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セレクション バケモノ少女と無能魔術師  作者: 白銀悠一
第一章 バケモノ、或いは何らかのプロメテウス
1/33

ボーイミーツモンスター?

 性善説、という言葉がある。

 また、性悪説という言葉がある。

 どちらも誤解が多い語句だ。単純に言葉だけから意味を推測すれば、人間は生まれつき善なる存在であるという主張と悪なる存在であるという意見に思えてしまう。

 しかし実態としては、二つの言葉が伝えたい真意はそこではない。

 一見相反する意味を持つように思える二つの言葉は、共通してとある警告を伝達したいだけなのだ。

 曰く、教育が重要であると。

 生まれつき人間は善性を持つが、適した教育を受けなければ悪しき道へ堕ちる。

 生まれつき人間は悪性を持つため、適した教育を施して矯正する必要がある。

 つまり、生まれなどどうでもいい。

 問題なのはその後だ。

 教育こそが、人の善性を育てる上で重要なのだ。



                      ――信者に向けた手記より――

 

 ※※※


 

 親は子供に名を与える。

 教え導き、生き方を授ける。

 数多の動物が子に様々なギフトを授けるように、ソレもまた無数の知識と運動機能、そして大いなる力を与えられた。

 だが、ソレは動かなかった。生物が備える初歩機能を保持していなかった。

 ――自我である。生命体が大小問わず生まれつき所持するモノ。

 その欠陥を親は――創造主は認識していた。

 それでも創造主はめげなかった。

 毎日言葉を投げかけ、食事を与え、身の回りの世話をした。

 ソレもまた抵抗することなく受け入れた。否、そもそも抵抗するなどという機能は搭載されていなかったので、成すがまま、されるがままにされていた。

 拒否及び肯定するシステムが存在しないため、ただ空虚な時が過ぎていく。

 人形遊びをしているかのように。いや、コンピューターのハードディスクにデータを無心に入力している様に近しい。

 そう。確実にその記録……記憶は蓄積されていた。当初の設計通り、ソレの身体が成長している間も、一切見逃すことなく保存されていた。

 だから、必然だったのだろう。ソレの自我が芽生えたのは。

 土台はできていた。後は起爆剤を投入するだけだったのだ。

 しかし、創造主も想定はしていなかっただろう。

 よもや自分が殺されることでソレに自我が芽生えようとは。


「……ぁ……ぁ」


 言葉を発する。指を動かす。足を振動させる。

 インプットされた通りに、椅子から立ち上がる。


「む?」


 創造主の亡骸を傍で検閲していた男が振り向く。手には杖を持っていた。

 もし何も知らない者が見れば、ただの歩行補助道具程度にしか思わないはずだ。

 しかし、ソレの中には記録されていた。とある人種が所持する杖は強力な武装となり得る、と。

 すなわち、魔術師。男は、そして殺害された創造主は魔術師だった。


「人造人間にしてはなかなかだ。自己防衛機能も搭載しているのか?」


 男は不意に動き出したソレを見ながら、まるで安全圏から観察でもしているかのように振る舞う。

 実際、ソレの中で計算は終わっていた。男の方もそうだろう。

 ソレは男に勝ちえない。自らの持つ機能が完全に運用できれば勝機はあるが、ソレは言わば生まれたての赤子、もしくは長らく昏睡状態に陥っていた人間が目覚めたばかりの状態だ。

