其之二 流国と日常
『流国 国主居城にて』
「兄様!またお側付きの娘に手を出しましたね!」
まだ冬の寒さが残る肌寒い時節、溶けかかる雪はそんな音の反響を受けて、城の屋根瓦から零れ落ちた。
一国の姫であり、淑女でもある流国姫であるこの私が!わざわざ大声でお説教をしなくてはいけないとは……。
「いや~、はっはっは。仕方ないじゃないか。あの子の様な心の美しい女の子と会話したら、僕の心はまるで太陽を追いかけるヒマワリのように注目し、忠実なる下僕になるしかないじゃないか」
視線の先にいる豪奢な和服を着こみ、髷を結う壮麗な、齢二十半ばに見える青年はそんな言葉など意にも介さないように微笑んで聞き流した。
鳶色の目が私を見つめ返し、思わず息を呑んだ。
兄妹であるのにその瞳に魅入ってしまい、心がざわめく。この瞳で何人の女性の心を独占してきたのでしょうか……。
彼こそ私の実の兄にして『連合』の内の一国『流国』を束ねる我が兄様であります。
見目麗しく、武勇の腕も在る。
そして民に慕われる名君……の卵です。
数年前、父上が他界されてから兄様が後を継がれ、立派な国主様ですが女癖の悪さだけは抜けません。
「何をおっしゃってますか!婚礼前の国主様が何と破廉恥かつフシダラな!」
「僕は真剣だよ、彼女になら僕の妻としてでも迎えてもいい」
それを聞いた私は顔を真っ赤にして大げさな手振りで、恥ずかしそうに言った。お気に入りの着ている打掛が驚きの為に小刻みに震えた。
「!……兄様。兄様の御心に叛く訳ではありませんが身分の違いとご自身の立場をご理解くださいませ。この流国の国主たる兄様が結婚なさるということはその者がこの国の奥方様となるという事ですよ。人は残念ながら生まれや育ちで他者を値踏みしてしまいます。ましてや国主となれば尚の事です。国主の妻は国と国を結ぶ外交の政略結婚で無くてはなりません、絶対にです。もしその使用人が良いとおっしゃるのなら、せめてきちんと本妻を他国の然るべき家から迎えた後で側室になさってくださいませ!」
「我が妹よ、君の言いたいことは理解できるし正しい意見だ。しかし君も十六なのに萌国との政略的婚約を解消したじゃないか」
「私はいいんですぅ~、兄様がお世継ぎをこさえてくだされば、私はそこらの良さげな地方豪族にでも嫁ぐか、婿養子でも呼ぶかいたします。相手があのクズやろ……いえ、あの萌国国主など結婚せずに正解でした。もう少しでも私が年を重ねていれば婚約という汚点すら阻止していたものを!」
私は会話に出てきたクズ野郎、萌国で出会った『少年』の顔を思い浮かべて真っ赤な顔を更に赤くした。
もうお互いが子供だったあの頃から数年以上会っていない、少年だった彼は今どれくらい大きくなっているのだろうか……。
「そうかい?僕はそんなに萌国国主の事は嫌いじゃないんだけどな」
その言葉に私は妄想という名の思考の渦から引き戻される。
「どこがですか!あんな小心者の乱暴者、国主になれたのが奇跡でしょう。もう会話も会うのも近付くことすらゴメンなさいです!」
そう言いながら真っ赤な顔を横にブンブン振り回す。
「ふむ、つまり会いたい、話したい……と」
兄様がしたり顔で微笑んだ。
「どこをどう解釈すればそんな答えになったのか、聞かせてもらえますか!?」
「いやいや、君が幼少の頃に彼に会うと聞いたときに赤面して僕の物陰に隠れて、着物の裾を掴んで恥ずかしがっていた事を思い出したんだ」
「あれは……私がまだ子供だったから、夢見る少女だったから!見た事も無い異国の殿方である婚約者に会うって緊張していたのです!だからそんなんじゃないのですよ!」
「……顔をリンゴ色にして視線を泳がせてあわあわ言いながら否定してもまったく説得力がないよ。我が妹」
「赤くなんかないんです~、これは、これは……私の心の熱さが顔に出ているんです!」
言いきって男の大爆笑がしばし響く。
ますます赤くなって少女が体当たりをするがはたから見ると、甘えてよりそっているようにしか見えなかった。
「何を悟ったような顔して大笑いしているんですか!」
「いやいや、ごめんよ我が妹。しかし、そろそろ君の縁談も断りきれなくなってきたよ、我が流国は連合や帝国に囲まれて政治交流する国には事かかないしね」
「縁談ですか。私は連合盟主国の武国と纏まれば、我が国に良い後ろ盾ができると良いと考えるのですが……」
「あそこは僕より少し年上の国主様が嫁をもらったばかりだし、さすがにただ一人の妹を側室にはしたくないな」
「私も王族の端くれです、我が国の利益になるのなら側室だろうとなんだろうと、萌国以外なら何処へでも行きますよ!……流石に商国に売られるのは抵抗がありますが」
「商国ね……。そう言えば若国の国主様が商国の第一商会の縁者を嫁に貰ったんだか」
「商人風情の血を王家の血に混ぜるとは若国は何を考えているのでしょうね」
「あの国は商国の隣だし経済もだいぶ商国に依存しているからね。そこまで嫌悪感が無いんだろうさ、我が妹。それに……」
「それに?」
「良い意味でも悪い意味でも僕ら連合の血は濃すぎる。商国は才能ある商会の人間が国を指導するという摩訶不思議な制度を取っているから別として、それ以外の連合の国主達は皆親戚と言ってもいいほど血縁が多い」
少し声を暗くして、兄様が語ったその言葉の意味が、私には表面的な意味にしか受け取れなかった。
「……?良いではないですか、その為に連合は帝国だろうと科国だろうと、妖国相手だって団結してあたれます。連合の『盟約』が今も生きているのはそのためでしょう?」
「うん、そうなのだけどさ我が妹。近年連合各国の王族の死亡率が高すぎないかな、皆が病を得て病没して天寿を全うするのが少なすぎる。同じく赤子の死亡率もだ……。濃すぎる血は本当に、新しい血を入れるというのは間違ってもいないかも知れないと……。いや止めよう、答えはここではまだ出ない」
「そうですね。……もうすぐ雪解けですよ。米の田植えも始まりますし冬の間滞っていた仕事が山のように始まりますよ。商人達も道が使えるようになればこぞって入国しますから関所の人員強化も考えなければなりませんし」
『血』という私には理解できないものについて考え出したお兄様を、私との会話に引き戻すように……強引に話の流れを変える私。
そんな私をお兄様は咎めもせずに、すぐにいつもの笑みでほほ笑んでくれた。
「我が国の関所の税収は生命線だからね。君もそろそろ本格的に政務を手伝ってもらうよ、我が妹」
「お任せ下さいな、私は兄様を手伝えることも喜びの一つですから」
それを聞いた兄様は大きな手で私の頭に手を置いて撫でた。
私は、信頼する兄様が私の頭を撫でる手を『子供扱いしないで』と言いながらも、その手の温もりを感じていた。
この幸せが永遠に続くことを何一つ疑っていない私はまだ子どもだった。
この手が私をあらゆるものから守ってくれていたのを知るのは……まだ少し先の事だった。