其之二十二 流国姫の価値と無くした者達
僕は朝から機嫌が悪かった。
朝起きると、布団の中には孤児弟がおり安らかな寝息を立てていたからだ。
『他人の布団に忍び込むとは何事だ!』
そう怒鳴り散らそうとその顔を見たが余りに安らかで穏やかな寝顔を見せられてその怒気も急速にしぼんだ。
起こさないようにそっと布団を出ると副官の部屋へ向かった。
愛すべき我が副官殿の寝顔をたまには覗き見してやろう。
そんないたずら心が刺激されそっとふすまを開けると、先ほどまでの僕と同じように同衾する副官と孤児姉の姿を見てしまった。
「おはよう」
僕が声を掛けるまでもなく布団の中からいつもの声が聞こえて来た。
彼女にしては珍しく、少し眠そうで声を押さえているのが新鮮だ。
「ああ、おはよう。君が寝ぼけた声を出すなんて珍しいね。昨晩はお楽しみだったのか?」
「……朝っぱらから下らん冗談はやめてくれ。呆れを通り越して殺意が湧くから」
僕の冗談は楽しくなかったらしい。
おかしいな?飲み屋で冗談を言うとの女の子とかは、乾いた笑い声で良く笑ってくれるのだが……。
「この子が昨晩、夜泣きをしてぐずり始めてな。安全が確保されてようやく今の自分の立場が理解できたんだろう。さっきようやく泣き疲れて眠った所だ」
「へぇ~、……君がね。子供の相手なんてできたんだ?」
「昔な……お前と会うずっと昔に子守りの仕事をしていた事があってな」
そう言って副官は少しだけ何かを逡巡するように遠い目をするが、すぐに隣人を起こさないようにゆっくりと布団から起き上がってきた。
「この子達を別々の部屋に寝かせたのは失敗だったかもな。男の子の方は大丈夫だったか?」
「気が付いたら布団に潜り込まれてたよ。夜泣きはしていないと思うけどね……」
そんな会話をしながら僕らは朝食を取る為に母屋へ向かった。
今日も晴天、いい天気だ。
何か良いことが有りそう。
僕は朝日を一杯に浴びながら今日も一日頑張ろうとして……大きな欠伸を一つした。
「ご報告いたします。流国姫様が町に出られました」
朝のまどろみ瞬く間に過ぎ去って、僕は迫り来る書類仕事に忙殺されていた。
太陽よ、お前は朝日の段階で僕がこうなる事を知っていたのか……。
何故だかお前が憎い、酷く憎い。
太陽よ、一度僕の前に姿を現すがいい。
一度ぶん殴ってやる!!
……つまりこんなどうでもいい事を考えるぐらい大忙しだった。
我が副官も新しい鉄砲部隊の兵を集める為に未亡人やら村娘やらをかき集めに先ほど僕の許可状を受け取ると弾かれたように城を飛び出して行った。
そんな訳で僕はその言葉に然したる意味を見いだせずに、適当に返事をしただけだった。
「観光か?この非常時に呑気な姫さんだな。まぁ正直、会議に口挟まれるよりは楽でいいし、護衛は付けているんだろう?ほっときなよ、晩飯時になったら帰ってくるだろう」
犬猫が出かけたみたいに軽い口調で、書類の山で寝不足気味の僕は顔すら上げずにぼやいた。
問題が山積みでそんな事まで気を回している余裕が正直無い。
「いえ、それが……、観光ではなく流国から逃げてきた民を激励し、使えそうならば義勇兵も集めると……」
そこまで言った門番の顔色が一瞬で豹変した、僕の顔が瞬時に寝不足から激昂寸前に切り替わったからだ。
「ちょっとまて……まさかとは思うが姫は流国から来ているこの町の流国の難民に会いに行ったのか?それで難民の中から見どころのある奴は徴兵すると?」
「はっ、そのようにお聞きして……」
その言葉は最後まで続けられなかった。
その言葉を遮る怒声が他ならぬ彼の仕える国主から発せられたのだから。
「馬鹿が!!!あの姫様、頭は良いくせに人の心が全く解ってない。くそっ、あと数年も流国を補佐していればいい王女になっただろうに!護衛の兵は何人連れて行った!?」
「確か流国から共に逃げて来た兵の数名のみで我が国の兵は一人も……」
最悪だ。今から兵を招集しても時間がかかる。すぐに動員できて精鋭で顔がこわもての……。
「おい、お前はすぐに暇そうな手勢を集めろ。二十もいれば十分だ、運が良ければ訓練場でたむろしてるはずだ!大臣連中に何か言われたら僕からの命令だと伝えろ、僕は姫さんの後を追う」
矢継ぎ早に支持を出すが、そこまで言って門番が尚も理解できないという風にポカンとしているのを見て怒りが増した。
「早く行け!まだ怒鳴られたいのか!」
それを聞いて門番は慌てて駆け出した。
くそっ!!……間に合うか?