 まともな戦闘などできるはずもない。そのための経験が圧倒的に不足している。

 自身の肉体をコントロールできる技術を獲得していない。

 それでも身体は動いた。理性の警告を無視しながら。

 それほどまでに強烈だったのだ。一番最初に得た感情――殺人衝動というものは。


「ああ、ああああああ!」

「ふん。雑魚が」


 魔術師が杖を向ける。

 瞬間、苛烈な何かが煌いて、辺りを血の海へと変換させた。



 ※※※



 親が子に伝えるものは複数存在する。

 真っ当な親であればそのほとんどはポジティブなものだろう。

 だが、少年の親が与えたモノは実にネガティブだった。


 ――これから学ぶ前に、一つ言っておく。お前は父さんに似た。

 だから、才能ないぞ。心しておけ。


 例えお世辞でも才能あるぞと言ってもらいたかった。

 特に、それが幼少期のことならば。

 だが、少年の父親は違う。ただ事実だけを突きつけた。

 鋭利な刃物のように。鋭い弾丸のように。

 ゆえに当然、成長した少年はやさぐれていた。


「ふーぅ」


 息を吐いて大空を見上げる。公園のベンチに一人で座る少年の姿は、どちらかというと人生に絶望する中年サラリーマンのような哀愁があった。

 実際、少年は同級生たちに比べて大人びていた。正確には、くたびれていた、という表現が正しい。

 大人になるということは、夢を捨てること。

 理想を捨てて現実の中で生きていくこと。

 などと誰かが聞けば反論はあるだろうが、事実として夢を諦める大人は多い。

 その結果、夢見る子どもを嘲笑う大人は数多くいる。

 夢を見るなんてバカだ、と。

 正直なところ、少年にもそういった情念は秘められていた。才能があるか保証もないのに夢を語るなんて馬鹿馬鹿しい。同級生を見て、そう思ったことは幾度もある。

 それでも本心を口に出さなかったのは、情けない大人の仲間になりたくなかったから。

 どうせ才能のないくそ雑魚野郎だとしても、せめてただの大人になりたい。

 自分がダメだったから子どもに八つ当たりするような大人にだけはなりたくないと常々思っていた。

 少年と青年の狭間で揺れる肉体――高校の制服を見下ろして何気なくポケットに手を入れる。

 そして、取り出した飴を口に頬張った。タバコを吸うなんて不良臭い真似はしない。例え白昼堂々学校をサボっていたとしてもだ。


「――ん?」


 そこで不意に視線を感じて、振り返る。

 すると、公園の入り口にある石柱から半身を覗かせる少女と目が合い、


「っ!」


 奮力してその身を隠す瞬間を目撃した。


(……髪の毛出てるぞ)


 恐らく少女としては鮮やかに身を隠したつもりなのかもしれないが、隠れる瞬間から見えていたし、加えてぼさぼさな黒髪が石柱から飛び出ている。小柄な身体と古着らしき洋服も隠し切れていない。

 同年代か年下ぐらいに見えるので、彼女も学校をサボって公園に暇潰しにきた同志なのかもしれない。

 衝動に任せて授業をサボったはいいが、行き場を失い公園などで時間を潰す高校生は結構いる。大概の親は子供の学業放棄に賛同的ではないからだ。

 もっとも、帰っても何一つ問題ない少年が公園でたむろすること自体がイレギュラーと言えばそうなのだが。

 どうにも向こうは隠れ切っていると誤解しているようなので、少年は頭を掻きながら視線を前へと戻す。そして、しばらく待った後にもう一度振り返り、デジャブが起きる。

 またもや少女は石柱の中へ隠れた。……一体何が望みなのか皆目見当もつかない。


(このベンチがお気に入りなのか? サボり野郎にはベンチに座る自由もないってか)


 卑屈な思考を行いながらも、少年としてはベンチに、そもそもこの公園に固執する理由はない。両親不在の家に帰らないのは居心地が悪いとかそういった類の理由ではなく、ただ単に家まで歩くのが面倒くさいという怠惰な理由のためである。

 やる気さえ出せば、いつでも家には帰れた。咎める相手は墓の下だ。

 学校に行けと幼馴染がうるさかったので、とりあえず外に出て来ただけだ。

 結局、学校に向かう途中でやる気をなくし公園に辿り着いてしまったが。


(そんなに座りたいなら譲ってやるさ)


