其之二十八 流国姫の覚悟と在り方
いい加減、状況は切羽つまり僕は城の一室で頭を抱えていた。
今僕の頭を切り開いたら兵糧備蓄とか帝国の兵数とか連合の兵数とか、溢れんばかり数字が飛び出してきたに違いない。
正直一杯一杯で泣き出しそうだった。
そんな時に副官が血相を変えて飛び込んできた。
「あの難民街、病が蔓延してるぞ!」
「まさか……もう一度言ってくれ」
僕は表情を崩した、聞き間違いを期待したのだ。
病は恐ろしいものだ。医者が匙を投げるような流行病もあり、過去に一度感染者が血を吐いてその血を浴びたものが感染する『喀血病』と名付けられた病が連合で流行った時には実に連合の三分の一が死んだ。
当時は目を向ければ死体が目につくという状況になるまで流行し、世界の終焉を多くの者が予想したらしい。
しかし、こうして世界には人が溢れ生き続けている。
「病だ!しかも流行の兆しがあるぞ!」
僕はすぐに駆け出した。
同じく後に続く副官に『何か解っている事はあるか?』と怒鳴った。
「感染方法は不明だ。感染したら発熱の後、食欲を無くしそのまま意識不明、そしてそのまま死ぬ」
「感染から発熱までは?」
「多分、一週間。五人ばかり、病で死んだ家族から聞きこんだ」
「上出来だ!」
僕と副官は馬に飛び乗り難民街へ駆け込んだ。
前回、流国姫様が来た時より人が減っている。
難民たちのほとんどはやせ細り、辺りには木の根のかけらとネズミの骨が散らばっている。
「くそ!少しのぞいてみろ」
僕は副官に怒鳴りちらした。
「ねずみ、かもしれないな……。
すでに死者の数が一日ごとに倍々で死に始めてる、急がないと難民街から城下町にまで流行が広まるぞ!」
「我が副官!対策は?なんでもいい!言え!」
副官は落ちついて、『分かっているだろう』と返してきた。
「この難民たちのあばら家を焼くしかないか……」
火はすべてを焼き尽くす。
病の原因すら。
しかし……。
「さっきも言ったが潜伏期間は短いみたいだ、元気そうな奴は一週間ほど隔離して問題なければ陰性判断でいいんだろうが……」
「今、発症しているやつらは……」
副官は無言だった。
それが何よりの返事だったから僕は唇を噛んだ。
口の中に血の味が広がる。
「くそ!また僕の『悪名』が増えるな」
「……あの姫様はどうする?」
「ほっとけ!」
「ますます嫌われるぞ」
前にも言ったが、僕は自国の民が最優先だ。
流国の民を切り捨ててでも守らなくてはいけない者は確かにある。
その為ならあの姫さんに更に嫌われてでも行動しなくてはならない場面は確かにある。
「……恨まれる覚悟はある」
だけど僕は副官の顔を真っ直ぐに見れず、視線から逃げるように目を伏せた。
直ぐに重臣を招集して兵を集めさせた。
僕は本来、家臣の意見を十分に聞く国主だと自負していたが今回ばかりは意見など求めず押し通した。
まず兵たちの仕事は難民たちを難民街から追い出すところから始まった。
「病人、体が動かいないものは隔離する!……病にかかっているものはこの街から出ていけ」
あたりの難民たちに動揺がはしる。
「ここから北に15㎞ほど行ったところに集落がある、そこの住民を移転させてあるから空き家にはある程度の食料と衣服を置いてある。そこに住め」
無茶な話だ。満足に体の動かない病人がどうやって15㎞も歩くと言うのか。
それでも兵たちは槍を難民たちに向ける。
難民たちは槍に追い立てられて街から排除されていく。
「熱のないもの、普段通り動けるものはここにいても構わない。ただし数日間は監視下で病の陰性確認させてもらう」
そう宣告すると、僕は兵に難民たちの町はずれのあばら家を焼くように命じた。
家々には浄化という名の火がかけられた。
何人かの兵は同じ連合の流国の民の家を焼く事に難色を示したが僕は再度『命令』した。
あたりから絶叫と罵倒が聞こえてくるが僕は続けさせた。
帝国に国を追われ、萌国に家を焼かれ、病に殺される。
その責任の一端が僕の肩にのしかかる。
重い。
とてつもなく重い。
難民たちの憎悪の視線を一身に受けながら僕は自らも火をかけた。
「何をやっているのですか!」
そんな時、僕の背後から今一番聞きたくない声が聞こえてきた。
『姫さま』、難民たちが口ぐちに叫ぶ。
「この者たちは我が民です!帝国ではなく、同じ連合である我が国の民に対し槍を向けるとはこれがこの国の国主の態度か!」