その疑問だけは口に出さなかった、悪いことは口に出すと言霊になる。
そんなゲン担ぎにすがっているのだろうか。
『萌国 城下町外れのあばら家街(通称:難民街)にて』
「ひどいものですね」
「はい」
そう返事をした隣の老兵、……じいは否定しなかった。
流国の町の外周部に身を寄せ合うように『新しい小屋』が立ち並んでいた。
『新しい小屋』と言ってもほとんどが廃材の材木に継ぎ合わした布を掛けただけのアバラ屋であり、着の身着のまま逃げて来たのだろう粗末な服は色あせて悪臭がただよっていた。
後から来たものには小屋を建てる廃材すらなく、無気力に地面に座り込んでいる集団もいた。彼らは流国の民である、いや正確には流国の民で『あった』が正しいのかもしれない。
彼らの住まう国はすでに無く、彼らの耕す土地は奪われ、彼らの寄り添う村は焼き払われた。
彼らには帰る場所はもうないのだから。
そして彼らは逃げて来た国で新しい国の民として生活をしなくてはならない。
そう、逃げた際に財を無くしたほとんどの人間は奴隷寸前の最貧民層としての生活が待っているのだから。
ましてや早めに逃げ、いち早く見つけた仕事がある者はまだいい。
後から来た者には生きるため最低限の生活をするための仕事すら回ってこない。
必然的にそのまま飢え死にしたくないものは奪う為に持っているもの達を襲いだす。
犯罪は増加し、町の人間達は新しく住み始めたこの『ならず者』の達を嫌いだす。
米屋、パン屋、食料品を扱う店は見張りを店に置くようになり、『ならず者』を見ると目を光らせる。
食料品も供給が間に合わずに高騰し昔から町に住む者たちはその怒りを『ならず者』たちに向けはじめる。
やがて真面目に働いていた初期の者たちも肩身が狭くなり、身を寄せ合うように集団を作っていく。
その集団が直接犯罪行為を働く訳ではなかったが、その集団に恐怖した者が集まり、対抗するために町の中でも人が群れ始める。
町では至る所で何処の誰とも知らない集団が多数たむろし、誰かがケンカを始めると所属する集団が集まり始め多数の負傷者を出す事態となった。
これが流国が滅んで僅か数カ月の間に起こった出来事である。
城の兵士達も揉め事の仲裁に昼夜を問わずに追われ疲れ果てている。
そして未だに流国からの難民は増え、萌国の備蓄食料を圧迫し始めている。
国主は農地の開拓を急いでいるが、その成果が出るのは数年後。
輸入などで食料の確保に追われているが仲介の商国商人達は足元を見ているし、保存の効くものに関してはまだまだこれからの食料の高騰を予想して売りしぶる。
それに反比例するように人間の命が安くなり、餓死者が出て悲しんでいた者たちも死を見慣れ、キチンと土葬されていた死体がいつの間にか無造作に積み上げられていく。
ネズミが死者を餓鬼の群れさながらに喰い漁り大量発生し、死体からは羽虫が雲のように舞いあがる。
流国姫である私はそれを見て先ほどの言葉を呟いた。
『ヒドイモノデスネ』と。
「町の外周部の小屋が立ち並ぶ辺りの中心地に行きます。ついて来なさい」
「本当に行く気ですか?」
「今この者達に必要なのは食料でしょう、ですが残念ながらそれは私には用意できません。しかし次に必要な生きる希望を与えられたらと思うのです」
「はっ……」
隣の護衛である侍は承諾の返事をした。
しかし、同時にこうも思った。
彼らに必要なのはやはり食い物や衣服、寝床などの即物的なものなのだ。
