其之五 流国国主と帝国狂姫
僕は妹のその体を愛おしそうに抱き留めると、自分の隣の老人に視線を投げた。
「じい、妹を頼む。今の連合がどれだけ頼れるか正直疑問だが他に手はない。この子がいれば王家の血も絶えないし、もしかすれば流国も『再興』できるかも知れない」
『再興』という言葉にじいが顔を歪める。
そう、もうすぐこの流国が一度滅びると言っているのだ、この若き国主の命をその最後にして。その上で可能ならば再興しろと。
「他に、他に何か手は無いのでしょうか?妹様の申す通り、共に逃げる手も間違いではございません」
僕は静かに首を振った。
場内の民達を逃す。
それは僕にしか出来ぬ事だから。
妹の用意した地下通路は少人数用だ。
民達を逃すなら帝国軍が待ち構える城門から逃げなくてはならない。
そして逃げ切る間の囮が必要なのだ。敵の王族の首という囮が……。
侍衆と共にここで引きつけ続け、ここで死す。
「儂も国主様と共にあの世までお供しとうございます」
「許さんよ、妹の補佐役は必要だ。妹には……まだまだ教えたい事が山ほどあった、寝食を忘れて話したいことがまだまだあった。なれど終りがいつ来るとも知れず、共に過ごす時間が楽しくて少し甘やかしすぎてしまった面もある。
この国が落ちた時、妹の価値が一国の姫から亡国の姫となる。そして今の連合がその妹をどう遇するかは不透明だからね」
もし、終わりが今日だと知っていたら僕は全ての知識、生き様、覚悟を伝えていただろうか?
……いや、きっと厳しくせず今の日常を繰り返したのかもしれない。
それは、国主の一族としては間違っていても、家族としては正しいのだから。
ふと、じいを見ると涙を湛えていた。
僕のその言葉にどれだけの覚悟が込められているのか、それを分かってくれた初老の男性は涙交じりに返事をした。
「ふふ、そんな顔をするな、この僕が戦うのだ。帝国など蹴散らすなんて城の侍女を誘惑するより簡単さ。僕が帝国を撃退して体制を立て直すその時まで他国でのんびり観光しててくれ」
決して叶わぬであろう未来を、打ち壊されるであろうその光景に最後の望みを託して僕は戦わねばならない。
「……ご武運を」
そう言ってじいは我が妹を丁寧にかついで駆け出す。
「すまないな我が妹、僕はここで終わる。しかし君は生きねばならない、君の命こそがこの国の血脈の最後の一滴になるのだから。……が生きる君の未来はけして楽な道のりではないだろう。帝国に立ち向かうために連合が団結できたのは半世紀も前の話だ」
嫌そうに頭を掻き毟り呟きながら、ため息をついた。
「僕は妹に重すぎる責任を背負わせて、片や僕自身は死ぬことでその責任から逃げようとしているのだろうか……」
そう言ってしばらく目を閉じていた彼はすぐに思い直したように、外に目を向ける。
すでに金属のぶつかり合う喧騒は眼下のすぐそこまで聞こえている。
城門が破られるのもそう先の事ではないだろう。
軽くため息をつき天を仰いだ。
「よし」と呟いた僕は剣を持ち部屋の扉へと向かう。
「どうせなら敵の女兵士と戦いたいな、国主と敵兵との国を超えた甘い大恋愛、うむ、楽しみだ」
思いかけず、無意識に呟いた口から出たのはそんな言葉。
言ってから自分で驚きの余り一度立ち止まってしまう。
『こんな時まで僕ってやつは女性が好きなんだな』そう言って少し微笑みながら、城門の前に立つ。
「馬回衆、僕に続け!敵本陣に乗り込んで大将首を取る!無理でも混乱を生じさせて民が脱出するまで時間を稼ぐ!死ぬる時は今ぞ!」
侍衆のその目は敗北と死の瀬戸際にあっても怯える心はない。
城門が開かれ帝国軍に打って出る。
同時に民達が東と南、思い思いの方向に散らばっていく。
帝国軍は包囲を狭め、民を捉えようと隊が列をなして躍動を始める。
『敵の王族は殺すな!