 少年は立ち上がると同時に飴を噛み砕き、少女の方を見ずにそそくさと公園を立ち去る。

 帰路につき、噛み砕いた飴を補充しようとズボンのポケットを弄って、


「しまった。置いてきたな」


 ベンチで取り出した時の拍子に落としてしまったのだろう。

 そのまま無視して帰ることもできたが、急いで帰宅する理由もない。ほんの気まぐれで公園へと戻ることにした。

 そうして――奇妙な光景を目の当たりにする。


「う、う……」


 たどたどしい言葉を吐きながら、少女は興味津々に飴の小袋の端を両手で持ち上げている。まるで生まれて初めて飴という存在を目にした赤ん坊のように。

 しばらく警戒するように眺めた後、端をぴりぴりと慎重に破った。

 そして、恐る恐る口の中に放り込み、


「んん~~!!」


 狂喜乱舞、という言表が相応しい舞を始めた。

 顔を綻ばせ、全身で美味しさを表す様子は年相応だとお世辞にも言えない。

 だが少年の目には綺麗なものとして映った。純粋なもの。

 穢れも恐れも知らない純真な子供。

 自分がかつて捨て去った――捨てざるを得なかったものだ。


「ん、ん、ん!」


 少女の小躍りは続く。テンションメーターが振り切れているのか、周囲に目も暮れず内なる喜びをひけらかしている少女はくるくるとよくわからないステップを踏みながら一回転し、


「んぅ!?」


 少年の姿を発見して、先程までの動きが嘘のように停止する。

 少年としては……どう反応していいかさっぱりわからない。

 少女はぴたりと器用にも時が停止したかのように固まり、しばらくすると先程までの静止が幻想だったと言わんばかりなアクティブ運動を開始する。


「ソーリー! パルドン! フェアツァイウング! ミスクーズィ!」


 焦燥感を露わにしながら早口で少女がまくし立てる。口に含む飴のせいで少し発音がおかしいが、それ以上に彼女が何を言っているのか判然としない。

 かろうじて謝罪とわかったのは最初に放った言語が比較的なじみのある英語だったからで、他の謝罪らしき語句に関してはどこの国の言葉なのかさっぱりだ。


「ちょっと待て、日本語で頼むよ」

「日本語……ごめん、ごめんなさい!」

「一旦落ち着け。どうして謝る?」


 少女の状態があまりにも奇異なので、少年は彼女の気を静めようと声を掛ける。

 指示に従った少女は大きく深呼吸してようやく大人しくなった。

 青ざめた顔をこちらに向けたかと思うと震える声で包み紙を差し出す。


「ぬ、盗んだ……だから」

「たかだか飴の一つで怒ったりしないよ。そんなに器量の小さい人間に見えるか?」


 皮肉げな笑みが浮かぶ。そもそも飴を忘れたのは少年の方である。貴重品の類ならともかく、飴玉の一つ普通なら捨てられても文句は言えない。落とし物を安全確認せず口に入れた少女の無警戒さを差し置いても、彼女を責められる立場ではない。


「でも、あまり感心しないな。忘れ物を頬張るのは」

「あぅ」

「勘違いするな。怒ってるわけじゃない。もし何かやばいものでも混じってたら危ないぞ。今回はたまたま問題なかったが」

「……そんなことする人、いるの?」


 きょとんと首を傾げる小柄な少女を見て、少年はさっき抱いた感想は間違いではなかったかもしれないと思う。

 どうにも、歳不相応にこの少女は純真すぎる。家族は一体何をしているのか。

 というより、学校に通っていてこのような無頓着な性格になり得るのか。

 少年が大人びているのなら、少女の方はあまりにも子供過ぎた反応を見せていた。


(っと、悪い癖だな)


 少年の悪癖――無意味に他者を分析してしまう癖をやりかけて、自分を戒める。

 彼女はただの通りすがり。そうして、自分も同じ通りすがり。

 認識を改めて、少年は踵を返す。


「邪魔したな。それじゃあ」


 別れの挨拶を述べて、慣れ親しんだ住宅街へと戻っていく。飴が回収できなかった時点で、あの場に長居する理由はない。まぁ、すぐに帰宅する理由もまたないのだが、どちらも無意味なら別にどっちを選んだって大差ないだろう。

 くだらないことを考えながら少年は歩いていく。音楽でも聞くか、と気まぐれにミュージックプレーヤーを取り出して、


「……何でついてくるんだ?」

「あう」


 別れたはずの少女へと向き直る。

 いくら無能野郎だとしても、背後の足音ぐらい気付ける。

 少年は訝しんで少女の身体を見回した。すると、少女がびくっと肩を震わせる。


(不審がられる行為をしているのはそっちだってのに)