人はそれらを確保されて初めて心にゆとりが生まれる。
この方の言葉を聞くには今の民には余裕が無さすぎるのではないか?と思ったが自国の民を疑ってかかっている心を恥じてすぐに思い直した、人と人は分かり合えるのだから。
人の世が根本的に最低限の文明の上になりたっている事をこの侍は忘れていたのだろうか。
文明に頼らない人は獣と大差ないのにも関わらず……。
その集落に近づくにつれて悪臭が鼻についてくる。
人々は道の端に座りこみ所なさげに虚空を眺めている。
時折走る丸々と肥えたネズミを数人の男が棒切れをを持って追っかけまわしている。
かつて町を美しくしようとした花の種はすべて畑ではなく腹の中に消えた。
木々は斬り倒されあばら家の材となり根は煮て喰われた。
それでも人々は生きている。
辛うじて生きている。
何故人は生きているのか?
そんな疑問が私の中に芽生えた。
何が彼らにここまでさせるのか?
そんな疑問を抱きながら私はその集落の道々の十字路、広めの交差点に立ち止まり辺りを見回した。
「ここでいいでしょう。『みなさん聞いてください!』」
それを聞いて何人かの人間が視線をこちらへ向ける。
こちらの姿に再度驚き視線を止める。
「私は流国国主の妹です、何人か私を知っておられる方もいるでしょう。今回は皆様にお願いがありやって参りました!」
私に出せる精一杯の声、こんな声を出すのはお兄様を怒鳴りつけた時以来かしら、そう思ったら目頭が熱くなったが何とか我慢した。
「あんた、流国の姫様でいらっしゃいますか?」
恐れ震えながらも周りにいた一人から声がかけられた。
「はい」
「ありがたい事です!私たちを助けに来て下さったのですね!」
それを聞いて周りの民たちからどよめきが、そして歓声も起こった。
辺りにいた人々が一斉に駆け寄ってくる。
青年も少年も赤子も老人も少女も老婆もみんなが集まってきた。
皆が疲れた泥と煤に汚れた顔をしていた。
でも私の姿を見て目に輝きが灯った顔もある。
私は『帝国を討つために募兵する』と言おうとして口を開いたが民衆たちの多数の懇願によってその声は音にならなかった。
「姫様!飯が、飯が足りないんです!何人も餓死者が出ているんです!あの町のやつらに米を分けて貰うように話をつけてくれませんか?!」
「子供が動かないんです!医者を医者をお願いいたします!」
「兄はどうなったかご存知でないですか?最後まで流国国主様と共に戦っていたはずなのですが……」
一瞬で言葉の洪水に飲み込まれる。
もはや誰が何を言っているか理解できるものはいなかった。
『姫様!姫様!姫様!……』
隣の老臣が、『話ができる様子ではありませぬ、一度出直されては』とそっと囁いて来た。
その通りだとは思ったがこのままでは来た意味がなくなってしまう。
「大丈夫よ、じい。いつまでも子供扱いしないで」
彼は周りの騒音で聞こえなかったようだが表情を読んだのか頷いた。
「皆さん!皆さんのお話は解りました!しかしまずは私の話を聞いて下さい!」
「我が流国を帝国から奪還する為に募兵をしたのです。お力をお借りしたいのです。帝国と戦う覚悟のある方は私と共に来てください」
その言葉に会話をしていた彼の動きがぴたりと止まる。
「姫様……。あなたは我らに帝国と戦場で戦えとそう言うのですか」
「はい」
