其之二十三 泣き虫な僕と泣き虫な彼女
「なんだ、お前もその姫様に文句でもあるのか?」
刀傷を負った男は僕に視線を向けたが、僕の殺意すら含んだ視線を受けて言い淀んだ。
「文句は腐るほどあるけど、それ以上に気に入らないのは……お前だ」
見下した侮蔑の言葉を容赦なく投げつける。
駄目だ、怒りが抑えきれない。
「な、なんで俺が。俺は無能な流国主のせいで家を焼かれて、田畑を失い、着の身着のまま国を追い出されててきた哀れな『被害者』だぞ」
「『被害者』なら国主に復讐する権利があると?」
「あ、ああそうだ!国主が無能だから後手後手に回り戦に負けたんだ。俺はあの国が大切だったのにすべて無くした」
「ほう、大切だったのか?流国は。お前……体は五体満足か?」
「?、ああ……」
僕は男の住んでいるらしきあばら家を見る、屋根すらない難民がいるここいらの中じゃ随分まともな住処である。
「お前は男で健康で、そして力もありそして国を大切に思っていた。ならばなぜ義勇兵に志願しなかった?」
「それは……」
「お前の手は無骨な割にマメが無いな。お前は百姓ではないよな?お前は普段何をして生計を建てていた?」
その答えは目の前の男からも、その取り巻き達の誰からも聞こえる気配が無い。
沈黙が辺りを支配した。
「答えられないか。まともに税を納めてたか疑問だがな。では聞くがお前よりも子供が志願し戦い骨になり、老人が病をおして寝床から立ち上がる時、なぜお前は決意しなかった?ここの集落であばら家とはいえ小屋があるってことは早めに流国から逃げて来たんだろう?本城が落城しそれでも民を助けようと敗残兵が孤軍奮闘しているときなぜお前はこの国に来た?」
「それは……俺は税をちゃんと納めていたんだ、戦うのは侍の……」
言い淀んだ男の言い訳にすらならない言葉を最後まで聞くまでもなく、僕の勘忍袋が破裂した。
「それはお前が口先ばかりで自分の事しか考えていない最低のクズだからだ!真っ先に逃げたくせに最後まで戦った勇気ある敗者に暴言を投げつけるしかない本当の敗者だからだ。何もしてない癖に挑戦し、立ち向かいその結果として失敗した者に、俺は挑まなかったから失敗しなかったぜ、と言っているどうしようもない屑のゴミ野郎だからだ!恥を知れ!」
沈黙する男を無視して僕は目線を横へ向けた。
僕が捉えたその姿は哀れだった。
屈辱と絶望と恐怖が顔の中で混じり合い、涙として流れ出る。
その美しい顔をひきつらせ、歪め、罠にハマりこれから狩られるのを待つだけのウサギのように肩を抱いて震えて泣いていた。
僕はそのウサギを抱きかかえると、おんぶして持ち上げる。
いつか僕の目の前で副官がしたように。
あの時の僕が出来なかった事を、今度は後悔しないように。
「僕はこの国の国主だ!文句のある奴、殺されたい奴は前に出ろ!」
僕は敵意むき出しで辺りの難民を睨む。
睨まれた難民は怯えたように下がり、人の波が綺麗に割れる。
その裂け目はまるで道が切り開かれたかのように現れた。
「帰ろうか……」
背中の彼女にだけ届くようにそう言った。
僕は出来る事の少ない国主だけど、男として彼女を連れて帰る事はできるから……。
僕は静かに歩き出した。
『帰ろうか……』、そう聞いた時何処へ帰るのだろうかと思った。
もう私に帰る場所なんて無いのに。
彼は私をおんぶするとその道を帰還する為に歩く。
「いつもいつも真っ先に死ぬのは国を愛して、国を憂い、故郷を守ろうとする奴からだ。
そしてこんなクズだけが最後まで生き残る。
クソッ、いつもいつもこの世はいいやつから死んでいく……」
私は、私をおぶる彼がそうポツリと呟いたのを聞いた気がした。
とても悲しい、寂しそうな少年の声だった。
『萌国城内・寝室の一室にて』
「寝ているのか……」
「ああ、流石に参ったみたいだ」
「そっか、無理もないな」
連絡を受けて駆けつけて来た副官に僕は事の次第を説明し、汚れた姫様に湯浴みと着替えを任せた。
姫様に人形の様に生気がなくされるがままに、世話をされ眼前で青白い顔で寝息を立ている。
「守役のじいさん埋葬しといたよ、ひどい有様だった。守るべき自国の民を殺し、そしてその民に殺された。あのじいさんは報われないな」
「……それを決めるのは君じゃない。それを決めるのは死んだあのじいさんだろう、死者の声も聞こえないのに安易な同情はかえってあの守役殿に無礼だろう」
「かもね、私は手を合わせて花を添えた。確かに死者に意義も生の意味にそれ以上でも以下もないか。……なあ私が死んだら墓ぐらい建ててくれるか?」
「そんな無意味な仮定は答える価値は認めないね」
普段ならそんな軽口も嫌いじゃないがとてもそれに乗る気分ではなかった。