 傍から見れば、まるで自分が悪者みたいだ。時たま町内を騒がせる不審者たちの一員になりかねない。


「何か用でもあったのか? 追加の飴が欲しい……とは言わないよな?」


 流石にそれは図々しすぎる。友達相手ならともかく見ず知らずの人間に要求することではない。

 少年の問いかけに少女は首を横に振る。ぼさぼさの黒髪が激しく揺れた。


「感謝」

「何?」

「お礼を、言っていない。だから、困る」

「お礼? そんなこと言うためについて来たのか?」


 あなたの忘れ物食べちゃってごめんなさい、ならまだわかる。

 しかし、あなたの忘れ物食べちゃってありがとう、はあまりよくわからない。

 だが、少女の行動を鑑みるにそういうことなのだろう。この少女はきっと他人とのコミュニケーションに慣れていないのだ。

 だからこういう一見意味不明なアクションを起こす。だが、内面を紐解けば、ちゃんとした理由があることが見えてくる。


「うん。シスター、言ってた。人間は何かしてもらったら、感謝するものだって」

「人間って、まるでお前さんが人じゃないみたいな」

「うん」

「うん?」


 予想外の返事に間の抜けた疑問を返してしまう。

 少年としてはちょっとした冗談のつもりだったが。


「私は、バケモノ、だから」


 少女は真剣な表情で首肯した。


「どういうことだ?」


 思わず問い返す。自らをバケモノと自称した少女はなぜか居たたまれなさそうに目を逸らしている。

 少年の直感が働き、無意識に手に取る鞄の中身を意識する。

 全身の神経が張り巡らされ、脳のとある機能が活性化されていく。


(まさか――いや。有り得ないとは断言できない。……敵なのか?)


 警戒を強める。少々過剰過ぎるきらいはあるが、何せこちらは才能がないのだ。

 ちょっとしたことでも全力を注がなければ、いとも簡単に殺される。

 人間とはかくも脆く死ぬものか、という手本になってしまう。

 ゆえに、今できる万全の戦闘態勢を取ろうとした少年だが――。


「きっと、ダメなこと。でも、言いたい。ありがとう」

「ん? あ、ああ……」


 拙いお礼を聞いて、肩の力が抜けていく。


「えっと……よくわからないから、参考にさせてもらうけど」


 少女は考え込むように眉間にしわを寄せて、こう呟く。


「邪魔したな。アディオス」

「アディオス……?」


 別れの言葉らしきものを言い残すと、少女は少年の要望に応じて去って行く。


「何なんだ一体……」


 迂闊にも独り言を放ってしまうのも致し方なし。

 自らをバケモノと称した不思議系少女は、少年とは逆方向の風景の中へと溶けていく。

 少年は一息ついて、気分転換も兼ねてイヤホンを耳に差し込んだ。

 そして音楽を聞いた。

 再生ボタンを押す前に……悲鳴という名の音楽を。


「今日は厄日か何かか?」


 イヤホンを外して背後――丁度、少女が去って行った方向へ振り返る。

 今聞こえてきた悲鳴は間違いなくあの少女の声質と一致する。何の因果か、神様のいたずらか、少女の身に不幸が振りかかったらしい。

 周辺の治安は良い……ということになっている。一般人の認識の間では。

 だが、一般人というカテゴライズではない少年は、ここら辺がとある物差しを通してみると、お世辞にも治安が良い場所ではないと知っている。

 だから護身用のための控えめな武装を常時携帯しているのだ。

 そう、あくまでも護身用。

 自分の身を守るもので、誰かを救うためのものじゃない。

 元々力不足なところもあって、万全の準備を整えたところで無事生き延びられるかすらわからない。

 その上、この武器では下手をすれば二人揃って連中の餌食になってしまうのが落ちだろう。

 それはあまり得策じゃない。よく知りもしない人間のために命を投げ出すのは、それこそヒーローの役割で、少年は普通の一般人というカテゴライズから外れた、ちょっと変わった人々の中の一般人でしかないのだ。

 そこら辺にいる有象無象。生まれ、生きて、死んでいくだけの者たち。

 なぜなら才能がないからだ。

 人生ってのは最悪だ。才能があるかないかでその人間の価値が決まる。

 だから物心ついた時、父親にあの宣告をされた時から、人生については諦めてきた。

 今更路線変更する気も起きない。

 当時は反感を抱いたものだが、今はこれでいいと思っている。

 実際、自分には才能なんてものは存在しなかった。

 親父の宣告は正しかったんだ。

 それに、まだ連中がらみの事件であると決まったわけではない。

 あの純真すぎる少女のことだ。どうせネコ辺りと鉢合わせて驚いたのだろう。

 少年は悲鳴の原因を見繕うと、身体を本来の進路へ戻す。

 才能がないから仕方ない。そうやって、無視を決め込もうとする。


(ああ――くそっ!)