「その前に我らは田畑を無くし食うに困っております。我らは田畑があれば飯に困ることはありません。しかし今の我らに田畑はなく明日をも知れぬ身です。今の我らに必要なのは百年間豊かな実りを約束された大地ではなく明日を生きるための米なのです。まずは今日の腹を満たしたいのです」
「それは……」
伏し目がちに言い淀んだ。
答えるべき言葉を持てないからだ。
「我らに痩せた体であなたは武器を持てと言う。確かに我らとて帝国は憎い、しかしその前に我らに施しの一つも頂けませぬか?子供が、老人が弱きもの達が!この瞬間にも死んでおるのです……。墓が増えておるのです!どうか、どうか、助けて下され」
目に涙を湛えて縋るように、絞り出すように声を発する彼の声は嘘偽りを感じさせない、彼の本心だろう。
彼の為ならば、彼らの命の為ならば……。
もう一度、あの乱暴で傲慢な国主と話をしよう。
正直に言えば顔を見たくない、声も聞きたくなかった。
だけど……。
今私に出来る事はあの国主から彼らへの食料を拠出させる事しか出来ない。
そして、それが出来るのは私だけだから。
私は手足がが震えるのを隠して覚悟を決めた。
「……いいでしょう。すぐに萌国国主へ打診し備蓄米を放出するように打診しましょう」
その言葉に広まる安心の溜息の背後で、一つの激怒の空気が爆発した。
「今からかよ!!!!」
民たちの中で一際大きな体をした男が吐き捨てるように怒鳴り、喚き散らした。
「俺たちが飢えて苦しんで夜風もしのげないボロ屋で寒さに震えて眠れない中であんたはこの国の城でうまいもん食って温かい布団で寝てたんだろ!?あんたは俺たちを『戦力』としてこき使う為にここへ来たんだ!なのにお前は俺たちに何をしてくれた?あんたとあんたの兄は俺たちの国を滅ぼした無能者じゃないか!」
余りの暴言にしばらく、私達は何を言われたか分からずに固まっていたが、すぐ横のじいが『貴様!』と顔を真っ赤に激怒させて刀を抜いた。
「帝国に俺の家族達を差し出して殺させておいて最後には流国の……自国の侍が俺を殺すのか?なめるんじゃねーぞ、じじい!俺は黙って殺されるほど人間できちゃいねーんだよ!」
そう言って腰の棒きれを不器用に構えた。
「兄貴……!」
男の周りにいた数人の男たちが男を囲み敵意の視線をこちらへ向ける。
「おい!いいのかよ。俺たちこのままじゃ戦場に送られるぞ!……今度こそ死んじまうぞ!こんな女に命令されて死んでいいのかよ?みんな、俺たちはこの女の一族のせい!無能な兄の所為でこんな目にあってるんだぞ!税を納めて侍にデカい顔されて……それでも!ここまでされてそれでも従うのかよ!」
この男にも何か抱えているものがあるのだろう。
悲嘆にくれた表情と、血走った目。
……それでも私はここで譲る気はない。
「俺は死にたくない。姫様よ、あんたが何をしようと構わねぇ!だがまずは俺たちに飯をくれ。そして勝てもしない殺し合いにこれ以上俺たちを巻き込むな!」
「あなたの言い分は分かりました。ならば募兵に応募せずとも構いません、すぐに何処へなりとも行きなさい」
これは私からの最大限の優しさだった。
本当は兄様を侮辱した事を謝らせたかった、この手で無礼打ちを加え黙らせてやりたかった。
だけど、こんな男でも私の国の民だから。
いつかこの危機が去った時、共に笑い会える日が来ると思ったから。
「何処へなりとも行け、だと?あんたが俺たちから家をうばったんじゃないか!あんたの兄貴が俺たちから畑をうばったんじゃないか!この上、逃げ出したこの場所から更に立ち退かせて何処へ行けって言うんだよ!」
