其之十九 風呂と役割
「ん……」
声がして背後を振り返ると孤児達が起きたようだ。
盗賊が店を出る時のと物音で目が覚めたのかもしれない。
「そろそろ行きましょうか?」
既に日は傾き、辺りは夕焼け色に染まり始めている。
副官の問いかけに僕は賛成して無言で立ち上がる。
城まで距離はあるが腹ごなしに歩けば、着くころには酔いもさめるだろう。
店を出た僕の後を副官が、その後を孤児二人が、その後を猫が列をなして着いてくる、まるで親鳥の後をついて行く小鳥の列のようで恥ずかしい。
城へ着くまでの間そんな事を考えている僕はやはり人間が……人との関わりが嫌いなのだなと身勝手な自己分析をしていた。
僕たちが町から城内に入る時、孤児達は明らかに怯えていていたが、副官が『この方がこの国の国主様だから大丈夫だからね』との言葉を聞いた時の顔がポカンとしていて何故だか笑えた。
「さて、それではちゃっちゃっとこの子たちを奇麗にしてあげますか……」
副官が城に連れてこられ怯える子供二人を見て言う。
「ああ、そうしてくれ。臭いし、汚いし、醜いし、城とこの部屋にこの生ごみ臭が付く前にどうにかしてくれ」
それを聞いて、孤児達の内、姉が憎悪を、弟が怯えの視線を僕に向けてくるが知った事ではない。
「こら、子供に何をいいますか!」
「ほんとに臭いし、汚いし、醜いんだよ。事実だろ」
「匂いと汚れは洗えば落ちますし、姿は髪型と身なりを整えれば綺麗になりますよ。お風呂沸いていますから、その弟の子の方を入れてきてあげて下さい」
そう言って手ぬぐいを放り投げられた。
「はぁ~ん?……僕に子守をしろと?」
「年頃の子供を異性が洗ったりしたら情操教育に悪いです」
そんな言葉をこのガサツで男勝りな個人副官から聞くとは夢にも思ってもいなかった。
ここは笑う所だろうか?
「僕は子供が大っきらいなんだ……それに左腕が」
「だからこれを機会に好きになってください。腕は説明すれば大丈夫でしょう?」
そのまま僕と個人副官はしばらく睨みあう、個人副官は笑顔だったのだが。
「……はいはい、わかったよ。坊主、付いてこい」
この副官に口で勝てた試しが無い。
挑むだけ無駄という物だ。
その成り行きを眺めていた姉弟は目を合わせると、弟が不安そうに付いてきた。
そのまま場内の一角にある風呂場の家屋に直行する。
僕は着ている服を脱ぐ前に孤児弟に向き直る。
「おい、これからお前は理解できないものを見るだろう。だがお前に身の危険は無い。だから驚くな?」
仮に目の前に理解不能な存在があるとして、前もっての言葉はどの程度有効なのだろう?
