其之二十 無垢な寝顔と国主様
「眠れない……」
今まで見た事も触れた事も無いふかふかの布団で僕は目を覚ました。
見た事も無高い天井。
彫刻が事細かに彫り込まれた柱と梁。
ああ、そうか。
僕はお姉ちゃんと一緒にお城に泊まっているんだった。
周りを見ても布団の中には僕一人だけ。
ああ、お姉ちゃんは副官様と同じ部屋で寝ているんだった。
右隣りの部屋にはお姉ちゃんたち。
左隣りの部屋には国主様が寝ているはずだった。
数時間前には飢えで満足に動く事すらできなかった僕が、木綿とはいえ新しい下着と夜着に身を包み、綿のたっぷりと詰まった布団に寝ている。
安心すると同時に不思議と怖くなった。
既にここは天国でこの布団は仏様の手のひらではないのか?
そう思ってしまう。
ブルリと身震いして肩を抱くと鳥肌が立っていた。
さらに怖くなってその手に力を込める。
皮膚がへこみ、紫色になり爪が食い込む。
痛い……。
痛い。
生きてるんだ、僕は……。
さっきまで生きるだけで精一杯だった。
着の身着のまま逃げて来て、家の事、父さんの事、母さんの事、友達の事、そんな事を考える暇なんて無かった。
だけど、こうしてお腹いっぱい食べて、雨風が凌げる場所に寝て、心に余裕ができるとふと考えてしまう。
皆どうなったのか?
僕らはこれからどうなるのか?
怖かった。
自分の身の安全が保障されて、ようやく僕らの立ち位置に気がついた。
あの副官と名乗る女性は優しそうで、一緒にいて安心した。
お姉ちゃんと一緒に頼み込んだら仕事の一つも与えて下さるかもしれない。
だけど、この国の国主様を名乗った男性はどうだろうか?
見栄えの良い男性だと思う。
お風呂をご一緒した時に見た肉体は鍛えられていて『戦う男』の体をまじかに見てドギマギした。
だけど僕は……あの人は恐い人だと思うんだ。
神経質そうな眉間の皺。
そして異形の左腕。
昔話で聞いた『妖国』の化け物みたいじゃないか。
必要とあらば容赦なく腰の刀を抜くのではないか?
だけどそんな人が国主様になれるのか?
答えなんて出ないのに、考え始めると更に目が冴えてしまう。
無理やり眠ろうと目を閉じても、目の奥に浮かぶのは帝国の兵から逃げる僕らの姿が何度も繰り返し蘇り余計に眠れない。
それに、昼にあれだけ食べた後に昼寝したんだ、そうそう寝られる訳も無く布団の中で僕は震えていた。
横からは規則正しい寝息が聞こえる。
国主様だ。
不思議とイビキは聞こえない、育ちがいいとイビキもかかないようになるのだろうか。
「厠どこだっけ……」
僕は誰もいない室内を抜けて廊下に出た。
鳥と虫の鳴き声が静かに響き、見える明かりは月の明かりだけ。
なるべく音を立てないようにゆっくりと廊下を歩く。
磨き抜かれた床板は月の光を浴びて淡く光っている様に見えた。
「ふぅ……」
厠を済ませて戻る途中、少し廊下と部屋の衾が空いて中の様子が見えてしまった。
国主様の部屋だ……。
この人はどんな顔で寝るのだろうか?
やっぱり不機嫌そうに眉間に皺を寄せているのだろうか?
そんな疑問が頭をよぎる。
静かに衾を開けると、怒られるのを覚悟で国主の枕もとまで四つん這いで進んでいく。
ふと覗き見た国主の顔は意外にも幸せそうな年頃の平均的若者の寝顔でした。
想像と違い穏やかな顔をされていました。
「この人もこんな穏やかな顔して寝ねむられるのですね……。あ、頬にホコリついてる」
何気なしに頬のホコリを取るためにつつく。
「んん~」
くすぐったそうに寝返りをうつ国主様。
その表情は先程、僕ら姉弟を蔑んでいた時とは正反対だった。
「目を覚まさないですよね……」
しばらく待ったが反応はない。
「よかった、僕も自分の布団へ行こうっと」
そう廊下の衾を目た後に何気なく再度視線を彼に再度向けると……お互いの目がしっかりと会っていた。
「……」
「……」
「いや、あのこれは……」
「眠れないのか?」
ぼんやりとした、空ろな目で僕を眺めていた。昼に僕らに向けていたような厳しい目ではなかった。
「……はい」
「まったく、『坊』は昔から怖がりだもんな」
「坊?」
どうやら国主様は、まだ寝ぼけているようでした。
だけどその慈愛に満ちた微笑みは先ほどの僕ら姉弟を見下していた人とは同一人物とも思えず、だけどまぎれもなく彼で……。
「ほら、こっちきなよ」
そう言って布団を開けた。
僕は促されるままに彼の布団に入るとごつごつとした彼の腕に包まれ寝た。
僕が大人しく布団に入ると『おやすみ、坊』と言って再び彼は眠ってしまった。
その声は、この人もこんな声が出せるのかと思えるほど、優しかった。
彼の温かさを感じて、逞しい胸に抱き留められる。
ただそれだけなのに……。
先程まで感じていた不安が和らいでいくのを感じました。
僕もやがて瞼が重くなって夢の世界へ旅立った。
もう戦の夢は見なかった、代わりに逞しかった父さんの夢を見た。