 なのに足は停止する。意志とは裏腹に――否、真意に気付いているからこそ、足は心情を反映して動かない。

 少年には才能がない。その事実は変わらない。呪いのように自身を蝕み、心を病ませ続けるのだろう。

 だがそれでも、一つの誓いを立てていた。


「情けない大人にはならない。いくらなんでも惨めすぎる。わかったよくそったれ」


 独りごちて、反転する。鞄を弄って目当ての品を左袖に仕込みながら前進する。

 きっと助けに向かわなくても誰にも責められない。せいぜいしょうがないよと窘められて終わりだ。

 だとしても、自分が納得できないのだ。他の誰にも咎められずとも、自分は確実に過去の所業を責める。それに耐えられる気がしなかった。才能がなくてただでさえ哀れなのに、これ以上惨めになってたまるものか。

 少年は気合を充填して悲鳴の発生源へと接近する。場所は薄暗い路地。

 なぜ少女がそこに入ったのかは定かではないが、あれでは襲ってくださいと言っているようなもの。


「あ、う……」


 少女は三人のガラの悪い男たちに囲まれている。数的不利な状況だが、少年は直感的に行けると判断した。

 想定したより楽な状況かもしれない。もし相手がただの不良なら安全に対処できる。

 そう見越して、不意を突くことなくあえて堂々と姿を晒し……ヤンキーたちに声を掛ける。


「ちょっとすみません、その子、自分の連れなので……」

「ああん?」


 テンプレートな脅し声。少なくとも一目散に突っかかってきたこのチンピラは敵ではない。その隣に立つ男も同様。

 だが、気になるのは奥に立つ一番ガタイのいいサングラスをかけた男だ。

 見た目がいかついというシンプルな理由じゃなく、本能的に……もっと言えば、自分が一般人の枠から外れる所以となった部分が疼く。

 あの男は危険だ。こうなった手前、一瞬で片を付けるしかない。


「何だと、クソガキ! そこの女はなぁ、これから俺たちと遊ぶんだぜ?」

「ああ、なるほど……そうですか」


 本当はもう少し穏便に済ますつもりだったが、やむを得ない。刹那的に判断を下した少年は愛想笑いを浮かべて、


「そいつはちょっと無理そうだな」


 迂闊にも近づいてきた男のみぞおちに拳を一発くれてやる。男は苦悶の声を漏らして膝をつき、そこへ膝蹴りをプレゼントする。

 と、同時に左袖へ仕込んでいた護身用の武器を取り出す。小型の上下二連装ピストル――デリンジャー。

 ひとまず、高校生らしからぬ身体能力をみせた少年相手に呆然とする男と、本能が危険を囁いた男へ銃撃を加える。呆けていた男は腹に弾丸を撃ち込まれて絶叫しながら地面に沈んだ。

 もう一人の方は――凄まじい反射神経と運動機能で弾丸を避けた。


「チクショウ、人生って奴は!」


 どうしてこうも理不尽なのか。どうしていたいけな少女に乱暴しようと企てるような人間が、自分よりも才能を持っているのか。

 世界の仕組みに理不尽を感じながらも、少年は少女へ切迫。混乱する少女の手を引いて路地からの脱出を図る。


「あ、あの、え、えと!」

「今は静かにしててくれ! 思考が乱れちまう!」


 何せこちらには才能がない。全力を尽くして頭を回すしかないのだ。

 デリンジャーは袖に仕込めるほど携行性及び秘匿性に優れているが、たった二発しか装填できない。つまりもう弾切れである。

 こんなことならちゃんとした武器を持ってくるべきだった。後悔しながら路地から大通りへと出て、


「くっそッ!」


 背後から強烈な魔力波動を感じて、防御壁を構築する。が、当然。


(壊れるよなぁ、チクショウ)