「ああ、そうだ彼女の衣装が汚れてしまっただろう?替えの服をいつもの出入りの商人に頼んであるんだ。町までひとっ走り取ってきてくれないかい」
「それはいいけど、この子が目を覚ました時、誰もいないと早まった真似するかもしれないから……」
副官の中で最悪を想定しているのだろう。
部屋の中には刃物類は無いが念を入れるべきかもしれない。
……僕は彼女の枕もとに座り込むとそっと髪を撫でる。
彼女の髪が障子越しの光を浴びてキラキラ輝いていた。
「君が戻るまで僕がここで見てるよ」
起こさないように音量を下げ、髪を撫でているのとは逆の空いている手をヒラヒラさせながら、副官に行けと促す。
「手を出すなよ」
そう副官の呟きを聞いた時、僕は珍しく強い怒気を含んだ視線を副官に投げつけた。
僕とて『言って良い言葉』というものを発する時と場合ぐらいは読めるし理解している、そしてそれは我が副官にもできたはずの事だからだ。
副官は少し驚いて僕の視線を真正面から受け止め、怯えた様子も無く綺麗に一礼して音も無く障子を開けて退室した。
僕は髪を撫でながら溜め息をついてしばらく寝ている少女を眺めていたが……唐突に寝ていたはずの彼女が沈黙を破った。
「兄様は優秀だったの……」
「ああ」
「兄様は強かったわ……」
「ああ」
「兄様はお優しいかった……」
「ああ」
疲れた果てた目で、まるで此の世の全てを憎む様に、此の世の全てを蔑む様に。
いつもの姫様にからは想像も出来ない枯れ果てたしわがれた声で彼女は続けた。
「あいつ、兄様を無能と罵ったわ。……兄様を殺したのは帝国だけじゃない、流国が、私達の国が兄様を殺した。みんなが流国を馬鹿にする。先の大戦で緩衝地帯としてだけの意味で国を作り、生贄に我が王家を据えた。
帝国、連合諸国、科国。何処の国が悪意を持ち戦争を仕掛けても必ずと言っていいほど中心に流国がある。しかし心無い皆は言う、『流国は腰抜けだ、戦争のたびに旗色のいい方に付く』と、『流国の王家は無能の象徴だ』と、『生まれ変わるにしても流国の民にだけにはなるな、明日には族国の傭兵に身ぐるみ剥がされるぞ』と。
父様は、先代の国主は常に他国に怯え心は削られていった。
ただし兄様は違った。あの人には才能があった、力もあった、あの人に足りなかったのは流国なんていう弱小国ではなく平和に満ちた、敵のいない国だったのだ。あの人ならその平和を百年、千年続く国の基礎を作り上げたに違いないのに」
そういって乾いた笑みと憎々しい憎悪を次々に浮かべる少女を見て僕はどうしていいのか、まったく分からなかった。
彼女は僕の腕にしがみつき握りしめた。
爪が肉に食い込んで血が滲んだが黙って聞いていた。
「私は我が国の民が今は大嫌いになりました。今初めてわかった。こちらの事情も知らずにただただ愚痴をこぼし協力すらしない。
民の為に治水工事に狩りだせば無駄飯ばかり食いろくに働きすらしない。
帝国からの防衛の為に税を集めれば王宮で贅沢をするために重税をかけていると愚想し、近隣に出没する夜盗から守ってやれば今度は夜盗の出ない国にしろと文句を言う。
兄様は、私は、私達はがんばった、誰の為でもない、あの者達は、流国の民の為にがんばったのに。
その結果がこれです。
『あいつら』が私にくれたのは感謝ではなくて呪いや恨みの言葉だけだった。
あいつらが困っているときに手を差し伸べて助けて来たのに、私が困った時には、私の差し出した手を握り返してくれるものは誰もいなかった。
あいつらは帝国ではなく私に石を投げました。
今日まで従ってくれたじいを殺しました。
見識も道徳も他人への慈しみも持たず、ただただ他人の行動の失敗を笑い、自分の欲望のみを叶える為にいきるクズども。それが私の民」
そこまで言って彼女は気付いたように目を見開いて、そして唇を釣り上げて笑った。
彼女らしくない酷い笑いだった、その笑いを見ているこちらの心が荒むようなそんな笑い。
「……そうか、私はクズどもの姫だったのですね。……あははは、お笑い……ですね。そうか……なら今の私の状況も当然か……ふ、ふふふ」
その笑いは自暴自棄になっているように痛々しい笑いで僕はあまり直視したくなかった。
「あまり彼らを恨むな、王族は責任を負うためにいる。彼らは自分たちを守ってもらう為に税を払い募兵に応じた。そして君と同じよう家族を、田畑を、財産を、すべてを失った」
「……私はどうすればいいの?」
僕は物語の英雄でもなければ勇者でもない。
僕の頭では解決手段は思い浮かばなかった。
「……余り気にするな、と無責任に励ますのは簡単だが、あいにく僕はそこまで優しくはない」
「私には国もなく、民もなく、家族もなく、友もなく、何も、何もないのですね……」
こんな時、男は何と声をかければいいのだろう?
