な魔術師であり、調停局のトップエージェントと目されるクルミに匹敵する実力者であり、ヴァイオレット家の住民だ。


「はい、セリカの大好きなクリーム入りよ」

「ありがとうママ!」


 セリカはフォークとナイフを握りしめて、オムレツを頬張り始めた。テーブルマナーなど気にもしていない。これもまた意外だったが、それよりも異質に想えてしまうのは二人の関係性だ。

 こうして見る分には、普通の親子にしか見えない。


「鉄斗」

「何だ、ピュリティ?」


 親子の仲睦まじい様子を確認する鉄斗にピュリティは、


「ロリータコンプレックス?」


 と疑心の目で問うてくる。鉄斗は思わずピュリティを二度見した。


「どこでそんな言葉を覚えて……いやわかったぞ、ビシーだな」

「イエス。男は様々なコンプレックスと共に生きている、ってビシーが言ってた」

「あいつの言葉を鵜呑みにするなよ。アウローラも何か言ってくれ」

「そうだぞピュリティ。例え鉄斗がロリコンでも、実際に手出しするまでは放置しておくべきだ。そして実行に移した場合にのみ、刃を喉元に突きつければいい。何も心配することはない。私は常に帯剣している」


 紅茶を飲む合間に素知らぬ顔で言うアウローラは、鉄斗が求めた言葉とは真逆の方向性を突き進んでいる。

 仕方なく鉄斗は自分で弁明した。


「俺はロリコンじゃないよ。とにもかくにも朝食だ」

「……はぐらかした。怪しい」

「直球に否定したつもりなんだが……まぁいい、クルミ姉さん、この後の予定は?」


 今度ははぐらかしの意図でクルミに問いかけるが、


「えっ? ああ、この後の予定?」

「クルミ姉さん?」


 彼女はまともに話を聞いていなかったらしい。どこか上の空で、赤上家にやってくる時に披露するような余裕が一切見当たらない。


「そうね、儀式まですることもないし……ヴァイオレット家の歴史でも説明して――」

「はい、はい! だったら私お兄ちゃんと!」

「ウェイトウェイト! それなら私の訓練に付き合って!」


 クルミの返答に割り込んだセリカを上書きする形でピュリティが要望を口にする。

 鉄斗はアウローラと顔を見合わせたが、もはや答えは決まっているようなものだった。


「最優先事項はピュリティの訓練、だな」

「当然だとも。鉄斗はよく理解しているな」

「大勝利!」


 喜んだピュリティが勝ち誇るようにセリカを見た。セリカは頬を膨らまして不満げだが、どうやらしたたかな面もあるようで、


「いいもん。なら私もお手伝いする! いいよね、ママ?」

「もちろんですとも。あなたの実力、思う存分披露なさい」

「むっ……油断ならない……」


 今度はピュリティが警戒心を色濃くする。ともあれしょうもない疑惑はどこかへと吹っ飛んだようだ。


「いいんじゃないかな……うん」


 意気消沈しているクルミと、本当の親子のように仲がいいイリーナとセリカ。

 ヴァイオレット家に伝わる悪辣な儀式。

 二つの大きな疑念は、未だ拭えないが。



 ※※※



 ヴァイオレット家は徹底した秘密主義だ。自分たちで島を作り、周囲に結界を張り巡らせ、外出も可能な限り行わない。

 門外不出の秘伝をずっと守り続けている。ゆえに、魔術師を一流に育て上げるための設備も完備している。

 訓練場に訪れたクルミは、鉄斗たちが行うピュリティへの訓練を見守っていた。

 セリカも交えた三人は、それぞれの考え方で不器用にピュリティへ魔術を教えている。

 かつて自分が立っていた……立たされていた庭の真ん中で。


「嫌です! 私、魔術なんて使えません!」


 必死に訴えていた昔の自分を幻視する。もちろん、そんな至極当然の訴えなど、通るべくもない。


(当たってはいたんだけどさ)