男は何かが壊れた様に絶叫した。
抑えきれない何かに後押しされる様に男が棒きれを振り庇った。
『アア、また殴られる』
そう悟った私が目をつぶって身構えた。よかったもう痛みにはなれているから民たちの前で無様に泣き叫ぶ事はない、それが少しだけ誇らしかった。
何か細いものが風を切り裂き唸りを上げる。
「ガアアアアアアアアアアア!!」
『?』
痛みの代わりに何か熱いものが顔に降り注いだ。
悲鳴と絶叫、騒音が二、三重に混じり合い慌てて閉じていた目を開くと世界が赤かった。
顔にぬるりとした赤い体液がかかりそれが血と理解できたとき、先ほどの意地は彼方へ消え去り私は民と同じく悲鳴を上げた。
先ほどの男が右腕を押さえて転げまわり、隣にはじいが血を滴らせた刀を構えて肺から息を吐きだし構えた。
「流国国主様とお約束したのだ。一命にかえても姫様を守ると」
『こ、このじじい!兄貴を斬りやがった!!』
『殺すつもりだったんだ』
『流国の侍達も敵かよ?!』
『兄貴を守れ!』
斬られた男の周りに群がっていた男たちが石を掴み投げつけ始める。
周りの傍観していた民たちの幾人かも自分の『仲間』である男が斬られたのを見てそれに加わる。
まるでここで石を投げなければ、私達を倒さなければ私達の刃で斬られるかの様に。
怯えた、先ほどの男と同じ血走った……恐怖に濁った目で私達を見ていた。
何人かの冷静なもの達が静止を叫ぶがやがて罵声の声に負けて聞こえなくなっていった。
「姫様、身を伏せて下さい!」
数人の護衛たちが、ご無礼と言って私に覆いかぶさる。
私は護衛たちに覆いかぶさられ、その隙間からじいが見えた。
石を投げつけられ棒きれを持った男たちに相手に刀を振るじいが見えた。
やめて、と叫んだが誰も聞いてくれない。
多くの拳大の石がじいに降りそそぎその一つが頭に当たった。
こめかみから血が吹きだし、よろめいた。
その隙に何人かが殺到しその姿は民衆の陰に埋もれ見えなくなった。
「そいつらもだ!そいつらも敵だ!」
右腕を押さえ、血を滴らせた先ほどの男が血走った目で私たちを指さした。
「姫様!逃げて下さい!私達が持ちこたえますから!」
「お早く!」
民衆たちは怒りに目を燃やし、恐怖に目を濁らせジリジリと迫ってくる。
流国から付き従ってくれた護衛たちが身構えた。
なぜ、戦ってるの?
なぜ、憎しみあっているの?
守るべきだった民と律儀についてきてくれた家臣達が。
じいは死んでしまったのだろうか?
私はここでみんなを殺すのだろうか?
私のわがままで……勝手な行動で彼らを殺してしまう。
先ほどから声を枯らして、喉から声を絞り出して、静止する様に叫んでいるのに誰も聞いてくれない。
無力だ、どうしようもないほど無力だ。
兄様がいない私はどうしようもないほど無力だった。
「復讐しろ!俺たちをこの地獄に突き落としたこの女を!」
民衆達が殺気立ち近寄ってくる。
迎え討つ為に今日まで従ってくれた兵たちが身構える。
嫌だ。
誰も死んで欲しくない。
死にたくない。
兄様……助けて。
誰か。
誰か……助けて。
誰か……。
「随分と言うじゃないか」
いつの間にか涙をこぼし、枯れた声で痛む喉を抑える私に声が聞こえた。
不思議とよく通る、聞きなれた声が聞こえてきた。
会いたくない、聞きたくも無い男の声なのになぜか涙が止まらなかった。