 即席の盾は、最低限の役目を果たして破損する。直撃は避けたが、勢いを完全に殺しきることはできずに二人揃って吹き飛ばされる。


「ああ、う!」

「ヒーローはガラじゃないんだが!」


 ぼやきながら少女の身体を抱きかかえ、背部をシャッターへと強打した。

 血と共に肺を満たしていた空気を吐き出し、苦悶。呻きながらも少女を床に寝かせて、立ち上がる。


「あ、ダメ、怪我して……」

「あいつが優しいならそれでもいいんだけどな」


 あの他人を射殺すような殺気を湛えた顔が彼なりの慈愛に満ちた笑顔であれば良かったのだが。

 残念ながら、サングラスの男は殺意を剥き出しにしている。

 少年は拳を握りしめるが、既に諦めている。

 このダメージに、唯一の得物は使用不能。身体機能を補助する腕時計型デバイスは、先程の衝撃で機能不全に陥っている。おまけに戦々恐々としている一般人の守護というハードワークと来た。

 才能のある魔術師なら、素知らぬ顔で状況を覆せるだろう。

 だが、少年は才能のない魔術師だった。父親の宣告通りの。

 だから、敵と戦う時は地味でも入念な準備を整えなければならない。

 計画を立て、適切な武器を選択し、有利な状況を作らなければならなかった。

 なのに、無謀な行動を取った。その結果が惨めな敗北――死である。

 いや、そこまで惨めでもない――少年は状況が呑み込めず座り込んでいる少女に呼び掛ける。


「俺がこいつを相手にしている間に逃げろ! 言っておくが俺は――」


 サングラス男は一言も発さずに拳を突く。雷撃の如き異音を放ちながら。

 それを素手で受け止める――みしり、と骨が砕ける音がした。


「弱いぞ!」


 それでもめげずに相手の脛へと蹴りを放つ。が、コンクリートでできたかのように足は強靭で逆にこちらが痛手を負った。


「くぅ! ふぐッ!」


 負けじと左手で胸板を殴るが、これも石を素手で殴ったような感覚が骨に響くだけだった。もはや相手はまともな防御をしていない――否、こちらの世界の住人から見れば、至極まっとうな対策を取っている。

