水浸しの春、現在の予報、1人ごちりの雨
宙空に放り出されたような感覚に近い。梯子を外された、とも違う、それならば、真っ逆さまに落ちるのが手に取るように想像し得る。 これはそれではない。どちらかといえば、じらり、じらりと、その身を大気圏で、生きながらえながら焼かれているような、そんな感覚に近いと思う。突破できるまでにミディアム程度であればまだ立ち直れそう。でもウェルダンなら、おそらく、もう手遅れだ。
とかくに、私はそのような状態に陥っている。心象風景で、あえて例えさせていただくならば、スターリングラードさながらレベルの地獄絵図である。立ち上がれる同志がいるならば、早く弾を押し付けて、前線に押しやらねば、本丸の私がやられてしまう。本丸が焼かれたならば、ベリーウェルダンどころでは済まされない。限りなく炭に近い何かに成り果ててる。それも、真っ白な燃え尽き方でなく。真っ黒なほうだ。
なぜ私はこんな思いをしなければならないのか、ひとえにそれは、私の勘違いが発端の起承転転転結ぐらいにはなる、語るに五分ほど、SSも鼻で笑うぐらいの濃密な、それも銀河規模の話がはじまるだろう。しかし、ここではそんな話をしたところで、宙空で下ごしらえが始まった頃合である、私の現在も語るに関係に値しない話であるがため。割愛とさせていただく。至極残念である。
さて、焼かれ始めた私の分身たる彼は、叫ぶことさえ許されぬ佳境に入り始め、もうレアに入る頃合である。
これをお読みの第四の壁の向こうの方々は、なぜこいつはこんな物語を、物語ろうとしているのかすらわからないだろう。
しかし、私は語りたい。
ひとえに、このお話を皆で共有したいという、若者特有のSNS脳というべきものでもなければ、悲観にくれた果てに斜に構え、「世に幸福なぞ、あらざりけり」という、反社会的思想に没落していくわけでもない。
これは、ただただ私の心に、大気圏突破用の耐熱フィルムを貼るが如く、私という1人役者が駆けずる舞台の物語を、笑い話として語ることで、傷口を抑えようという、独りよがり、かつ自虐の末の行動なのである。なので、この二つ前のぱらぐらふのようなボケがあるのは、その末の行動であることを肝に命じておいてほしい。もしボケがわからないのならば、ここで読むのをやめるのを進める。なぜならば、この先はあなたが踏み込むには、だいぶ寒すぎるからだ。
事の発端は、私が恋をした事だ。
こと自身の肯定感の低さと、嫌悪感の高さが反比例しやすい世の中で、私という人物に話してくれる女性というものは、いかに貴重かが、想像に容易かった。
そして、そんなことにも気づかない当時の私は、彼女……仮に砂糖さんに対して、風変わりな女性だと考えていた。…….本当にバカである、バカであるがゆえに、今は並ならぬ罰を受けている。まだレアであると願う。
そんなことはどうでもよく、その砂糖さんと知り合ったのは、私の仕事先である。私は当時古参メンバーになりつつあり、彼女はそこでの新顔であった。彼女は忙しいらしく、主要なメンバーとはあまり顔を合わせなかったが、彼女はそれでも、色々な人と交流を図ろうとしていた。無論、私ともである。当時の私……今も変わらないが、私はあまり話すことがうまくなく、人をいじるのも苦手、話しかけられて返すのが精一杯という人物であった。なので、仕事中はただ、仕事に尽くし、the・仕事人……他人から見て、仕事してる俺かっこいいとも思われていたかもしれない。ともかくそんなのであった。
そんな私が彼女と話すようになったのは、彼女が話しかけてきたのがきっかけである。男として、これほどダメなやつはいないと、今の私は考える。
彼女はひたすら人をいじった。いじって、いじって、いじり倒す。そうして主要メンバーの懐に入り込んで行った。(もちろん私も例外ではない。チョロいと言ったらば、それまでである)
彼女は森見登美彦風にいうであれば、生やかな美しい黒髪の持ち主で、嫋やか、かつ芯のある女性であり。欧米文化いりまじる、昨今の日本においての、現代版大和撫子(意訳的な意味合いで)とでもいうべき女性であったとかんじる。当社比であるため、評価については悪しからず。こう表現すると、なおのこと私には手にあまりかねない女性であったと、なおのこと感じてしまう。そこら辺を小一時間探せば、歩いていそうな、量産型男子たる私とは、到底不釣り合いである。
気分が晴れたらまた続きをば