統治に利用できるし他の連合国への人質になる!
散らばった民を捕らえろ、王族が紛れているかもしれん!
王族は二人!王とその妹の二人だ!もう一人の妹を探せ!』
僕の姿を確認した帝国兵からそんな声が聞こえる。
おいおい、駄目じゃあないか。
国主様自らが足止めの殿をやっているんだぜ。
妹は地下通路にて脱出しているから民の中にいないが、人の家に土足で踏み込んできた強盗に教えてやる程、優しくはない。
お前らは只々、この命が尽きるまでここで一緒に踊ってもらわないと。
赤く染まる視界と大地。
只々、馬を敵中央に向けて駆ける。
視界の隅で共にある兵達が倒れ減って行く。
帝国がこの国だけを狙ったのか
連合全てを飲み込むつもりなのかは分からないが、我が国が落ちたことにより連合は結束を弱めるかもしれない
帝国が一つ一つの連合諸国を食い破り、噛み砕くのかもしれない
連合の国主たちよ、僕のようになるなよ……。
妹よ、幸せに生きろ
ああ、疲労で頭が回らなくなってきた。
僕は何人の民を逃がせた?
時間はどれ程経った?
守りたいものがいっぱいあった
生まれ育ったこの景色
友に育った人々
守るべき愛すべき妹それらを結局守りきれず
最後に国主としての務めを果たしている
このままこの国が滅んでしまうのだろうか
僕は何も守れずにここで死んでしまうのだろうか
愛した女たちがいた
僕は女たらしだしかし全てを守る覚悟があった
知らずに涙がこぼれた
皆が僕を罵るだろう
国を守りきれなかった愚かな国主と
槍は既に折れて既にない
愛馬は既にない
愛刀は刃こぼれと血糊で悲鳴を上げている
愛刀が敵の兜の隙間から喉を貫く
足かた力が向け泥に塗れた
失意の内ある僕の目の前で敵兵の隊列が左右に割れた
その中央を豪奢は鎧で華美な一人の敵兵が剣を抜き歩み寄ってきた
その目は怒りと恐怖と悲しみが混じり合い僕を殺す事しか考えていない
最早疲労で力が入らない
疲労で腕が上がらない
だから一手で決める
刀を上段に構え相手の頭に向けて斬りかかる
相手の剣が僕の腹に目がけて突き入れられる
僕の刀が彼女の兜を弾き飛ばす
相手の剣が僕の腹から背中にかけて内臓を掻き乱し、抜けた
これが僕の終焉か……
僕の刀が弾き飛ばした兜の下に現れた素顔
ああ、美しい
口から血を吐きながらそう呟いた
そうか彼女が帝国の噂に聞く
死を運ぶ、死を愛し、敵を駆逐する化物
帝国第二の姫、『狂姫』なのか
女性に殺されるのも僕らしい
そう思いながら
僕はいつもの微笑みを浮かべ彼女を見つめ続けた
視界がぼやけ僕の意識は……
これが流国の王 「流山 流之信」
一人の王と一つの国の物語の終焉である……。
『連合歴伍拾弐年 伍月
流国国主 残存主力ト共ニ 最後ノ戦ニ赴ムケリ 国主勇壮ナルニ退クコト無ク 大イニ帝国の士気挫カン 為レド帝国兵多大ナルヤ 槍折レ刀ツキ軍馬死シテ 国主以下全テ全滅セル 為レド流国姫脱出ニ大イニ貢献ヲ為シ 姫以下民達大イニ国外ニ逃亡セル助トナラン 以上ヲ以テ流国 帝国ニ占領サレリ 帝国ニヨリ連合ニ属ス国ガ滅亡スルハ 連合初ノ事ナリ』
序章はここまでです。
次話より本編を上げて行く予定です。
笑い少なめ、ラブコメ少なめ、戦闘多めな、この作品ですが本編から少し緩くなります。良ければこのままお付き合いください。