 自分を教導していた男の予言通り、最終的にクルミは魔術をマスターした。教え方も上手だったのだ……魔術師、という観点から見れば。

 人道的配慮など望むべくもなかったし、心はボロボロ、髪の色も目の色も変わって、かつての自分がどういう人間だったのかもわからなくなった。

 その経験が影響しているのか、羨望を抱いてしまうことがある。

 自らを無能と卑下する鉄斗へ。

 彼は確かに才能はない。純粋な魔術の技能のみで一流になることは不可能だろう。自分に魔術の才能がないと知った時、荒れた鉄斗は有能であるクルミにも当然当たった。

 才能があるクルミ姉さんには自分の気持ちはわからない、と。

 それも事実だ。だからクルミは反論しなかったし、すぐに彼の考え方を変えようともせず、ただ傍に寄り添うことを選んだ。

 けれど。鉄斗もまた、クルミにはないものを持っていたのだ。

 才能がないせいで、望む道を絶たれた鉄斗。

 才能があったせいで、自由を失った自分。


(方向性は全然違うのにさ、他人の気がしないんだよね)


 どちらがマシなのか、という比較には何の意味もない。ゆえにクルミは羨ましいなんて彼に伝えることはなかったし、ずっと言うこともないだろう。


(それに私は、お義姉ちゃんみたいに……。そのためには、そろそろ行動を起こす時なのかもしれない)


 クルミは視線を鉄斗からセリカへ移した。小さい頃の自分に境遇が似ていながら、あどけない笑顔を振りまく彼女に。



 ※※※



「いいか? 剣の扱いはこうだ。そして、魔力を注ぐのはこのようにする」


 その説明を聞いてピュリティが最初につけた評価は、バッド。義姉の教え方は徹底して抽象的で、要領を得ない。自身の内部に蓄積されるデータによれば、天才肌に共通する悪い手本だ。

 物分かりがよく、才能も伴っているため、相手のわからないというプロセスが理解できない。有能な人間が教師としても有能なのかと言われれば必ずしもそうではなく、むしろ無能だったり欠点を持っている人間の方がどこに気をつければいいかを弁えていることが多い。

 だから、バッドなアウローラの訓練に対して、鉄斗の教育方法はグッドだった。


「魔術騎士団においては、多くの騎士が戦い方を我流で身に着ける。基礎としての剣術は学ぶが、それを応用し発展させて自らに適したスタイルを確立して――」

「義姉さん」

「何か質問か?」

「私は魔術騎士じゃない」

「なっ、何を言っているピュリティ。私は魔術騎士だ。アウトロー気味なのは否定しないし、騎士としての称号も正式ではないが、心は騎士そのもので、だからこそ義妹であるピュリーも魔術騎士であり」

「義姉さんは義姉さん。私は私。私は魔術師としての戦い方を教わりたい」

「なっ――」


 愕然とする義姉。その姿はちょっと可哀想だが、致し方ない。ここに来るために似たような言い回しのこじつけ方をしたような気がするが、それはそれ。ピュリティは常に取捨選択をして生きている。

 それにアウローラはピュリティに対して隠し事をしていた。また一人で、いや、君華に教わってこそいたが、義妹に内緒で頑張っていた。

 そのことがピュリティは不満だ。これからは一心同体でいたい。これまた今さっきの義姉への訂正と重なっているが、ノーカウントとする。


「まぁ確かにピュリティは剣を振るって戦うタイプではなさそうだ。と言っても……俺が教えられるのは初歩の初歩。知っての通り全く才能ないからな。ベストはクルミ姉さんだけど……」