 全身を防御魔術で硬質化したのだ。単純だが、理に適っている。格下を相手取るならば、これ以上に適切な術式はない。

 なぜあんなところでチンピラとつるんでいたかは全くわからないが、この男が自分より格上であることは強く認知していた。


「早く逃げろ!」


 自らの攻撃で、自らを砕いていく。

 全く敵う気配がない。でも、どうせならやれるだけのことはする。

 覚悟した少年は、魔力を右こぶしにありったけ注いだ。

 そうして、踏み込み、渾身の一撃を男の顔面へ叩き込む。

 直後、砕け落ちた。

 サングラス。

 それと、少年の右拳が。


「ぐあ……ぐ――!?」


 最後の一撃を平然と受け止めた男は、片手で払うように少年を吹き飛ばす。

 アスファルトの上を三度ほどバウンドした後、少年は投げ飛ばされたボールのように転がって仰向けに倒れた。

 全身から血が溢れている。痛みが思考を犯してくる。

 しかしまだ意識は保っていた。少女に再度呼びかける。


「何してる……くそッ!」


 だが、少女は動かない。じっとこちらを見ている。


「……?」


 最初は恐怖に束縛されているのかと考えた。金縛りにでもあったのかと。

 だが、少女はまっすぐこちらだけを引き寄せられたかのように見つめている。

 この光景に既視感があるかのように。


「よもや、このような低俗な方法で……いや、正当ではない搦手だからこそ、あの騎士の裏を掻けたということか」


 サングラスの男は少女の異変に気付いていない。

 対して、少年は感じ取っていた。少女の変容を。


「あ、ああ、あ……」

「む? 泣き喚くか? 騒ぎを大きくせぬよう、気絶させるか」

「う、ううう、う、う」


 否、それは変化と呼ぶべきではないと、直情的に感じる。

 変異でも変質でもない。元々、最初から所持していたものだ。

 裏表なく持っていたもの。それを少女は表出させた。


「これ以上、このような場所に居座るつもりはない。早急に始末をつけよう」


 男は何らかの精神操作を加えるべく、呻き声を漏らす少女の頭へ手を伸ばす。

 そして――感情が。

 自我が、爆発する。


「うう……あああああああああ!!」

「何――ッ!?」


 鮮血が宙を舞う。

 舞ったのは血だけではない――右腕もだ。

 強烈で苛烈で破滅的な魔力が、魔術師として相応の実力を持つ男の右腕を容易く両断する。

 ただの一撃で。右腕を振り上げただけで。

 重傷を負った男は右腕を押さえながら上級魔術師として適切な判断を下した。


「くそッ! これ以上は釣り合わん!」


 男は転移術式を用いて撤退する。千切れた右腕をきちんと回収して。

 場に静寂が訪れる。さっきの戦闘が嘘みたいに思えるが、少年の身体とへこんだ店のシャッター、くぼんだアスファルトがここでよからぬことが起きたと証明していた。


「くそ……何が何だか……」


 毒づきながら身を起こす。今一度、驚異的な魔力を放った少女を眺めるが、こちらは本当に嘘と勘ぐっても仕方ないくらいに不変的だった。

 最初に出会った時の、飴玉を舐めて小躍りしていた少女と相違ない。

 ただ放心しているのと……身体にべったりと付着した血は隠しようがなかった。


「おい……平気か?」


 痛む身体を酷使しながら、声を掛ける。少女は瞳孔が開きっぱなしの瞳をこちらへと向ける。


「おい……」

「死んだ?」

「いや、死んでいない」


 返答に迷ったが、素直にありのままを伝えた。すると、少女は瞳を閉じて大きく息を吐き出す。何回か深呼吸。呼吸を落ち着けて、優しく微笑んだ。

 血のついた顔で。少年は息を呑む。


「良かった。また殺さなかった」

「また……だって?」


 だが、その疑問を追求することは叶わなかった。


「う、う、ソーリー、パルドン、フェアツァイウング、ミスクーズィ……」

「日本語で」

「ごめん……人間さん、ごめん」

「人間さんって俺のことか?」


 痛みやら謎のサングラスやらさっきの力のことから気にかかることはたくさんあるが、ひとまず会話らしきものを続ける。


「そう、人間さん。私は……アレ、だから」

「俺は人間じゃない……」

「あなたも? 同類?」

「そういう意味じゃない。種族は人間。名前がある」

「名前……?」


 少女は訊ねる。無邪気に、無垢に。

 返り血を全身に浴びた状態で。

 少年は一瞬躊躇した。だが、すぐに肩を竦める。


「俺は赤上鉄斗だよ」

「あかがみ……てつと」

「そうだ。お前さんの名前は?」

「私?」


 恐らくその問いかけは、不用意にしてはいけなかったのだろう。

 強者ならともかく、弱者の分際では。才能のないクソ雑魚野郎では。

 だが、少年――鉄斗はもうどうでもよくなっていた。

 そうとも、諦めている。元よりこのスタンスを十年貫いてきた。

 例え底なし沼に足を突っ込んだとしても今更だ。

 そう考えて、誰よりも人に見えて、誰よりも人から遠い存在へ問い質す。


「わたし……私は、バケモノ」

「そうか……まぁ、いいだろう」


 別に構わない。目の前の少女の名前が本当でも、嘘だとしても。

 諦めている。だからこそ、握手を交わせる。


「よろしくな」

「……」


 きょとんとバケモノは差し出された比較的ダメージの少ない鉄斗の左手を見つめる。

 そして、意図を察したように微笑んで――差し出された手を引っ叩いた。


「いってええ!! 何すんだ!?」

「え? 違うの? ノー? ノン?」

「違う! くっそ、ただでさえ骨にひびが入ってるのに……」


 バケモノは困惑している。鉄斗も痛みを堪えて震えている。

 少々滑稽な姿ではあるが……鉄斗は自然と笑みを浮かべていた。

 そこにくたびれた大人の印象は窺えない。

 ほんの僅かだが、かつて失ったものを取り戻した気がしていた。

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