差し障りの無い会話?
相槌うち共に『帝国憎し』と語り合うか?
何かを言おうとして僕は口を開いた。
だけど、それよりも早く彼女に遮られた。
「なにも言わないで……。大丈夫だから。お願い……何も言わないで」
僕はやっぱり何もできない無能な男で、何もできない臆病な者だ。
目の前に悲しくて、悔しくて、絶望して、悔恨している少女がいる。
かつて恋した少女がいる。
その子が悲しみに暮れているのに……。
僕にはかける言葉が見つからない。
だから言えない代わりに……そっと彼女を抱きしめた。
彼女は少し驚いたようだったが抵抗もなく、ただただ僕の胸で静かに泣き続けた。
「ごめんな、僕は昔から言葉が足りないって言われるんだ」
彼女の髪を撫でながらポツリと言った。
「君を見てればわかる、君は流国の城で蝶よ花よと人間の良い部分を、白い部分だけを見せられて育ってきたんだね、君が一生城の中で夢や理想を目指して前だけ向いていられる状況なら良かったんだろうけど」
少し溜め息をついた。
「鳥かごで育った鳥は野に放つと餌の取り方を忘れて生きられないって言うけれども、僕には君を傷つけないで自身の立場を理解させる方法が思いつかなかった」
今度は深い溜め息をついた。
「先も言った通り、君の立場は凄く微妙だ。これから甘い言葉を振りまいて利用しようとするやつは山ほど出てくるだろう、逆にさっきみたいに恨み辛みをぶつけられることもあるだろう。今後間違いなく君の人生は平穏ではいられない。そして君は知識は優秀でも人の悪意を、心の動きを理解できるほど長く生きていない」
そのまま彼女の額を撫でた。
「先ほどの鳥かごの話もそうだけど、社会って奴は色々な人間の感情が渦巻く猛毒で劇物だからね……。君が社会に出る前に少しでも耐性をつけてあげたかったんだ、でも……」
『ごめん』と謝った。
「いきなり真正面から敵意と殺意を向けられることなんて今までないもんな、怖くて怖くて何もできないよな」
僕は目頭を押さえた、涙腺が熱くて涙がこぼれそうだった。
「ごめんな、君にはあんな場所を見せるのはまだ早いと思っていたんだ」
ついに涙腺が崩壊し涙がこぼれた。
「ごめんな、もう少し世間の辛さ、恐怖、愛憎、そして優しさに触れさせてから、あの集落の場所へ行かしてあげたかったんだ」
声が鼻声になり震える。
「それで結果が変わるわけじゃないけど、何も変わらないけど……、君の心がもう少し強くなってからでいいと思ったんだ」
僕は泣きながら、心は怒りに震えていた。
流国を攻めた帝国に。
姫様を泣かした流国の難民に。
姫様の涙を止められない自分自身に。
何故か少し嗚咽した。
僕はいくつになっても泣き癖が直らない。
そっと彼女の手が僕の頬に触れられる。
彼女がポツリと呟いた。
「不器用な人、私がこの城に来た時に兄様の死を一緒に泣いてくれれば私は貴方を信頼したのに。あなたにこの身をすべてを差し出して付いていこうとしたのに」
「……言ったろう、涙で同情を買ってまで生きようと思わないんだ」
「でもその涙は貴方自信が痛いから流しているのではないでしょう?私の為に悲しいから心から流してくれているのでしょう?」
「でも男が泣くのは……許されない。そう父上に教わった」
「良いのですよ、私も泣いてるもの。今この場では一緒に泣いても誰も咎めないわ」
彼女の手が僕の背に回され抱きしめられた。
それからお互いにしばらく泣きあった。
泣いて現実の解決には何の意味も無いけれど。
彼女の為に出来る事をしよう。
「連合国主会議招集を急がせるよ」
泣きはらした彼女の赤い目が少し見開かれ、僕を凝視した。
彼女にだって会議を開く危険性も、かかる予算も、その結果僕にかかる仕事も分かっているだろう。
彼女が何かを言おうと口を開く前に僕が先に言葉を紡ぐ。
「そこでうまくすればどこかの国が動くかも知れないし、盟主国の武国が奪還に動くなら僕は従うよ。……今の僕にできるのはここまでだ」
姫様はゆっくりとその言葉を脳内で噛み締めて。
「頼みます」
哀願するような、絞り出すような弱々しい声が聞こえた。
苦労を背負ったのは十二分に理解できていたけど、不思議と悪い気分はしなかった。