 鉄斗が自身の指導者として最善とするクルミへ目線を送ったが、彼女はずっと考え事をしていて、それがなんであるのかを推測する術はピュリティの中に存在しない。

 クルミはミステリアスなのだ。そして、親族であるクルミに匹敵するミステリアスガールが、自分の背後にいる。


「私より大きいのに魔術もまともに使えないんだ、情けない」

「ハエはお静かに」

「セリカをハエ扱いはどうかと思うぞ、ピュリティ」

「オーケー鉄斗。……数多ある害虫の中で好きな呼び方をしてあげるけど、どれがいい?」

「酷い! ねえお兄ちゃん、この子本当に性格悪いよ? 最低だよ!」

「セリカも、人に性格悪いって言うのは良くない。性格悪いって言ってる方も性格が悪いなんてよくあることだろ」

「鉄斗の意見に賛同。つまり、セリカが性格悪い」

「俺はどっちもどっちだって言ったんだがな?」


 鉄斗が悪しき小さな金髪幼女によって頭を痛めている。とても悲惨で、嘆かわしいが、ピュリティは魔術を教わらなければならない。


「鉄斗がベスト。続けて」

「と言ってもな、さっき一通り教えただろう?」

「ルーンは全部覚えてる。現代式に改良されたのも」

「ルーンなんて誰でも使える初歩でしょ?」


 セリカは土の上に人差し指で記号を描く。次に指を弾いて、印の上から小さな火柱が上がった。


「ほら、こんな風に」

「印と知識、実行するだけの魔力量さえあれば、誰でも簡単に使えるからな」


 魔力量が潤沢にあれば、わざわざ手動で印を刻む必要もない。義姉がしたように、魔術でルーンを刻めばいい。魔術というものは一つの答えを導き出すための公式のようなもので、答えは単一だとしてもそこに至る方法は枚挙に暇はない。

 魔術の才能は簡潔に表現すれば、公式を覚えるための暗算能力、それを適切に配置するための空間認識能力、生来の肉体状況に依存する魔力精製能力の三区分に分けられる。

 脳の魔術中枢から魔力神経へと命令が伝達されて、様々なエネルギーへと変換が可能な魔力が生成される。それをイメージした現象へと結びつけて発動するのが魔術だ。

 その説明は今は亡き博士から何度も聞かされた。できるかできないかというクエスチョンにはイエスと答えられる。

 しかし上手に発動できるかと問われると、一気に自信が割り算されてしまう。


「知覚性魔術中枢と運動性魔術中枢のミックス……いける」


 ピュリティは鉄斗から教わった復習の通りに、ルーン文字を地面へと書き記す。そしてめいいっぱいの魔力を注ぎ、


「うわッ!」


 鉄斗が爆発によって吹き飛ばされた。セリカは愉快に笑っている。


「ろうそくの火を消すのに竜巻を使ってどうしたいの? くふふっ」

「むうぅ……解せない」


 セリカの指摘は真っ当で、いくらハエの意見だとしても参照しなければならない。今のピュリティはろうそくの火を消そうとして、ろうそくごと消し飛ばしている状態。

 今の自分の不足分は理解できている。加減だ。

 ピュリティの知識は十二分に蓄積されている。だが、知識だけでは何も成せない。

 コツがつかめない。

 知識だけで問題ないなら、実習など必要ない。もしそれで十分ならば、運転免許を取得する時に実習などいらないはず。

 しかし現実として免許を取るためには筆記試験と実地試験の二段階を踏まなければならない。むしろ、実地試験を完璧にマスターしていれば、知識は添え物程度でも良かったりする試験も世の中には存在する。