「お前。この間こいつらにあそこまで言われたのに庇うのか……」
僕は呆れ顔でワザとらしく溜息一つ。
「私は確かに王族の器でないのかもしれません、だがここでこの者たちを見捨てることは……やはりできません!」
「ほっとけよ」
僕は面倒そうに告げた。
「……なんといいました?」
「ほっとけって言ったんだ。
彼らは君を石をもって裏切った、君たち王族が敗北という裏切りをしたのが先かもしれないがそれでも彼らはそのあとに君を裏切った裏切者だ。
もうこいつらは君とはなんの関係もない。それでいいじゃないか」
「逆の立場ならあなたはそこまで割り切ることができますか?」
「いや無理。僕は自分が絶対にとらないような選択肢を君に進めている。軽蔑する?」
「ええ、いよいよもって下種になりましたね」
この姫様は隙あれば僕を殺してでも民たちを救おう僕へ近づいてきた。
可愛い顔が怒りの為に大きくゆがんでいる。
僕も身を守る為に、体勢を整え構えた。
こんな公衆の面前で黙って殴られては、それこそ『国の威信』に関わる。
その時はこの間とは比べ物にならない『反撃』をしなくてはならないのだ。彼女も分かっていると思いたいが……。
そんな時、彼女へ声が投げかけられた。
視線を動かすと一人の街から追い出され佇んでいた老人だった。
『姫様、ありがとうございます』、そう言って老人は微笑んで見せた。
「しかし、もうわしらは病で死にかかっているのがわかるんですわ。長年付き合った自分の体だ、わかっとるんです」
「そんな!そんな簡単に諦めてはなりません!今、私がこの分からず屋の国主を説得します。病はきっと治ります!」
老人は疲れた笑いをして首を左右に振った。
「こないだ、あそこまで腐ってたわしらにそこまで言っていただけただけでもう満足ですわ」
「そんな、そんな諦めた顔しないでください!まだ何か手があるはずです。医者は?医者はいないのですか!そんな簡単に命を捨てて言い訳がないでしょう!」
目に涙を浮かべる彼女に向かって老人は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、姫様よ。
でももういい、もういいんですわ。
俺達はその集落へ向かい病が治るのに希望を託します。先日、石まで使ってあなたを傷つけた俺らにそこまで温かい言葉をかけて頂けただけで覚悟ができるってもんです」
「でも……」
それでも語りかけようと近づく姫様を老人は悲しそうに一歩下がって距離を取った。
「病が移るといかんです、近づかないでくだせぇ」
そういって後ろの群衆に合図した。
『姫様もおたっしゃで』『後のことは病に罹らなかった若いもん達に託して老人は行くとしますわ』『何、病など直してまたお会いしますから』『私たちは流国民は姫様がおる限り永遠に滅びませんとも』
手を振りそういいながら、老人や子供が咳をしながらあぜ道を歩いていく。
まるで地獄への行進のようだった。
一体このうちの何人が集落までたどり着けるのか。
一体何人が無事に再開できるのか。
そんな光景を見ながら姫様はポツリと口を開いた。
「わたしにできる事はないのですか?」
「君の選択肢は二つ。彼らと行くかここに残るかだ」
「彼らと行く……?」
「病に苦しむ彼らの包帯を取り換え、食事を作り、最後を看取り、穴を掘り、墓を建てる」
「それもいいですね。私は彼らと同じ時を生きたい」
彼女は即答した。
僕は彼女の真っ直ぐな目に見据えられて、初めてこの姫様に敬意を持った。
強いな、本当に強い、僕なんかよりずっと。
でも……。
「行けば君にも病は伝染る。おそらく死ぬ」
「それでも……です」
「個人としては君の自己犠牲の精神は偉大だ、尊敬する。
でも一国を担う者が自分の命を軽く扱うのは最低だ、軽蔑する」
「……私は自分の命すら好きに使えないのですか?」
「さっき老人に託されたばかりだろう。生き残りの流国の民はどうする、僕の意思一つで簡単に吹き飛ぶ命だぞ。
お前も国を担うなら僕を説得するなり脅迫するなりして彼らの安全を手に入れる行動をしたらどうだい」
僕はできるだけ冷徹に告げた。
そう、人を切り捨てる時はこれでいい。
どんなに言葉を尽くしても伝える結果は変わらないのだから。
老人たちの背中を見て、唇を噛みしめ涙を堪え、それでもやっぱり泣いている姫様をみた。
僕にその涙を止める手段が無いことが、どうしようもなく悔しかった。