僕はさっさと着物の上服を脱いで白の長襦袢を羽織ると袖をまくった。
僕の左腕についた手甲をゆっくりと外す。
そこから現れた、異形の腕。
僕の大嫌いな醜い墨汁を腕全体に塗りたくったような黒い腕は確かにその場にあった。
ゴクリと息を呑む音が響いた。
『醜いだろ?』そう問いかけた僕に孤児弟はどうしていいのか分からずにポツンと突っ立っている。
「……さっさと脱ぐんだよ、全部」
と言ったところでようやく、もそもそと動き始めた。
浴場は城の一角にある浴場で入浴と共に大自然特有の緊張緩和を促す新鮮なヒノキの香りが胸いっぱいに広がる、はずなのだが横の悪臭の塊が折角の香りをぶち壊している。
僕は孤児弟を座らせると頭からぬるま湯をぶっかけ、石鹸をつけた手ぬぐいで強引に洗っていく。
見る見るうちに流れる湯が黒く濁っていく。
「泥だらけだな、何日ぐらい風呂に入ってないんだ」
「……二週間ぐらい前に川で水浴びはしましたけど」
「ガリガリだな、何日ぐらい飯食ってないんだ」
僕は何気なしに浮き出たアバラをなぞった、瞬間恥ずかしそうにビクリと震えた。
「……二日ぐらい前に山菜を茹でて」
「あの目つきの悪い姉以外の家族は何人だ」
弟は右手の指を二本立てた。
「二人です、父さんは流国を守るんだって義勇兵に応募してそれっきり、母さんとは流国脱出の際にはぐれて会えていません」
「ふーん」
軽い口調で相槌をうっておいた、こんな時代だ。いちいち同情して泣いてやっていてはすぐに僕の目は干からびてしまう。
「親父さんの職業はなんだ」
「生地の染め物職人です、父さんの手によってどんな生地も色鮮やかに変身するんです、まるで魔法みたいで、父さんみたいな職人になるのが僕の夢なんです」
「そうか……」
それだけ言うと僕はまた頭から湯をかける。
会話が途切れたのをみはらかって向こうから話しかけてきた。
「あの、ありがとうございます。僕らを助けて下さって。……あのままじゃきっと、店の人に殴られて、ほっぽり出されて飢え死にしてました」
「礼は個人副官……、あの女に言え。僕は見捨てるつもりだったんだ」
沈黙。また、会話が途切れる。
「……あの、綺麗な女の方ですよね。あなたとご結婚されているのですか?」
「そう見えるか?」
「はい」
「……」
どう答えたものか僕はふと手を止めて無言になる。
「……違いましたか?」
僕が急に手を止めたので怒ったと勘違いしたのか声に怯えが含まれている。
「ああ、僕は浮気症でね。あいつは六人いる僕の愛人の内の一人なんだ」
そう言って僕はにっこり意地悪くほほ笑んだ。
瞬間に子供の表情が固まり頬が赤くなる。
思春期の子供は想像力が豊かだな……おい。
「嘘だよ」
そう言ってまた微笑んだ顔を無表情に顔を戻した。
「僕は男にしか興味無いし」
と続けたらさらに顔色が赤くなった。
「じ、じゃああの盗賊って呼ばれていた人と……」
ここまで簡単に騙されてくれると、いい加減面倒になってきたのでやめることにした。
「嘘だよ、僕は自分を含めて人間が嫌いだからね」
それを聞いてしばらく少年はポカンとしていたが気を取り直したようだ。
「それも嘘なんですか?」
「さてね。……よし、いいぞ湯船に入りな」
それを聞いて頭をプルプル振るって水を切ると湯船に駆けて行った。
「……ついでだし僕も入るか」
この城備え付けの湯船は広く、大人十人くらいはなんとか入れる広さはある。
この城最大の財産といっても良いかもしれない。
初代国主が大の風呂好きで科国の職人まで呼んで大々的な湯船にした。
僕はいつも一人で入っているので足が伸ばせてラクぐらいにしか考えていないが初代国主は何を考えてこんな大きな湯船を作ったのだろうか。
「あの、最後に一つ良いですか?」
「なにさ?」
難民弟は少し言いづらそうにもごもごしていたが、やがて決意したように僕を見た。
「ここには帝国は攻めて来ませんよね」
その言葉を聞いて僕は返答に一瞬詰まるが、『この国は連合副盟主国だぞ、返り討にしてやるさ』と答えた。
流石にこの子供の前で『俺が知りたいよ』と本心を言うにはこの子の顔は無垢すぎた。
風呂から出ると交代で副官と孤児姉が一緒に入浴に向かう。
日は大分傾き風も風呂上がりの火照った体に心地いい。
