其之二十一 あの頃の僕は3
「坊、お前はいよいよお兄ちゃんになるんだぞ!」
「兄様、僕は妹がいいです!」
僕は重くなってきた甥っこを肩車しながら原っぱを駆けていた。
正確にはこの子より年下の『叔父』か『叔母』が生まれるのだが細かい説明は少し早いだろうと単純に兄弟と伝えておいた。
坊は笑顔ではしゃぎながら万歳をして風を受けている。
その目は無垢で純粋に家族が増える事を待ち望んでいる、まるで夜空の星のように光輝き純粋だ。
「そうか、妹か!いいな、いいな!そうだな、妹か!」
僕も年甲斐も無くはしゃぎながら足の速度を上げる。
甥っ子の無垢な笑い声を聞いているとこっちまで楽しくなってくるから不思議だ。
「そうだな!義姉上様が亡くなって家は男衆が多いからな、女の子がいれば我が家に華が咲くな!」
「僕はその子に毎晩御本を読んであげます!僕ももう文字が読めますからいっぱいいっぱい僕のできる限りの本を読んであげて仲良くします!」
「ははっは!いいぞ坊!では僕は体を鍛えてやって、強くてたくましい妹になるようにがんばろう!性格はともかくあの武国の妻様の血を引いているんだ、凄く綺麗で強くなるぞ!」
父上は遂に生まれてくる子の姿を見る事は出来なかった。
さぞ無念だったろう。
さぞ悲しかっただろう。
だからせめて、父上の分まで僕らで生まれた子供を愛してあげよう。
共に生き、共に笑い、共に遊ぶ。
僕が欲しかったものをすべてその子に挙げよう。
僕は知らずのうちに笑みを作った。
父の居ないわびしさなんて絶対に味あわせてなんてやるもんか。
「それに僕が御本を読んであげますからきっと頭も良いですよ!」
「そうだな!強く、美しく、頭も良い妹か、それなら連合の何処の国からも求婚の行列ができるな!」
「でも僕は妹と離れたくないです!他の国にはあげたくないです!」
肩の上の甥っ子はすねた声を出して首を振ってイヤイヤをする。
「よっし、それなら政略結婚なんてしなくていいほどにこの国を強く豊かにしないとな!」
「どうしたらいいのですか?」
「兄上の……、坊は父上のお手伝いをしてさしあげろ。坊が支えてあげればこの国は安泰だ」
そう言いながら最近、父上の……二代目国主の後を継ぎ、三代目として精力的に働く兄上である現国主の顔を思い出す。
寝る間も惜しんで働き、民を愛し税を整え、罪を憎み、法を整える。
和を尊び部下には柔和な表情で接し、逆らう敵には鬼にもなる厳しさを持っている。
坊の母である妻の死にも、先代の死に悲しみながらも正面から受け止め進む我が兄の顔。
間違いなく良い国主である。
この国は良い国主を得た。
そして僕の肩の上にいるこの甥っ子が四代目国主様だ。
僕ができるのは兄上とこの甥っ子を支えて守り抜く事だけだ。
二代目国主であった父上には僕は息子として何の孝行もできなかった。
悔やんだ時には相手は墓の下で物言わぬ骸と成り果てた。
だからこそ、僕は兄上と甥っ子を助けようと思うのだ。
兄上は僕なんか必要ないだろうけど……。
坊も既に賢き己の片鱗を見せ始めている。
僕にできる事なんて些細な事だろうけども。
それでも……。
だが僅かに不安があるのはなぜなのだろう。
強い炎は早く燃え尽きる、そんな言葉を言ったのは誰だったか……。
実際に睡眠は一日数時間、すべての業務を自分が知っていないと気が済まなく、疲れを知らない。
(いや止そう。これは今考えても無意味だ)
「どうしたのですか?」
いつの間にか僕の足は止まり、坊は両手を僕の頭に乗せて心配そうに顔を覗き込んできた。
(こんな子供を心配させるなんて僕はまだまだみたいだな)
「いや、僕は弟が出来ても良いなと思ってね。坊は妹しか本は読んであげないのかい?」
「そんな!弟だって御本を読んで上げます。むしろ弟なら兄様がしてくれたみたいに僕が肩車をしてここに連れてきてあげます」
「いよ~し!んじゃ城に帰るか。馬を飛ばすからな、しっかり摑まっていろよ」
「僕も武門の子、落馬など怖くなどありません」
「ははは~ん、城についた後に同じ言葉を言えたら今度は町に連れて行ってやるよ」
「面白い、受けてたちましょう」
大丈夫だ。
父上が亡くなって、優秀な兄上が後を継いだ。
万が一、兄上に何かあっても僕の肩に乗る甥っ子がいる。
新しく生まれる歳の離れた弟か妹と共にこの国を守っていこう。
舌足らずに意気込む甥っ子の言葉を受けて、僕は精一杯駆け出した。