 知識は適時補充できるからだ。最低限度の基礎さえ覚えていればいい。

 いくら魔術の歴史を最初から最後まで諳んじることができても、魔術の習得には繋がらない。


「どうして……」

「こればかりは、なぁ……」


 鉄斗がほこりを払いながら戻って来た。顔をしかめているが一応無事のよう。


「魔術の習得なんて普通は段階を踏むもんだしな……」

「それくらい魔術中枢が発達してるなら、加減なんてできて当然なのにねー」


 セリカは無邪気に言ってくる。とてもうるさいコバエ。

 ……それでも、彼女の意見は正論なのだ。その時期をピュリティのは経験できなかった。

 起きてはいたけど身体は動かなくて。

 博士と義姉の言葉をその身に刻み込んで。

 博士の死で、激情に駆られて、身体が動き出した。

 その時に放とうとした魔力の洪水は、魔術とは言えない。

 みんなの身体を癒した回復能力も、魔術とは言い難い。

 乱雑に振るわれる斬撃を見て、剣術だと思わないように。


「わかってる。でも……私は、役に立ちたい。だから……ほぶっ」


 強烈な痛覚に伴う言語の不安定出力を検出。

 顔面を無属性の魔力弾によって強打され、ピュリティは地面へ仰向けに倒れた。


「きゃははは! かっこいいこと言ってるけどさ、実際はそんなに貧弱なんだね」


 コバエが笑っている。楽しげに。


「貴様! 私の義妹に何をする!」


 アウローラが憤って、それを鉄斗が押さえている。しかしセリカは義姉の憤慨を全く気にせずピュリティを愚弄した。


「お姉ちゃんに泣きつくの? それともお兄ちゃん? クルミおばさんに? 自分より小さい子に負けちゃったって、みっともなく、情けなく?」

「おいセリカ、いくらなんでもそれは――」

「ウェイト」


 ピュリティはゆっくり立ち上がる。強打した顔及び背中は痛みを訴えている。

 しかしそれ以上にずきずきが止まらないのは……胸の中。

 正確には脳の一部分。感情を司る大脳辺縁系がぎゃあぎゃあと吠えている。


「義姉さんも鉄斗も、何もしないで」


 ピュリティはにやにやするセリカを向き合った。表情は憤怒を湛えている。

 このコバエにはしつけが必要なのだ。誰の順位が上なのかをわからせる必要がある……というのが犬のしつけ方法であり、恐らくハエにも通ずるだろう。


「怒ったの部外者さん? それで? どうしちゃう? さっきみたいに私を粉々に砕く?」

「それは適切じゃない。怒りに任せて人を殺すのは理性的とは言えない」


 何より人間的ではない。それではバケモノだ。

 しかしピュリティはバケモノではない。人間なのかどうかは、まだはっきりとわからない。アウローラは人だと言ってくれているけれど、それはとても嬉しくて胸が熱くなるけど、自分が普通の人間というカテゴライズには当てはまらないと知っている。

 それでも、バケモノではなかった。怪物ではないのだ。


「だったら?」

「決定……事項!」


 魔術中枢にアクセス。全身の神経を活性化させ、お気楽コンディションのセリカにターゲットセット。セリカはきゃはきゃはという笑声交りに杖を取り出す。

 ピュリティは脳内で適切な魔術を検索した。だが、対象が多すぎる。選択肢の多さはそのような迷いを生じさせることがある。経験を重ねていれば瞬時に判断可能だろうが、残念なことにピュリティに経験は足りない。

 だから、直接視認したことのある魔術をセレクトした。


「ゲボ!」


 炎のルーンを空中に刻んで、セリカに贈り物をする。セリカは杖で防御すらせず、身体を左右に揺らすことで回避した。


「あははっ。お姉ちゃん、声に出しちゃあルーンの意味ないよ!」


 詠唱は魔術を発動するためのアプローチの一つだ。声に出すという性質上、発動までラグが存在する。現代魔術で詠唱が主流から外れたのは、唱え終わる前に銃で頭を撃ち抜かれてしまうため。