女性二人が出てくるまで僕は縁側で風を受けながら書類に目を通して今の国の状況を再度確認していた。
孤児弟の方は僕の隣で猫とじゃれながらノミ取りに精を出している。
風呂場からは女達の無垢な笑い声が響いてきて、この国の危機的状況を理解せず悠長に談笑しているその声が無性に僕を苛立たせた。
「……いつから僕はこんな狭量な男になったんだろうな」
「あなた様は僕たちにご飯と服と屋根をくれました。僕はあなた様がとても広い度量をお持ちに見えます」
隣からそんな声が聞こえた。
律儀に僕の一人言に答えてくれたのだろう。
こういった素直な性格は一朝一夕に形成されるものではない、よほど人格者の両親から慈愛と優しさ、そして厳しさを受け取ったのだろう。
「お前は流国へ帰りたいか?」
「はい。どんなに慈悲をいただいても、僕の家はあの国にある家です」
「きっと略奪や放火を受けて、もう家の灰すらないかも知れないぞ」
僕の言葉を脅しと思ったか言葉を詰まらせる、……が力強い声での返答が帰ってきた。
「父さんは言ってました。人の手が物を作れるのには意味があるって。人の手が道具を使うことができるのには意味があるって。……悲しいけど物が燃えて何もかも無くなる事にも意味があるって」
僕は書類の見る目を止め、横を向きようやくその目を直視した。
「その時は良くわかりませんでしたが……今も理解できていませんけど。きっと父さんならその手で家を建てたはずです、畑を耕したはずです。家が焼けたからって絶望して諦めるような人ではないです。だから……だから僕もあの人の息子としてただわが身の不幸を嘆いているだけの人に『落ちる』わけにはいかないと思うのです」
「……ふん、言葉は立派だな。だが僕がその言葉を信じるのは、お前が実際に流国へ帰り家を建て田畑を耕したその時だ」
言い切ったその時、風呂上がりの湯気を立ち上らせて二人の女が戻ってきた。
「まぁでも、お前らの二人と猫一匹分の許可状を書く紙代ぐらいの価値はある言葉かな」
僕は二人に視線を向けていたのでその一人言を後ろの孤児弟が聞いたかどうかは解らなかった、そして聞いてどんな顔をしたかも興味はなかった。
「なんの話をしているのですか?」
副官が訝しげに聞いてきた。
「僕の手は酒と煙草を口に運ぶ為にあるが、こいつの手は物を作る為にあるという話さ」
自虐的に微笑んだ僕を、眉をしかめた顔が見下ろしていた。
「また何か……嫌な悟りを開きましたね。風呂に入ってさっぱりした頭でそんな考えしか浮かばないのですか?」
副官は呆れたように嘆息したが、隣の猫を撫でて、僕はその質問を無視した。
「はぁ、まったくあなたは……。ぼうや、こっちにいらっしゃい」
手招きする副官の元へトコトコ歩み寄るその姿は親子のようだ。
「二人とも髪も切らないといけませんね」
「ああ、そうしてやれ」
「あら、お風呂もいれてあげたのですから、髪ぐらい整えてあげればいいのに」
「流石にそこまで世話してやる気はないぞ」
「はいはい、それでは今度は私がこの男の子の髪を整えるので、その間その女の子と寛いでいて下さいな。終わったら今度は女の子の髪を整えますから」
孤児姉は僕を不審そうな目で見た、その表情は弟ほど僕への警戒心を解いていないのだろう不信感がにじみ出ている。
「あー、煎餅食うか?」
餌付けを試してみると、コクリと頷いてリスのように、カリカリ小刻みに煎餅をかじり出した。
が、警戒心はそのままで僕からは距離を置いて時折こちらを確認しながらまたかじり出した。どうしろっていうんだ……、子どものあやし方なんて知る機会はなかったし。
「あー、猫撫でるか?」
またコクリと頷いたので猫を手渡そうとしたのだが猫は嫌そうに僕の横から動かない、よほどこの縁側が気に入ったのだろう。
何度か試したがどうにも動かすのが無理なようなので諦めたように首を振った。
それを見ていた孤児姉は残念そうに僕と猫を代わる代わる凝視していたが、意を決すように僕の横に来て猫を撫で始めた。
『なるほど、子どものご機嫌をとるには動物を使えばいいのか、次からそうしよう』そんな事を考えが頭に浮かぶ。
隣から髪に櫛を入れる鋏が規則正しく音を立て始めた。
横目でその光景を見ながら『盗賊にまたからかわれそうだ』、そう言って僕はこの城の居住人数の書類に二人と猫一匹を書き加えた。