「反撃いくよ? お姉ちゃん!」


 セリカは杖の先端に装着された宝玉を煌かせる。放たれるのはクルミが放っていたのと同じ光弾。単純な魔力の塊は、威力を少し調整するだけで活殺自在。

 シンプルイズベストは全ての武芸に通じる。けれど、勝つためには。

 勝利者となるためには、多少の奇策が必要だ。


「ぐぅ……ッ!」


 ピュリティは再び魔弾をまともに受けた。勢いのまま地面へ倒される。


「やっぱり、ダメダメだね、お姉ちゃんは」


 セリカは嫌な目で見下ろしてくる。……その視線に刺激されて、二つの情動が煌々と燃え盛るのを検知する。

 一つは、悔しいというリベンジェンスの燃料。

 もう一つは、歓喜という極上のごちそうだ。


「何ッ?」


 慄くセリカを、複数の鎖が拘束する。

 ゲッシュを用いた騎士との戦いで、鉄斗たちが行ったコンビネーション。

 あの時は失敗してしまっていたけれど、此度は違う。


「いただきます!」


 ピュリティは鉄斗と練習した炎のルーンをセリカの足元に表出させる。火柱が上がり、中世の魔女狩りの如くセリカの身体は燃え上がった。無論、火加減は調整しているので、ちょっと熱くて痛いだけだ。幸い、回復魔術には定評があるので、もし仮に火傷を負ったとしても跡形もなく治療できる。

 あえてダメージを受けた価値はあった。勝利に犠牲はつきものなのだ。


「コングラチュレーション……!」


 ピュリティは上機嫌に身を起こして、


「どう? 満足した? お姉ちゃん」


 真横から語り掛けられた楽しそうな声音に慄く。


「セリカ……!」

「残念だったね。私がお姉ちゃんのこと、見くびってると思ったの?」

「む、むう……!」


 この戦術の欠点を指摘されてピュリティは唸る。前提条件として、相手がこちらを侮っていることが重要だった。もしくは鉄斗たちがそうしたように、無視できない実力を持った前衛に注意を引かせるか。

 しかし、鉄斗が三人で行った攻撃を、ピュリティは単独で行ってしまった。相手がこちらの実力を見誤っているとベットして。

 ゆえに、彼女が幻術を用いていることに気付けなかった。自身の中に秘められた知識はすぐさま敗因を導き出してしまう。


「でも、楽しかったよ。意外だね。結構まともに戦えるんだ」

「屈辱……年下の子どもにバカにされている……」

「はい」

「ん」


 セリカが差し出してきた手をピュリティは掴んで立ち上がる。

 ……不満は完全に拭えない。拭えないが、現実はピュリティ=年上と算出されている。

 なので、度量を見せなくてはならない。子どもに小馬鹿にされてアベンジャーとなってしまっては、精神レベルの引き下げを余儀なくされてしまう。


「あなたをハエから卒業させることを許可する」

「ハエになったつもりなんてないけど。あなたも部外者じゃなくしてあげる」

「つまり?」

「仲直り。喧嘩したら仲直りするものだって、ママが教えてくれた」

「肯定。君華もそう言っていた」


 改めてセリカと握手する。コバエ卒業記念とはとてもめでたい。


「でも、鉄斗に近づき過ぎるのはよくない」

「家族なんだけどなぁ」

「鉄斗はただでさえいろいろと不憫。あまり負担を増やすのは非推奨」

「おい……」


 アウローラを押さえている鉄斗が抗議の眼差しを向けてくる。

 しかしピュリティは新しくできた友達との会話に集中した。外野はもう少しクワイエットでいるべきだ。


「遊びたいなら、もう少し配慮するべき。それに……」


 視線が無意識に動く。既存検出される感情に未知の成分が付与されている。

 そして、その中には伝えたいという願いも含まれている。コミュニケーションを取りたい、と。

 だから外れかけた視線を金髪碧眼の魔術少女に戻した。体温の上昇が確認されている。


「私と、遊んでもいい。訓練に付き合ってくれた、お礼もかねて」

「いいよ、お姉ちゃん。なら、遊び場に連れてってあげる」


 セリカはピュリティの手を掴んで、駆け出した。

 昏いものを微笑ましさの中に隠匿して。

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